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翻訳者: 渡邊 省
校訂者:────
資治通鑑巻第二百八
 唐紀二十四
  中宗大和大聖大昭孝皇帝中
神龍元年(乙巳、七〇五)

 二月,辛亥,帝帥百官詣上陽宮問太后起居;自是毎十日一往。
1.二月、辛亥、帝は百官を率いて上陽宮を詣で、太后の容態を問うた。これ以後、十日毎に出向くようになった。
 甲寅,復國號曰唐。郊廟、社稷、陵寢、百官、旗幟、服色、文字皆如永淳以前故事。復以神都爲東都,北都爲并州,老君爲玄元皇帝。
2.甲寅、国号を「唐」に戻した。郊廟、社稷、陵寝、百官、旗幟、服色、文字は皆、永淳以前の故事に戻した。神都を東都に、北都を并州に、老君を玄元皇帝に戻した。
 乙卯,鳳閣侍郎、同平章事韋承慶貶高要尉;正諫大夫、同平章事房融除名,流高州;司禮卿崔神慶流欽州。楊再思爲戸部尚書、同中書門下三品、西京留守。
  太后之遷上陽宮也,太僕卿、同中書門下三品姚元之獨嗚咽流涕。桓彦範、張柬之謂曰:「今日豈公涕泣時邪!恐公禍由此始。」元之曰:「元之事則天皇帝久,乍此辭違,悲不能忍。且元之前日從公誅姦逆,人臣之義也;今日別舊君,亦人臣之義也,雖獲罪,實所甘心。」是日,出爲亳州刺史。
3.乙卯、鳳閣侍郎、同平章事韋承慶を高要尉に降格した。正諫大夫、同平章事房融は除名して、高州へ流した。司礼卿崔神慶は欽州へ流した。楊再思は戸部尚書、同中書門下三品、西京留守とした。
 太后が上陽宮へ引っ越した時、太僕卿、同中書門下三品姚元之だけが嗚咽して涙を零した。桓彦範、張柬之が言った。
「公は今日泣いてはいけない!泣けば公の身に禍が降りかかりかねないぞ。」
 元之は言った。
「元之は則天皇帝へ長いことお仕えした。このようなお別れは、悲しくて忍びない。それに、元之が前日公に従って姦逆を誅したのは、人臣の義だ。今日旧君との別れを悲しむのも、また人臣の義ではないか。これで罪を得るなら、甘んじて受けるぞ。」
 この日、彼は亳州刺史として出された。
 甲子,立妃韋氏爲皇后,赦天下。追贈后父玄貞爲上洛王、母崔氏爲妃。
  左拾遺賈虚己上疏,以爲「異姓不王,古今通制。今中興之始,萬姓喁喁以觀陛下之政;而先王后族,非所以廣德美於天下也。且先朝贈后父太原王,殷鑒不遠,須防其漸。若以恩制已行,宜令皇后固讓,則益增謙沖之德矣。」不聽。
  初,韋后生邵王重潤、長寧・安樂二公主,上之遷房陵也,安樂公主生於道中,上特愛之。上在房陵與后同幽閉,備嘗艱危,情愛甚篤。上毎聞敕使至,輒惶恐欲自殺,后止之曰:「禍福無常,寧失一死,何遽如是!」上嘗與后私誓曰:「異時幸復見天日,當惟卿所欲,不相禁制。」及再爲皇后,遂干預朝政,如武后在高宗之世。桓彦範上表,以爲:「易稱『無攸遂,在中饋,貞吉』,書稱『牝雞之辰,惟家之索』。伏見陛下毎臨朝,皇后必施帷幔坐殿上,預聞政事。臣竊觀自古帝王,未有與婦人共政而不破國亡身者也。且以陰乘陽,違天也;以婦陵夫,違人也。伏願陛下覽古今之戒,以社稷蒼生爲念,令皇后專居中宮,治陰教,勿出外朝干國政。」
  先是,胡僧慧範以妖妄游權貴之門,與張易之兄弟善,韋后亦重之。及易之誅,復稱慧範預其謀,以功加銀靑光祿大夫,賜爵上庸縣公,出入宮掖,上數微行幸其舎。彦範復表言慧範執左道以亂政,請誅之。上皆不聽。
4.甲子、妃の韋氏を皇后へ立て、天下へ恩赦を下した。后父の玄貞に上洛王を追贈し、母の崔氏を妃とした。
 左拾遺賈虚己が上疏した。その大意は、
「異姓を王としないのは、古今の通制です。今、中興が始まったばかりで、天下の人々は陛下の政治を注視しています。それなのに、まず皇后の一族を王とするのでは、天下へ徳美を広めることになりません。それに、先朝(高宗)は后父に太原王を贈りました。『殷鑑遠からず』と申します。その最初の芽生えから防いでください。もしも恩制を既に行ったというのでしたら、皇后に固辞させて、謙譲の美徳を顕わしてください。」
 聞かなかった。
 かつて、韋后は邵王重潤と、長寧、安楽の二公主を生んだ。上が房陵へ移った時に、その道中で安楽公主が生まれたので、上はこれを特に愛していた。
 上が房陵にて后と共に幽閉されて危難を味わうと、情愛はとても篤くなった。上は、勅使がやって来たと聞くと、恐惶して自殺しようとしたが、皇后がこれを止めて言った。
「禍福に常はありません。死んだら終わりですよ。なんで容易くこんなことをなさるのですか!」
 上はかつて、皇后と私的に誓いを立てた。
「後日再び天下へ出られたならば、ただ卿の想いのままにして、何も禁じないよ。」
 再び彼女が皇后になるに及び、遂に政治にまで関与し、まるで高宗の頃の武后のようだった。桓彦範が上表した。その大意は、
「易に言います。『遂げるところなし。中饋にある時は、貞なれば吉』と。(「家人」の六二のコウ辞。「何も成し遂げられない。ただし、主婦の仕事を果たす限りに置いては、貞淑ならば吉」という意味。)又、書にも言います。『牝鶏の辰、ただ、家これを索す。』と。(周の武王が、殷の紂王を討った時の、誓いの言葉「牧誓」の一節。「雌鶏が時を告げたら、その家は亡びる。」という意味。「辰」は、「時を告げる」、「索」は、「尽くす」の意味。)伏して見ますに、陛下は朝廷へ臨まれる度、皇后が必ず帳幔を垂らして殿上へ坐し政事を聞いておられます。臣がひそかに古来の帝王を観ますに、婦人と共に政治を執って国を破らなかった試しなど、未だかつてありません。それに、陰が陽に乗るのは天道に違いますし、婦が夫を凌ぐのは人道に違います。どうか陛下、古今の戒めをご覧になり、社稷や人民を心に思い、皇后は中宮へ留めて陰教を治めさせ、決して朝廷へ出して国政へ干渉させないでください。」
 話は遡るが、恵範という胡僧が、妖妄で権貴の人々から持てはやされていた。彼は、張易之兄弟と仲が良かったし、韋后も彼を重んじていた。易之が誅殺されるに及んで、恵範もその謀略に関与していたと称し、その功績で銀青光禄大夫を加え上庸県公の爵位を下賜され、宮掖への出入りを許された。上も、屡々お忍びで彼の家へ遊びに行った。
 彦範は、恵範のことも、邪道を執って政治を乱すので、誅するよう請うた。
 上は、どちらも聞かなかった。
 初,武后誅唐宗室,有才德者先死,惟呉王恪之子鬱林侯千里褊躁無才,又數獻符瑞,故獨得免。上即位,立爲成王,拜左金吾大將軍。武后所誅唐諸王、妃、主、駙馬等,皆無人葬埋,子孫或流竄嶺表,或拘囚歴年,或逃匿民間,爲人傭保。至是,制州縣求訪其柩,以禮改葬,追復官爵,召其子孫,使之承襲,無子孫者爲擇後置之。既而宗室子孫相繼而至,皆召見,涕泣舞蹈,各以親疏襲爵拜官有差。
5.かつて、武后が唐の宗室を誅した時、才徳のある者から先に死んだ。ただ、呉王恪の子の鬱林侯千里は、偏狭狂騒で才覚もない人間だったし、屡々符瑞を献上したこともあり、彼一人だけ死を免れていた。
 上が即位すると、彼を成王へ立て、左金吾大将軍とした。
 武后が誅殺した唐の諸王、妃、主、駙馬等は、皆、埋葬されなかった。子孫はあるいは嶺表へ流され、あるいは歴年幽閉され、あるいは民間に逃匿して日雇い仕事などをしていた。ここにいたって、州県へその柩を探し出して礼を以て改葬し官爵を追復するよう、又、その子孫は召し出してこれを承襲させ、子孫が居ない者は人を選んで後を継がせるよう、制が下った。
 制が施行されると、宗室の子孫が相継いでやってきた。謁見すると、躍り上がって涕泣した。各々親疎によって襲爵させ、それぞれ相応しい官位を与えた。
 二張之誅也,洛州長史薛季昶謂張柬之、敬暉曰:「二凶雖除,産、祿猶在,去草不去根,終當復生。」二人曰:「大事已定,彼猶机上肉耳,夫何能爲!所誅已多,不可復益也。」季昶歎曰:「吾不知死所矣。」朝邑尉武強劉幽求亦謂桓彦範、敬暉曰:「武三思尚存,公輩終無葬地;若不早圖,噬臍無及。」不從。
  上女安樂公主適三思子崇訓。上官婉兒者,儀之女孫也,儀死,沒入掖庭,辯慧善屬文,明習吏事。則天愛之,自聖暦以後,百司表奏多令參決;及上即位,又使專掌制命,益委任之,拜爲婕妤,用事於中。三思通焉,故黨於武氏,又薦三思於韋后,引入禁中,上遂與三思圖議政事,張柬之等皆受制於三思矣。上使韋后與三思雙陸,而自居旁爲之點籌;三思遂與后通,由是武氏之勢復振。
  張柬之等數勸上誅諸武,上不聽。柬之等曰:「革命之際,宗室諸李,誅夷略盡;今賴天地之靈,陛下返正,而武氏濫官僭爵,按堵如故,豈遠近所望邪!願頗抑損其祿位以慰天下!」又不聽。柬之等或撫牀歎憤,或彈指出血,曰:「主上昔爲英王,時稱勇烈,吾所以不誅諸武者,欲使上自誅之,以張天子之威耳。今反如此,事勢已去,知復奈何!」
  上數微服幸武三思第,監察微史清河崔皎密疏諫曰:「國命初復,則天皇帝在西宮,人心猶有附會;周之舊臣,列居朝廷,陛下奈何輕有外游,不察豫且之禍!」上洩之,三思之黨切齒。
  丙寅,以太子賓客武三思爲司空、同中書門下三品。
6.二張が誅殺されると、洛州長史薛李昶が、張柬之と敬暉へ言った。
「二凶は除かれたけれども、産、禄(武三思等)はまだ残っている。草を刈っても根を残すと、やがてはまたはびこるぞ。」
 二人は言った。
「大事は既に定まった。奴等は机上の肉に過ぎない。何ができるか!既に大勢を誅殺したのだから、これ以上殺すわけには行かない。」
 李昶は嘆いて言った。
「吾は、どんな末路をたどるやら!」
 朝邑尉の武強の劉幽求も、また、桓彦範と敬暉へ言った。
「武三思が生きている限り、公等は野ざらしにされるぞ。早く図らなければ、ほぞを噛んでも及ばないぞ。」
 従わなかった。
 上の娘の安楽公主は武三思の子息の祟訓へ嫁いでいた。
 上官婉児は、儀の孫娘だが、儀が死ぬと、没収されて官奴にされた。彼女は知恵が回り、文章が巧くて吏事に精通していた。則天武后は彼女を寵愛し、聖暦以後は、百司の表奏の多くへ参決させた。上が即位すると、彼も又、婉児へ制や命を専掌させた。益々これへ委任するようになり、婕妤へ抜擢し、宮中を任せた。
 三思は婉児と通じ、彼女は武氏の仲間になった。それで婉児は、三思を韋后へ推薦し、禁中へまで引き入れるようになった。
 上は、遂には三思等と共に政事を図議するようになり、張柬之等は、皆、三思に命令されるようになったしまった。
 上は韋后と三思に双陸(双六のような遊戯か?)をさせ、自分は傍らで点数を数えてやる有様。三思は遂に韋后と通姦し、これによって武氏の勢力は、再び振るった。
 張柬之等は、諸武を誅するよう、上へしばしば勧めたが、上は聞かない。
 柬之等は言った。
「武后の革命の際には、宗室の諸李は殆ど殺しつくされましたが、今、天地の霊のおかげで、陛下が正統な地位へ返り咲けました。それなのに、武氏は不相応な高官高爵で、昔通り安閑としています。これがどうして遠近の望みでしょうか!どうか、彼等の禄や位を削り抑え、天下の人々を慰めてください!」
 これも聞かない。
 柬之等は、或いは肘掛けを撫でて嘆息し、あるいは出血するまで指を弾いて言った。 「主上は、昔は英王で、人々は勇烈を称賛していた。我等が諸武を誅しなかったのは、上自らにこれを誅させて天子の威厳を張らせるつもりだったのだ。それが今、却ってこんな事になった。時勢は既に去った。ももうどうしようもない!」
 上は屡々お忍びで武三思の第を訪ねた。監察御史の清河の崔皎が、密かに疏で諫めた。「国令が、復したばかりです。則天皇帝はまだ西宮におり、人心はなお慕っております。そして周の旧臣は朝廷にズラリと並ぶ。それなのに、陛下はどうして豫且の禍を察しもしないで軽々しく外遊なさるのですか!」
 上がこれを洩らしたので、三思の仲間達は切歯した。
 丙寅、太子賓客武三思を、司空、同中書門下三品とした。
 左散騎常侍譙王重福,上之庶子也;其妃,張易之之甥。韋后惡之,譖於上曰:「重潤之死,重福爲之也。」由是貶濮州員外刺史,又改均州刺史,常令州司防守之。
7.左散騎常侍の譙王重福は、上の庶子で、その妃は張易之の姪である。
 韋后はこれを憎み、上へ讒言した。
「重潤が死んだのは、重福のせいです。」
 このために、重福を濮州員外刺史に左遷し、また均州刺史に改め、州司に監視させた。
 丁卯,以右散騎常侍安定王武攸曁爲司徒、定王。
8.丁卯、右散騎常侍の安定王武攸曁を司徒、定王とした。
 辛未,相王固讓太尉及知政事,許之;又立爲皇太弟,相王固辭而止。
9.辛未、相王が太尉及び知政事を固辞したので、これを許した。又、彼を皇太弟に立てたが、相王はこれも固辞したので、中止された。
 10甲戌,以國子祭酒始平祝欽明同中書門下三品,黄門侍郎、知侍中事韋安石爲刑部尚書,罷知政事。
10.甲戌、国子祭酒の始平の祝欽明を同じく中書門下三品とした。黄門侍郎、知侍中事韋安石を刑部尚書として、知政事をやめさせた。
 11丁丑,武三思、武攸曁固辭新官爵及政事,許之,並加開府儀同三司。
11.丁丑、武三思、武攸曁が新しい官爵と政事を固辞したので、これを許して開府儀同三司を加えた。
 12立皇子義興王重俊爲衞王,北海王重茂爲温王,仍以重俊爲洛州牧。
12.皇子の義興王重俊を立てて衛王とし。北海王重茂を温王とした。重俊を洛州牧とした。
 13三月,甲申,制:「文明已來破家子孫皆復舊資廕,唯徐敬業、裴炎不在免限。」
13.三月、甲申、制を下した。 「文明以後に家が破れた者の子孫は、皆、昔の資産や資格を復す。ただし、徐敬業、裴炎の子孫は免除しない。」
 14丁亥,制:「酷吏周興、來俊臣等,已死者追奪官爵,存者皆流嶺南惡地。」
14.丁亥、制を下した。 「酷吏の周興、来俊臣等は既に死んだ者は官爵を追奪し、生きている者は皆嶺南の酷い土地へ流す。」
 15己丑,以袁恕己爲中書令。
15.己丑、袁恕己を中書令とした。
 16以安車徴安平王武攸緒於嵩山,既至,除太子賓客;固請還山,許之。
16.祟山まで安車を派遣して安平王武攸緒を招く。上京すると太子賓客に任命したが、固辞して山へ帰ることを乞うたので、これを許した。
 17制:「梟氏、蟒氏皆復舊姓。」
17.制を下した。
「梟氏、蟒氏は、皆、もとの姓へ戻す。」
 18術士鄭普思、尚衣奉御葉靜能皆以妖妄爲上所信重,夏,四月,墨敕以普思爲秘書監,靜能爲國子祭酒。桓彦範、崔玄暐固執不可,上曰:「已用之,無容遽改。」彦範曰:「陛下初即位,下制云:『政令皆依貞觀故事。』貞觀中,魏徴、虞世南、顏師古爲秘書監,孔穎達爲國子祭酒,豈普思、靜能之比乎!」庚戌,左拾遺李邕上疏,以爲:「詩三百,一言以蔽之,曰『思無邪』。若有神仙能令人不死,則秦始皇、漢武帝得之矣;佛能爲人福利,則梁武帝得之矣。堯、舜所以爲帝王首者,亦脩人事而已。尊寵此屬,何補於國!」上皆不聽。
18.術士の鄭普思と尚衣奉御葉静能は、共に妖妄で上から重用されていた。
 夏、四月、墨敕にて、普思を秘書監、静能を国子祭酒とした。
 桓彦範、崔玄韋は固く諫めたが、上は言った。
「既にこれを用いたのだ。今更改められないぞ。」
 彦範は言った。
「陛下が即位したばかりの時、制を下して言われました。『政令は、全て貞観の故事に依る。』と。貞観年間は、魏徴、虞世南、顔師古を秘書監、孔穎達を国子祭酒としました。彼等が、どうして普思、静能のような人間でしょうか!」
 庚戌、左捨遣李邑が上疏した。その大意は、
「詩経の三百篇の想いを一言で顕わすなら、『邪な心がない』とゆうことです。もし神仙が人を不死にできるのならば、秦の始皇帝や漢の武帝は不死になっていたでしょう。仏が人へ福利を与えてくれるのならば、梁の武帝はこれを幸福な一生を全うできた筈です。堯や舜が最高の帝王とされているのは、人事を修めたからに他なりません。彼等のような連中を尊寵して、何が御国の為になりますか!」
 上は全て聞かなかった。
 19上即位之日,驛召魏元忠於高要;丁卯,至都,拜衞尉卿、同平章事。
19.上が即位した日、駅伝にて高要の魏元忠を召し出した。
 丁卯、元忠が都へ到着した。衛尉卿、同平章事を授けた。
 20甲戌,以魏元忠爲兵部尚書,韋安石爲吏部尚書,李懷遠爲右散騎常侍,唐休璟爲輔國大將軍,崔玄暐檢校益府長史,楊再思檢校楊府長史,祝欽明爲刑部尚書,並同中書門下三品。元忠等皆以東宮舊僚褒之也。
20.甲戌、魏元忠を兵部尚書、韋安石を吏部尚書、李懐遠を右散騎常侍、唐休景を輔国大将軍、崔玄韋を検校益府長史、楊再思を検校楊府長史、祝欽明を刑部尚書とし、全員中書門下三品とした。
 元忠等は、皆、東宮の元の幕僚達が褒めていた人間である。
 21乙亥,以張柬之爲中書令。
21.乙亥、張柬之を中書令とした。
 22戊寅,追贈故邵王重潤爲懿德太子。
22.戊寅、亡き邵王重潤に追贈して懿徳太子とした。
 23五月,壬午,遷周廟七主於西京崇尊廟。制:「武氏三代諱,奏事者皆不得犯。」
23.五月、壬午、周廟の七主を西京祟尊廟へ移し、制を下した。
「上奏する者は、武氏の三代の諱を犯してはならない。」
 24乙酉,立太廟、社稷於東都。
24.乙酉、東都へ太廟、社稷を立てた。
 25以張柬之等及武攸曁、武三思、鄭普思等十六人皆爲立功之人,賜以鐵券,自非反逆,各恕十死。
25.張柬之等及び武攸曁、武三思、鄭普思等十六人を功績を建てた人間として、鉄券を下賜し、反逆罪でなければ各々十回まで死刑を免除すると約束した。
 26癸巳,敬暉等帥百官上表,以爲:「五運迭興,事不兩大。天授革命之際,宗室誅竄殆盡,豈得與諸武並封!今天命惟新,而諸武封建如舊,並居京師,開闢以來未有斯理。願陛下爲社稷計,順遐邇心,降其王爵,以安内外。」上不許。
  敬暉等畏武三思之讒,以考功員外郎崔湜爲耳目,伺其動靜。湜見上親三思而忌暉等,乃悉以暉等謀告三思,反爲三思用;三思引爲中書舍人。湜,仁師之孫也。
  先是,殿中侍御史南皮鄭愔諂事二張,二張敗,貶宣州司士參軍,坐贓,亡入東都,私謁武三思。初見三思,哭甚哀,既而大笑。三思素貴重,甚怪之,愔曰:「始見大王而哭,哀大王將戮死而滅族也。後乃大笑,喜大王之得愔也。大王雖得天子之意,彼五人皆據將相之權,膽略過人,廢太后如反掌。大王自視勢位與太后孰重?彼五人日夜切齒欲噬大王之肉,非盡大王之族不足以快其志。大王不去此五人,危如朝露,而晏然尚自以爲泰山之安,此愔所以爲大王寒心也。」三思大悅,與之登樓,問自安之策,引爲中書舍人,與崔湜皆爲三思謀主。
  三思與韋后日夜譖暉等,云「恃功專權,將不利於社稷。」上信之。三思等因爲上畫策:「不若封暉等爲王,罷其政事,外不失尊寵功臣,内實奪之權。」上以爲然。甲午,以侍中齊公敬暉爲平陽王,桓彦範爲扶陽王,中書令漢陽公張柬之爲漢陽王,南陽公袁恕己爲南陽王,特進、同中書門下三品博陵公崔玄暐爲博陵王,罷知政事,賜金帛鞍馬,令朝朔望;仍賜彦範姓韋氏,與皇后同籍。尋又以玄暐檢校益州長史、知都督事,又改梁州刺史。三思令百官復脩則天之政,不附武氏者斥之。爲五王所逐者復之,大權盡歸三思矣。
  五王之請削武氏諸王也,求人爲表,衆莫肯爲。中書舍人岑羲爲之,語甚激切;中書舍人偃師畢構次當讀表,辭色明厲。三思既得志,羲改秘書少監,出構爲潤州刺史。
  易州刺史趙履温,桓彦範之妻兄也。彦範之誅二張,稱履温預其謀,召爲司農少卿,履温以二婢遺彦範;及彦範罷政事,履温復奪其婢。
  上嘉宋璟忠直,屢遷黄門侍郎。武三思嘗以事屬璟,璟正色拒之曰:「今太后既復子明辟,王當以侯就第,何得尚干朝政!獨不見産、祿之事乎!」
26.癸巳、敬暉等が百官を率いて上表した。その大意は、
「五徳の運は交互に勃興するもので、二つ徳が同時に強大になることはありません。天授革命の際には、唐の宗室は殆ど誅殺されつくされ、武一族と共に封じられた者などいなかったではありませんか!今、天命は改まりました。それなのに、武一族は従来通り封じられ、宗室と共に京師に住んでおります。このような道理は、開闢以来未だありません。どうか陛下、人々の心に従って社稷の為に計り、彼等の王爵を降して内外を安堵させてください。」
 上は許さなかった。
 敬暉等は武三思から讒言されることを畏れ、考功外郎の崔湜をスパイにして彼の動静を伺った。だが、湜は上が三思へ親しんで暉等を忌んでいるのを見て、暉等の謀略を悉く三思へ告げ、却って三思の手下になった。三思は彼を引き立てて中書舎人とした。湜は、仁師の孫である。
 話は前後するが、殿中侍御史の南皮の鄭愔は、二張に諂って仕えていた。二張が誅殺されると、宣州司士参軍へ降格されたが、そこで贈賄を問われたので東都へ逃げ帰り、武三思のもとへ私的に会いに行った。
 彼は三思と会うととても哀し気に哭したが、その後大笑いした。三思はもともと彼を買っていたので、非常に怪しんで理由を尋ねた。すると、愔は言った。
「大王にあった時に最初に哭したのは、大王が今にも殺戮されて一族も滅ぶかと思って哀しかったからです。後に大笑いしたのは、大王が愔を得たことを喜んだからです。大王は、天子の御意を得ておりますが、あの五人は皆将相の権力を持っており、胆略は並外れ。太后の廃立さえ掌を返すように簡単にやってのけた連中です。大王は、御自身で考えて、今の御自分とあの頃の太后とでは、どちらが権勢が重いと思われますか?あの五人は、日夜大王の肉を食らおうと歯ぎしりしており、大王の一族を皆殺しにしなければ気が済まないのです。大王は、この五人を始末しなければ、朝露のように危険です。それなのに、泰山のように安泰であると安閑として居られます。ですから愔は大王の為に我が心を震え上がらせているのです。」
 三思は大いに悦んで、彼と共に楼閣へ登り、安泰になるための計略を問うた。そして中書舎人として、崔湜と共に参謀とした。
 三思と韋后は、日夜暉等を讒言して言った。
「彼等は功績を恃んで専横に振る舞っております。いずれ社稷の害になります。」
 上はこれを信じ込んだ。そこで三思等は上の為に画策して言った。
「暉等を王に封じて政事をやめさせるのが一番です。上辺は功臣を尊寵している態度を無くしませんし、実際には権力を奪うことができます。」
 上は同意した。
 甲午、侍中斉公敬暉を平陽王、桓彦範を扶陽王、中書令漢陽公張柬之を漢陽王、南陽公袁恕己を南陽王、特進、同中書門下三品博陵公崔玄暐を博陵王とし、全員政事をやめさせた。金帛鞍馬を下賜し、朝廷への参内は朔と望の二回のみとする。彦範へは韋氏の姓を下賜し、皇后と同籍とする。ついで玄暐を検校益州長史、知都督事とし、又、梁州刺史へ改める。
 三思は百官を則天武后の頃へ復帰し、武氏へなつかない者は排斥し、五王から追放された者は呼び戻した。こうして大権は全て武三思の元へ帰した。
 五王が武氏の諸王を削るよう誓願した時、上表してくれる人を捜したが、誰も肯らなかった。ただ、中書舎人岑義がこれをやったが、文章はとても過激だった。中書舎人の偃師の畢構がこれを読み上げたが、堂々として言葉も明瞭だった。三思が権力を握ると、義は秘書少監となり、構は潤州刺史へ飛ばされた。
 易州刺史趙履温は桓彦範の妻の兄である。彦範が二張を誅した時、履温もその謀略に関与していたとして、召し出して司農少卿とした。すると履温は、彦範へ二人の婢を送った。今回、彦範が政事をやめると、履温はその婢を奪い返した。
 上は宋璟の忠直を嘉し、しばしば進級させて黄門侍郎とした。武三思は、かつてある事件で彼を部下にしたが、璟は毅然としてこれを拒んで言った。
「今、太后は既に正統へ返しました。王は侯となって屋敷へ戻るべきです。何でなおも朝政へ干渉なさいますのか!昔の呂産、呂録の事を知らないのですか!」
 27以韋安石兼檢校中書令,魏元忠兼檢校侍中,又以李湛爲右散騎常侍,趙承恩爲光祿卿,楊元琰爲衞尉卿。
  先是,元琰知三思浸用事,請棄官爲僧,上不許。敬暉聞之,笑曰:「使我早知,勸上許之,髡去胡頭,豈不妙哉!」元琰多鬚類胡,故暉戲之。元琰曰:「功成名遂,不退將危。此乃由衷之請,非徒然也。」暉知其意,瞿然不悅。及暉等得罪,元琰獨免。
27.韋安石へ検校中書令を、魏元忠へ検校侍中を兼任させ、李湛を右散騎常侍、趙承恩を光禄卿、楊元琰を衛尉卿とした。
 話は前後するが、元琰は三思の権勢が拡大して行くのを知ると、官を棄てて僧となることを請うたが、上は許さなかった。敬暉はそれを聞くと、笑って言った。
「我が早く知っていたなら、上へ許可するようお勧めしたのに。胡頭の坊主頭も面白いではないか!」
 元琰は髭が多く、まるで胡人のようだったので、暉は戯れたのだ。すると元琰は言った。「功成り名を遂げて退かなければ、危うい。だから衷心から請うたのだ。戯れではない。」
 暉はその意を知り、不機嫌になった。
 後、暉等が罪を得るに及んでも、元琰一人だけ免れた。
 28上官婕妤勸韋后襲則天故事,上表請天下士庶爲出母服喪三年,又請百姓年二十三爲丁,五十九免役,改易制度以收時望。制皆許之。
28.上官婕妤は韋后へ、則天武后の故事を踏襲するよう勧めた。韋后は勧めに従って、天下の士庶は母の喪に三年服すことや、百姓は二十三才を丁として五十九才で賦役などを免除するなど、当時の要望に従って制度を改易するよう上表して請うた。
 制が下って、皆、これに従った。
 29癸卯,制:降諸武,梁王三思爲德靜王,定王攸曁爲樂壽王,河内王懿宗等十二人皆降爲公,以厭人心。
29.癸卯、諸武へ制が下った。梁王三思は徳静王、定王攸曁は楽寿王と県王へ降格し、河内王懿宗等十二人は皆、公爵へ降格となった。人々が厭がったからである。
 30甲辰,以唐休璟爲左僕射,同中書門下三品如故,豆盧欽望爲右僕射。
30.甲辰、唐休璟を同中書門下三品のまま左僕射とした。豆盧欽望を右僕射とした。
 31六月,壬子,以左驍衞大將軍裴思説充靈武軍大總管,以備突厥。
31.六月、壬子、左驍衛大将軍裴思説を霊武軍大総管として、突厥に備えた。
 32癸亥,命右僕射豆盧欽望,有軍國重事,中書門下可共平章。
  先是,僕射爲正宰相,其後多兼中書門下之職,午前決朝政,午後決省事。至是,欽望專爲僕射,不敢預政事,故有是命。是後專拜僕射者,不復爲宰相矣。
  又以韋安石爲中書令,魏元忠爲侍中,楊再思檢校中書令。
32.癸亥、右僕射豆盧欽望に、軍国の重大事の時に中書門下と共に議論するよう命じた。
 もともと、僕射は正宰相だった。その後、多くは中書門下の職務を兼任するようになり、午前中は朝政を決定して午後は省の事を決裁していた。ここに至って、欽望は僕射を専任して、政事には関与しなくなった。だから、特にこの様に命じたのである。
 この後、僕射を専任する者は宰相ではなくなった。
 又、韋安石を中書令、魏元忠を侍中、楊再思を検校中書令とした。
 33丁卯,祔孝敬皇帝於太廟,號義宗。
33.丁卯、孝敬皇帝を太廟へ祀り、義宗と号した。
 34戊辰,洛水溢,流二千餘家。
34.戊辰、洛水が氾濫し、二千余家が流された。
 35秋,七月,辛巳,以太子賓客韋巨源同中書門下三品,西京留守如故。
35.秋、七月、辛巳、太子賓客韋巨源を西京留守のまま同中書門下三品とした。
 36特進漢陽王張柬之表請歸襄州養疾;乙未,以柬之爲襄州刺史,不知州事,給全俸。
36.特進漢陽王張柬之が襄州へ帰って療養したいと上表して請願した。
 乙未、柬之を襄州刺史としたが、州事には関与させず、俸給は全額支給した。
 37河南、北十七州大水。八月,戊申,以水災求直言。右衞騎曹參軍西河宋務光上疏,以爲:「水陰類,臣妾之象,恐後庭有干外朝之政者,宜杜絶其萌。今霖雨不止,乃閉坊門以禳之,至使里巷謂坊門爲宰相,言朝廷使之燮理陰陽也。又,太子國本,宜早擇賢能而立之。又,外戚太盛,如武三思等,宜解其機要,厚以祿賜。又,鄭普思、葉靜能以小技竊大位,亦朝政之蠹也。」疏奏,不省。
37.河南、北十七州で大水が起こった。
 八月、戊申、水災を以て直言を求めた。すると、右衛騎曹参軍の西河の宋務光が上疏した。
「水は陰に類しますから、臣妾の象です。恐らくは、外朝の政へ干渉する者が後庭にいるのでしょう。どうか、その萌のうちに閉ざしてください。今、長雨が止まないので坊門を閉めてお祓いをしたら、巷では、朝廷は坊門を宰相として陰陽を調和させていると言い合うでしょう。また、太子は国の本です。早く賢能を選んでこれを立てください。又、外戚が権勢を持ちすぎています。武三思等のような者は、機要から外して禄のみを厚く賜ってください。また、鄭普思、葉静能は小技で大位を与えられました。朝廷の毒です。」
 疏は上奏されたが、かえりみられなかった。
 38壬戌,追立妃趙氏爲恭皇后,孝敬皇帝妃裴氏爲哀皇后。
38.壬戌、妃の趙氏を立てて恭皇后とした。孝敬皇帝の妃の裴氏を立てて哀皇后とした。
 39九月,壬午,上祀昊天上帝、皇地祇于明堂,以高宗配。
39.九月、壬午、上が昊天上帝、皇地を祀り、明堂にて祗う。高宗を配す。
 40初,上在房陵,州司制約甚急;刺史河東張知謇、靈昌崔敬嗣獨待遇以禮,供給豐贍,上德之,擢知謇自貝州刺史爲左衞將軍,賜爵范陽公。敬嗣已卒,求得其子汪,嗜酒,不堪釐職,除五品散官。
40.以前、上が房陵に居た頃、州司の制約がとても厳しかった。だが、刺史の河東の張知謇と霊昌の崔敬嗣だけは礼遇して、支給品もたっぷり与えてくれた。上はこれを徳として、知謇を貝州刺史から左衛将軍へ抜擢し、范陽公の爵位を下賜した。敬嗣は卒していた。その子の汪を探し出したが、彼は酒好きで職務が取れなかったので、五品の散官へ除した。
 41改葬上洛王韋玄貞,其儀皆如太原王故事。
41.上洛王韋玄貞を改葬した。その儀礼は太原王(武士彠)の故事に従った。
 42癸巳,太子賓客、同中書門下三品韋巨源罷爲禮部尚書,以其從父安石爲中書令故也。
42.癸巳、太子賓客、同中書門下三品韋巨源をやめさせて、礼部尚書とした。その従父の安石を中書令とした為である。
 43以左衞將軍上邽紀處訥兼檢校太府卿,處訥娶武三思之妻姊故也。
43.左衛将軍の上邽の紀處訥へ検校太府卿を兼任させた。彼が、武三思の妻の妹を娶ったからである。
 44冬,十月,命唐休璟留守京師。
44.冬、十月、唐休璟に京師の留守を命じた。
 45癸亥,上幸龍門;乙丑,獵於新安而還。
45.癸亥、上が龍門へ御幸した。乙丑、新安で狩猟をして帰った。
 46辛未,以魏元忠爲中書令,楊再思爲侍中。
46.辛羊、魏元忠を中書令、楊再思を侍中とした。
 47十一月,戊寅,羣臣上皇帝尊號曰應天皇帝,皇后曰順天皇后。壬午,上與后謁謝太廟,赦天下;相王、太平公主加實封,皆滿萬戸。
47.十一月、戊寅、群臣が皇帝に応天皇帝、皇后に順天皇后の尊号を献上した。
 壬午、上と后は太廟に謁謝し、天下へ恩赦を下した。
 相王と太平公主には実封を加えた。どちらも、封戸は一万戸を数えた。
 48己丑,上御洛城南樓,觀潑寒胡戲。清源尉呂元泰上疏,以爲「謀時寒若,何必裸身揮水,鼓舞衢路以索之!」疏奏,不納。
48.己丑、上が洛城の南楼へ御幸して、溌寒胡戯を観た。
 清源尉呂元泰が上疏した。その大意は、
「なんでわざわざ寒い時を見計らって、裸になって水を掛け合い、道の中で踊らなければならないのですか!」
 疏は上奏されたが、納れられなかった。
 49壬寅,則天崩於上陽宮,年八十二。遺制:「去帝號,稱則天大聖皇后。王、蕭二族及褚遂良、韓瑗、柳奭親屬皆赦之。」
  上居諒陰,以魏元忠攝冢宰三日。元忠素負忠直之望,中外賴之;武三思憚之,矯太后遺制,慰諭元忠,賜實封百戸。元忠捧制,感咽涕泗,見者曰:「事去矣!」
  十二月,丁卯,上始御同明殿見羣臣。
49.壬寅、則天武后が上陽宮にて崩御した。享年八十二。遺制に言う、
「帝号を去り、則天大聖皇后と称せよ。王、蕭二族及び褚遂良、韓瑗、柳奭の親族は、全て赦免せよ。」
 上は諒陰に居り、魏元忠に三日間塚守をさせた。
 元忠は、もともと忠直として人望があり、中外から頼みにされていた。武三思はこれを憚り、太后の遺制を矯めて、元忠を慰諭し百戸の実封を下賜した。元忠は制を捧げて泣きじゃくった。それを見る者は言った。
「事は終わった。」
 十二月、丁卯、上は始めて同明殿にて群臣と謁見した。
 50太后將合葬乾陵,給事中嚴善思上疏,以爲:「乾陵玄宮以石爲門,鐵錮其縫,今啓其門,必須鐫鑿。神明之道,體尚幽玄,動衆加功,恐多驚黷。況合葬非古,漢時諸陵,皇后多不合陵,魏、晉已降,始有合者。望於乾陵之傍更擇吉地爲陵,若神道有知,幽塗自當通會;若其無知,合之何益!」不從。
50.太后を乾陵と合葬しようとした時、給事中厳善思が上疏した。その大意は、
「乾陵の玄宮は石で門を造り、鉄で固く閉ざしています。今、その門を開くには、壊さなければなりません。幽玄を尊ぶのが神明の道なのに、大勢の人間が動き回るのでは魂魄を驚かせ汚してしまうのではないかと恐れます。ましてや合葬は古来からのしきたりではなく、漢代の皇后の多くは合葬されておりません。魏、晋以降になって、始めて起こった風習です。乾陵のそばに吉相の土地を別に選び、陵としましょう。もしも神道に心があるならば、合葬しなくても幽道は自然と通じ会えます。もしも心がないのなら、合葬しても何の意味がありましょうか!」
 従わなかった。
 51是歳,戸部奏天下戸六百一十五萬,口三千七百一十四萬有畸。
51.この年、天下の戸は六百十五万、人口は三千七百十四万余人と、戸部が報告した。
二年(丙午、七〇六)

 春,正月,戊戌,以吏部尚書李嶠同中書門下三品,中書侍郎于惟謙同平章事。
1.春、正月、戊戌、吏部尚書李嶠を同中書門下三品、中書侍郎于惟謙を同平章事とした。
 閏月,丙午,制:「太平、長寧、安樂、宜城、新都、定安、金城公主並開府,置官屬。」
2.閏月、丙午、制を下した。
「太平、長寧、安楽、宜城、新都、定安、金城公主は皆、府を開いて官属を置く。」
 武三思以敬暉、桓彦範、袁恕己尚在京師,忌之,乙卯,出爲滑、洺、豫三州刺史。
3.敬暉、桓彦範、袁恕己が京師に居るのが、武三思は気に入らなかった。
 乙卯、彼等を滑、洛、豫州刺史として、任地へ下向させた。
 賜閺郷僧萬回號法雲公。
4.閺郷の僧万回に、法雲公の号を賜った。
 甲戌,以突騎施酋長烏質勒爲懷德郡王。
5.甲戌、突騎施の酋長烏質勒を懐徳郡王とした。
 二月,乙未,以刑部尚書韋巨源同中書門下三品,仍與皇后敍宗族。
6.二月、乙未、刑部尚書韋巨源を同中書門下三品とした。依然として、皇后は宗族を登用した。
 丙申,僧慧範等九人並加五品階,賜爵郡、縣公;道士史崇恩等加五品階,除國子祭酒,同正;葉靜能加金紫光祿大夫。
7.丙申、僧恵範等九人に皆五品階を加え、爵郡、県公を賜った。道士史祟恩等に五品階を加え、国子祭酒、同正へ任命した。葉静能へ金紫光禄大夫を加えた。
 選左、右臺及内外五品以上官二十人爲十道巡察使,委之察吏撫人,薦賢直獄,二年一代,考其功罪而進退之。易州刺史魏人姜師度、禮部員外郎馬懷素、殿中侍御史臨漳源乾曜、監察御史靈昌盧懷愼、衞尉少卿滏陽李傑皆預焉。
8.左、右台及び内外五品以上の官から二十人を選び、十道巡察使として、これへ察吏撫人及び薦賢直獄を委ねる。二年で交代し、その功罪を考課してこれを進退する。
 易州刺史の魏の人姜師度、禮部員外郎馬懐素、殿中侍御史の臨漳の源乾曜、監察御史の霊昌の盧懐慎、衛尉少卿の滏陽の李傑が、これに任命された。
 三月,甲辰,中書令韋安石罷爲戸部尚書;戸部尚書蘇瓌爲侍中、西京留守。瓌,頲之父也。唐休璟致仕。
9.三月甲辰、中書令韋安石を罷免して戸部尚書とする。戸部尚書蘇瓌を侍中、西京留守とした。瓌は、頲の父である。
 唐休璟が老齢退職した。
 10初,少府監丞弘農宋之問及弟兗州司倉之遜皆坐附會張易之貶嶺南,逃歸東都,匿於友人光祿卿、駙馬都尉王同皎家。同皎疾武三思及韋后所爲,毎與所親言之,輒切齒。之遜於簾下聞之,密遣其子曇及甥校書郎李悛告三思,欲以自贖。三思使曇、悛及撫州司倉冉祖雍上書告同皎與洛陽人張仲之、祖延慶、武當丞壽春周憬等潛結壯士,謀殺三思,因勒兵詣闕,廢皇后。上命御史大夫李承嘉、監察御史姚紹之按其事,又命楊再思、李嶠、韋巨源參驗。仲之言三思罪状,事連宮壺。再思、巨源陽寐不聽;嶠與紹之命反接送獄。仲之還顧,言不已。紹之命檛之,折其臂。仲之大呼曰:「吾已負汝,死當訟汝於天!」庚戌,同皎等皆坐斬,籍沒其家。周憬亡入比干廟中,大言曰:「比干古之忠臣,知吾此心!三思與皇后淫亂,傾危國家,行當梟首都市,恨不及見耳!」遂自剄。之問、之遜、曇、悛、祖雍並除京官,加朝散大夫。
10.始め、少府監丞の弘農の宋之問及び弟の兗州司倉之遜は、共に張易之へ媚びていたとして嶺南へ飛ばされていたが、東都へ逃げ帰り、友人の光禄卿、駙馬都尉王同皎の家へ匿われていた。
 同皎は武三思及び韋后のすることを憎んでおり、これの話をする度に歯ぎしりをしていた。之遜は、簾下でこれを聞き、密かにその子の曇及び甥の校書郎李悛を派遣して三思へ密告し、自分の罪を贖おうとした。
 三思は、”同皎と洛陽の人張仲之、祖延慶、武當丞の寿春の周憬等が密かに壮士と結託して三思を殺し、兵を指揮して闕を詣で皇后を廃立しようとしている、”と、曇、悛及び撫州司倉冉祖雍へ上書にて告発させた。上は御史大夫李承嘉、監察御史姚紹之へ、この事件を調査させた。又、楊再思、李嶠、韋巨源へも参与させた。
 仲之は三思の罪状を言い、その事は宮壺まで連なった。再思と巨源は寝たふりをして聞かなかった。喬と紹之は、牢獄へ突き返すよう命じた。仲之は振り返って罵り続ける。紹之はこれを槌で打つよう命じ、その臂を折る。仲之は大声で叫んだ。
「我は既に汝に背いた。死んだら汝を天へ訴えてやる!」
 庚戌、同皎等は斬罪となった。家は官籍を剥奪された。
 周景は比干廟の中へ逃げ込んで、大声で言った。
「比干は古の忠臣。我はその心を知っている。三思と皇后は淫乱で国家を傾ける。いずれは都の市で梟首されるだろうが、それを見れないのが悔しい!」
 遂に自剄した。
 之問、之遜、曇、悛、祖雍は皆京官へ登用され、朝散大夫を加えられた。
 11武三思與韋后日夜譖敬暉等不已,復左遷暉爲朗州刺史,崔玄暐爲均州刺史,桓彦範爲亳州刺史,袁恕己爲郢州刺史;與暉等同立功者皆以爲黨與坐貶。
11.武三思と韋后は日夜敬暉等を讒言してやまない。暉を朗州刺史、崔玄暐を均州刺史、桓彦範を毫州刺史、袁恕己を郢州刺史へ再び左遷した。暉等と共に功績を建てた者は、彼等の一味として降格させられた。
 12大置員外官,自京司及諸州凡二千餘人,宦官超遷七品以上員外官者又將千人。
  魏元忠自端州還,爲相,不復強諫,惟與時俯仰,中外失望。酸棗尉袁楚客致書元忠,以爲:「主上新服厥命,惟新厥德,當進君子,退小人,以興大化,豈可安其榮寵,循默而已!今不早建太子,擇師傅而輔之,一失也。公主開府置僚屬,二失也。崇長緇衣,使遊走權門,借勢納賂,三失也。俳優小人,盜竊品秩,四失也。有司選進賢才,皆以貨取勢求,五失也。寵進宦者,殆滿千人,爲長亂之階,六失也。王公貴戚,賞賜無度,競爲侈靡,七失也。廣置員外官,傷財害民,八失也。先朝宮女,得自便居外,出入無禁,交通請謁,九失也。左道之人,熒惑主聽,盜竊祿位,十失也。凡此十失,君侯不正,誰與正之哉!」元忠得書,愧謝而已。
12.員外官を京司から諸州までで凡そ二千余人大増員した。宦官で七品以上の員外官も又、千人に及ぼうとした。
 魏元忠は端州から戻ってきて相となってからは、強諫せずにただペコペコするばかりだったので、中外は失望した。
 酸棗尉袁楚客が元忠へ書を遣った。その大意は、
「主上が新たに政権を執ったのなら、ただその徳を新たにせよ。君子を進め小人を退け以て大化を興すべき時だ。どうして栄寵に安んじて黙り込んでいて良いものか!今、早く太子を立てて師傅を選んで補導しなければならないのに、やっていない。これが一失だ。公主が府を開いて僚属を置いた。二失だ。長緇衣(意味が分かりません。何かの階級を指すと思いますが。)を祟び権門へ走らせ、権勢を借りて賄賂を取らせている。三失だ。俳優小人へ官位を与えている。四失だ。賢才の選挙が、金によって決まる。五失だ。寵用される宦官が千人にも及び、更に乱れて行く兆しである。六失だ。王公貴族への賜下品が際限なく、彼等は贅沢を競い合っている。七失だ。員外官を大勢設置し、財政を浪費して民を傷つけている。八失だ。先朝の宮女を外へ住ませているが、彼女達は宮内と外と好き勝手に行き来している。九失だ。左道の人が主上を惑わし、禄位を盗んでいる。十失だ。この十失を君侯が正さなければ、誰が正せるのか!」
 元忠はこの書を得たが、恥じ入るばかりだった。
 13夏,四月,改贈后父韋玄貞爲鄷王,后四弟皆贈郡王。
13.夏、四月。后父の韋玄貞を鄷王と改め、后の四弟へは、皆、郡王を下賜した。
 14己丑,左散騎常侍、同中書門下三品李懷遠致仕。
14.己丑、左散騎常侍、同中書門下三品李懐遠が老齢で退職した。
 15處士韋月將上書告武三思潛通宮掖,必爲逆亂;上大怒,命斬之。黄門侍郎宋璟奏請推按,上益怒,不及整巾,屣履出側門,謂璟曰:「朕謂已斬,乃猶未邪!」命趨斬之。璟曰:「人言宮中私於三思,陛下不問而誅之,臣恐天下必有竊議。」固請按之,上不許。璟曰:「必欲斬月將,請先斬臣!不然,臣終不敢奉詔!」上怒少解。左御史大夫蘇珦、給事中徐堅、大理卿長安尹思貞皆以爲方夏行戮,有違時令。上乃命與杖,流嶺南。過秋分一日,平曉,廣州都督周仁軌斬之。
15.處士の韋月将が”武三思が密かに皇后と姦通しているので、必ず乱を起こす”と上書した。上は激怒して、これを斬るよう命じた。
 黄門侍郎宋璟が事実を確認するよう請うたが、上は益々怒り、巾を乱したまま靴を履いて側門から出てきて璟へ言った。
「朕は既に斬れと言ったのだ。それ以上何をするのか!」
 そして、すぐに斬るよう命じた。
 璟は言った。
「宮中が三思と私通したと言う者がいたのに、陛下は事実を確認もしないで告発者を斬る。これでは人々があらぬ噂を流すのではないかと、恐れるのです。」
 取り調べることを固く請うたが、上は許さない。璟は言った。
「どうしても月将を斬るのなら、まず臣を先に斬ってください!そうでなければ、臣はこの詔を奉じられません。」
 上の怒りは、少し解けた。
 左御史大夫蘇珦、給事中徐堅、大理卿の長安の尹思貞は皆、今は夏だから斬罪に処する時期ではないと言った。そこで上は、月将を杖打ちにして嶺南へ流した。
 秋分の日を一日過ぎて、広州都督周仁軌が月将を斬った。
 16御史大夫李承嘉附武三思,詆尹思貞於朝,思貞曰:「公附會姦臣,將圖不軌,先除忠臣邪!」承嘉怒,劾奏思貞,出爲靑州刺史。或謂思貞曰:「公平日訥於言,及廷折承嘉,何其敏邪?」思貞曰:「物不能鳴者,激之則鳴。承嘉恃威權相陵,僕義不受屈,亦不知言之從何而至也。」
16.御史大夫李承嘉が武三思に媚びへつらい、朝廷にて尹思貞を譏った。思貞は言った。
「公は姦臣へ媚びて不軌を図り、その手始めに忠臣を除くつもりか!」
 承嘉は怒り、思貞を弾劾して青州刺史として下向させた。
 ある者が思貞へ言った。
「公はいつもは朴訥なのに、朝廷ではどうしてああも過敏に承嘉へ言い返したのか?」
 思貞は言った。
「鳴らない物でも、これを叩けば音を立てる。承嘉は権威を恃んで他人を凌いだから、僕は義として屈辱を受けることができなかったのだ。その結果がどうなるかなど、知ったことではないよ。」
 17武三思惡宋璟,出之檢校貝州刺史。
17.武三思は宋璟を憎み、検校貝州刺史として下向させた。
 18五月,庚申,葬則天大聖皇后於乾陵。
18.五月、庚申、則天大聖皇后を乾陵へ葬った。
 19武三思使鄭愔告朗州刺史敬暉、亳州刺史韋彦範、襄州刺史張柬之、郢州刺史袁恕己、均州刺史崔玄暐與王同皎通謀,六月,戊寅,貶暉崖州司馬,彦範瀧州司馬,柬之新州司馬,恕己竇州司馬,玄暐白州司馬,並員外置,仍長任,削其勳封;復彦範姓桓氏。
19.武三思が、”朗州刺史敬暉、毫州刺史韋彦範、襄州刺史張柬之、郢州刺史袁恕己、均州刺史崔玄韋は王同皎と通じて陰謀していた。”と、鄭音へ告発させた。
 六月戊寅、暉を崖州司馬、彦範を瀧州司馬、柬之を新州司馬、恕己を竇州司馬、玄韋を白州司馬へ降格する。全て員外に置き、しかも長任である。その勲封を削る。彦範は、姓を桓氏へ戻す。
 20初,韋玄貞流欽州而卒,蠻酋甯承基兄弟逼取其女,妻崔氏不與,承基等殺之,及其四男洵、浩、洞、泚,上命廣州都督周仁軌使將兵二萬討之。承基等亡入海,仁軌追斬之,以其首祭崔氏墓,殺掠其部衆殆盡。上喜,加仁軌鎭國大將軍,充五府大使,賜爵汝南郡公。韋后隔簾拜仁軌,以父事之。及韋后敗,仁軌以黨與誅。
20.以前、韋玄貞が欽州へ流されて卒した時、蛮酋の甯承基兄弟が彼の娘を渡すよう迫った。妻の崔氏は与えなかったので、承基等は崔氏とその四人の子息洵、浩、洞、泚等を殺した。
 上は広州都督周仁軌へ二万の兵を与えてこれを攻撃させた。承基等は海へ逃げたが、仁軌はこれを追って斬った。その首を以て崔氏の墓を祭った。その部落の人間も、殆ど殺し尽くした。
 上は喜び、仁軌へ鎮国大将軍を加え、爵汝南郡公を下賜した。韋后は御簾を隔てて仁軌を拝し、父に対する礼で対した。
 後、韋后が敗北するに及んで、仁軌は彼女の仲間とみなされ、誅された。
 21秋,七月,戊申,立衞王重俊爲太子。太子性明果,而官屬率貴遊子弟,所爲多不法;左庶子姚珽屢諫,不聽,珽,璹之弟也。
21.秋、七月、戊申、衛王重俊を太子に立てた。太子の性格は聡明果断。しかし、貴人の無頼の子弟を官属として、不法な行為が多かった。左庶子姚珽がしばしば諫めたが、聞かなかった。珽は、璹の弟である。
 22丙寅,以李嶠爲中書令。
22.丙寅、李嶠を中書令とした。
 23上將還西京,辛未,左散騎常侍李懷遠同中書門下三品,充東都留守。
23.上は西京へ帰ろうとした。辛未、左散騎常侍李懐遠を同中書門下三品として東都の留守をさせた。
 24武三思陰令人疏皇后穢行,牓於天津橋,請加廢黜。上大怒,命御史大夫李承嘉窮核其事。承嘉奏言:「敬暉、桓彦範、張柬之、袁恕己、崔玄暐使人爲之,雖云廢后,實謀大逆,請族誅之。」三思又使安樂公主譖之於内,侍御史鄭愔言之於外,上命法司結竟。大理丞三原李朝隱奏稱:「暉等未經推鞫,不可遽就誅夷。」大理丞裴談奏稱:「暉等宜據制書處斬籍沒,不應更加推鞫。」上以暉等嘗賜鐵券,許以不死,乃長流暉於瓊州,彦範於瀼州,柬之於瀧州,恕己於環州,玄暐於古州,子弟年十六以上,皆流嶺外。擢承嘉爲金紫光祿大夫,進爵襄武郡公,談爲刑部尚書;出李朝隱爲聞喜令。
  三思又諷太子上表,請夷暉等三族,上不許。
  中書舍人崔湜説三思曰:「暉等異日北歸,終爲後患,不如遣使矯制殺之。」三思問誰可使者,湜薦大理正周利用。利用先爲五王所惡,貶嘉州司馬,乃以利用攝右臺侍御史,奉使嶺外。比至,柬之、玄暐已死,遇彦範於貴州,令左右縛之,曳於竹槎之上,肉盡至骨,然後杖殺。得暉,咼而殺之。恕己素服黄金,利用逼之使飲野葛汁,盡數升不死,不勝毒憤,掊地,爪甲殆盡,仍捶殺之。利用還,擢拜御史中丞。薛季昶累貶儋州司馬,飲藥死。
  三思既殺五王,權傾人主,常言:「我不知代間何者謂之善人,何者謂之惡人;但於我善者則爲善人,於我惡者則爲惡人耳。」
  時兵部尚書宗楚客、將作大匠宗晉卿、太府卿紀處訥、鴻臚卿甘元柬皆爲三思羽翼。御史中丞周利用、侍御史冉祖雍、太僕丞李俊、光祿丞宋之遜、監察御史姚紹之皆爲三思耳目,時人謂之五狗。
24.武三思は皇后の醜聞をひそかに広めさせ、天津橋へ立て看板を立てさせて、上へ裁断を仰いだ。上は激怒して、御史大夫李承嘉へその事件を究明させる。承嘉は上奏した。
「敬暉、韋彦範、張柬之、袁恕己、崔玄暐の五人が人へ命じてやらせたことです。これは皇后を廃立する為の行いですが、実に大逆を謀ったといえます。どうか一族を誅殺してください。」
 三思は又、安楽公主へ内で讒言を広めさせ、侍御史鄭音へは外で吹聴させた。
 上は、法司へ徹底糾明を命じた。大理丞の三原の李朝隠が上奏した。
「暉等のしわざとゆう証拠がありません。たやすく一族誅殺してはいけません。」
 大理丞裴談が上奏した。
「暉等へは制書を下して斬罪に処し、官籍を没収するべきです。これ以上吟味することはありません。」
 上は、暉等へはかつて鉄券を賜下して殺さないことを約束していたので、流罪とした。暉は瓊州、彦範は瀼州、柬之は瀧州、恕己は環州、玄暐は古州へ遠流とする。子弟も十六歳以上は全て嶺外へ流す。
 承嘉は金紫光禄大夫として爵位を襄武郡公へ進める。談は刑部尚書とする。李朝隠は聞喜令へ出向させる。
 三思はまた、太子へ風諭して、暉等の三族を皆殺しとするよう請願させた。上は許さなかった。
 中書舎人崔是が三思へ説いた。
「後に暉等が帰ってきたら、ついには後患となります。制を矯めて、使者を派遣して殺してしまうべきです。」
 三思が、誰を使者にすればよいか尋ねると、是は大理正周利用を推薦した。利用は、以前、五王から憎まれ、嘉州刺史へ降格された男である。そこで、利用を摂右台侍御史として、嶺外へ派遣した。
 到着すると、柬之と玄暐は既に死んでいた。彦範とは貴州で出会った。そこで左右へこれを縛らせ、植え込んだ竹の上を引っ張り回した。肉は引き裂かれて、骨まで顕わになった。その後、杖で打ち殺した。暉へ会うと、すぐに殺した。恕己は普段から黄金を服用していた。利用は、これへ力尽くで野葛の汁を飲ませた。(黄金を服用すると、毒に強くなると言われている。野葛の汁は猛毒)数升飲ませたが、死なない。しかし、毒のせいで地面に倒れて、爪も皆、無くなってしまった。その後、これを撲殺した。
 利用は都へ帰ると御史中丞を拝受した。
 薛李昶は数度の降格で儋州司馬となり、服毒自殺した。
 三思は五王を殺してしまうと、その権勢は人主をも傾けた。彼はいつも言っていた。
「どんな人間を善人と言い、悪人というのか、我は知らん。ただ、我が善いと思った相手は善人で、悪いと思った奴は悪人だ。」
 この頃、兵部尚書宗楚客、将作大匠宗晋卿、太府卿紀處訥、鴻臚卿甘元柬羅は皆、三思の羽翼となった。御史中丞周利用、侍御史冉祖雍、太僕丞李俊、光禄丞宋之遜、監察御史姚紹之等は皆、三思の耳目となった。人々は、彼等を”五狗”と呼んだ。
 25九月,戊午,左散騎常侍、同中書門下三品李懷遠薨。
25.九月戊午、左散騎常侍、同中書門下三品李懐遠が卒した。
 26初,李嶠爲吏部侍郎,欲樹私恩,再求入相,奏大置員外官,廣引貴勢親識。既而爲相,銓衡失序,府庫減耗,乃更表言濫官之弊,且請遜位;上慰諭不許。
  冬,十月,己卯,車駕發東都,以前檢校并州長史張仁愿檢校左屯衞大將軍兼洛州長史。戊戌,車駕至西京。十一月,乙巳,赦天下。
26.初め、李嶠が吏部侍郎となった時、私恩を植えて置いて再度宰相になろうと欲し、員外官を大勢置くよう上奏し、貴勢や親しい者を広く採用した。
 宰相になってしまうと、秩序が無くなり国庫が底をついたので、濫官の弊害を上表して、降格を願い出た。上は慰諭して、許さなかった。
 冬、十月、己卯、車駕が東都を出発した。前の検校并州長史張仁愿を検校左屯衛大将軍兼洛州長史とした。
 十一月、乙巳、天下へ恩赦を下した。
 27丙辰,以蒲州刺史竇從一爲雍州刺史。從一,德玄之子也,初名懷貞,避皇后父諱,更名從一,多諂附權貴。太平公主與僧寺爭碾磑,雍州司戸李元紘判歸僧寺。從一大懼,亟命元紘改判。元紘大署判後曰:「南山可移,此判無動!」從一不能奪。元紘,道廣之子也。
27.丙辰、蒲州刺史竇従一を雍州刺史とする。従一は徳玄の子息である。初めの名は懐貞と言ったが、皇后の父の諱を避けて、従一と改名した。権貴への諂いばかりの人間。
 太平公主と僧寺が臼がもとで訴訟した。雍州司戸李元絋は、僧寺の勝訴とした。従一は大いに懼れ、判決を改めるよう、元絋へ速やかに命じた。だが、元絋は判決を大署した後、言った。
「南山は移せるとも、この判決は動かない!」
 従一は判決を覆せなかった。
 元絋は道廣の子息である。
 28初,秘書監鄭普思納其女於後宮,監察御史靈昌崔日用劾奏之,上不聽。普思聚黨於雍、岐二州,謀作亂。事覺,西京留守蘇瓌收繋,窮治之。普思妻第五氏以鬼道得幸於皇后,上敕瓌勿治。及車駕還西京,瓌廷爭之,上抑瓌而佑普思;侍御史范獻忠進曰:「請斬蘇瓌!」上曰:「何故?」對曰:「瓌爲留守大臣,不能先斬普思,然後奏聞,使之熒惑聖聽,其罪大矣。且普思反状明白,而陛下曲爲申理。臣聞王者不死,殆謂是乎!臣願先賜死,不能北面事普思。」魏元忠曰:「蘇瓌長者,用刑不枉。普思法當死。」上不得已,戊午,流普思於儋州,餘黨皆伏誅。
28.初め、秘書監鄭普思が、娘を後宮へ納めた。監察御史の霊昌の崔日曜はこれを弾劾したが、上は聞かなかった。
 普思は、雍、岐二州で仲間をかき集めて乱を謀った。発覚して西京留守蘇瓌が牢獄へ繋ぎ、この件を糾明した。ところが、普思の妻の第五氏は鬼道の術で皇后から寵用されていたので、上はこの件を糾治しないよう、瓌へ敕を下した。
 車駕が西京へ帰るへ及んで、壊は朝廷でこれを争った。上は瓌を抑えて普思へ加担した。すると、侍御史范献忠が進み出て言った。
「どうか蘇瓌を斬ってください!」
 上は言った。
「何故?」
「瓌は留守大臣ですから、まず普思を斬ってからその後に奏聞するべきなのに、そうしないで、聖聴を惑わさせました。その罪は大きいのです。それに、普思の反状は明白なのに、陛下は曲げて庇っております。『王者は死なぬ』と、臣は聞いていますが、これこそ、それです!どうか臣へも死を賜って、普思へ北面して仕えることができなくしてください。」
 魏元忠も言った。
「蘇瓌は長者で、刑法の適用は間違っていません。普思は、法に照らせば死罪です。」
 上はやむを得ず、戊午、普思を儋州へ流した。余党は全て誅に伏した。
 29十二月,己卯,突厥默啜寇鳴沙,靈武軍大總管沙吒忠義與戰,軍敗,死者六千餘人。丁巳,突厥進寇原、會等州,掠隴右牧馬萬餘匹而去。免忠義官。
29.十二月、己卯、突厥の黙啜が鳴沙へ来寇した。霊武軍大総管の沙吒忠義がこれと戦ったが、軍が敗れて、戦死者六千余人に及んだ。
 丁巳、突厥は原、会等の州まで進攻し、隴右の牧馬万余匹を掠めて去った。
 忠義を免官した。
 30安西大都護郭元振詣突騎施烏質勒牙帳議軍事,天大風雪,元振立於帳前,與烏質勒語。久之,雪深,元振不移足;烏質勒老,不勝寒,會罷而卒。其子娑葛勒兵將攻元振,副使御史中丞解琬知之,勸元振夜逃去。元振曰:「吾以誠心待人,何所疑懼!且深在寇庭,逃將安適!」安臥不動。明旦,入哭,甚哀。娑葛感其義,待元振如初。戊戌,以娑葛襲嗢鹿州都督、懷德王。
30.安西大都護郭元振が突騎施の烏質勒の牙帳を詣で、軍事を議した。この時、天候は大雪だったが、元振は帳の前に立って烏質勒と語った。しばらくすると雪が深くなったが、元振は足を動かさない。烏質勒は老齢だった為、寒さに耐えきれず、会見が終わった後に卒した。
 烏質勒の子息の娑葛は兵を率いて元振を攻撃しようとした。副使の御史中丞解琬がこれを知り、元振へ夜逃げするよう勧めたが、元振は言った。
「我は誠心で人と接している。なんの疑懼するところもないぞ!それに、突騎施の領土深く入っているのだ。どこへ逃げることができようか!」
 そして、横になって動かなかった。
 翌朝、娑葛のもとへ出向き、とても哀しげに慟哭した。娑葛はその義に感動し、元振を従来通り遇した。
 戊戌、娑葛は嗢鹿州都督懐徳王を襲撃した。
 31安樂公主恃寵驕恣,賣官鬻獄,勢傾朝野。或自爲制敕,掩其文,令上署之;上笑而從之,竟不視也。自請爲皇太女,上雖不從,亦不譴責。
31.安楽公主は寵愛を恃んで驕慢放埒になった。金を貰えば官位も裁判の判決も売り、権勢は朝野を傾けた。ある時は自ら制や敕を書き、その文章を隠して上へ署名をねだった。上は笑ってこれに従い、文章を見ない。自ら皇太女になることを請うた。これには上も従わなかったが、譴責もしなかった。
景龍元年(丁未、七〇七)

 春,正月,庚戌,制以突厥默啜寇邊,命内外官各進平突厥之策。右補闕盧俌上疏,以爲:「郤縠悅禮樂,敦詩書,爲晉元帥;杜預射不穿札,建平呉之勳。是知中權制謀,不取一夫之勇。如沙吒忠義,驍將之材,本不足以當大任。又,鳴沙之役,主將先逃,宜正邦憲;賞罰既明,敵無不服。又,邊州刺史,宜精擇其人,使之蒐卒乘,積資糧,來則禦之,去則備之。去歳四方旱災,未易興師。當理内以及外,綏近以來遠,俟倉廩實,士卒練,然後大舉以討之。」上善之。
1.春、正月庚戌、突厥の黙啜が辺境を荒らすので、内外官へ突厥を平定する策を献上するよう制を降ろす。すると、右補闕の盧俌が上疏した。その大意は
「郤穀は礼楽を悦び詩書に敦く、晋の元帥となりました(春秋左氏伝の故事)。杜預の弓の腕は札を穿つこともできなかったのに、呉を平定する勲功を建てました。これは、軍略が優れていれば一夫の勇など要らないことを知っていたのです。沙吒忠義などは驍将の人材ですが、大任をこなすには役者不足でした。また、鳴沙の戦役では、主将が真っ先に逃げました。これを国法で裁き、賞罰を明確にすれば、敵は必ず服従します。また、辺州の刺史は、能力のある人間を選び抜いて、兵卒を訓練させ兵糧を備蓄させます。敵が来襲すれば拒み、去っていったら警備を厳重にします。去年、四方で旱災が起こったので、遠征軍を興すのは大変だからです。内を固めて外へ及ぼし、近くを懐ければ遠方は服従してくるとゆうのが、物の道理です。官庫が満ち、士卒が訓練されるのを待ってから、大挙してこれを討ちましょう。」
 上は、これを善しとした。
 二月,丙戌,上遣武攸曁、武三思詣乾陵祈雨。既而雨降,上喜,制復武氏崇恩廟及昊陵、順陵,因名鄷王廟曰褒德,陵曰榮先;又詔崇恩廟齋郎取五品子充。太常博士楊孚曰:「太廟皆取七品已下子爲齋郎,今崇恩廟取五品子,未知太廟當如何?」上命太廟亦準崇恩廟。孚曰:「以臣準君,猶爲僭逆,況以君準臣乎!」上乃止。
2.二月、丙戌、上は武攸曁、武三思を乾陵へ派遣して、雨を祈らせた。すると、雨が降ったので、上は喜び、武氏の祟恩廟と昊陵、順陵を復すよう制を降ろした。豊王廟を褒徳、陵を栄先と名付ける。
 また、祟恩廟齋郎は五品子から任命するよう詔した。すると、太常博士楊孚が言った。
「太廟は、皆、七品以下の子を齋郎としております。今、祟恩廟を五品子から任命すれば、太廟はどうすればよいのか判りません。」
 上は、太廟も又祟恩廟に準じるよう命じた。孚は言った。
「臣を以て君へ準じさせてさえ、なお、僭逆と為します。ましてや君を以て臣へ準じさせるのですか!」
 それで、上はこれを中止した。
 庚寅,敕改諸州中興寺、觀爲龍興,自今奏事不得言中興。右補闕權若訥上疏,以爲:「天、地、日、月等字皆則天能事,賊臣敬暉等輕紊前規;今削之無益於淳化,存之有光於孝理。又,神龍元年制書,一事以上,並依貞觀故事,豈可近捨母儀,遠尊祖德!」疏奏,手制褒美。
3.庚寅、諸州の中興寺、観を龍興と改称し、今後は奏事に「中興」の言葉を使わないよう勅が下った。すると右補闕の権若訥が上疏した。その大意は、
「天、地、日、月等の文字は皆、則天が新しく造りましたが、賊臣敬暉等が軽々しく元へ戻しました。今、それらの文字を削っても淳化には何の益もなく、そのまま使ったら孝理が光るというのに。又、神龍元年の制書で、全て貞観の故事に依るとありましたが、近き母を棄てて遠い祖徳を尊ぶとゆう理屈が、どこにありましょうか!」
 疏が上奏されると、上は自ら制を書いて、これを褒めた。
 三月,庚子,吐蕃遣其大臣悉薰熱入貢。
4.三月、庚子、吐蕃がその大臣悉薫熱を派遣して入貢した。
 夏,四月,辛巳,以上所養雍王守禮女金城公主妻吐蕃贊普。
5.夏、四月、辛巳、上は養っていた雍王守礼の娘の金城公主を吐蕃の贊普にめあわせた。
 五月,戊戌,以左屯衞大將軍張仁愿爲朔方道大總管,以備突厥。
6.五月、戊戌、左屯衛大将軍張仁愿を朔方大総管として、突厥に備えた。
 上以歳旱穀貴,召太府卿紀處訥謀之。明日,武三思使知太史事迦葉志忠奏:「是夜,攝提入太微宮,至帝座,主大臣宴見納忠於天子。」上以爲然。敕稱處訥忠誠,徹於玄象,賜衣一襲,帛六十段。
7.上は、旱害で穀物が高騰したので、太府卿紀處訥を呼び出して対策を講じた。
 翌日、武三思が知太史事迦葉志忠へ奏上させた。
「この夜、天文を観ると、摂提が太微宮へ入り、帝座へ至りました。大臣が天子へお目通りして忠義な策を納れたようです。」
 上は同意し、敕にて處訥の忠誠を称し、玄象にて徹し(?)、衣一襲と帛六十段を下賜した。
 六月,丁卯朔,日有食之。
8.六月、丁卯、日食が起こった。
 姚雟道討撃使、監察御史晉昌唐九徴撃姚州叛蠻,破之,斬獲三千餘人。
9.姚雟道討撃使、監察御史の晋昌の唐九徴が姚州の造反した蛮を攻撃して、これを破った。三千余人を斬獲した。
 10皇后以太子重俊非其所生,惡之;特進德靜王武三思尤忌太子。上官婕妤以三思故,毎下制敕,推尊武氏。安樂公主與駙馬左衞將軍武崇訓常陵侮太子,或呼爲奴。崇訓又教公主言於上,請廢太子,立己爲皇太女。太子積不能平。
  秋,七月,辛丑,太子與左羽林大將軍李多祚、將軍李思沖、李承況、獨孤禕、沙吒忠義等,矯制發羽林千騎兵三百餘人,殺三思、崇訓于其第,并親黨十餘人。又使左金吾大將軍成王千里及其子天水王禧分兵守宮城諸門,太子與多祚引兵自肅章門斬關而入,叩閤索上官婕妤。婕妤大言曰:「觀其意欲先索婉兒,次索皇后,次及大家。」上乃與韋后、安樂公主、上官婕妤登玄武門樓以避兵鋒,使右羽林大將軍劉景仁帥飛騎百餘人屯於樓下以自衞。楊再思、蘇瓌、李嶠與兵部尚書宗楚客、左衞將軍紀處訥擁兵二千餘人屯太極殿前,閉門自守。多祚先至玄武樓下,欲升樓,宿衞拒之。多祚與太子狐疑,按兵不戰,冀上問之。宮闈令石城楊思勗在上側,請撃之。多祚壻羽林中郎將野呼利爲前鋒總管,思勗挺刃斬之,多祚軍奪氣。上據檻俯謂多祚所將千騎曰:「汝輩皆朕宿衞之士,何爲從多祚反!苟能斬反者,勿患不富貴。」於是千騎斬多祚、承況、禕之、忠義,餘衆皆潰。成王千里、天水王禧攻右延明門,將殺宗楚客、紀處訥,不克而死。太子以百騎走終南山,至鄠西,能屬者纔數人,憩於林下,爲左右所殺。上以其首獻太廟及祭三思、崇訓之柩,然後梟之朝堂。更成王千里姓曰蝮氏,同黨皆伏誅。
  東宮僚屬無敢近太子尸者,唯永和縣丞甯嘉勗解衣裹太子首號哭,貶興平丞。
  太子兵所經諸門守者皆坐流;韋氏之黨奏請悉誅之,上更命法司推斷。大理卿宋城鄭惟忠曰:「大獄始決,人心未安,若復有改推,則反仄者衆矣。」上乃止。
  以楊思勗爲銀靑光祿大夫,行内常侍。癸卯,赦天下。
  贈武三思太尉、梁宣王,武崇訓開府儀同三司、魯忠王。安樂公主請用永泰公主故事,以崇訓墓爲陵。給事中盧粲駁之,以爲「永泰事出特恩,今魯王主壻,不可爲比。」上手敕曰:「安樂與永泰無異,同穴之義,今古不殊。」粲又奏:「陛下以膝下之愛施及其夫,豈可使上下無辨,君臣一貫哉!」上乃從之。公主怒,出粲爲陳州刺史。
  襄邑尉襄陽席豫聞安樂公主求爲太女,歎曰:「梅福譏切王氏,獨何人哉!」乃上書請立太子,言甚深切。太平公主欲表爲諫官。豫恥之,逃去。
10.皇后は、太子重俊が自分の生んだ子息ではないので、これを憎んでいた。特進徳静王武三思は、もっとも太子を忌んでいた。上官婕妤は三思が太子を忌んでいるので、制敕が下される度に、武氏を尊んだ。安楽公主と駙馬左衛将軍武祟訓はいつも太子を凌侮して、時には奴と呼んだ。祟訓は、又、公主へ太子を廃して自分を皇太女とするように上へ請うよう、教えた。これらのことが積もり重なって、太子は心が平静ではなくなった。
 秋、七月、辛丑、太子と左羽林大将軍李多祚、将軍李思沖、李承況、独孤禕之、沙吒忠義等が制を矯めて羽林千騎と兵三百余人を徴発し、第にて三思、祟訓始め親党十余人を殺した。又、左金吾大将軍成王千里及びその子天水王禧へ兵を分けて宮城の諸門を守らせた。
 太子と多祚は兵を率いて粛章門から関を斬って入る。そして閣を叩いて、上官婕妤を探した。婕妤は大声で言った。
 「奴等はまず婉児(上官婕妤の名)を探していますが、次は皇后を捜し、その次は大家(皇帝)へ及びますよ。」
 上と韋后、安楽公主、上官婕妤は玄武門の楼へ登って、兵を避けた。右羽林大将軍劉景仁が飛騎百余人を率いて楼下へ屯営し、自衛した。
 楊再思、蘇瓌、李嶠と兵部尚書宗楚客、左衛将軍紀處訥は兵二千人を擁して太極殿の前に屯営し、門を閉じて自ら守った。
 多祚が最初に玄武楼の下へ到着した。楼を登ろうとしたが、宿衛がこれを拒む。多祚と太子は狐疑して、兵を控えたままで戦わず、上が問いかけるのを冀った。
 宮闈令の石城の楊思勗が上の傍らにおり、これを攻撃するよう請うた。多祚の婿の羽林中郎将野呼利が前鋒総管だったが、思勗は刀を抜いてこれを斬った。多祚の軍兵達は戦意を奪われた。
 上は、檻俯へ據って多祚が率いる千騎へ言った。
「お前達は皆、朕の宿衛の士だ。なんで多祚へ従って造反するのか!造反者を斬った者は、富貴は思いのままだぞ。」
 すると千騎は多祚、承況、韋之、忠義を斬った。その余衆は、皆、潰滅した。
 成王千里、天水王禧は右延明門を攻撃してまさに宗楚客、紀處訥を殺そうとしたが、勝てずに死んだ。
 太子は百騎で終南山へ逃げた。鄠の西へ至った時、付いてきた者はわずか数人。早島下で休んでいる時に、左右から殺された。上は、その首を以て太廟及び三思、祟訓の柩に献じ、その後朝堂へ梟首した。
 成王千里の姓を蝮とし、一味の者は皆誅に伏した。
 東宮の僚属達は、誰も、あえて太子の屍へ近づこうとしなかったが、ただ永和県丞の甯嘉勗は衣を脱いで太子の首へ掛け、号泣した。おかげで興平丞へ降格された。
 太子の命令で諸門を守った兵は、全て有罪となって流された。韋氏の仲間達は彼等を悉く誅殺するよう請うたが、大理卿の宋城の鄭惟忠が言った。
「大獄の判決が降ったばかりで、人々はまだ不安がっています。ここで判決が翻されると、大勢の人間が動揺します。」
 上は、誅殺しなかった。
 楊思勗を銀青光禄大夫、行内常侍とした。
 癸卯、天下へ恩赦を下した。
 武三思へ太尉、梁宣王、武祟訓へ開府儀同三司、魯忠王を追贈した。安楽公主は永泰公主の故事に倣って、祟訓の墓を陵とするよう請うたが、給事中盧粲が反駁した。
「永泰の事例は、特別の御恩によるもので、常の礼ではありません。今、魯王は公主の婿です。これと並べてはいけません。」
 上は自ら敕した。
「安楽と永泰は異ならない。同穴の儀は、古今変わらないのだ。」
 だが、粲はまた言った。
「陛下は膝下への愛を、その夫へ施されますのか。上下の区別を付けなくて、どうして君臣の序列が保てましょうか!」
 上は、これに従った。
 公主は怒り、粲を陳州刺史として出させた。
 襄邑尉の襄陽の席豫は、安楽公主が皇太女となることを請うたと聞き、嘆いて言った。
「梅福が王氏を切に譏った(漢の成帝、永始三年の故事。巻三十一に記載)。だが、そんな人間が、どうして彼一人だけだろうか!」
 そして、上書して立太子を請うた。その言葉は、とても深切だった。
 太平公主は、この表を書いたものを諫官にしようとしたが、豫はこれを恥じて逃げ去った。
 11八月,戊寅,皇后及王公已下表上尊號曰應天神龍皇帝,改玄武門爲神武門,樓爲制勝樓。宗楚客又帥百官表請加皇后尊號曰順天翊聖皇后。上並許之。
11.八月、戊寅、皇后と王公以下が、上に「應天神龍皇帝」の尊号を献上し、玄武門を神武門、楼を制勝楼と改称するよう上表した。宗楚客は、また、百官を率いて皇后へ「順天翊聖皇后」の尊号を加えるよう請願した。
 上は、どちらも許した。
 12初,右臺大夫蘇珦治太子重俊之黨,囚有引相王者,珦密爲之申理,上乃不問。自是安樂公主及兵部尚書宗楚客日夜謀譖相王,使侍御史冉祖雍誣奏相王及太平公主,云「與重俊通謀,請收付制獄。」上召吏部侍郎兼御史中丞蕭至忠,使鞫之。至忠泣曰:「陛下富有四海,不能容一弟一妹,而使人羅織害之乎!相王昔爲皇嗣,固請於則天,以天下讓陛下,累日不食,此海内所知。奈何以祖雍一言而疑之!」上素友愛,遂寢其事。
  右補闕浚儀呉兢聞祖雍之謀,上疏,以爲:「自文明以來,國之祚胤,不絶如綫,陛下龍興,恩及九族,求之瘴海,升之闕庭。況相王同氣至親,六合無貳,而賊臣日夜連謀,乃欲陷之極法;禍亂之根,將由此始。夫任以權則雖疏必重,奪其勢則雖親必輕。自古委信異姓,猜忌骨肉,以覆國亡家者,幾何人矣。況國家枝葉無幾,陛下登極未久,而一子以弄兵受誅,一子以愆違遠竄,惟餘一弟朝夕左右,尺布斗粟之譏,不可不愼,靑蠅之詩,良可畏也。」
  相王寬厚恭謹,安恬好讓,故經武、韋之世,竟免於難。
12.かつて、右台大夫蘇珦が太子重俊の一味を糾明すると、相王の名を出す者が居た。珦は密かに上へ告げたが、上は不問とした。
 この頃、安楽公主が兵部尚書宗楚客と共に、相王を讒しようと日夜謀略を巡らせていた。とうとう彼等は、「相王と太平公主が重俊と通謀していました。どうか牢獄へ捕らえてください。」と、侍御史冉祖雍に誣奏させた。上が吏部侍郎兼御史中丞蕭至忠を召し出して詰問を命じた。すると至忠は泣いて言った。
「陛下は四海を全て領有しながら、一弟一妹さえも容れられず、他人へこれを害させようとなさいますのか!相王は昔皇嗣となりましたが、天下を陛下へ譲られるよう、則天へ固く請われ、何日も断食をなさいました。これは海内の全ての人間が知っています。それなのに、なんで祖雍の一言で疑われますのか!」
 上は元々友愛な人間だったので、ついに沙汰止みとなった。
 右補闕の浚儀の呉競は、祖擁の謀略を聞くと、上疏した。その大意は、
「文明以来、国の祚胤は糸のように絶えず、陛下が龍興するやその御恩は九族に及び、宗族を地の果てから探し出して闕庭へ昇らせました。いわんや相王は同気の至親、一心同体とも言うべき実の弟君です。それなのに、賊臣は日夜陰謀を繰り返し、彼を極法へ陥れようとしています。禍乱の根は、ここから始まります。権威を与えて任命すれば、疎遠な人間でも必ず重んじられますし、権勢を奪ってしまえば、親しい人間でも必ず軽んじられます。昔から異姓を信任して骨肉を猜忌し遂には国を滅ぼし家を亡したものが、幾人いたでしょうか。いわんや、国家の枝葉は多くはなく、陛下は登極されて日が浅く、しかも一子は兵を弄んで誅を受け、一子は素行悪くして遠流されたのです。ただ残りの一弟が朝夕左右にいて尺布斗粟の誹りを受けています。慎まなければなりません。青蠅の詩を畏れるべきでございます。」
 相王は寛厚謙謹、物静かで謙っていた。だから武、韋の世を経ても、ついに危難を免れたのだ。
 13初,右僕射、中書令魏元忠以武三思擅權,意常憤鬱。及太子重俊起兵,遇元忠子太僕少卿升於永安門,脅以自隨,太子死,并爲亂兵所殺。元忠揚言曰:「元惡已死,雖鼎鑊何傷!但惜太子隕沒耳。」上以其有功,且爲高宗、武后所重,故釋不問。兵部尚書宗楚客、太府卿紀處訥等共證元忠,云「與太子通謀,請夷其三族。」制不許。元忠懼,表請解官爵,以散秩還第。丙戌,上手敕聽解僕射,以特進、齊公致仕,仍朝朔望。
13.かつて、右僕射、中書令魏元忠は、武三思が専横を振るっていたので、いつも憤鬱としていた。太子重俊が起兵するに及んで、元忠の子息の太僕少卿升と永安門で遭い、脅して自分に従わせた。太子が死ぬと、兵乱の中で升は殺された。
 元忠は広言した。
「元悪が死んだのだ。たとえ鼎で茹でられようとも、何で痛もうか!ただ惜しむのは、太子が没されたことだけだ!」
 上は、元忠に功績があり、また、高宗、武后から重んじられていたので、赦して不問に処していた。だが、兵部尚書宗楚客、太府卿紀處訥が共に証言した。
「元忠は太子と通謀していました。どうか三族を誅殺してください。」
 制して許さなかった。
 元忠は懼れ、官爵を解いて秩禄も第も返上すると上表して請うた。
 丙戌、上は自ら敕を書き、僕射を解任して、特進、斉公のまま辞職することを許した。また、朔と望のみには朝廷へ参内させた。
 14九月,丁卯,以吏部侍郎蕭至忠爲黄門侍郎,兵部尚書宗楚客爲左衞將軍,兼太府卿紀處訥爲太府卿,並同中書門下三品;中書侍郎、同中書門下三品于惟謙罷爲國子祭酒。
14.九月、丁卯、吏部侍郎蕭至忠を黄門侍郎、兵部尚書宗楚客を左衛将軍、兼太府卿紀處訥を太府卿として、全員を同中書門下三品とした。中書侍郎、同中書門下三品于惟謙が、やめて国子祭酒となった。
 15庚子,赦天下,改元。
15.庚子、天下へ恩赦を下し、改元した。
 16宗楚客等引右衞郎將姚廷筠爲御史中丞,使劾奏魏元忠,以爲:「侯君集社稷元勳,及其謀反,太宗就羣臣乞其命而不得,竟流涕斬之。其後房遺愛、薛萬徹、齊王祐等爲逆,雖復懿親,皆從國法。元忠功不逮君集,身又非國戚,與李多祚等謀反,男入逆徒,是宜赤族汚宮。但有朋黨飾辭營救,以惑聖聽,陛下仁恩,欲掩其過。臣所以犯龍鱗、忤聖意者,正以事關宗社耳。」上頗然之。元忠坐繋大理,貶渠州司馬。
  宗楚客令給事中冉祖雍奏言:「元忠既犯大逆,不應出佐渠州。」楊再思、李嶠亦贊之。上謂再思等曰:「元忠驅使日久,朕特矜容,制命已行,豈宜數改!輕重之權,應自朕出。卿等頻奏,殊非朕意!」再思等惶懼拜謝。
  監察御史袁守一復表彈元忠曰:「重俊乃陛下之子,猶加昭憲;元忠非勳非戚,焉得獨漏嚴刑!」甲辰,又貶元忠務川尉。
  頃之,楚客又令袁守一奏言:「則天昔在三陽宮不豫,狄仁傑奏請陛下監國,元忠密奏以爲不可,此則元忠懷逆日久,請加嚴誅!」上謂楊再思等曰:「以朕思之,人臣事主,必在一心;豈有主上小疾,遽請太子知事!此乃仁傑欲樹私恩,未見元忠有失。守一欲借前事以陷元忠,其可乎!」楚客乃止。
  元忠行至涪陵而卒。
16.宗楚客等が、右衛郎将姚延筠を御史中丞へ引き上げ、魏元忠を弾劾させた。
「侯君集は社稷の元勲でした。彼が造反するに及び、太宗は群臣へ命乞いをしましたが、認められず、泪を流してこれを斬りました。その後、房遺愛、薛萬徹、斉王祐等が造反し、親しい間柄とはいえ、皆、国法に従いました。元忠の功績は、君集ほどではありませんし、その身も又、国戚ではありません。彼は李多祚等と共に造反を謀り、息子は逆徒となり赤族が宮殿を汚したのです。ただ、彼には朋党がおり、言葉を飾って彼の行動を救い、聖聴を惑わして陛下の仁恩をあてこんで、その過失を覆いました。それでも臣が逆鱗を犯し聖意に逆らってまでこのようなことを申し述べますのは、実にこの事件が宗廟社稷に関わっているからなのです。」
 上は深く同意した。元忠は罪によって大理に繋がれ、 州司馬へ落とされた。
 宗楚客は、給事中冉祖雍に上奏させた。
「元忠は大逆を犯したのです。 州の補佐役に出すのでは、相応しくありません。」
 楊再思、李嶠もまた、これに賛同した。すると、上は再思等へ言った。
「元忠は長い間仕えてくれた。だから朕は特に容赦したのだ。制は既に降りた。どうして何度も改められようか!軽重の権は朕にある。卿等が何度も上奏するのは、実に不愉快だ!」
 再思等は、恐惶して拝謝した。
 監察御史袁守一がふたたび元忠を上表して弾劾した。
「重俊は陛下のご子息ですのに、なお、厳正な裁きを下されました。元忠は勲臣でもなく国戚でもないのに、彼一人厳刑から洩れるのですか!」
 甲辰、元忠をふたたび降格して務川尉とした。
 この頃、楚客がふたたび袁守一へ上奏させた。
「昔、則天が三陽宮で危篤となった時、狄仁傑は上奏して陛下を監国とするよう請いましたが、元忠が不可と密奏したのです。これは元忠がかねてから逆心を持っていたという事です。どうか厳誅を加えてください!」
 上は楊再思等へ言った。
「朕はこの事をよく考えてみたが、人臣が主君へ仕えるときには、二心を持ってはならない。主上が少し病気になったからといって、速やかに太子へ全権を任せるよう請うということが、どうしてあるだろうか!これは仁傑が私恩を掛けようとしただけで、元忠の過失とは言えない。守一は前事を借りて元忠を陥れようとしているのだ。それが赦されるのか!」
 これで、楚客等の讒言が止んだ。
 元忠は涪陵まで行って、卒した。
 17銀靑光祿大夫、上庸公、聖善・中天・西明三寺主慧範於東都作聖善寺,長樂坡作大像,府庫爲之虚耗。上及韋后皆重之,勢傾内外,無敢指目者。戊申,侍御史魏傳弓發其姦贓四十餘萬,請寘極法。上欲宥之,傳弓曰:「刑賞國之大事,陛下賞已妄加,豈宜刑所不及!」上乃削黜慧範,放于家。
  宦官左監門大將軍薛思簡等有寵於安樂公主,縱暴不法,傳弓奏請誅之,御史大夫竇從一懼,固止之。時宦官用事,從一爲雍州刺史及御史大夫,誤見訟者無須,必曲加承接。
17.上青光禄大夫、上庸公、聖善・中天・西明三寺主恵範が、東都へ聖善寺を作り、長楽坡へ大像を作り、これらの為に府庫が虚耗した。上も韋后も彼を重んじていたので、彼の権勢は内外を傾け、敢えて指さす者はいなかった。
 戊申、侍御史魏傅弓が彼の四十余万の収賄を摘発し、極法へ当てるよう請うた。上は宥めようとしたが、傅弓は言った。
「刑賞は国の大事です。陛下は既に、賞を妄りに加えました。とうして刑を及ばさずにいられましょうか!」
 上は恵範を削黜し、家へ放った。
 宦官の左監門大将軍薛思簡等は安楽公主から寵愛されていたので、横暴で法をなみしていた。傅弓がこれを誅するよう上奏して請おうとしたら、御史大夫竇従一がこれを固く止めた。従一は雍州刺史及び御史大夫となっていたが、髭がない者が訴訟するのを見ると、必ず情実を加えた。
 18以楊再思爲中書令,韋巨源、紀處訥並爲侍中。
18.楊再思を中書令とし、韋巨源、紀處訥と共に侍中とする。
 19壬戌,改左、右羽林千騎爲萬騎。
19.壬戌、左、右の羽林千騎を、万騎に改めた。
 20冬,十月,丁丑,命左屯衞將軍張仁愿充朔方道大總管,以撃突厥。比至,虜已退,追撃,大破之。
20.冬、十月、丁丑、左屯衛将軍張仁愿を朔方道大総管として、突厥を攻撃させた。
 ここにいたって、虜は撤退した。これを追撃して大いに破った。
 21習藝館内教蘇安恆,矜高好奇,太子重俊之誅武三思也,安恆自言「此我之謀」。太子敗,或告之;戊寅,伏誅。
21.習芸館内教蘇安恒は、プライドが高く、奇を好んだ。太子重俊が武三思を誅すると、安恒は自ら言った。
「これは、吾の立てた謀略だ。」
 太子が敗北すると、ある者がこれを告発した。
 戊寅、誅に伏した。
 22十二月,乙丑朔,日有食之。
22.十二月、乙丑朔、日食が起こった。
 23是歳,上遣使者分道詣江、淮贖生。中書舍人房子李乂上疏諫曰:「江南郷人采捕爲業,魚鼈之利,黎元所資。雖雲雨之私有霑於末利;而生成之惠未洽於平人。何則?江湖之饒,生育無限,府庫之用,支供易殫。費之若少,則所濟何成!用之儻多,則常支有闕。在其拯物,豈若憂人!,且鬻生之徒,惟利是視,錢刀日至,網罟年滋,施之一朝,營之百倍。未若廻救贖之錢物,減貧無之傜賦,活國愛人,其福勝彼。」
23.江、淮の人間は魚や鼈を捕って暮らしていた。上は彼等が生き物を傷つけているので、この年、江、淮へ使者を派遣して、それらの生物を金を出して買い取らせた。中書舎人の房子の李乂が諫めた。
「江南の郷人は漁業を生業としており、魚鼈の利は人民の資産です。雲雨の私恩は末利を潤していますが、生成の恵みはまだ人々へ和らいでおりません。何故でしょうか?それは、江湖の饒が無限なのに対して、府庫の財産には限りがあるからです。彼等へ支払う金が少なければ、支給したところで何の役に立ちましょうか!多くの金を支払ったなら、財政は常に不足します。物を救って人を苦しませるようなことが、どうしてありましょうか!それに、漁師達はただ利益だけしか考えませんから、金が貰えるのなら網を投げ入れる人間は益々増えます。一朝施したら、その百倍は漁夫が増えます。彼等を救う為に物を銭で贖うのなら、むしろ貧しい人々の徭役を減らした方が効果的です。国を生かし人を愛することでは、その福は今のやり方に勝ります。」

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