東 武 鉄 道
北千住界隈 1967〜68年



東武鉄道伊勢崎線は今でも個性派車両が多い路線ですが、私が鉄道少年になりたての1967年
(昭和42年)ころは、今にも増して個性的な車両達が活躍する路線でした。
とは言え、鉄チャンなりたてのガキには、どこで撮影してよいやら見当もつかず、思いついた先が
北千住。ここならば国鉄も併走しており一石二鳥という単純発想でした。
しかしなにしろガキ鉄時代の写真、しかもカビカビのハーフ版からのスキャンで全くお見苦しい限り
の写真ですが、当時の記録程度と目をつぶってご覧いただければ幸いです。



いきなり見苦しい写真で失礼します。当時、小田急ロマンスカーと並んで少年鉄の憧れだった、
東武DRC。国鉄157系「日光」に対抗して作っただけあって、今までの私鉄にはない風貌の持
ち主でした。


1967年(昭和42年)ごろの北千住駅。浅草へ向けて発車するDRC「けごん」。「けごん」は独特
の字体で書かれていました。

特急「きぬ」の北千住駅通過を後追いで。隣の国鉄貨物を牽いているのは初期型のDD13でし
ょうか。


この頃はまだ1700形特急車が健在でした。いかにも私鉄の特急車という感じのデザインが好
きでした。これはおそらく牛田駅だと思います。


そしてこの車両も現役で頑張っていました。
日光線準急用にクロスシート化などの更新改造を受けたモハ3210+クハ250形。


荒川の橋梁もこの頃は中央部しかトラスがなく、絶好の撮影ポイントでした。やって来たのは
5310形急行「あかぎ」。1967年当時は丸型ヘッドマークでした。


こちらは5700形。1700形登場までは日光線の特急用でした。1968年になると「あかぎ」のヘッド
マークも角形に変わっていました。


当時はまだ主力7800形。形からすると比較的初期のタイプでしょうか。


この頃は新勢力、8000系。東武初の両開き4ドア車です。


営団日比谷線乗入のため作られた2000系。日比谷線の規格に合わせ、18m3ドア車でした。


こんな光景も当たり前のように・・・ ED5060が牽く貨物が北千住を通過。


非常に見苦しい写真で恐縮です。北千住駅浅草方にあった退避線。北千住を発車した電車は、
一旦この待避線に入り、優等列車の通過を待ちました。


最後もまた荒れ荒れ写真で失礼します。当時はまだ新参者だった6000系。DRCが国鉄157系
への対抗ならば、こちらは165系への対抗でしょうか。


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