ぜんしょうれん きゅうしゅう ぶろっく にゅうす28ごう から ばっすい

 


 

   だざいふし きゅうだん―すわりこみの かんそう

 


 いっさくねんまでの そちせいどに かわって さくねんの 4がつから 「しえんせいど」が どうにゅうされました。この「しえんひせいど」とは ひとりひとりの しょうがいしゃほんにんが へるぱあはけんぎょうしゃと けいやくし、せいかつの いちぶを ささえてもらうための せいどです。だざいふしに おきましては しょうがいしゃが おやもとを はなれて ひとりぐらしをしている わたしたちに いっぱんの ひとびとの1/3いかの せいかつを おくれと いわんばかりの しえんひで、ある ちてき/しんたい ふくごうしょうがいしゃの ひとには じかん/つきにして 10じかんの しきゅうしか だしていません。しんたいだけの わたしたちには じりつどが たかいなどと、あるひとは にゅうよくじに こけ ほねおったりしていますと、べんめいしょに これまでの せいかつじょうきょうを かいても いっこうに あらためようとしません。よって わたしたちは つぎの つき(5がつ)から だざいふしまえで すわりこんで しょめいや かんぱを つき2かいほどしています。
だざいふし きゅうだん とうそうの きろく
















 

なんどめか わすれましたが ししょくいんが わたしたちの たたかいへの だんあつを ねらってか かくしどりの びでおかめらを とっていました。わたしたちは、ただ しょうがいしゃ=わたしたちの せいかつが じゅうぶんに あたりまえに おくられるようにと たたかっているだけです。ししょくいん(ふくしか)は わたしたちの こえに みみを かたむけようともしません。ここで となりの おおのじょうしと ちくしのしは ここだざいふしと てんびんに かけるほど さいていな しであることに ちがいは ありません。いや?まてよ きゅうしゅういちかな?う〜んといやぜんこくいちかな。がいどへるぱあせいどもなく しせつの ゆうじんなどに あいにもいけませんから、がいどへるぱあも せいどとして みとめてほしい。こじんてきには ししょくいん(ふくしか)に いちにちもはやく わたしたちの まんぞくする じかんすうにちかい じかんを しきゅうする しせいをみせてほしい。そうしないかぎり たたかいは たたかいとして えんえんに つづけていきます。ざいげんがない・また さんぎょうがないとか?いってますが それはしやくしょ(しちょうと ふくしか)をつなぐ かんりょうの いんぼうじゃないかと わたしはおもいます。なぜかって ふくおかけん うきはぐん たぬしまるちょうや やながわし または やめしなど さんぎょうがないのに じかんすうにして150〜185じかん/つきは だしているのに、だざいふしだけが しょうがいしゃにたいして ちいちゃくこだわり こばむのだろうと ふしぎで、ふしぎでたまらないのです。しえんひせいどが はじまるちょくぜんに ふくしかと「つどいのいえ」のしょうがいしゃ3にんの わたしたちと はなしあいのなかで、だれ〜かが じこにあうか、じこでしなないと じかんすうは ふやさないと うでをくんで いっていた(ふくしかのかちょう)だざいふしが しえんすうをだしたのは・・?わたしの かじえんじょ22じかん/つき・しんたいかいご14じかん/つき たったこれだけの じかんすうでは にゅうよくだけで あとはなにもできないとおもうし、ちょうりのほうに じかんをとられて にゅうよくのほうが てぬきになるし、それじゃ〜なんのためのしえんひだろうか?と「つどいのいえ」のわたしたちが しやくしょのまえで すわりこみや かんぱかつどうに つき2かい がんばってたたかっています。

 しちょうが または じちょうが しょうがいしゃ=わたしたちのまえに でてきて ちょくせつこえをきいても よいじゃないかとかんがえます。なにもはずかしいことじゃないと おもいますが、ひとつきも はんつきも いちにちもはやく しょうがいしゃのまえで じぶんのみみで なまのこえを きいてほしいです。

 


 

   えつねんえっとうとうそうほうこく

 

せいふ・こいずみしゅしょうをせんとうに、ふくだ・かわぐち・いしは・あべら じみんとうしっこうぶは「てろにはくっしない」と いらくろうどうしゃの せんりょうしはいにたいするたたかいを 「てろ」ときめつけ、じえいたいしゅっぺいの きほんけいかくを かくぎけっていしました。こうくうじえいたい・ゆそうきを せんこうしゅっぺいさせ、ほんたいしゅっぺいを きょうこうしようとしている。また、いしはらとうきょうとちじは、にっていのしんりゃく・しょくみんちしはいを、びかし、ちょうせん・ちゅうごく・あじあろうどうしゃじんみんを さべつ・はいげきする せんどうをしています。しょくみんちしはいのれきしをいなおり、てんのおをおしたてて はいがいしゅぎ・さべつしゅぎこうげきをげっかさせ、せんそうはつどうへ つきすすんでいます。
 
しょうがいしゃも さんかして
だいせいこうした
だい19かい えつねんえっとう
ひやとい だんけつまつり








 

 そして、ふくにちろうの えつねんえっとうまつりにたいして、けんりょくと ぎょうせいと きもとぐるうぷが てきたいしてきました。おとわのといれが てっきょされたことにたいして、ぎょうせいをだんがいし、けっきょく できまちこうえんで、なんとかやるほうこうを だしましたが、またしても ぎょうせいのせきにんを ほうきして てきたいし、できまちのじゅうにんにたいして こうえんをかさないように できまちのじゅうにんに でんわでおどすようにしていました。けっきょく ふくにちろうのだんけつで できまちしようをかちとって、おとわのなかまもきてもらい だんけつまつりをやりとげていった。だんけつすれば やりとげられるとゆうことだ。

 そして、びでおで みなみちょうせんの ろうどうしゃのたたかいをみて、でもや けんりょくとの こうぼうをだしあって それぞれのたたかいに いかしていこうとゆういけんや、「びょうしゃ」・しょうがいしゃの ほあんしょぶんや しえんひとうそうの すわりこみのたたかいを ろうどうしゃこうりゅうかいで いけんをだしあいながら、ろうどうしゃとしょうがいしゃが だんけつすることで、いろんなたたかいをかちとっていくことを かくにんしました。きもとぐるうぷと けんりょくをたたきつぶすような たたかいこそが しんのかいほうをかちとってゆく。さんりづかのやさいのしえんや、すずきけんたろうさんをかこんで だんけつをかためてゆき、はんせん・はんかく・はんさべつをかちとってゆく たたかいをてんかいして、だんけつえっとうまつりをかちとりながら、だんけつをぜんこくの たたかいとひろげてゆきたいとおもいます。

 ともに たたかっていきましょう。

 

 


 

   だい19かい―ひやとい えつねんえっとう だんけつまつりにさんかして 

 

 さくねんまで、ずっと はかたのおとわこうえんで だんけつまつりを おこなっていたのですが、ことしは といれてっきょにより すいどうがつかえないため、できまちこうえんで おこなわれました。

 いちにちめは とつにゅうしゅうかいがあり、たすうのろうどうしゃがあつまっていました。とつにゅうしゅうかいのあとには もちつきもありました。かんぱの にわとり(いきている)をかいたいしているのをみて ぞっとしました。じぶんにはとうていできません。

 ふつかめは、あさの11じくらいに でもにいきました。でもをしていると、なにか けいさつと ごたごたがあっている ようすでした。(うしろがふりむけないので わかりませんでした)ふつかめの でものさいちゅうに Kさんがきもとぐるうぷ(=にせ「くみあい」)や けいさつにたいして おおごえで さけんでいたのが いんしょうに のこりました。

 ゆうがた7じくらいから「ろうどうしゃこうりゅうかい」があり、いろいろなはなしをしました。あるろうどうしゃのひとは「しごとがないのでどうにかしてくれ」と いっていました。ろうどうしゃのひとたちも ほんねをはなしたりするようになってきたな とおもいました。

 みっかめは てんとのかたづけがあり、あめがふってどうなることかと おもいましたが、ろうどうしゃのひとたちや しえんのひとたちがかたづけていました。

 じぶんは12じはんごろに かえりました。ことしの ひやといなつまつりには、はく(=かいいぬ)も いっしょにいくぞ!

 

 


 

   しえんひせいどについて

 

 2003ねんの1がつ10か ますこみはっひょう、しえんひに1にち4じかんのじょうげんを もうけるうごきがあると、ますこみはっひょうがあり、DPI・JIL・ぜんこく しょうがいしゃ かいごほしょう きょうぎかい、ぜんこく こうてき かいごほしょう ようきゅうしゃくみあい・にほん しんたい しょうがいしゃだんたい れんごうかい・ぜんにほん てをつなぐ いくせいかい・にほん しょうがいしゃ きょうぎかいらが なまえをつらね、こうせいろうどうしょうまえでの びらまき・こうぎこうどうをくりかえし、だんぞくてきに かまえていました。16にちに ぜんしょうれん きゅうしゅう ぶろっくとして わたしがかけつけました。

 

   

 こうせいろうどうしょうについて ちかから はいると、1かい ろびいと こうろうしょうまえのひろばに すごいかずの しょうがいしゃがいました。そのひまでは こうろうしょうが ろっくあうとをしていなくて、しょうがいしゃの けっしゅうは すごかったようです。しゅさいしゃは1500にんの けっしゅうがあったと いっていました。ゆうがた4じぐらいまで さんかして、とりあえず きゅうしゅうでも かつどうしきんを あつめるために ぶんしょのさくせいと、きゅうしゅうぶろっくとして どうたたかうのか、というぎろんをしなければと おもいながら かえってきました。5だんたいしゅさいの こうどうにさんかして、ぜんしょうれん きゅうしゅうぶろっくとして あとのこうどうに どうさんかするか かんがえなければならないと おもいかえってきました。


おおくの なかまたちと ともに
こうろうしょうを
きゅうだんしたぞ








 

 つぎのおおきな とりくみにむけて ぜんしょうれん きゅうしゅうぶろっくとして とりくむという かくにんをとり、ぜんしょうれん きゅうしゅうぶろっくの びらのさくせいと かくにんさぎょうをし、28にち ぜんしょうれん きゅうしゅうぶろっくの ぶたいをつくり、おうだんまく・ぜっけん もろもろをもって、とうきょうにむかいました。いろいろと とらぶるもありましたが、ぜんしょうれん きゅうしゅうぶろっくとして とうじょうし、じょうせんもやりきりました。
 2かいめ1がつ21にちは ぐんまの しょうがいしゃも さんかして、こうろうしょうまえで あめのなか、きゅうだんこうどうと びらまきじょうせんをしました。

 

 3かいめのこうどうのときには しちょうそんの ふくしか たんとうしゃかいのひとして こうろうしょうがせっていしていました。DPIをふくめた5だんたいは こうろうしょうが かいごしきゅうに「120じかん/つき」というじょうげんを もうけるということを「かくしちょうそんに おろすな!」とこうしょうちゅうであり、どうじに かんしこうどうと だんがいこうどうが よていされていました。ぜんしょうれん きゅうしゅうぶろっくとしても このこうどうに さんかするために しょうがいしゃ3にんで じょうきょうしました。しかしDPIをはじめとした5だんたいは、ぜんじつのゆうがた、こうろうしょうとの こうしょうのなかで、1ねんかんの へるぱあの げきへんかんわそちと しょうがいとうじしゃを いれた しえんひの けんとういいんかいの たちあげというじょうけんを こうろうしょうが かくやくしたとして しゅうやくしゅうかいに へんこうしてしまいました。てうちしゅうかいに なってしまったのです。

 しかし、きゅうしゅうぶろっくとしては それじしん おかしいとおもい、じょうげんもんだいについては かいけつしていないという こちらのしゅちょうをもって こうろうしょうまえでの びらまき・きゅうだんこうどうをおこない、DPIのやっている しゅうかいちかくでも しょうがいしゃたいしゅうに むけて「いっしょに たたかいましょう!」という びらをまきました。てうちしゅうかいのなかでも なにかぎもんをかんじている しょうがいしゃもおおかったようです。

 ぜんしょうれん きゅうしゅうぶろっくで ろんぎしたけっか、へるぱあの げきへんかんわそちと しょうがいしゃがはいる けんとういいんかいで てをうつのは おかしいということになり、しえんひの じょうげんてっぱいを きほんとして かつどうしていくことを かくにんしました。けんないの しえんひの じかんすうをしらべ、とりあえず ぜんしょうれんめんばあが おおいちくで しえんひがあまりでていない だざいふしで きゅうだんとうそうとして 5がつから しやくしょまえでの じょうせんとうそうと すわりこみをやっています。さくねん5がつから ことし1がつまで9かげつかんで17かいをかぞえました。

 それとどうじに ぎょうせいふふくもうしたても おこなってきましたが、しのたいおうとして「じじょどりょく・かぞくかいご・ぼらんてぃあ・せいかつほごの たにんかいごりょうで なんとかしろ」といっています。しかし たにんかいごりょうが つき88じかんで、しえんひが わたしのばあい67じかんしかでていません。それをたしても155じかんで、そのなかには がいどへるぷのじかんすうも、ぜんしんせいしょうがいの じかんすうもはいっていません。どうけいさんしても1にち5じかんにしかならないし、とうてい これではせいかつできません。このしえんひの じかんすうでは、びょういんにいったり、しゃかいさんかしたりという ほしょうは なにひとつされていません。さいていげんのじかんは あさごはんと ばんごはんの じかんぐらいしか ほしょうされていません。しえんひのじょうげんは、ちいきで いきていく しょうがいしゃのかいごを ぜんていにしたものではなく、「これだけやれば、なんとかなるだろう」という ぎょうせいの てえぶるのうえでの けいさんでしかありません。

 こうせいろうどうしょうの ほうしんをうけて、「しょうがいしゃはしね」といわんばかりの だざいふしさべつぎょうせいを きゅうだんし、しょうがいしゃが ちいきで いきるために ひつようなかいご(しえんひ)をようきゅうして 2003ねん5がつから しやくしょまえで すわりこみをしています。それにたいして ふくしかと せいかつほごかは いっしょになって すわりこみとうそうを やめさせようと いやがらせやおどしをかけてきました。さらに、びでおで かくしどりまでして だんあつしてきました。わたしたちは こんなことは ぜったいゆるせないと、こうぎをたたきつけて たたかっています。

こうぎもうしいれしょを けいさいします。

 


          こうぎもうしいれしょ

   だざいふしふくしか   どの
   だざいふしせいかつほごか どの

            ぜんしょうれんきゅうしゅうぶろっく
   ふくおかし じょうなんく
       たじま1―7―4 なかがわ しんご きつけ
   でんわ 092―851―5221

1.「じゅうどしょうがいしゃは だざいふでは いきていけない」といいはなった さべつぎょうせいきゅうだん! ふくしかは はつげんをてっかいし しゃざいせよ!
 だざいふしふくしかは、しえんひ(かいご)しきゅうをめぐる とうがいしょうがいしゃ3めいとの こうしょう(3がつ)のなかで、「だざいふしでは こうつうじこなどで くびからしたがまひしたひとは いきられないということか」「しょうがいしゃが じこや びょうきや しぬことがないと しえんひは ふやさないということか」とのしつもん・ついきゅうに「まあそういうことです」とこたえ、さらに、とうがいしょうがいしゃの こうかいしつもんじょうに たいしては「(かいごの)ふそくぶんについては〜じじょどりょく、かぞくのきょうりょく、ぼらんてぃあの かたがたのきょうりょくなどを いただきながら、にちじょうせいかつが いとなまれますよう せっていしております・・・」などとこたえている。
 せいかつのほとんどすべてに かいごをひつようとし、したがって つきに さいていでも300じかんいじょうのかいごを ひつようとする じゅうどしょうがいしゃにたいして、しは130じかん/つき〜150じかん/つき(しえんひとしては42じかん/つき〜67じかん/つき)しか しえんひ(かいご)しきゅうをみとめていない。これによって、とうがいしょうがいしゃの なかまたちは いぜんとして むりをして みずから うごかざるをえず、いしゃから「これいじょうのむりは いのちにかかわる」とせんこくされている なかまもいるのである。
 こうした しのしせいは ぎょうせいせきにんの かんぜんなほうきである とどうじに じゅうどしょうがいしゃに しねというにひとしい さべつであり、ぜったいに みとめることはできない。だざいふしふくしかは いじょうのような、さべつはつげんと さべつてきしせいを てっかいし ただちに しゃざいせよ!

2.だざいふしふくしかは、とうがいしょうがいしゃの なかまのようきゅうにもとづき、どんなじゅうどの しょうがいしゃでも ちいきで にんげんらしく いきていける しえんひ(かいご)をしきゅうしろ!
 わたしたちは5がついらい13かいにわたって、しやくしょげんかんまえでの こうぎの すわりこみとうそうをおこなっているが、しは「さべつてきはつげんは していない。くにのきじゅん、しじにしたがって しきゅうじかんをきめている(だからもんだいない)」といなおり、いぜんとして「じじょどりょく、かぞくと ぼらんてぃあの きょうりょくで なんとかしろ!」といいつづけている。7がついこうは「ふくしようぐを ゆうこうに かつようして なんとかしろ!」「たの ふくしせいど(=しせつへの かくりしゅうようのこと)をりようしろ!」などと、さらに さべつてきに ぞうちょうしている。しょうがいしゃほんにんの、たびかさなる せつじつな かいごしきゅうようきゅうを むししつづけ、「そんなに かいごがひつようなら しせつにはいれ!」といわんばかりの、このような さべつぎょうせいを ぜったいに みとめることはできない。
 だざいふしふくしかは、とうがいしょうがいしゃの ようきゅうする しえんひ(かいご)を ただちにしきゅうせよ!

3.だざいふしは、わたしたちの たたかいにたいする だんあつをやめろ!
 わたしたちは7がつ28にちに7かいめの すわりこみとうそうを たたかったが、だざいふしとうきょくは これにたいし、わたしたちの こうぎのこえに みみをかたむけるどころか、しちょうしゃないから びでおかめらによる かくしどりをするという ゆるせない ひれつなこういをおこなった。これにたいし わたしたちは ただちにこうぎし びでおかめらをてっきょさせ しゃざいをようきゅうしたが、しとうきょくは 「なんども しちょうしゃ しきちないで おこなわないでくれといっているではないか!」といなおるばかりであった。こうしたこういは、わたしたちのこうぎ―きゅうだんのたたかいにたいして けいさつけんりょくに わたしたちのなかまをうりわたし、もって わたしたちのたたかいをはかいしようとする あきらかな さべつてきたい―だんあつである。
 そもそも さべつてき しぎょうせいにたいする こうぎ―きゅうだんをしちょうしゃ しきちないで おこなうのはあたりまえである。
 わたしたちのこうぎ―きゅうだんにたいして けんきょに はんせいすべきであるにもかかわらず、それどころかぎゃくに だんあつ―たたかいのはかいに てをそめるとは ごんごどうだんである。
 しとうきょくは、わたしたちのこえをきけ! だんあつをやめろ!

4.だざいふし せいかつほごかは、わたしたちのたたかいにたいするてきたい―おどしと いやがらせを ただちにやめろ!
 せいかつほごかは、ほんねん7がつ、せいかつほごの たにんかいごりょう(70700えん/つき)をじゅきゅうしている しょうがいしゃのなかま2めいにたいし、とつぜん「かいごしゃに しはらうほうしゅうは さいていちんぎん(じきゅう650えん)をこえてはならない」といっぽうてきに つうこくし、「あなたたちが この4がつから じきゅう800えんにあげたことは みとめられない。しのほうしんに したがわないなら たにんかいごりょうは しきゅうしない」と、わたしたちの いのちにかかわる たにんかいごりょう しきゅうを うちきった。とうがいしょうがいしゃの なかまたちは、ひびの かいごしゃかくほの どりょくのなかで やむをえず じきゅうをあげ、やかん・しんやの わりまし しはらいもおこなってきているが、せいかつほごかは そのような しょうがいしゃの いきるための くろうをかんぜんに むしするばかりか、「かいごしゃへのしはらいが さいていちんぎんいか でなければならない りゆうとこんきょをあらかにせよ」というついきゅうにも いっさい こたえず、「18ねんまえに ごういしたはずだ」とくりかえすだけであった。(そんな「ごうい」はしていない!)
 とうがいしょうがいしゃの こうぎにたいし、せいかつほごかは「いちにちをとおして じきゅう800えんにする。やかん・しんやの わりまししはらいは みとめない」と、いぜんとしてわたしたちの ようきゅうをみとめていない。
 せいかつほごかは このほかにも、つういんとうに ひつようなため しょうがいしゃに みとめられている くるまのしょゆうにたいして、なんのこんきょもなく「ざいさんとして みなすからうれ!」とか「めいぎをかえろ」とか「まいつき、そうこうきょり めえたあをてんけんさせろ!」などと しつこいおどしや いやがらせをかさねてきている。
 こうした せいかつほごかの こういは、ふくしかによる しえんひ(かいご)しきゅう きりすてとけったくした、わえあしたちの たたかいにたいする あきらかな てきたい―いやがらせであり、ぜったいに みとめられない。
 だざいふし せいかつほごかは ただちに このような てきたい―おどしといやがらせをやめろ!
                2003ねん12がつ3にち
 

 


 

     わたしたちは ちいきでいきる しょうがいしゃが

        ひつようとする かいごのしきゅうをもとめます

 

      ぜんこくしょうがいしゃ かいほううんどう

           れんらくかいぎ きゅうしゅうぶろっく

れんらくさき 092―851―5221

 

 すべてのろうどうしゃ・ひさべつたいしゅう・がくせい・しみんのみなさん! 

 いま、くに―こうせいろうどうしょうは、しょうがいしゃにとって しかつてきな かいごをきりすて、じゅうどしょうがいしゃの しせつかくり・しゅうよう―まっさつせいさくをきょうこうしようとしています。だざいふしも、これにしたがって、わたしたちの せつじつな かいごしきゅうのようきゅうを きょひしつづけています。わたしたちは、このような くに―こうろうしょう―だざいふし ぎょうせいにたいして さくねん5がつから こうぎ―きゅうだんのすわりこみのたたかいをつづけています。ほんじつで 17かいめになります。 

 くには さくねん4がつから、「ふくし」せいどのこんかんである かいごせいどを、これまでの ぎょうせいがはんだんして せいどをてきようする「そちせいど」から、みんかん「ふくし」ぎょうしゃと しょうがいしゃが ちょくせつけいやくし、ぎょうせいは そのひようのみを しきゅうする「しえんひせいど」にきりかえました。そのさい、つきづきの かいごしきゅうじかんを ひとりあたり120じかんいない(ちてきしょうがいしゃは30じかん・しかくしょうがいしゃは50じかん)におさえるという「じょうげん」をつけました。また らいねんどからは「しちょうそん しょうがいしゃ せいかつしえん じぎょう」(ふくしさあびすの りようえんじょ・せいかつじょうほうの ていきょう)と「しょうがいじ(しゃ)ちいきりょういくとう しえんじぎょう」(ちてきしょうがいしゃに たいする せいかつそうだん)の ほじょきんうちきりや、しせつにゅうしょの しょうがいしゃにたいする せいかつひふたんぞうなどを いっぽうてきに けっていしています。

 これにたいして、さくねん1がつ、ぜんこくから1000にんいじょうの しょうがいしゃが こうせいろうどうしょうまえに あつまって、3どにわたる こうぎこうどうをおこない、わたしたちも さんかして こうせいろうどうしょうをきゅうだんしました。さんかした しょうがいしゃだんたいからは「しえんひせいどで しょうがいしゃは いきていけない!」「くにの せきにんほうきを ゆるすな!」「にゅうしょしせつは いらない!わたしたちは ちいきで くらしたい!」「しせつに かくりしゅうようされている とうじしゃぜんいんを かいほうしろ!」「すべての にゅうしょしせつが かいたいされるまで わたしたちは たたかいを つづけるぞ!」…とうとうの とうぜんの いかりのこえが たたきつけられました。

 しかし くには、きほんてきな しせいを まったく かえることなく、ぜんこくの じちたいに くにのほうしんをおろし、ちいきで いきようとする おおくの しょうがいしゃの せいかつはかいが きょうこうされているのです。

 このような くにの ほうしんのもとで、たとえば おおむたしは、よりはっきりと「つき125じかんをこじんの じょうげんとする」とめいげんし、どんなにじゅうどでも1にち4じかんいじょうの かいごはみとめないことを あきらかにしています。さらに、「それでは いきていけない」とのしょうがいしゃのこうぎに「これまで いきてこれたんだから こまらんだろう」との ぼうげんをはいているのです。くるめしでも、「しゅう28じかんを こじんのじょうげんとする」とめいげんし、がいどへるぱあ(がいしゅつしえん)せいどにも いままで なかったじょうげんを もうけてきています。おおのじょうしに いたっては、「いちにち10じかんいじょう かいごのひつようなひとは、いままで ちいきでくらしていたひとでも しせつにはいってもらっています」(ふくしか)と、げんじつに ちいきからの はいじょ―しせつかくり・しゅうようを きょうこうしているのです。なおかたしや ゆくはししも「つきに125じかんをじょうげん」とし、たがわしは なんと「つきに40じかんをじょうげん」としています。とくに「じょうげん」をもうけていない しちょうそんでも、「こうろうしょうきじゅんをうわまわる かいごのしんせいじたいがない」とか「せつどをもって しんせいされているので、さくねんどまでの しきゅうりょうよりおおくをしんせいされたひとはいない」(ふくしか)などといっていますが、そもそも どこのしちょうそんでも、ちいきで せいかつする しょうがいしゃの2〜5ばいいじょうの かずのしょうがいしゃが しせつに しゅうようされている げんじょうをみれば、「しんせいじたいがない」のではなく「こうろうしょうきじゅんをこえる かいごをようする しょうがいしゃは、もともと、ちいきから はいじょされている」というのが げんじつであることは あきらかです。

 くにの かいごきりすて せいさくのもとで このようなじちたいがふえてきており、ちいきで しょうがいしゃが いきていけない じょうたい―しせつかくり・しゅうようが きょうせいされてきています。わたしたちは このようなくに―ちほうじちたいの こうげきに まけるわけにはいきません。ぜんこくの しょうがいしゃと ともに たたかいぬきます。

 


 

   ほあんしょぶんしせつをつくるな!」―

       こくりつひぜんりょうようしょへの ようせい こうどう ほうこく

 

 こっかけんりょく―こうせいろうどうしょうは、2005ねん7がつの ほあんしょぶんしんぽう しこうをみすえて、ぜんこく24かしょの こっこうりつ びょういんに ほあんしょぶん しせつけんせつ、さらに つういんしせつを ぜんこくを もうらするように200〜300けんせつすると はっぴょうしており、むさしびょういんと ひぜんりょうようしょに「しどうてき やくわり」をになわせようとしています。わたしたちは、ぜんこくの たたかう「びょうしゃ」「しょうがいしゃ」に だんこ れんたいし、ほあんしょぶん こうげき ふんさい―ほあんしょぶん しせつ けんせつ きょうこう そし―せんじ「しょうがいしゃ」まっさつこうげき ふんさいをたたかいぬかなければなりません。

 わたしたちは、こくりつむさし せいしん・しんけい せんたあと ならんで たの びょういんを しどうすることになるであろう こくりつひぜんりょうようしょに たいして さくねん12がつ15にち「ほあんしょぶんしせつをつくるな」とようせいこうどうをおこないました。りょうようしょに とうちゃくするや さっそく、ぜんいん ぜっけんをつけ、「ほあんしょぶんしせつ けんせつ ぜったい はんたい!」のようせいしょを とうきょくに たたきつけました。まもなく あらわれた いじぶちょうに たいして「こうせいろうどうしょうから ほあんしょぶん しせつけんせつの だしんがあったか?」「けんせつするつもりなのか?」「このような いりょうなき こうきんしせつに たいして どうかんがえるのか?」「ことしじゅうに けんせつちゃっこうと きいているが ほんとうか?」「こうかいしつもんじょうに かいとうしろ!」との ついきゅうをおこないました。これにたいし いじぶちょうは「こうせいろうどうしょうから だしんがあったか どうかというようなことは いえない」「せいがんほうに もとづく ちゃんとした せいがんではないので せいしきに うけつけることはできない」「こうかいしつもんじょうが きているか どうかはしらない」・・・とうとうと にげまわりました。しかし さらなる きびしいしい ついきゅうによって いじぶちょうから「こうかいしつもんじょうや ようせいしょに たいして そくとうはできないが、わかるはんいで かいとうします」との かいとうをかちとりました。 もうしいれのようす

















 
げんかんまえに とうじょうしたぞ!









 
 わたしたちは つぎに、りょうようしょ げんかんまえで「こくりつひぜんりょうようしょは ほあんしょぶんしせつをつくるな!」との おうだんまくをひろげ、さっそく びらはいふ、まいくじょうせんをかいししました。じょうせん かいしちょくご「このけんの たんとうしゃ」としょうする いしゃ いちめい(りんしょう けんきゅう ぶちょう―むらかみ ゆう)が「ぜひ ぜんいんと はなしをしたい」と もうしいれてきたので、じょうせんぶたいをのこして すうめいが とうがいの いしゃとの はなしに のぞみました。このいしゃは「ほあんしょぶんしんぽう」について、「このほうは ほあんしょぶんではなく、じゅうだいな はんざいをおかした かんじゃを、いりょう・しほう・ふくしかんけいしゃの きょうりょくによって しゃかいふっき せるためのものだ」「しゅうせいまえは ほあんしょぶんてき ないようだったので はんたいだったが

 しゅうせいごは はんたいしていない」「かんじゃの しゃかいふっきに むけて よりよい ほうこうに うんようしていくよう どりょくしたい」「はんたい はんたいだけ いっても しかたがない。そういうかんじゃの しゃかいふっきのために なにをすべきか かんがえないと だめですよ」・・・とうとうと、かんぜんに こっかけんりょく―こうせいろうどうしょうの たちばにたった かいしゃくと せつめい―せっとくをこころみてきます。これにたいしては だんことした はんろんをたたきつけました。「そもそも さいはんよそく できるとしていることじたいが さべつだ」「さいはんよそくなど できないという ひはんをかわすための『しゅうせい』であり、ほあんしょぶんこうげきの いとは かわっていない」「しんぱんも けいじひこくにんとしての あらゆるけんりが うばわれている」「しゃかいふっきどころか いりょうなき むきげんの きょうせいかくりができるものだ」こうしたはんろんと ついきゅうに たいして このいしゃは「けんかいのそうい」とにげながら、なおも おなじないようの「せっとく」をつづけるばかりでした。わたしたちは あらためて ほあんしょぶん しせつけんせつ ぜったいはんたいの いかりをたたきつけ、じょうせんぶたいに ごうりゅうしました。

 このじょうせんにたいして、おおくの つういんかんじゃたちが「なにかあったんですか」「びらをください」「ほあんしょぶんには はんたいです」と、びらをうけとりにきました。
 じょうせんこうどうにたいして、かいしそうそう、しょむかちょうが「きょかなしに しきちないの じょうせんをするな」とてきたいしてきましたが、これをむしして2じかんにわたる じょうせんをつづけ、さいごに いかりの しゅぷれひこおるを りょうようしょ とうきょくに たたきつけ、このひのたたかいをおえました。

 ひぜんりょうようしょに だした ようせいしょをけいさいします。
しゅぷれひこおるを たたきつけたぞ!







 

 


             よう せい しょ

   こくりつひぜんりょうようしょ  さま

           ぜんしょうれん きゅうしゅうぶろっく

   ふくおかし じょうなんく
       たじま1―7―4 なかがわ しんご きつけ
   でんわ 092―851―5221

 わたしたちは しょうがいしゃ・「せいしんびょうしゃ」にたいする さべつをゆるさず、さべつからの かいほうをかちとるべく たたかっているだんたいです。
 7がつ10かに こっかいにおいて「しんしんそうしつとうの じょうたいで じゅうだいな たがいこういをおこなったものの いりょう および かんさつにかんするほう」がせいりつしました。このほうは「せいしんびょうしゃ」は「なにをするかわからない きけんじんぶつ」ときめつけて よぼうこうきんする「ほあんしょぶんしんぽう」としか よびようのない さべつ―だんあつほうであり、わたしたちは ぜんこくのたたかいに れんたいし、ほあんしょぶんこうげきふんさい―ほあんしょぶんしせつ けんせつそしをたたかっています。
 「ほあんしょぶんしんぽう」とは、だい1に、さいばんかんと せいしんかいの 2めいのごうぎ(しんぱん)により、「じゅうだいなつみをおかした」とされる「せいしんびょうしゃ」を、「さいはんのおそれ」をこうじつに「にゅういんちりょう」か「つういんちりょう」(いっしょうがいの こうきん)をきょうせいするものです。
 だい2に、「はんざいをおこなった」とされる「せいしんびょうしゃ」は、「しんぱん」において、いっぱんの けいじさいばんのような ひこくとしてのけんり(むざいをしゅちょうする けんりや しょうにんじんもんけんなど)をさいしょから うばわれ、ゆうざいがぜんていとされています。これじたいが「せいしんびょうしゃ」は「はんざいをおかすもの」であり しんようできないとする さべつであり、さらに、これはでっちあげの おんしょうとなります。
 だい3に、このように せいしんいりょうに しほうをかいにゅうさせることによって、せいしんいりょうを「せいしんびょうしゃ」へのよくあつと かんし−ちあんだんあつの どうぐとして うんようするものです。「せいしんびょうしゃ」の、いつでも あんしんして かかれるいりょうと きゅうそくのようきゅうをふみにじり、せいしんいりょうぜんたいを ちあんしゅぎへと むかわせることは あきらかです。
 だい4に、「さいはんのおそれ」が よそくできない いじょう「さいはんのおそれなし」との よそくもできず、したがって「にゅういんちりょう」は むきげんに えんちょうされます。また「つういん」は3〜5ねんとされていますが、にちじょうせいかつは「ほごかんさつ」かで かんしされ、ひっこしや りょこうのとどけでをしなかっただけで「さいにゅういん」をきょうせいできるものとなっており、つねに きょうせいにゅういんへの きょうふのなかで びょうじょう あっかをきょうせいします。
 だい5に、「にゅういんちりょう」がでんきしょっく・くすりづけ・べっどこうそく・「ほごしつ」かくりなどの ぼうりょくとして おこなわれることは あきらかです。
 このように「ほあんしょぶんしんぽう」は、「せいしんびょうしゃ」の ぜんじんかくをひていし、「はんざいをおかす かのうせいがあるもの」として いっしょうがいの いりょうなき こうきんをきょうせいし、まっさつしていくものです。
 すでに、この「ほあんしょぶんしんぽう」のよさん(しせつせいびひ35おくえん)がけいじょうされ、また、きりょうようしょをふくむ ぜんこくで8かしょの こうほがせんていされ、とくべつびょうとう(ほあんしょぶんしせつ)けんせつの じゅんびが きょうこうされています。わたしたちは このような とくべつびょうとう けんせつには ぜったいはんたいです。
 いじょうのりゆうにより、きりょうようしょが とくべつびょうとう(ほあんしょぶんしせつ)けんせつをおこなわないよう、つよく ようきゅうするものです。
               2003ねん12がつ15にち
 

 


 

 

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