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翻訳者: 渡邊 省
校訂者:────
資治通鑑巻第一百九十二
 唐紀八
  高祖神堯大聖光孝皇帝下之下
武德九年(丙戌、六二六)

 九月,突厥頡利獻馬三千匹,羊萬口;上不受,但詔歸所掠中國戸口,徴温彦博還朝。
  丁未,上引諸衞將卒習射於顯德殿庭,諭之曰:「戎狄侵盜,自古有之,患在邊境少安,則人主逸游忘戰,是以寇來莫之能御。今朕不使汝曹穿池築苑,專習弓矢,居閒無事,則爲汝師,突厥入寇,則爲汝將,庶幾中國之民可以少安乎!」於是日引數百人教射於殿庭,上親臨試,中多者賞以弓、刀、帛,其將帥亦加上考。羣臣多諫曰:「於律,以兵刃至御在所者絞。今使卑碎之人張弓挾矢於軒陛之側,陛下親在其間,萬一有狂夫竊發,出於不意,非所以重社稷也。」韓州刺史封同人詐乘驛馬入朝切諫。上皆不聽,曰:「王者視四海如一家,封域之内,皆朕赤子,朕一一推心置其腹中,奈何宿衞之士亦加猜忌乎!」由是人思自勵,數年之間,悉爲精鋭。
  上嘗言:「吾自少經略四方,頗知用兵之要,毎觀敵陳,則知其強弱,常以吾弱當其強,強當其弱。彼乘吾弱,逐奔不過數十百歩,吾乘其弱,必出其陳後反撃之,無不潰敗,所以取勝,多在此也。」
1.九月、突厥の頡利が馬三千匹、羊一万口を献上したが、上は受けなかった。(この年の八月に即位してから、「上」とゆうのは太宗皇帝を指す。)ただ、中国の民間から掠奪したものと、温彦博だけは返すよう、詔を下した。
 丁未、上は諸衞将卒を率いて顕徳殿にて射撃の練習を行い、彼等を諭して言った。
「戎狄の来寇は、古来からあった。だが、辺境が少し安寧になると、人主は戦争を忘れて逸楽に流れる。だから、戎狄の来寇を防ぐことができないのだ。今、朕はお前達へ池を掘らせたり砦を築かせたりせずに、弓矢の習得に専念させている。無事なときは汝等を師とし、突厥が入寇したら汝等を将とするならば、中国の民も少しは安んじることができよう!」
 ここにおいて、毎日数百人を選んで殿庭にて射撃を教えた。上は自らこれを御覧になり、的中数の多い者へは褒賞として弓、刀、帛などを賜り、将帥は進級させた。大勢の群臣達が、これを諫めて言った。
「律では、陛下の近くで武器を持っているものは絞首刑となっています。今、身分賤しい者達が弦を張った弓を挟んで陛下の側におります。陛下が彼等の間を廻っているときに、もしも酔狂者が馬鹿な真似をしでかしたらどうなりましょう。社稷を軽く扱う行いでございます。」
 韓州刺史封同人は、急用と誤魔化して駅馬を使ってまで上京し、入朝して切に諫めた。しかし、上はすべて聞かずに、言った。
「王は四海を家族同然に見る者だ。この国内は、皆、朕の赤子だ。朕は一々誠意を推して腹中に置いている。なんで、宿衛の士へ猜忌を加えられようか!」
 この一件で人々は自ら激励し、数年の間に悉く精鋭になった。
上は、かつて言った。
「我は若い頃から四方を経略し、どうにか用兵の要点は知った。敵陣を見るごとに、その強弱を知り、常に我が弱い部隊を敵の強い部隊にぶつけ、我の強い部隊を敵の弱い部隊にぶつけるようにしている。敵が、我等の弱味に乗じても、数十百歩前進するのが関の山。だが、我等が敵の弱味に乗じれば、必ず敵の陣後に出て反転し、敵陣を背後から撃つ。そうすれば、潰れ去らない敵はいない。我等は、大半がこの手で勝ってきたのだ。」
 己酉,上面定勳臣長孫無忌等爵邑,命陳叔達於殿下唱名示之,且曰:「朕敍卿等勳賞或未當,宜各自言。」於是諸將爭功,紛紜不已。淮安王神通曰:「臣舉兵關西,首應義旗,今房玄齡,杜如晦等專弄刀筆,功居臣上,臣竊不服。」上曰:「義旗初起,叔父雖首唱舉兵,蓋亦自營脱禍。及竇建德呑噬山東,叔父全軍覆沒;劉黑闥再合餘燼,叔父望風奔北。玄齡等運籌帷幄,坐安社稷,論功行賞,固宜居叔父之先。叔父,國之至親,朕誠無所愛,但不可以私恩濫與勳臣同賞耳!」諸將乃相謂曰:「陛下至公,雖淮安王尚無所私,吾儕何敢不安其分。」遂皆悅服。房玄齡嘗言:「秦府舊人未遷官者,皆嗟怨曰:『吾屬奉事左右,幾何年矣,今除官,返出前宮、齊府人之後。』」上曰:「王者至公無私,故能服天下之心。朕與卿輩日所衣食,皆取諸民者也。故設官分職,以爲民也,當擇賢才而用之,豈以新舊爲先後哉!必也新而賢,舊而不肖,安可捨新而取舊乎!今不論其賢不肖而直言嗟怨,豈爲政之體乎!」
2.己酉、上が、長孫無忌等勲臣の爵邑を、面談で定めた。陳叔達へ、殿下にて名を唱えてこれを示すよう命じ、かつ、言った。
「朕が卿等へ叙勲褒賞するのに、まだ洩れたところがあるかも知れない。それは、各自申し出るように。」
 おかげで、諸将は功績を争い、紛々と騒がしくなった。
 淮安王神通が言った。
「臣は関西で挙兵して義旗に真っ先に呼応した。今、房玄齢、杜如晦等はただ文書を弄ぶだけなのに、その位は功臣達の上にいる。納得できないな。」
 上は言った。
「義旗を起こした時、叔父は確かに最初に呼応しましたが、それは自分の禍から逃れるためでもあったのです。竇建徳が山東を占領した時には叔父の軍は全滅しましたし、劉黒闥が余党を集めて再興した時には叔父は尻に帆掛けて逃げました。玄齢等は帳幄の中で謀略を巡らせ坐して社稷を安んじました。論功行賞では、叔父の上に立つのが当然です。叔父は国の至親で、朕も誠に情愛を禁じ得ませんが、私恩を以てみだりに勲臣と同じ賞を与えることはできません!」
 これを聞いて、諸将は互いに語り合った。
「陛下は実に公正だ。淮安王へ対してでさえも贔屓をしなかった。我等も必ず分け前にあずかれるぞ。」
 ついに、皆は悦び服した。
 房玄齢が、かつて言った。
「古くから秦府に仕えていながら官位が昇進しなかった者達が、皆、怨嗟して言い合っています。『我等は側近くに仕えて幾年にもなる。それなのに、今の官位は却って斉府からの新参者達にも劣るではないか!』と。」
 しかし、上は言った。
「王は至公無私だからこそ、天下の心が服従するのだ。朕や卿等が毎日消費している衣食は、皆、諸民から取ったものなのだ。だから、官を設け職を分けて民の為に政務を執るのだ。常に賢才から先に登庸していかなければならない。なんで新旧などで後先を決めて良いものか!新参で賢人と古株で不肖の者が居たなら、なんで新参を棄てて古株を取れようか!賢不肖を論じもしないで怨嗟のみを直言するなど、政治の礼ではないぞ!」
 詔:「民間不得妄立妖祠。自非卜筮正術,其餘雜占,悉從禁絶。」
3.詔が降りた。「民間に、妄りに妖祠を立ててはならない。また、卜筮の正術ではない、その他の雑占は、悉く禁じる。」
 上於弘文殿聚四部書二十餘萬卷,置弘文館於殿側,精選天下文學之士虞世南、褚亮、姚思廉、歐陽詢、蔡允恭、蕭德言等,以本官兼學士,令更日宿直,聽朝之隙,引入内殿,講論前言往行,商榷政事,或至夜分乃罷。又取三品已上子孫充弘文館學士。
4.上が弘文殿に四部書二十余万巻を集めた。殿側に弘文館を設置し、天下の文学の士虞世南、猪褚亮、姚思廉、欧陽詢、蔡允恭、蕭徳言等を精選して、本官はそのままに学士を兼任させ、毎日交代で詰めさせた。朝廷での政務の合間に内殿へ引き入れ、先人の言動や商榷政事について講論させ、時にはそれが夜中まで続いた。
 また、三品以上の子孫を取って弘文館学士とした。
 冬,十月,丙辰朔,日有食之。
5.冬、十月。丙辰朔、日食が起こった。
 詔追封故太子建成爲息王,謚曰隱;齊王元吉爲剌王,以禮改葬。葬日,上哭之於宜秋門,甚哀。魏徴、王珪表請陪送至墓所,上許之,命宮府舊僚皆送葬。
6.詔がおり、太子建成を息王に追封し、諡を隠とした。斉王元吉は、刺王とし、それぞれ太子や王の礼で改葬する。葬儀の日、上は宣秋門で非常に哀しげに哭いた。
 魏徴と王珪が、墓所まで陪送することを表請すると、上はこれを許し、宮府の旧僚達は皆、送葬するよう命じた。
 癸亥,立皇子中山王承乾爲太子,生八年矣。
7.癸亥、皇子中山王承乾を太子に立てた。御年八才。
 庚辰,初定功臣實封有差。
8.庚辰、功臣の実封を定めた。功労によって、それぞれ差がある。
 初,蕭瑀薦封德彝於上皇,上皇以爲中書令。及上即位,瑀爲左僕射,德彝爲右僕射。議事已定,德彝數反於上前,由是有隙。時房玄齡、杜如晦新用事,皆疏瑀而親德彝,瑀不能平,遂上封事論之,辭指寥落,由是忤旨。會瑀與陳叔達忿爭於上前,庚辰,瑀、叔達皆坐不敬,免官。
9.初め、蕭瑀が封徳彝を上皇へ推薦した。上皇はこれを中書令とした。
 上が即位すると、瑀は左僕射、徳彝は右僕射となった。議事の時には、徳彝は屡々瑀へ反論した。これによって、二人の間に溝ができた。
 この時、房玄齢、杜如晦が寵用されはじめたが、彼等は徳彝へ加担して瑀を疎んじた。瑀は平静でいられず、ついに封書を上へ提出し、これを論じた。その指摘した内容は閑散としたものだったので、上は瑀へ不快感を持った。やがて、瑀が陳叔達と上の前で忿争した。庚辰、瑀と叔達は不敬罪に当たるとして、官職を罷免された。
 10甲申,民部尚書裴矩奏「民遭突厥暴踐者,請戸給絹一匹。」上曰:「朕以誠信御下,不欲虚有存恤之名而無其實,戸有大小,豈得雷同給賜乎!」於是計口爲率。
10.甲申、民部尚書裴矩が上奏した。
「突厥の略奪暴行にあった民へ、一戸当たり絹一匹を給賜いたしましょう。」
 上は言った。
「朕は真実、御下を信頼しているが、いたずらに撫恤の虚名を取ろうとは思わない。戸には大小有るのに、どうして一律の給賜で済まされようか!」
 そこで、戸ごとの人間の数に合わせて給賜することにした。
 11初,上皇欲強宗室以鎭天下,故皇再從、三從弟及兄弟之子,雖童孺皆爲王,王者數十人。上從容問羣臣:「徧封宗子,於天下利乎?」封德彝對曰:「前世唯皇子及兄弟乃爲王,自餘非有大功,無爲王者。上皇敦睦九族,大封宗室,自兩漢以來未有如今之多者。爵命既崇,多給力役,恐非示天下以至公也!」上曰:「然。朕爲天子,所以養百姓也,豈可勞百姓以養己之宗族乎!」十一月,庚寅,降宗室郡王皆爲縣公,惟有功者數人不降。
11.当初、上皇は宗室を強くして天下を鎮定しようと考えていた。だから、故皇の再従や三従弟まで王に封じた。ましてや自分の兄弟の子息なら童子でも王に封じたので、王が数十人も生まれた。
 上は、暇な折に群臣へ尋ねた。
「宗室の子ばかりを封じるとゆうのは、天下の利かな?」
 すると、封徳彝が言った。
「前世では、ただ皇子と兄弟だけを王に封じ、それ以外は大功がなければ王になれませんでした。上皇は九族に敦く睦まれましたので、宗室を大勢封じました。両漢以来、こんなに多いことはありません。 爵命は尊いものですから、たくさんの人間を労役として与えなければなりません。これは、天下へ至公を示すことになりませんぞ!」
 上は言った。
「その通りだ。朕が天子となって百姓を養っているのは、我が宗族を百姓へ養わさせる為ではないのだ!」
 十一月、庚寅、宗室の郡王を、すべて県公へ降格した。ただ、功績有る数人のみは例外的に降格しなかった。
 12丙午,上與羣臣論止盜。或請重法以禁之,上哂之曰:「民之所以爲盜者,由賦繁役重,官吏貪求,饑寒切身,故不暇顧廉恥耳。朕當去奢省費,輕徭薄賦,選用廉吏,使民衣食有餘,則自不爲盜,安用重法邪!」自是數年之後,海内升平,路不拾遺,外戸不閉,商旅野宿焉。
  上又嘗謂侍臣曰:「君依於國,國依於民。刻民以奉君,猶割肉以充腹,腹飽而身斃,君富而國亡。故人君之患,不自外來,常由身出。夫欲盛則費廣,費廣則賦重,賦重則民愁,民愁則國危,國危則君喪矣。朕常以此思之,故不敢縱欲也。」
12.丙午、上と群臣が、盗賊の根絶について論じた。ある者は、罰を重くして禁じようと請うたが、上は微笑して言った。
「民が盗賊になるのは、賦役が頻繁で重く、官吏が貪欲に奪い、飢えと寒さに切羽詰まって廉恥心に構っていられなくなったからだ。朕は奢侈を省いて費用を抑え、労役を薄くし、廉潔な官吏を登庸するつもりだ。民が衣食に余裕を持てるようになれば、盗賊にならずとも済む。なんで法を重くする必要が有ろうか!」
 これより数年の後、海内は平和で物資が溢れるようになり、民は道に落ちているものを拾わず、外出する時に戸締まりの必要もなく、行商人は安心して野宿ができるようになった。
 上はまた、侍臣へ言った事がある。
「主君は国に依り、国は民に依る。民から搾り取って主君へ奉仕するのは、自分の肉を削いで食べるようなものだ。腹は満ちるが身は倒れ、主君は富んで国が滅びる。だから人君の患いは外から来るのではなく、常に自分自身から出るのだ。だいたい、盛大にしようとすれば費用がかさみ、費用がかさめば賦が重くなり、賦が重くなれば民は堪らなくなり、民が堪らなくなれば国は危うくなり、国が危うくなれば主君は全てを失う。朕は常にこれを思う。だから、放埒にならないようにしているのだ。」
 13十二月,己巳,益州大都督竇軌奏稱獠反,請發兵討之。上曰:「獠依阻山林,時出鼠竊,乃其常俗;牧守苟能撫以恩信,自然帥服,安可輕動干戈,漁獵其民,比之禽獸,豈爲民父母之意邪!」竟不許。
13.十二月、己巳、益州大都督竇軌が、獠が叛乱を起こしたと上奏し、兵を発して討伐することを請願した。すると、上は言った。
「獠は、険阻な山林に住み、時々鼠が窺うように出てくるが、これは彼等の風俗だ。牧守が恩信で慰撫すれば、自然に服従する。なんで軽々しく干戈を動かしてその民を狩り立てて良いものか。これは彼等を禽獣扱いするもので、民の父母の心に悖るぞ!」
 ついに許さなかった。
 14上謂裴寂曰:「比多上書言事者,朕皆粘之屋壁,得出入省覽,毎思治道,或深夜方寢。公輩亦當恪勤職業,副朕此意。」
  上厲精求治,數引魏徴入臥内,訪以得失;徴知無不言,上皆欣然嘉納。上遣使點兵,封德彝奏:「中男雖未十八,其軀幹壯大者,亦可并點。」上從之。敕出,魏徴固執以爲不可,不肯署敕,至于數四。上怒,召而讓之曰:「中男壯大者,乃姦民詐妄以避征役,取之何害,而卿固執至此!」對曰:「夫兵在御之得其道,不在衆多。陛下取其壯健,以道御之,足以無敵於天下,何必多取細弱以增虚數乎!且陛下毎云:『吾以誠信御天下,欲使臣民皆無欺詐。』今即位未幾,失信者數矣!」上愕然曰:「朕何爲失信?」對曰:「陛下初即位,下詔云:『逋負官物,悉令蠲免。』有司以爲負秦府國司者,非官物,徴督如故。陛下以秦王升爲天子,國司之物,非官物而何!又曰:『關中免二年租調,關外給復一年。』既而繼有敕云:『已役已輸者,以來年爲始。』散還之後,方復更徴,百姓固已不能無怪。今既徴得物,復點爲兵,何謂來年爲始乎!又陛下所與共治天下者在於守宰,居常簡閲,咸以委之;至於點兵,獨疑其詐,豈所謂以誠信爲治乎!」上悅曰:「曏者朕以卿固執,疑卿不達政事,今卿論國家大體,誠盡其精要。夫號令不信,則民不知所從,天下何由而治乎!朕過深矣!」乃不點中男,賜徴金甕一。
  上聞景州録事參軍張玄素名,召見,問以政道,對曰:「隋主好自專庶務,不任羣臣;羣臣恐懼,唯知稟受奉行而已,莫之敢違。以一人之智決天下之務,借使得失相半,乖謬已多,下諛上蔽,不亡何待!陛下誠能謹擇羣臣而分任以事,高拱穆清而考其成敗以施刑賞,何憂不治!又,臣觀隋末亂離,其欲爭天下者不過十餘人而已,其餘皆保郷黨、全妻子,以待有道而歸之耳。乃知百姓好亂者亦鮮,但人主不能安之耳。」上善其言,擢爲侍御史。
  前幽州記室直中書省張蘊古上大寶箴,其略曰:「聖人受命,拯溺亨屯,故以一人治天下,不以天下奉一人。」又曰:「壯九重於内,所居不過容膝;彼昏不知,瑤其臺而瓊其室。羅八珍於前,所食不過適口;惟狂罔念,丘其糟而池其酒。」又曰:「勿沒沒而闇,勿察察而明,雖冕旒蔽目而視於未形,雖黈纊塞耳而聽於無聲。」上嘉之,賜以束帛,除大理丞。
14.上が裴矩へ言った。
「上書が多い時は、出入りする時にでも読めるように、壁へ張り付けている。治道を思っているうちに、深夜まで起きていることも屡々だ。公輩は朕のこの想いに沿えるように、それぞれ職務に精励せよ。」
 上は善政を布く事に励むあまり、時々魏徴を寝所まで引き込んで、得失を訊ねた。徴は知っていることは一つも隠さない。上は、皆、喜んで嘉納した。
 上が徴兵のために使者を派遣しようとすると、封徳彝が上奏した。
「中男は十八才未満ですが、体の大きい者は徴発しても宜しいかと思います。」
 上はこれに従った。
 だが、この敕が出ても、魏徴は不可と固執して譲らず、敕が四回出ても署名しなかった。上は怒り、これを呼び出して詰った。
「中男で体が大きいとゆうのは、姦民が徴兵を逃れるために戸籍を誤魔化しているのだ。それを徴発して何の害があるか。卿はなんでここまで固執するのだ!」
 対して、徴は答えた。
「兵は、統制する方法をわきまえることが肝腎なのです。大勢いればよいのではありません。陛下が壮健な者だけを徴発して道を以て操ったならば、天下無敵です。なんで細弱者まで徴発して兵力を水増しする必要がありましょうか!それに、陛下はいつも言われているではありませんか。『我は、誠信で天下へ対する。臣民も全て詐欺を働かないようにしたいものだ。』と。今、即位して時も経たないのに、信義を幾つも失っていますぞ!」
 上は、愕然として言った。
「朕が、どうして信義を失うのか?」
 対して言う、
「陛下が即位された時、下詔なさいました。『国の税金を滞納している者が居ても、全て免除してやろう。』ところがある役人は、秦府国司の税金を滞納している者へ対して、『これは国の税金ではないから該当しない』として、従来通り督促しました。しかし、陛下は秦王から天子へ昇進なさったのです。秦国司のものが国のものでなくて一体何でしょうか!
 また、言われました。『関中の祖と調は二年間免除し、関外は一年給復する』と。そして、後に敕を出されました。『既に税を納入したり、服役した者へ関しては、来年から始めよ。』おかげで役人達は、返還していた祖や調を民から再び徴収しました。これでは百姓は怪しまずにはいられません。今、既に徴発しましたのに、さらに今度は徴兵します。どうして来年から始めると言えるのですか!
 また、陛下と共に天下を治めるのは、太守や宰相であります。通常はその書簡を閲覧するとき、彼等へ業務を委任しておりますのに、徴兵に関してのみ彼等が偽っていると疑われる。これで誠信で治めていると言えましょうか!」
 上は悦んで言った。
「卿が固執しているのを見て、朕は、卿が政治に精通していないのではないかと疑ったのだ。だが、今、卿が論じた国家の大礼は、まことにその精要を尽くしている。それ、号令に信義がなければ、民は何に従って良いか判らない。それでどうして天下が治められようか!朕の過は深いか!」
 そして中男の徴発を中止し、徴へ金を甕一つ賜下した。
 上は、景州録事参軍張玄素の名声を耳にしていた。召し出して政治の道について訊ねたところ、彼は言った。
「隋主は、自分で万機を行い、群臣へ委任しませんでした。群臣は恐懼してただ手先に使われるだけで、敢えて異議を唱える者は居ませんでした。一人の智で天下の務めを決裁しては、狩りに得失が半々だとしても、過ちは数多く起こります。それなのに下の者は上へ追従してそれを覆い隠します。これでは滅びずには済みません!
 陛下が、まことに謹んで群臣を選び仕事を分け与えて委任し、陛下自身は心を清くして高みから検分しその結果を見て賞罰を施せば、なんで治まらぬ事がありましょうか!
 また、臣は隋末の乱世を観ましたが、天下を欲して争う者は、たかが十余人に過ぎませんでした。その他の者は故郷を保ち妻子を全うし、帰順するべき有道の君を待っていたのです。それを観て臣は、乱世を好む百姓が少ない事を知ったのです。それでも天下が乱れたのは、人主が彼等を安寧にさせなかったのです。」
 上はその言葉を善として、侍御史へ抜擢した。
 前の幽州記室中書省張蘊古が大寶箴を作成して献上した。その一節に言う。
「聖人は、溺れるものを救い行き詰まった者を解放する為に、天命を受けるのである。だから、一人で以て天下を治めるのであり、天下で以て一人に奉仕するのではない。」
 また言う、
「居城を壮麗な九重にしたところで、膝を入れるだけの場所にしか居れないのだ。それなのに昏迷で道理を知らない者は楼台や宮室を立派な宝玉で飾り立てる。目の前に八珍のご馳走を並べ立てても、腹に満ちるだけしか食べられない。だが狂乱で考えのない暴君は、酒粕で丘を造り酒で池を満たす。」
 また言う、
「没々と暗いことがあってはならないが、察々と煩わしく細かいアラを探し明哲と誇ってはならない。君主の冠には、その明哲さを覆い隠す為に前後に紐が垂れ下がっているが、形がハッキリと現れる前に物事を見通さなければならない。また、黄色の綿を玉にして冠の両辺にかけて耳を塞いでいるが、人の言語音声が出る前によく聴かなければならない。」
 上はこれを嘉し、束帛を賜下し、大理丞に任命した。
 15上召傅奕,賜之食,謂曰:「汝前所奏,幾爲吾禍。然凡有天變,卿宜盡言皆如此,勿以前事爲懲也。」上嘗謂奕曰:「佛之爲教,玄妙可師,卿何獨不悟其理?」對曰:「佛乃胡中桀黠,誑耀彼土。中國邪僻之人,取莊、老玄談,飾以妖幻之語,用欺愚俗。無益於民,有害於國,臣非不悟,鄙不學也。」上頗然之。
15.上は傅奕を召して食事を賜り、言った。
「汝が前に奏上した事(「玄武門の変」の前、太宗が天下を取ると上奏した。191巻、九年の26)は、我を禍へ追い込んだようなものだった。しかし、それに懲りることなく、今後卿が天文の変化を見て予知することがあったら、全て上奏してくれ。」
 上は、かつて奕へ言ったことがある。
「仏の教えは玄妙で、師と仰ぐに足りる。卿一人、どうしてその理を悟らないのか。」
 対して、奕は言った。
「仏は、胡の中の桀とも言うべき者で、あの土地の人間を誑かしました。中国でも邪悪な人間は老荘の玄談を取り妖幻の言葉で飾り立て、愚俗を欺くのに用います。民にとって益がなく、国に害があります。臣は悟らないのではありません。鄙びているから学ばないのです。」
 上は得心した。
 16上患吏多受賕,密使左右試賂之。有司門令史受絹一匹,上欲殺之,民部尚書裴矩諫曰:「爲吏受賂,罪誠當死;但陛下使人遺之而受,乃陷人於法也,恐非所謂『道之以德,齊之以禮。』」上悅,召文武五品已上告之曰:「裴矩能當官力爭,不爲面從,儻毎事皆然,何憂不治!」
   臣光曰:古人有言:君明臣直。裴矩佞於隋而忠於唐,非其性之有變也;君惡聞其過,則忠化爲佞,君樂聞直言,則佞化爲忠。是知君者表也,臣者景也,表動則景隨矣。
16.上は、多くの官吏が賄賂を受け取っていることを患い、近習達を使って密かに賄賂を贈らせ試してみた。すると、ある司門令史が絹一匹を受け取った。上はこれを殺そうとしたが、民部尚書の裴矩が諫めて言った。
「吏となって賄賂を受け取ったのなら、誠に死罪にあたります。ただ、陛下が人を使って受け取らせたのですから、これは人を法へ陥れるようなものです。いわゆる『これを導くに徳を以てし、これを整えるに礼を以てする』とゆう精神に悖るのではないかと恐れます。」
 上は悦び、文武の五品以上を集めて、彼等へ告げた。
「裴矩は官となって、面従しないでよく力争した。皆がこのようであってくれれば、何で治まらないことを憂えようか!」
  臣光、曰く。
  古人の言葉にある。君が明ならば臣は直となる、と。裴矩は隋の時は奸佞だったが唐になったら忠義を尽くした。だが、それは彼の人間性が変わったのではない。主君が自分の過失を聞いてむかっ腹を立てたら忠臣も奸佞に変わるし、君が直言を聞くのを喜んだら奸佞も忠臣に変わる。これで知れるのだ。君は表で臣は影に過ぎない。表が動けば、影もそれに従って動くのだ。
 17是歳,進皇子長沙郡王恪爲漢王、宜陽郡王祐爲楚王。
17.この年、皇子長沙郡王恪を漢王に、宜陽郡王祐を楚王へ進爵した。
 18新羅、百濟、高麗三國有宿仇,迭相攻撃;上遣國子助教朱子奢往諭指,三國皆上表謝罪。
18.新羅、百済、高麗の三国は宿敵として互いに攻撃し合っていた。そこで上が国子助教朱子奢を派遣して諭させたところ、三国は皆、上表して謝罪した。

  太宗文武大聖大廣孝皇帝上之上
貞觀元年(丁亥、六二七)

 春,正月,乙酉,改元。
1.春、正月、乙酉。改元する。
 丁亥,上宴羣臣,奏秦王破陳樂。上曰:「朕昔受委專征,民間遂有此曲,雖非文德之雍容,然功業由茲而成,不敢忘本。」封德彝曰:「陛下以神武平海内,豈文德之足比!」上曰:「戡亂以武,守成以文,文武之用,各隨其時。卿謂文不及武,斯言過矣。」德彝頓首謝。
2.丁亥、上は群臣と宴会を開き、秦王破陳楽を演奏させた。(これは、太宗がまだ秦王だった頃、劉武周を滅ぼしたときに軍中で造った楽曲である。)
 上は言った。
「朕は昔、委任を受けて討伐ばかりやっており、民間にてこの曲を作った。文徳を歌ったものではないが、大きな功業を建てたので造ったのだ。大本を忘れない為に、今回演奏させた。」
 すると、封徳彝が言った。
「陛下は神武で海内を平定されました。なんで文徳がこれに及びましょうか。」
 上は言った。
「戦乱を平定するのには武を用い、守成には文を用いる。文武は、それぞれの時勢に従って使い分けるのだ。卿は、文が武に及ばないと言ったが、これは言い過ぎだ!」
 徳彝は頓首して謝った。
 己亥,制:「自今中書、門下及三品以上入閤議事,皆命諫官隨之,有失輒諫。」
3.己亥、制を降ろした。
「今より、中書、門下及び三品以上が入閣して議論するときは、必ず諫官を従え、過失があったらすぐに諫めさせるようにせよ。」
 上命吏部尚書長孫無忌等與學士、法官更議定律令,寬絞刑五十條爲斷右趾,上猶嫌其慘,曰:「肉刑廢已久,宜有以易之。」蜀王法曹參軍裴弘獻請改爲加役流,徙三千里,居作三年;詔從之。
4.上が吏部尚書長孫無忌等と学士、法官等へ律令を定めるように命じた。これによって絞首刑等五十條が減刑されて右趾切断で済むようになったが、上はまだ罪が重すぎる事を嫌い、言った。
「肉刑は、廃止されて久しい。もっと軽い刑に代えよ。」
 すると蜀王法曹参軍の裴弘献が、三千里先の流刑地での三年間の労役に改めるよう請うた。詔が降りて、これに従う。
 上以兵部郎中戴冑忠清公直,擢爲大理少卿。上以選人多詐冒資蔭,敕令自首,不首者死。未幾,有詐冒事覺者,上欲殺之。冑奏:「據法應流。」上怒曰:「卿欲守法而使朕失信乎?」對曰:「敕者出於一時之喜怒,法者國家所以布大信於天下也。陛下忿選人之多詐,故欲殺之,而既知其不可,復斷之以法,此乃忍小忿而存大信也。」上曰:「卿能執法,朕復何憂!」冑前後犯顏執法,言如湧泉,上皆從之,天下無冤獄。
5.兵部郎中の戴冑は忠清公直なので、上はこれを大理少卿へ抜擢した。
 この頃、無能な人間でも偽りを並べ立てて推挙して賄賂を受け取る事が多かったので、上はその様な人間へ自首することを呼びかけ、自首しなければ死刑にすると表明した。それからすぐに、偽りが露見した人間が出たので上はこれを殺そうとしたが、冑は言った。
「この罪は、法に照らし合わせれば流罪でございます。」
 上は怒って言った。
「卿は、朕の信義を失わせてでも法を守らせるつもりか?」
 対して、冑は言った。
「敕は、一時の喜怒で出るものですが、法は国家が天下へ大信を布く為のものです。陛下は、推挙人に偽りが多いことを怒り、これを殺そうと欲されましたが、それが不可であることを知ったから法によって断罪した。そうであれば、小忿を忍んで大きな信義を残したと言えます。」
 上は言った。
「卿はよく法を執っている。朕には何の憂いもないな!」
 冑は、上へ対して堂々と法を主張することが何度もあったが、言葉は泉のように沸いて出て、上はいつもこれに従った。おかげで、天下から冤獄がなくなった。
 上令封德彝舉賢,久無所舉。上詰之,對曰:「非不盡心,但於今未有奇才耳。」上曰:「君子用人如器,各取所長,古之致治者,豈借才於異代乎?正患己不能知,安可誣一世之人!」德彝慚而退。御史大夫杜淹奏「諸司文案恐有稽失,請令御史就司檢校。」上以問封德彝,對曰:「設官分職,各有所司。果有愆違,御史自應糾舉;若徧歴諸司,搜擿疵纇,太爲煩碎。」淹默然。上問淹:「何故不復論執?」對曰:「天下之務,當盡至公,善則從之,德彝所言,眞得大體,臣誠心服,不敢遂非。」上悅曰:「公等各能如是,朕復何憂!」
6.上は封徳彝へ賢人の推挙を命じたが、徳彝は長い間誰も推挙しなかった。上がこれを詰ると、徳彝は言った。
「心を尽くしてなかったわけではありません。ただ、今まで奇才が居なかったのです。」
 上は言った。
「君子が人を用いるのは、器のようなものだ。各々の長所を取る。昔の立派な政治家は、有能な人材を別の時代から引っ張ってきたのか?自分が人を知ることができないのを患うべきだ。なんでこの時代の人間全てを不当に落としめして良いものか!」
 徳彝は恥じ入って退出した。
 御史大夫杜淹が上奏した。
「諸司の文案に詰まらない過失が有るかも知れません。しかるべき役人に照合確認させるよう、御史へ命じてください。」
 上が徳彝へ訊ねると、徳彝は言った。
「官職を設けて各々の役所に職務分担させているのです。その中で罪違があれば、御史が糾弾いたします。もしも諸司を巡って過失を探させたら、とても煩雑になってしまいます。」
 淹は黙り込んだので、上は淹へ言った。
「どうして言い返さないのだ?」
 淹は答えた。
「天下の務めは至公でなければなりません。ですから、善ならば、それに従います。徳彝の言葉は大礼を得ていましたので、臣は誠に心服いたしました。それで敢えて異を唱えなかったのでございます。」
 上は悦んで言った。
「公等がそのようであれば、朕に何の憂いがあろうか!」
 右驍衞大將軍長孫順德受人餽絹,事覺,上曰:「順德果能有益國家,朕與之共有府庫耳,何至貪冒如是乎!」猶惜其有功,不之罪,但於殿庭賜絹數十匹。大理少卿胡演曰:「順德枉法受財,罪不可赦,奈何復賜之絹?」上曰:「彼有人性,得絹之辱,甚於受刑;如不知愧,一禽獸耳,殺之何益!」
7.右驍衛大将軍長孫順徳が、人から贈られた絹を受け取ったのが暴露した。
 上は言った。
「順徳が本当に国家に益があるのなら、朕は彼と府庫を共有するものを。なんでこんな貪婪なことを行ったのか!」
 だが、なおも彼の軍功を惜しみ、これを罰せず、ただ殿庭にて絹数十匹を贈っただけに留めた。すると、大理少卿胡演が言った。
「順徳は法を曲げて財貨を受け取ったのです。その罪は赦すべきではありませんのに、却って絹を賜るとは、どうゆうことでしょうか?」
 上は言った。
「彼に人間らしい心があれば、刑を受けるよりも絹を受け取る方が余程屈辱が甚だしいぞ。愧をまるで知らないのならば、これは禽獣と同じだ。殺す程の事でもないぞ!」
 辛丑,天節將軍燕郡王李藝據涇州反。
  藝之初入朝也,恃功驕倨,秦王左右至其營,藝無故毆之。上皇怒,收藝繋獄,既而釋之。上即位,藝内不自安。曹州妖巫李五戒謂藝曰:「王貴色已發!」勸之反。藝乃詐稱奉密敕,勒兵入朝。遂引兵至豳州,豳州治中趙慈皓馳出謁之,藝入據豳州。詔吏部尚書長孫無忌等爲行軍總管以討之。趙慈皓聞官軍將至,密與統軍楊岌圖之,事洩,藝囚慈皓。岌在城外覺變,勒兵攻之,藝衆潰,棄妻子,將奔突厥。至烏氏,左右斬之,傳首長安。弟壽,爲利州都督,亦坐誅。
8.辛丑、天節将軍燕郡王李藝が涇州に據って造反した。その経緯は、以下の通り。
 藝が始めて入朝した時(武徳五年、太子建成と共に劉黒闥を討った後、入朝した)、功績に驕って傲慢で、その営へ来た秦王の近習を理由なく殴りつけた。上皇は怒り、藝を牢獄へ繋いだが、暫くして釈放した。そんなことがあったので、上が即位すると藝は内心不安でならなかった。
曹州に李五戒とゆう妖巫がいたが、彼が藝へ言った。
「王には貴相が出ておりますぞ!」
 そして、これに造反を勧めたのである。
 藝は「兵を動員して入朝せよ」との密敕を受け取ったと詐称し、遂に兵を率いて豳州まで進軍した。豳州治中趙慈皓は、駆け出してこれを出迎えた。藝は、豳州へ入って、これを占拠した。
 吏部尚書長孫無忌等へ、行軍総管となってこれを討つよう詔が降りた。
 趙慈皓は、官軍が来ると聞くと、密かに統軍楊岌とこれを謀ろうとしたが、機密が漏洩し、藝は慈皓を捕らえた。
 城外にいた岌は、変事を悟ると兵を指揮してこれを攻めた。藝軍は潰滅し、藝は妻子を棄てて逃げた。突厥へ亡命しようとしたが、烏氏にて近習がこれを斬り、首を長安へ送った。
 弟の壽は利州都督となっていたが、また、連座で誅殺された。
 初,隋末喪亂,豪桀並起,擁衆據地,自相雄長;唐興,相帥來歸,上皇爲之割置州縣以寵祿之,由是州縣之數,倍於開皇、大業之間。上以民少吏多,思革其弊;二月,命大加併省,因山川形便,分爲十道:一曰關内,二曰河南,三曰河東,四曰河北,五曰山南,六曰隴右,七曰淮南,八曰江南,九曰劍南,十曰嶺南。
9.隋末の動乱期に豪傑が並び起ち、衆を擁して土地を占拠し、互いに戦い合った。唐が強大になると、軍閥が次々と帰順してきた。この時上皇は、州県を分割して彼等へ与えた。そうゆうわけで、州県の数は開皇、大業の頃と比べて倍増してしまった。
 州県が倍増すると、民へ対して官吏が増えてしまう。上はこの弊害を改革しようと考え、二月、省の大併合を命じ、山川の地形に合わせて全国を十道に分けた。一は関内、二は河南、三は河東、四は河北、五は山南、六は隴右、七は淮南、八は江南、九は剣南、十は嶺南。
 10三月,癸巳,皇后帥内外命婦親蠶。
10.三月、癸巳、皇后が内外の命婦を率いて、自ら蚕を飼った。
 11閏月,癸丑朔,日有食之。
11.閏月、癸丑朔、日食が起こった。
 12壬申,上謂太子少師蕭瑀曰:「朕少好弓矢,得良弓十數,自謂無以加,近以示弓工,乃曰『皆非良材』。朕問其故,工曰:『木心不直,則脈理皆邪,弓雖勁而發矢不直。』朕始寤曏者辨之未精也。朕以弓矢定四方,識之猶未能盡,況天下之務,其能徧知乎!」乃令京官五品以上更宿中書内省,數延見,問以民間疾苦,政事得失。
12.壬申、上が太子少師蕭瑀へ言った。
「朕は幼い頃弓矢を好み、良弓を十数得た。これ以上のものはないと自慢していたが、最近弓工へ見せたところ、『みな、良材ではありません』と言われた。朕が理由を聞くと、工は言った。『木心が直でないので、脈理が邪になっています。弓は強いのですが、矢を射ても真っ直ぐに飛びません。』朕は始めて今まで明盲だったことを知った。朕は弓矢を使って四方を平定したが、それでも弓矢のことを知り尽くしてはいなかった。ましてや天下の務めだ。偏った知識でどうして良かろうか!」
 そして京官の五品以上を交代で中書内省へ宿直させ、屡々謁見して民間の疾苦や政事の得失を問うた。
 13涼州都督長樂王幼良,性粗暴,左右百餘人,皆無賴子弟,侵暴百姓;又與羌、胡互市。或告幼良有異志,上遣中書令宇文士及馳驛代之,并按其事。左右懼,謀劫幼良入北虜,又欲殺士及據有河西。復有告其謀者,夏,四月,癸巳,賜幼良死。
13.涼州都督長楽王幼良は、粗暴な性格だった。百余人の近習達は皆無頼の子弟で、百姓達へ乱暴狼藉を働いた。また、羌や胡と交易をする。
 ある者が、幼良に謀反の心があると告発した。上は、中書令宇文士及を駅伝で派遣してこれと交代させ、事実を究明させた。近習達は懼れ、幼良をさらって北虜へ亡命しようと計画したり、士及を殺して河西を占拠しようと計画したりしたが、密告する者が居て、それらの陰謀が暴露された。
 夏、四月、癸巳、幼良へ自殺を命じた。
 14五月,苑君璋帥衆來降。初,君璋引突厥陷馬邑,殺高滿政,退保恆安。其衆皆中國人,多棄君璋來降。君璋懼,亦降,請捍北邊以贖罪,上皇許之。君璋請約契,上皇使鴈門人元普賜之金券。頡利可汗復遣人招之,君璋猶豫未決,恆安人郭子威説君璋以「恆安地險城堅,突厥方強,且當倚之以觀變,未可束手於人。」君璋乃執元普送突厥,復與之合,數與突厥入寇。至是,見頡利政亂,知其不足恃,遂帥衆來降。上以君璋爲隰州都督、苪國公。
14.五月、苑君璋が衆を率いて来降した。その経緯は、次の通り。
 君璋は、突厥を引き入れて馬邑を陥し、高満政を殺して、恒安まで退却してここを保った。だが、その手勢は皆、中国人だった。彼等は大半が君璋を棄てて来降した。君璋は懼れ、彼もまた降伏し、北辺を守ることで罪を贖いたいと請願した。上皇がこれを許すと、君璋は確約を欲しがったので、上皇は雁門の住民元普を使者として、金券を賜下した。
 だが、頡利可汗が、君璋のもとへ使者を派遣して彼を招いた。君璋が迷ってしまって決断できないでいると、恒安の住民郭子威が君璋へ説いた。
「恒安は険阻な地形で、城は堅固です。また、突厥は今、強盛。ここは状況を観望するべきですぞ。他人へ手をついて仕えるには早すぎます。」
 君璋は、元普を捕らえて突厥へ送り、再びこれと手を結んだ。そして、屡々突厥と共に入寇していた。
 だが、ここに至って頡利の政治が乱れたのを見、彼が恃むに足りないと見限って、遂に手勢を率いて来降した。
 上は、君璋を隰州都督、苪国公とした。
 15有上書請去佞臣者,上問:「佞臣爲誰?」對曰:「臣居草澤,不能的知其人,願陛下與羣臣言,或陽怒以試之,彼執理不屈者,直臣也,畏威順旨者,佞臣也。」上曰:「君,源也;臣,流也;濁其源而求其流之清,不可得矣。君自爲詐,何以責臣下之直乎!朕方以至誠治天下,見前世帝王好以權譎小數接其臣下者,常竊恥之。卿策雖善,朕不取也。」
15.上書して、佞臣を去るように請願した者が居た。そこで、上は問うた。
「佞臣とは、誰かな?」
 対して、答えた。
「臣は草沢に済んでいる為、誰と知ることはできません。どうか陛下、群臣を集めて、怒ったふりをして試されてください。理を執って屈しない者は直臣です。威を畏れて媚びる者は佞臣です。」
 上は言った。
「君は源で、臣は流れだ。その源が濁っているのに流れが澄むことを求めても、できる筈がない。主君が自ら詐を為したら、何を以て臣下の不直を責めるのか!朕は至誠で天下を治めようとしているのだ。前世の帝王が、小細工を弄して臣下へ接するのを好んだ事績を見ると、いつも、心中恥ずかしく思ってしまう。卿の策は善ではあるが、朕は取らない。」
 16六月,辛巳,右僕射密明公封德彝薨。
16.六月、辛巳、右僕射密明公封徳彝が卒した。
 17壬辰,復以太子少師蕭瑀爲左僕射。
17.太子少師蕭瑀を、再び左僕射とした。
 18戊申,上與侍臣論周、秦脩短,蕭瑀對曰:「紂爲不道,武王征之。周及六國無罪,始皇滅之。得天下雖同,人心則異。」上曰:「公知其一,未知其二。周得天下,增脩仁義;秦得天下,益尚詐力;此脩短之所以殊也。蓋取之或可以逆得,守之不可以不順故也。」瑀謝不及。
18.戊申、上と侍臣が周が長く修まったのに秦はすぐに滅んだことについて論じた。
 蕭瑀が言った。
「紂が無道をなしたので、武王がこれを征伐しました。しかし、周及び六国には何の罪もなかったのに、始皇帝はこれを滅ぼしたのです。どちらも同様に戦争によって天下を得たのですが、人心は全然異なっておりました。」
 上は言った。
「公はその一を知って二を知らない。周は天下を得てから、仁義を益々修めた。秦は天下を得てから益々詐に勉めた。これこそ、修短が大きく違った理由だ。けだし、逆を以て捕ることはできるかも知れないが、順を以てしなければ守ることができないのだ。」
 瑀は、及ばないことを謝った。
 19山東大旱,詔所在賑恤,無出今年租賦。
19.山東で凄い日照りとなった。穀物を振る舞って民を救済し、今年の租賦を免除するよう詔が降りた。
 20秋,七月,壬子,以吏部尚書長孫無忌爲右僕射。無忌與上爲布衣交,加以外戚,有佐命功,上委以腹心,其禮遇羣臣莫及,欲用爲宰相者數矣。文德皇后固請曰:「妾備位椒房,家之貴寵極矣,誠不願兄弟復執國政。呂、霍、上官,可爲切骨之戒,幸陛下矜察!」上不聽,卒用之。
20.秋、七月。壬子、吏部尚書長孫無忌を右僕射とした。
 無忌は、上とは布衣の交わりをしていた上、外戚でもあり佐命の功績も建てたので、上は腹心として接しており、その礼遇は群臣に及ぶ者が居なかった。宰相に任命しようと欲したことも再三だったが、文徳皇后が固く請うた。
「妾が椒房の位を忝なくしており、お家の貴寵は極まっておりますので、兄弟まで国政を執ることは、心底、望んでおりません。呂、霍、上官を切骨の戒めとするべきでございます。どうか陛下、お察しください。」
 上は聞かず、遂にこれを用いた。
 21初,突厥性淳厚,政令質略。頡利可汗得華人趙德言,委用之。德言專其威福,多變更舊俗,政令煩苛,國人始不悅。頡利又好信任諸胡而疏突厥,胡人貪冒,多反覆,兵革歳動;會大雪,深數尺,雜畜多死,連年饑饉,民皆凍餒。頡利用度不給,重斂諸部,由是内外離怨,諸部多叛,兵浸弱。言事者多請撃之,上以問蕭瑀、長孫無忌曰:「頡利君臣昏虐,危亡可必。今撃之,則新與之盟;不撃,恐失機會;如何而可?」瑀請撃之。無忌對曰:「虜不犯塞而棄信勞民,非王者之師也。」上乃止。
21.突厥は、もともと淳厚な風俗で、政令は簡略なものだった。ところが、頡利可汗が華人の趙徳言を得てこれに委任すると、徳言は威福を独占し、旧俗を次々と変えていった。政令は煩雑となり、国人は不満を持ち始めた。
 また、頡利は諸胡を好んで信任し、突厥を疎んじた。胡人は貪婪で反覆も多く、毎年戦争が続いた。その上天候も不順で、大雪が降って深さ数尺も積もり雑畜が沢山死んだこともあったし、連年飢饉が続いて民は皆、飢えと凍えに苦しんだ。それなのに頡利は、国用の不足から、諸部へ重税を課した。こうした訳で、内外が離怨し、諸部の造反が相継いで、国力は次第に弱まっていった。
 唐では、大勢の人間が突厥の討伐を口にしたので、上は蕭瑀と長孫無忌へ問うた。
「頡利の君臣は昏虐だから、必ず滅ぶ。今、これを討とうと思うが、盟約を結んだばかりだ。しかし、討たなければ機会を失ってしまうだろう。どうすればよいか?」
 瑀は攻撃するよう請うたが、無忌は言った。
「虜が国境を侵したわけでもないのに、信義を棄てて民をこき使うのでは、王者の軍とは言えません。」
 上は、攻撃を止めた。
 22上問公卿以享國久長之策,蕭瑀言:「三代封建而久長,秦孤立而速亡。」上以為然,於是始有封建之議。
22.上は公卿へ、国を長く保つ方策を尋ねた。すると、蕭瑀が言った。
「三代は封建制で長く続きましたが、秦は孤立して速やかに滅びました。」
 上はこれに同意した。こうして、封建制度についての議論が始まった。
 23黄門侍郎王珪有密奏,附侍中高士廉,寢而不言。上聞之,八月,戊戌,出士廉爲安州大都督。
23.黄門侍郎王珪が密奏しようと、侍中の高士廉へ預けたが、士廉はこれを取り次がなかった。上はこれを聞き、八月、戊戌、士廉を安州大都督として、地方へ下向させた。
 24九月,庚戌朔,日有食之。
24.九月、庚戌の朔、日食が起こった。
 25辛酉,中書令宇文士及罷爲殿中監,御史大夫杜淹參豫朝政。他官參豫政事自此始。
  淹薦刑部員外郎邸懷道,上問其行能,對曰:「煬帝將幸江都,召百官問行留之計,懷道爲吏部主事,獨言不可。臣親見之。」上曰:「卿稱懷道爲是,何爲自不正諫?」對曰:「臣爾時不居重任,又知諫不從,徒死無益。」上曰:「卿知煬帝不可諫,何爲立其朝?既立其朝,何得不諫?卿仕隋,容可云位卑;後仕王世充,尊顯矣,何得亦不諫?」對曰:「臣於世充非不諫,但不從耳。」上曰:「世充若賢而納諫,不應亡國;若暴而拒諫,卿何得免禍?」淹不能對。上曰:「今日可謂尊任矣,可以諫未?」對曰:「願盡死。」上笑。
25.辛酉、中書令宇文化及が退任して殿中監となり、御史大夫杜淹を朝政に参与させた。他官が政事に参与するのは、これから始まった。
 淹が、刑部員外郎邸懐道を推薦したので上がその行状や能力を問うと、淹は言った。
「煬帝が江都へ御幸しようとした時、百官を集めてその是非を問いました。その時、当時吏部主事だった懐道ただ一人だけが、不可と言いました。これは、臣がこの目で見たことでございます。」
 上は言った。
「卿は懐道のやった事を正しいと言っているが、それならばどうして卿は諫めなかったのだ?」
「臣はその時重職でもなく、諫めても従われず、ただ犬死をするだけと判っておりましたので。」
「煬帝が諫められないと知っていたのなら、卿はどうして彼の朝廷に立っていたのだ?既にその朝廷に仕官したのなら、どうして諫めなかった?いや、卿が隋に仕えていた時には、官位が低かったとも言えるが、後に王世充に仕えた時には、非常に尊ばれていた。それなのに、諫めなかったではないか?」
「世充の時には、臣は諫めなかったのではありません。諫めたけれども従われなかったのでございます。」
「世充がもしも賢人なら、諫めを納れているだろう。それなら国が滅びるはずがない。もしも暴虐で諫言を拒んだのなら、どうして卿は罰されなかったのだ?」
 淹は返答に窮した。
 上は言った。
「今日、卿は尊任されていると言える。諫めないでよいのか?」
 淹は言った。
「どうか、命懸けでつくさせてくださいませ。」
 上は笑った。
 ※(訳者、曰く)王世充は、暴虐だが上辺は君子を取り繕う人間だったから、諫めても従われなかったし、諫めたからといって誅されることもなかった。淹が羞じることではないのだが。
 26辛未,幽州都督王君廓謀叛,道死。
  君廓在州,驕縱多不法,徴入朝。長史李玄道,房玄齡從甥也,憑君廓附書,君廓私發之,不識草書,疑其告己罪,行至渭南,殺驛吏而逃,將奔突厥,爲野人所殺。
26.辛未、幽州都督王君廓が造反したが、途上で死んだ。その経緯は次の通り。
 君廓は任地では驕慢放縦で不法なことが多かったので、入朝するよう命じられた。ところで、長史の李玄道は房玄齢の従甥だったので、この機会に房玄齢への手紙を君廓へことずけた。君廓は勝手にこれを棄ててしまい、書いてある内容も知らないまま自分の罪が告発されたかと疑った。渭南までは行ったけれども、そこで駅吏を殺して逃げ出した。突厥へ亡命しようとしたが、野人に殺された。
 27嶺南酋長馮盎、談殿等迭相攻撃,久未入朝,諸州奏稱盎反,前後以十數;上命將軍藺謩等發江、嶺數十州兵討之。魏徴諫曰:「中國初定,嶺南瘴癘險遠,不可以宿大兵。且盎反状未成,未宜動衆。」上曰:「告者道路不絶,何云反状未成?」對曰:「盎若反,必分兵據險,攻掠州縣。今告者已數年,而兵不出境,此不反明矣。諸州既疑其反,陛下又不遣使鎭撫,彼畏死,故不敢入朝。若遣信臣示以至誠,彼喜於免禍,可不煩兵而服。」上乃罷兵。冬,十月,乙酉,遣員外散騎侍郎李公掩持節慰諭之,盎遣其子智戴隨使者入朝。上曰:「魏徴令我發一介之使,而嶺表遂安,勝十萬之師,不可不賞。」賜徴絹五百匹。
27.嶺南の酋長馮盎と談殿等が、互いに攻撃し合い、長い間入朝しなかった。諸州は盎が造反したと上奏し、その様な告発が合わせて十数も届いた。上は、将軍藺謩等へ江・嶺数十州の兵を動員してこれを討伐するよう命じた。すると、魏徴が言った。
「中国は平定されたばかりです。嶺南は気候は暑苦しく険阻な地形で遠方の土地。大軍を派遣できる場所ではありません。それに盎の造反も明確ではありません。大軍を動員するには早すぎます。」
 上は言った。
「告発者は、通行が途絶していると言っている。なんで造反が明確ではないと言うのか?」
 対して言った。
「もしも盎が造反したなら、必ず兵を派遣して険阻な土地を占拠し、州県を攻略します。今、告発されてから数年経つのに、その兵は州境を出ていません。これが、造反していない証拠です。諸州は、既に彼等が造反したと疑っておりますし、陛下も鎮撫の使者を派遣しておりません。ですから彼等は死を畏れて入朝できないでいるのです。もしも信頼する重臣を派遣して至誠を示せば、彼等は禍を免れたことを喜びましょう。出兵せずとも服従させられます。」
 上は、出兵を取りやめた。
 冬、十月、乙酉。員外散騎侍郎李公掩を持節として派遣し、これを慰諭した。すると盎は子息の智戴を使者へ随行させて入朝させた。
 上は言った。
「魏徴が我へ一介の使者を派遣させただけで、嶺南は遂に安んじた。この功績は十万の大軍にも勝る。賞さないでいてはいけない。」
 魏徴へ、絹五百匹を賜下した。
 28十二月,壬午,左僕射蕭瑀坐事免。
28.十二月、壬午。左僕射蕭瑀が事件に連座して罷免された。
 29戊申,利州都督李孝常等謀反,伏誅。
  孝常因入朝,留京師,與右武衞將軍劉德裕及其甥統軍元弘善、監門將軍長孫安業互説符命,謀以宿衞兵作亂。安業,皇后之異母兄也,嗜酒無賴;父晟卒,弟無忌及后並幼,安業斥還舅氏。及上即位,后不以舊怨爲意,恩禮甚厚。及反事覺,后涕泣爲之固請曰:「安業罪誠當萬死。然不慈於妾,天下知之;今寘以極刑,人必謂妾所爲,恐亦爲聖朝之累。」由是得減死,流雟州。
29.戊申、利州都督李孝常等が造反を謀り、誅に伏した。その経緯は、以下の通り。
 孝常は入朝すると京師に留まった。そして右武衛将軍劉徳裕とその甥の統軍元弘善、監門将軍長孫安業が互いに符命を説きあって、宿衛の兵を煽動し造反しようと謀ったのである。
 安業は皇后の異母兄で、大酒のみの無頼漢だった。父の晟が率した時、弟の無忌及び皇后はまだ幼かったが、安業は彼等の舅を追い返した。しかし、上が即位すると、皇后は過去の怨みを根に持たず、安業を甚だ礼遇した。
 造反事件が発覚するに及んで、皇后は涙を流し、上へ固く請うた。
「安業の罪は、ほんとうに万死に値します。でも、彼が私達へ無慈悲だったことは天下へ知れ渡っているのです。今、極刑に処したら、人々は必ず妾のせいだと吹聴します。それは聖朝へも累を及ぼすかも知れません。」
 これによって、安業は死刑を免れ、雟州へ流された。
 30或告右丞魏徴私其親戚,上使御史大夫温彦博按之,無状。彦博言於上曰:「徴不存形迹,遠避嫌疑,心雖無私,亦有可責。」上令彦博讓徴,且曰:「自今宜存形迹。」他日,徴入見,言於上曰:「臣聞君臣同體,宜相與盡誠;若上下倶存形迹,則國之興喪尚未可知,臣不敢奉詔。」上瞿然曰:「吾已悔之。」徴再拜曰:「臣幸得奉事陛下,願使臣爲良臣,勿爲忠臣。」上曰:「忠、良有以異乎?」對曰:「稷、契、皋陶,君臣協心,倶享尊榮,所謂良臣。龍逄、比干,面折廷爭,身誅國亡,所謂忠臣。」上悅,賜絹五百匹。
  上神采英毅,羣臣進見者,皆失舉措;上知之,毎見人奏事,必假以辭色,冀聞規諫。嘗謂公卿曰:「人欲自見其形,必資明鏡;君欲自知其過,必待忠臣。苟其君愎諫自賢,其臣阿諛順旨,君既失國,臣豈能獨全!如虞世基等諂事煬帝以保富貴,煬帝既弑,世基等亦誅。公輩宜用此爲戒,事有得失,毋惜盡言!」
30.ある者が、右丞魏徴は親戚をひいきしていると告発した。上は、御史大夫温彦博へ調査させたところ、事実無根だった。彦博は上へ言った。
「徴は形跡さえなく、嫌疑を避けることは度が越しています。心は無私でしょうが、これは責めるべきであります。」
 そこで上は彦博へ徴を叱責させて、かつ、言った。
「今からは、形跡くらいは造れ。」
 他日、徴は入見して、上へ言った。
「君臣は同体であると、臣は聞いています。共に誠を尽くすべきであります。もしも上下共に形跡があるのなら、国の興廃さえ、どうなるか判りません。臣は敢えて詔を奉りません。」
 上はびっくりして言った。
「我はもう後悔しておる。」
 徴は再拝して言った。
「臣は幸いにして陛下へ仕えることができました。この上は、どうか臣を良臣にして、忠臣にはさせないでください。」
 上は、言った。
「良臣と忠臣とでは、どう違うのかな?」
「稷、契、皋陶は君臣心を合わせ、共に尊敬と繁栄を享受できました。これが良臣です。龍逢、比干は朝廷にて諫争して自身は誅殺され国は滅びました。これが忠臣です。」
 上は悦び、絹五百匹を賜下した。
 上は神のような風采で英邁剛毅な人間だったので、群臣達は謁見するとしどろもどろになった。上はこれを知っていたので、上奏する者へ謁見するたびに顔色を和らげ、規諫を聞こうと切望した。ある時、公卿へ言った。
「人が自分の身繕いを見たい時、必ず明鏡の助けを借りる。同様に、主君が自らの過失を知りたい時には、必ず忠臣を待つのだ。主君が自分を賢人だと思って諫めを拒み、臣下が諂って唯々諾々としておれば、君は国を失うし、臣下もどうして全うできようか!虞世基等の如きは煬帝に諂って富貴を得たが、煬帝が弑逆されると世基等もまた誅殺された。公等はこれを戒めとせよ。事に得失が有れば、言葉を惜しんではならない!」
 31或上言秦府舊兵,宜盡除武職,追入宿衞。上謂之曰:「朕以天下爲家,惟賢是與,豈舊兵之外皆無可信者乎!汝之此意,非所以廣朕德於天下也。」
31.ある者が、秦府の旧兵を全て武職として宿衛へ編入するよう、上言した。
 上は言った。
「朕は天下を我が家族だと思っている。賢人でありさえすれば、共に政務を行う。なんで旧兵以外一人も信じられないとゆうことがあろうか!汝の意見は、朕の徳を天下へ広めるものではないぞ。」
 32上謂公卿曰:「昔禹鑿山治水而民無謗讟者,與人同利故也。秦始皇營宮室而人怨叛者,病人以利己故也。夫靡麗珍奇,固人之所欲,若縱之不已,則危亡立至。朕欲營一殿,材用已具,鑒秦而止。王公已下,宜體朕此意。」由是二十年間,風俗素朴,衣無錦繡,公私富給。
32.上が公卿へ言った。
「昔、禹は山を穿ち黄河の治水をするとゆう大工事を行ったが、民は誹謗一つしなかった。これは、民と利益を共有したからだ。秦の始皇帝が盛大な宮殿を建造すると、人々は怨み、造反した。これは自分の利益のために人々を苦しめたからだ。だいたい、誰でも贅沢品や珍奇な品が欲しいものだが、その欲望を放縦にして止めどがなければ、危亡に立つ事になる。朕は、一殿を造営したいし材料も揃っているのだが、秦を鏡として、これを取りやめた。王公以下、朕のこの想いを心に留めておけ。」
 このため、二十年間に渡って、風俗は素朴であり、衣には錦繍がなく、公私共に物資が豊かに溢れた。
 33上謂黄門侍郎王珪曰:「國家本置中書、門下以相檢察,中書詔敕或有差失,則門下當行駮正。人心所見,互有不同,苟論難往來,務求至當,捨己從人,亦復何傷!比來或護己之短,遂成怨隙,或苟避私怨,知非不正,順一人顏情,爲兆民之深患,此乃亡國之政也。煬帝之世,内外庶官,務相順從,當是之時,皆自謂有智,禍不及身。及天下大亂,家國兩亡,雖其間萬一有得免者,亦爲時論所貶,終古不磨。卿曹各當徇公忘私,勿雷同也!」
33.上が、黄門侍郎王珪へ言った。
「国家には、もともと中書と門下を設置し、共に検察させていた。中書の詔敕に過失があれば門下はこれを校正するのだ。人の見るところは、それぞれに違う。いろいろな論議が飛び交い、その中で一番良い物を選ぼうとしたなら、自分を棄てて人に従うことが何で辛かろうか!ところが、この頃では自分の短所を擁護して遂には異を唱えた人間を怨むようになったり、私的に怨まれることを避ける為に正しくないと判っていても一人の顔色を窺って口を閉ざし兆民の深い患いを看過させたりしているようだ。これは、亡国の政治だ。
 煬帝の御代には、内外の庶官は従順に行うことに努めていた。そして当時の人々は、皆、自分達はこんなに知恵があるから禍が降りかかることはあるまいと言っていた。しかし、天下大乱になると、国も家もともに亡んでしまった。万に一つの僥倖で生き延びることができても、人々から貶されて、その疵は時尽きるまで消すことができない。
 卿等は各々公に殉じて私を忘れ、雷同しないようにせよ!」
 34上謂侍臣曰:「吾聞西域賈胡得美珠,剖身以藏之,有諸?」侍臣曰:「有之。」上曰:「人皆知彼之愛珠而不愛其身也;吏受賕抵法,與帝王徇奢欲而亡國者,何以異於彼胡之可笑邪!」魏徴曰:「昔魯哀公謂孔子曰:『人有好忘者,徙宅而忘其妻。』孔子曰:『又有甚者,桀、紂乃忘其身。』亦猶是也。」上曰:「然。朕與公輩宜戮力相輔,庶免爲人所笑也!」
34.上が侍臣へ言った。
「『西域にいる胡の商人は、見事な宝珠を得ると、失うことを懼れて、自分の体を切ってその中へ縫い込んでしまう』と聞くが、そんなことがあるのか?」
 侍臣は言った。
「あります。」
 上は言った。
「人は皆、彼が珠を愛して我が身を愛さないことを知っている。賄賂を受け取って法に触れる官吏や、奢欲に負けて国を滅ぼす帝王は、その胡の笑うべき愚かしさとどこが違うだろうか!」
 すると、魏徴が言った。
「昔、魯の哀公が孔子へ言いました。『忘れっぽい人がおっての、引っ越す時、妻を置き忘れたそうだ。』すると、孔子は言いました。『それよりももっとひどい者が居ます。桀や紂は我が身さえも忘れました。』これもまた、同じ事でございますね。」
「そうだ。朕と公等が力を合わせて助け合えば、何とか人から笑われずに済むだろう!」
 35靑州有謀反者,州縣逮捕支黨,收繋滿獄,詔殿中侍御史安喜崔仁師覆按之。仁師至,悉脱去杻械,與飲食湯沐,寬慰之,止坐其魁首十餘人,餘皆釋之。還報,敕使將往決之。大理少卿孫伏伽謂仁師曰:「足下平反者多,人情誰不貪生,恐見徒侶得免,未肯甘心,深爲足下憂之。」仁師曰:「凡治獄當以平恕爲本,豈可自規免罪,知其冤而不為伸邪!萬一闇短,誤有所縱,以一身易十囚之死,亦所願也。」伏伽慚而退。及敕使至,更訊諸囚,皆曰:「崔公平恕,事無枉濫,請速就死。」無一人異辭者。
35.青州で造反を謀る者が居たが、州刺史や県令は一党を逮捕し、牢獄は溢れ返った。殿中侍御史の安喜の崔仁師へ、これを糾明するよう詔が降りた。
 仁師は、青州へ到着すると囚人達の枷を全て取り払い、彼等と共に飲食沐浴して寛慰し、首魁十余人を罰しただけで、残りは全て赦した。京師へ帰って報告すると、勅使が派遣されて後の検分をした。
 大理少卿孫伏伽が、仁師へ言った。
「足下は、造反した人間を、大勢無罪とした。人は誰しも命を貪るものだ。殺されないと知ったら懲りないだろう。後のことを考えると、足下の為に深く憂えるのだ。」
 仁師は言った。
「およそ獄を治める時は、平恕の想いを基盤とするべきだ。なんで私一人罪を免れる為に、冤罪と判った者を罰せようか!万一臣が暗愚で釈放が間違いだとしても、我が身一つが十人の囚人の身代わりになるのなら、願うところだ。」
 伏伽は恥じ入って退散した。
 勅使がやってきて残った囚人達へ訊ねると、皆、言った。
「崔公は平恕で、一つとして事実を曲げておりません。どうか、早く死刑にしてください。」
 ただの一人も異議を唱えなかった。
 36上好騎射,孫伏伽諫,以爲:「天子居則九門,行則警蹕,非欲苟自尊嚴,乃爲社稷生民之計也。陛下好自走馬射的以娯悅近臣,此乃少年爲諸王時所爲,非今日天子事業也。既非所以安養聖躬,又非所以儀刑後世,臣竊爲陛下不取。」上悅。未幾,以伏伽爲諫議大夫。
36.上が騎射を好んだので、孫伏伽が諫めて言った。
「天子が九門の奥に住み警備を厳重に行っていますのは、自分を立派に見せかけるためではありません。社稷生民の為の計でございます。陛下は馬を走らせて的を射て近臣と楽しむのを好んで居られますが、これは若い頃諸王だった時の行いであり、天子になった今日の事業ではありません。聖躬の休養にもならず、儀刑として後世の手本となるものでもありません。臣は、陛下の為にこれを取らないのです。」
 上は悦んだ。
 それから幾ばくも経たずに、伏伽は諫議大夫となった。
 37隋世選人,十一月集,至春而罷,人患其期促。至是,吏部侍郎觀城劉林甫奏四時聽選,隨闕注擬,人以爲便。
  唐初,士大夫以亂離之後,不樂仕進,官員不充。省符下諸州差人赴選,州府及詔使多以赤牒補官。至是盡省之,勒赴省選,集者七千餘人,林甫隨才銓敍,各得其所,時人稱之。詔以關中米貴,始分人於洛州選。
  上謂房玄齡曰:「官在得人,不在員多。」命玄齡併省,留文武總六百四十三員。
37.隋の頃の官吏の推薦は、十一月に始めて春に終わった。だから推挙する人々は、期限に迫られるのを患っていた。ここにいたって、吏部侍郎の観城の劉林甫が、いつでも人を推挙できるように上奏したのが裁可され、人々はその便宜を喜んだ。
 唐の建国当初は、乱世の後のことなので、仕官するのを嫌がる士大夫が大勢居り、役人が不足した。省符を各州へ配る人間や、州府や詔の使者などは、赤牒で徴発した人間を使用することも多かった。ここに至って、それを悉く廃止し、各省へ官吏を選ばせ、七千余人を集めた。林甫は、それらの人間を才覚に従って振り分けたが、各々適所に納まったので、人々はその手腕を褒め称えた。
 関中の米価が高騰したので、洛州へ人を選んで移住させるよう詔が降りた。
 上が、房玄齢へ言った。
「官は適宜な人材を得ることが大切なのだ。大勢いればよいとゆうものではない。」
 そして、省を併合するよう房玄齢へ命じた。官吏は文武を合わせて六百四十三人だけ残した。
 38隋秘書監晉陵劉子翼,有學行,性剛直,朋友有過,常面責之。李百藥常稱:「劉四雖復罵人,人終不恨。」是歳,有詔徴之,辭以母老,不至。
38.もとの隋の秘書監の晋陵の劉子翼は、学問があり剛直な性格で、朋友に過失があったら常に面と向かって叱責した。だが、李百薬はいつも彼を褒めていた。
「劉四は人を罵っているが、相手から怨まれることがない。」
 この年、詔がおりて彼を徴召したが、子翼は母親の老齢を理由に断った。
 39鄃令裴仁軌私役門夫,上怒,欲斬之。殿中侍御史長安李乾祐諫曰:「法者,陛下所與天下共也,非陛下所獨有也。今仁軌坐輕罪而抵極刑,臣恐人無所措手足。」上悅,免仁軌死,以乾祐爲侍御史。
39.鄃令の裴仁軌が、雑徭として徴発された役夫達を自分の門番として私的に使った。上は怒り、これを斬ろうとしたが、殿中侍御史の長安の李乾祐が諫めて言った。
「法は、陛下が天下と共有する為に造ったものです。もはや陛下一人のものではありません。今、仁軌が軽い罪を犯したのに極刑にされては、人々は手足を動かすこともできなくなるのではないかと恐れます。」
 上は悦び、仁軌の死刑を取りやめて、乾祐を侍御史とした。
 40上嘗語及關中、山東人,意有同異。殿中侍御史義豐張行成跪奏曰:「天子以四海爲家,不當有東西之異;恐示人以隘。」上善其言,厚賜之。自是毎有大政,常使預議。
40.上がかつて「関中の人間」「山東の人間」と、差別的な意味を含めて口にした。すると殿中侍御史の義豊の張行成が、跪いて上奏した。
「天子は、四海を家族とします。出身の東西で差別するのは宜しくありません。人々へ偏狭さを示すことになります。」
 上はその言葉を善しとして厚く賜を下し、それ以来、大政があるたびに常に彼を議論に参加させた。
 41初,突厥既強,敕勒諸部分散,有薛延陀、回紇、都播、骨利幹、多濫葛、同羅、僕固、拔野古、思結、渾、斛薛、結、阿跌、契苾、白霫等十五部,皆居磧北,風俗大抵與突厥同;薛延陀於諸部爲最強。
  西突厥曷薩那可汗方強,敕勒諸部皆臣之。曷薩那徴税無度,諸部皆怨。曷薩那誅其渠帥百餘人,敕勒相帥叛之,共推契苾哥楞爲易勿眞莫賀可汗,居貪于山北。又以薛延陀乙失鉢爲也咥小可汗,居燕末山北。及射匱可汗兵復振,薛延陀、契苾二部並去可汗之號以臣之。
  回紇等六部在鬱督軍山者,東屬始畢可汗。統葉護可汗勢衰,乙失鉢之孫夷男帥其部落七萬餘家,附于頡利可汗。頡利政亂,薛延陀與回紇、拔野古等相帥叛之。頡利遣其兄子欲谷設將十萬騎討之,回紇酋長菩薩將五千騎,與戰於馬鬣山,大破之。欲谷設走,菩薩追至天山,部衆多爲所虜,回紇由是大振。薛延陀又破其四設,頡利不能制。
  頡利益衰,國人離散。會大雪,平地數尺,羊馬多死,民大飢,頡利恐唐乘其弊,引兵入朔州境上,揚言會獵,實設備焉。鴻臚卿鄭元璹使突厥還,言於上曰:「戎狄興衰,專以羊馬爲侯。今突厥民飢畜痩,此將亡之兆也,不過三年。」上然之。羣臣多勸上乘間撃突厥,上曰:「新與人盟而背之,不信;利人之災,不仁;乘人之危以取勝,不武。縱使其種落盡叛,六畜無餘,朕終不撃,必待有罪,然後討之。」
  西突厥統葉護可汗遣眞珠統俟斤與高平王道立來,獻萬釘寶鈿金帶,馬五千匹,以迎公主。頡利不欲中國與之和親,數遣兵入寇,又遣人謂統葉護曰:「汝迎唐公主,要須經我國中過。」統葉護患之,未成婚。
41.突厥が強盛になった頃、敕勒の諸部は分散し、薛延陀、回紇、都播、骨利幹、多濫葛、同羅、僕固、抜野古、思結、渾、斛薛、結、阿跌、契苾、白霫等十五の部族に別れた。皆、磧北に住み、その風俗は大体突厥と同じだった。この中では、薛延陀が最強だった。
 西突厥の曷薩那可汗が強盛になると、敕勒の諸部は、皆、これへ臣従した。しかし、曷薩那は彼等から貪欲に徴税したので、諸部は皆、怨んだ。すると曷薩那は、彼等の渠帥百余人を誅殺した。遂に敕勒は共に一斉に蜂起した。 彼等は貪于山北に住む契苾の哥楞を推戴して易勿真莫賀可汗とし、燕末山北に住む薛延陀の乙失鉢を也咥小可汗とした。だが、やがて射匱可汗の兵力が強くなると、薛延陀、契苾の二部は共に可汗の称号を取り去り、これに臣従した。
 回紇等六部は鬱督軍山へ住み、東方の始畢可汗の属国となる。統葉護可汗の勢力が衰えると、乙失鉢の孫の夷男が配下の部落七万を率いて頡利可汗へ臣従した。だが、頡利の政治が乱れると、薛延陀と回紇、抜野古等は、部落を率いてこれに背いた。頡利は、兄の子の欲谷設へ十万騎を与えて、彼等を討伐させた。回紇の酋長菩薩は五千騎を率い、これと馬鬣山にて戦い、大勝利を収めた。欲谷設は逃げだし、菩薩はこれを天山まで追撃した。大勢の騎兵を捕虜にし、これ以来、回紇の兵力は大いに増大した。
 薛延陀もまた、突厥の四つの設を破ったが、頡利はこれを制圧できなかった。
 頡利はますます衰退し、国人は離散していった。そこへ大雪が降った。この雪は平地を数尺も覆い、多くの羊や馬が死に大勢の民が餓死した。頡利は、これに乗じて唐軍が責めてくることを恐れ、兵を朔州との国境付近へ置き、狩猟を名目にして軍備を布いた。
 鴻臚卿鄭元璹を使者として突厥へ派遣したが、彼は帰ってくると上言した。
「戎狄の盛衰は、羊馬の飼育にかかる気候次第です。今、突厥の民は飢え、家畜は痩せています。これこそ、滅亡の兆しです。まあ、三年と持ちますまい。」
 上は、納得した。多くの群臣達が、この機会に突厥を討つよう勧めたが、上は言った。
「盟約を結んだばかりの相手を討伐する。これは信義に悖る。相手の災いにつけ込むのは、不仁だ。相手の危機に乗じて勝利を取るのは武ではない。たとえ、彼の部下が全員叛逆して、彼が家畜を全て失ってしまっても、朕はこれを攻撃するまい。討伐するのは、奴等が悪事を働いた時だ。」
 西突厥の統葉護可汗が真珠統俟斤と高平王道立を派遣して、萬釘寶細金帯と馬五千匹を献上し、公主を迎えに来た。頡利は中国との和親を望まなかったので、屡々派兵して入寇した。また、統葉護へ使者を派遣し、言った。
「汝が唐の公主を迎えたくても、我が領内は通過させないぞ。」
 統葉護はこれを患い、通婚は、未だ成立しなかった。
二年(戊子、六二八)

 春,正月,辛亥,右僕射長孫無忌罷。時有密表稱無忌權寵過盛者,上以表示之,曰:「朕於卿洞然無疑,若各懷所聞而不言,則君臣之意有不通。」又召百官謂之曰:「朕諸子皆幼,視無忌如子,非他人所能間也。」無忌自懼滿盈,固求遜位,皇后又力爲之請,上乃許之,以爲開府儀同三司。
1.春、正月、辛亥。長孫無忌が右僕射を罷めた。その経緯は、以下の通り。
 無忌の権力や寵遇が度を超しているとの密表があった。上は、これを無忌へ見せて、言った。
「朕は、卿のことを露ほども疑ってはいない。ただ、各々耳に入ったことを腹の中にしまっておくなど、君臣として他人行儀ではないか。」
 また、百官を召し出して、言った。
「朕の諸子は、まだ幼い。無忌は、その誰もを我が子のように可愛がっている。他人がその仲を引き裂けるようなものではない。」
 無忌は、満ちれば溢れるの戒を懼れ、位を下げることを求めた。皇后もまた力請したので、上はこれを許し、開府儀同三司とした。
 置六司侍郎,副六尚書;并置左右司郎中各一人。
2.六司侍郎を設置して、六尚書の副官とした。併せて、左右の司郎中を各一名設置する。
 癸丑,吐谷渾寇岷州,都督李道彦撃走之。
3.癸丑、吐谷渾が岷州へ来寇した。都督の李道彦がこれを撃退した。
 丁巳,徙漢王恪爲蜀王,衞王泰爲越王,楚王祐爲燕王。
4.丁巳、漢王恪を蜀王、衛王泰を越王、楚王祐を燕王とする。
 上問魏徴曰:「人主何爲而明,何爲而暗?」對曰:「兼聽則明,偏信則暗。昔堯清問下民,故有苗之惡得以上聞;舜明四目,達四聰,故共、鯀、驩兜不能蔽也。秦二世偏信趙高,以成望夷之禍;梁武帝偏信朱异,以取臺城之辱;隋煬帝偏信虞世基,以致彭城閣之變。是故人君兼聽廣納,則貴臣不得擁蔽,而下情得以上通也。」上曰:「善!」
  上謂黄門侍郎王珪曰:「開皇十四年大旱,隋文帝不許賑給,而令百姓就食山東,比至末年,天下儲積可供五十年。煬帝恃其富饒,侈心無厭,卒亡天下。但使倉廩之積足以備凶年,其餘何用哉!」
5.上が魏徴へ訊ねた。
「どんな人主を聡明と言い、どんな人主を暗愚というのかな?」
 対して答えた。
「多くの意見を聞き入れるのを聡明と言い、一つだけの意見しか聞かないのを暗愚と言います。昔、堯は民へ対して虚心に訊ねましたので、有苗の悪行を耳にすることができました。舜は四つの目と四つの耳を持つと称されるほどの人でしたから、共、鯀、驩兜達も、悪業を隠し通すことができませんでした。逆に秦の二世皇帝は趙高だけを信じ込みましたので、望夷の禍が起こりましたし、梁の武帝は朱异のみを信じ込みましたので、台城の屈辱を受けました。隋の煬帝は虞世基を偏信して彭城閣の変が起こったのです。これ故に、人君は大勢の意見を広く聞き入れなければなりません。そうすれば貴臣でも好き勝手はできませんし、下情も上達するのです。」
 上は言った。
「善し!」
 上が黄門侍郎王珪へ言った。
「開皇十四年の大旱の時、隋の文帝は民への賑給を許さず、百姓を山東へ移住させて、そこの食料を食べさせた。それ程貧しかったのに、開皇の末年になると、天下には五十年分の穀物が山積された。煬帝はその富を恃んで奢侈を極め、ついに国を滅ぼしてしまった。倉庫へ穀物を山積にさせたとて、ただ凶作の年に備えるだけのことだ。それ以上は何の役に立つか!」
 二月,上謂侍臣曰:「人言天子至尊,無所畏憚。朕則不然,上畏皇天之監臨,下憚羣臣之瞻仰,兢兢業業,猶恐不合天意,未副人望。」魏徴曰:「此誠致治之要,願陛下愼終如始,則善矣。」
6.二月、上が侍臣へ言った。
「人々は、『天子は一番偉いから、畏憚するものなど何もない。』と言っているが、朕は違うぞ。上は皇天の監臨を畏れ、下は群臣の見上げる視線を憚っている。いつも兢々業々と、天意に合わない所がないか、人望に沿わないところがないかと恐れているのだ。」
 魏徴は言った。
「これこそ誠に致政の要です。どうか陛下、最後までそのお気持ちでお慎みください。そうすれば、全て巧く行きます。」
 上謂房玄齡等曰:「爲政莫若至公。昔諸葛亮竄廖立、李嚴於南夷,亮卒而立、嚴皆悲泣,有死者,非至公能如是乎!又高熲爲隋相,公平識治體,隋之興亡,繋熲之存沒。朕既慕前世之明君,卿等不可不法前世之賢相也!」
7.上が房玄齢等へ言った。
「政治を為す時は、至公が一番大切だ。昔、諸葛亮は廖立や李嚴を南夷へ流したが、亮が卒すると、立も嚴も悲しんで泣き濡れ、死んでしまった者も居た。至公でなければ、どうしてこのようにできるだろうか!また、高熲が隋の宰相となった時、公平で政治のことを良く知っていた。そして、熲の存没は隋の興亡へ繋がったのだ。朕は既に前世の明君を慕っている。卿等は前世の賢相を手本とせよ!」
 三月,戊寅朔,日有食之。
8.三月、戊寅の朔、日食が起こった。
 壬子,大理少卿胡演進毎月囚帳;上命自今大辟皆令中書、門下四品已上及尚書議之,庶無冤濫。既而引囚,至岐州刺史鄭善果,上謂胡演曰:「善果雖復有罪,官品不卑,豈可使與諸囚爲伍。自今三品以上犯罪,不須引過,聽於朝堂俟進止。」
9.大理少卿の胡演は毎月、有罪となった囚人の名簿を造って上へ報告していた。壬子、上は、今後大罪の者は、冤罪を少しでも減らす為に、中書省と門下省の四品以上の者及び尚書と共に協議せよと命じた。
 さて、囚人を引き出すと、その中に岐州刺史鄭善果がいた。上は、胡演へ言った。
「善果は有罪ではあるが、官品は卑しくない。どうして他の囚人達と一緒にして良かろうか。これ以後は、三品以上で罪を犯した者は、引き出さずに朝堂にて待たせるようにせよ。」
 10關内旱饑,民多賣子以接衣食;己巳,詔出御府金帛爲贖之,歸其父母。庚午,詔以去歳霖雨,今茲旱、蝗,赦天下。詔書略曰:「若使年穀豐稔,天下乂安,移災朕身,以存萬國,是所願也,甘心無吝。」會所在有雨,民大悅。
10.関内が旱害で飢饉となり、大勢の民が衣食の為に子を売った。
 己巳、府の金帛にて売られた子達を買い取り、その父母の元へ帰すよう詔が降りた。
 庚午、去年の長雨と今年の旱害、虫害の為、天下へ恩赦を出すと詔された。その詔書は、次のような内容である。
「もしも、稔りを豊作にして天下を安泰にする代わりに、朕の身に禍を降りかけてやる、と言われたならば、万国の安泰こそ朕の願いである、迷いもしないで甘んじて受けようものを。」
 この詔が降りると、随所で雨が降り、民は大いに悦んだ。
 11夏,四月,己卯,詔以「隋末亂離,因之饑饉,暴骸滿野,傷人心目,宜令所在官司收瘞。」
11.夏、四月。己卯、詔が降りた。
「隋末の乱離のせいで飢饉となり、野には屍が野ざらしとなって、見る者の胸を痛める。所在の官司は、これを収めて埋葬せよ。」
 12初,突厥突利可汗建牙直幽州之北,主東偏,奚、霫等數十部多叛突厥來降,頡利可汗以其失衆責之。及薛延陀、回紇等敗欲谷設,頡利遣突利討之,突利兵又敗,輕騎奔還。頡利怒,拘之十餘日而撻之,突利由是怨,陰欲叛頡利。頡利數徴兵於突利,突利不與,表請入朝。上謂侍臣曰:「曏者突厥之強,控弦百萬,憑陵中夏,用是驕恣,以失其民。今自請入朝,非困窮,肯如是乎!朕聞之,且喜且懼。何則?突厥衰則邊境安矣,故喜。然朕或失道,他日亦將如突厥,能無懼乎!卿曹宜不惜苦諫,以輔朕之不逮也。」
  頡利發兵攻突利,丁亥,突利遣使來求救。上謀於大臣曰:「朕與突利爲兄弟,有急不可不救。然頡利亦與之有盟,奈何?」兵部尚書杜如晦曰:「戎狄無信,終當負約,今不因其亂而取之,後悔無及。夫取亂侮亡,古之道也。」
  丙申,契丹酋長帥其部落來降。頡利遣使請以梁師都易契丹,上謂使者曰:「契丹與突厥異類,今來歸附,何故索之!師都中國之人,盜我土地,暴我百姓,突厥受而庇之,我興兵致討,輒來救之,彼如魚游釜中,何患不爲我有!借使不得,亦終不以降附之民易之也。」
  先是,上知突厥政亂,不能庇梁師都,以書諭之,師都不從。上遣夏州都督長史劉旻、司馬劉蘭成圖之,旻等數遣輕騎踐其禾稼,多縱反間,離其君臣,其國漸虚,降者相屬。其名將李正寶等謀執師都,事洩,來奔,由是上下益相疑。旻等知可取,上表請兵。上遣右衞大將軍柴紹、殿中少監薛萬均撃之,又遣旻等據朔方東城以逼之。師都引突厥兵至城下,劉蘭成偃旗臥鼓不出。師都宵遁,蘭成追撃,破之。突厥大發兵救師都,柴紹等未至朔方數十里,與突厥遇,奮撃,大破之,遂圍朔方。突厥不敢救,城中食盡。壬寅,師都從父弟洛仁殺師都,以城降,以其地爲夏州。
12.話は遡るが、突厥の突利可汗が牙帳を幽州の北へ建てた。そこは突厥の領土では東へ偏り過ぎていたので、西方の奚や霫に住む数十部が突厥に背いて中華へ来降した。頡利可汗は、衆人を失ったことで、突利可汗を責めた。
 薛延陀、回紇等が欲谷設を破ると、頡利は突利を派遣して攻撃させたが、突利は敗北し軽騎にて逃げ帰った。頡利は怒り、これを十余日間拘禁し、打った。これによって突利は怨み、密かに頡利へ叛こうと欲した。
 頡利は、何度も突利から徴兵したが、突利はこれを与えず、唐へ入朝を表請した。
 上は侍臣へ言った。
「昔日の突厥は強盛で、百万の弓を揃えて中夏を凌いだものだったが、驕慢と放埒で民を失ってしまった。今、自ら入朝を求めているが、困窮したのでなければ、どうしてこのようなことをするだろうか!朕はこれを聞いて、かつは喜び、かつは懼れた。それはどうしてか?突厥が衰退すれば、辺境が安泰となる。だから喜んだのだ。しかし、朕が道を失えば、後には朕が突厥のような羽目に陥る。それを思えば、どうして懼れずいられるだろうか!卿等は、苦諫を惜しまずに、朕を不断に輔けるのだぞ。」
 頡利は、兵を発して突利を攻撃した。
 丁亥、突利は唐へ使者を派遣して、救援を求めた。そこで、上は大臣に謀った。
「朕と突厥は兄弟となった。急いで助けなければならない。だが、頡利とも盟約がある。どうすればよいかな?」
 すると、兵部尚書の杜如晦が言った。
「戎狄には信義がありません。いずれは奴等は盟約を破ります。今、奴等が乱れているのにつけ込んでこれを取らなければ、後に悔いても及びませんぞ。それ、乱を取り、亡を侮るのは古の道であります。」
 丙申、契丹の酋長が部落を率いて来降した。頡利は使者を派遣し、梁師都と契丹を交換するよう請うた。すると、上は使者へ言った。
「契丹と突厥は、異民族だ。今、彼等が自ら帰順してきたのに、なんでこれを引っ張って行くのか!師都は中国の人間で、我が土地を盗み、我が民へ暴虐を振るう。突厥が後ろ盾となって庇うのなら、我が討伐軍を起こした時に救援に来るがよい。彼は、釜の中の魚に過ぎん。何で我のものではないというのか!持ってもいないものと降伏した民とを、どうして交換できるものか。」
 これより前、上は突厥の政治が乱れているのを知り、梁師都を庇いきれないと見て、師都へ書を遣って諭したのだが、師都は従わなかった。そこで上は、夏州都督長史劉旻、司馬劉蘭成へこれを図るよう命じた。
 旻等は、屡々軽騎を出して梁の稔りを蹂躙し、反間を放って君臣を離間した。おかげで梁の国威は次第に衰弱し、唐へ降伏する者が相継いだ。梁の名将の李正寶等は、師都を捕らえようと謀ったが、計画が事前に漏洩したので、唐へ亡命した。これ以来、上下は益々猜疑しあうようになった。
 旻等は、梁を滅ぼす好機と見て、上へ出兵を請うた。上は右衛大将軍柴紹、殿中少監薛萬均を派遣し、これを撃たせた。また、旻等へは朔方の東城へ據って梁を威嚇させた。
 師都は、突厥の兵を率いて城下へやって来た。劉蘭成は旗を伏せ、鼓を倒して戦わない。しかし、宵になって師都が逃げようとすると、これを追撃して、破った。
 突厥が大軍を出して梁師都を救援に来たが、柴紹は朔方の数十里手前で突厥郡と遭遇し、奮撃して大いに破り、遂に朔方を包囲した。突厥は敢えて救援に向かわず、城中は食糧が尽きた。
 壬寅、師都の従父弟の洛仁が、師都を殺して城ごと降伏した。その土地を、夏州とする。
 13太常少卿祖孝孫,以爲梁、陳之音多呉、楚,周、齊之音多胡、夷,於是斟酌南北,考以古聲,作唐雅樂,凡八十四調、三十一曲、十二和。詔協律郎張文收與孝孫同脩定。六月,乙酉,孝孫等奏新樂。上曰:「禮樂者,蓋聖人縁情以設教耳,治之隆替,豈由於此?」御史大夫杜淹曰:「齊之將亡,作伴侶曲,陳之將亡,作玉樹後庭花,其聲哀思,行路聞之皆悲泣,何得言治之隆替不在樂也!」上曰:「不然。夫樂能感人,故樂者聞之則喜,憂者聞之則悲,悲喜在人心,非由樂也。將亡之政,民必愁苦,故聞樂而悲耳。今二曲具存,朕爲公奏之,公豈悲乎?」右丞魏徴曰:「古人稱『禮云禮云,玉帛云乎哉!樂云樂云,鐘鼓云乎哉!』樂誠在人和,不在聲音也。」
   臣光曰:「臣聞垂能目制方圓,心度曲直,然不能以教人,其所以教人者,必規矩而已矣。聖人不勉而中,不思而得,然不能以授人,其所以授人者,必禮樂而已矣。禮者,聖人之所履也;樂者,聖人之所樂也。聖人履中正而樂和平,又思與四海共之,百世傳之,於是乎作禮樂焉。故工人執垂之規矩而施之器,是亦垂之功已;王者執五帝、三王之禮樂而施之世,是亦五帝、三王之治已。五帝、三王,其違世已久,後之人見其禮知其所履,聞其樂知其所樂,炳然若猶存於世焉。此非禮樂之功邪?
   夫禮樂有本、有文:中和者,本也;容聲者,末也;二者不可偏廢。先王守禮樂之本,未嘗須臾去於心,行禮樂之文,未嘗須臾遠於身。興於閨門,著於朝廷,被於郷遂比鄰,達於諸侯,流於四海,自祭祀軍旅至於飲食起居,未嘗不在禮樂之中;如此數十百年,然後治化周浹,鳳凰來儀也。苟無其本而徒有其末,一日行之而百日捨之,求以移風易俗,誠亦難矣。是以漢武帝置協律,歌天瑞,非不美也,不能免哀痛之詔。王莽建羲和,考律呂,非不精也,不能救漸臺之禍。晉武制笛尺,調金石,非不詳也,不能弭平陽之災。梁武帝立四器、調八音,非不察也,不能免臺城之辱。然則韶、夏、濩、武之音,具存於世,苟其餘不足以稱之,曾不能化一夫,況四海乎!是猶執垂之規矩而無工與材,坐而待器之成,終不可得也。況齊、陳淫昏之主,亡國之音,蹔奏於庭,烏能變一世之哀樂乎!而太宗遽云治之隆替不由於樂,何發言之易而果於非聖人也如此!
   夫禮非威儀之謂也,然無威儀則禮不可得而行矣。樂非聲音之謂也,然無聲音則樂不可得而見矣。譬諸山,取其一土一石而謂之山則不可,然土石皆去,山於何在哉!故曰:「無本不立,無文不行。」奈何以齊、陳之音不驗於今世,而謂樂無益於治亂,何異睹拳石而輕泰山乎!必若所言,則是五帝、三王之作樂皆妄也。」君子於其所不知,蓋闕如也,」惜哉!
13.太常少卿祖孝孫は、梁や陳には呉、楚の音楽が多く、周や斉には胡、夷の音楽が多いことから、これをもとに古声を推測し、唐雅楽を造った。これは八十四調、三十一曲、十二和から成り立っている。協律郎張文収へ、孝孫と共にこれを修めるよう詔が降った。
 六月、乙酉、孝孫等はこの新しい音楽を演奏した。上は言った。
「礼楽は、それを楽しみたいとゆう感情が人々から無くせないから、聖人が規範を作ってやっただけだ。政治の興廃が、なんでこのようなものに由来しようか?」
 すると、御史大夫杜淹が言った。
「斉が滅亡する頃、伴侶曲が作られ、陳の滅亡する頃に玉樹後庭花が作られました。どちらの曲も、その音声は物悲しく、道行く人でもこの曲を耳にすれば皆泣き濡れたと言います。政治の興廃が音楽とは関係ないなどと、どうして言えましょうか!」
 だが、上は言った。
「いや、そうではない。音楽は、人の気持ちに感応するものである。だから、楽しんでいる人がこれを聞けば喜び、憂えている者がこれを聞けば悲しむ。悲喜は人の心にあり、音楽にはない。滅亡寸前の国では政治も腐敗し、民は必ず愁苦している。だから音楽を聞いて悲しくなっただけだ。今、その二曲はどちらも残っている。朕が公の為に演奏してやったら、公は悲しくなるかな?」
 右丞の魏徴が言った。
「古人が言いました。『礼と言い礼と言うが、礼とは玉帛の事ではないぞ!楽と言い楽と言うが、楽とは鍾や太鼓のことではないぞ!』楽は、まこと、人の和にあります。声楽にはありません。」
 臣光曰く、
 昔、垂とゆう名工がいたが、彼は目で見ただけで真っ直ぐとか円を描いているとか判定できたが、その術を人へ教えることはできなかった。だから、定規やコンパスを造った。彼以外の人間はこれらを使って曲直を知り円を描く、と、私は聞いている。
 聖人は、努力しなくても中を得るし、思索しなくても判る。だがその術を人へ授けることはできない。人へ授けられるものは礼楽だけなのだ。
 礼は、聖人が実践したもの。楽は、聖人が楽しんだものだ。聖人は、中正を履行し、和平を楽しむ。また、その想いを四海の民と共有し、百代まで伝えようと思い、ここにおいて礼と楽を制定したのである。
 だから、工人は垂の定規やコンパスを執って器へ施す。これは垂の功績である。王者は五帝、三王の礼楽を執って世へ施す。これもまた、五帝三王の治世である。
 世間が五帝、三王へ背いてから既に久しいが、後の人はその礼を見て、聖王の履行した跡を知り、その楽を聞いて聖王の楽しんだものを知れる。聖王の事績や心が明々としてなお世の中に存するかのように感じられるのは、これ礼楽の功績ではないか!
 それ、礼楽には大本があり、飾りがある。中和は、大本だ。容声は枝葉だ。しかし、この二つはどちらかに偏ったり、一方を捨て去ったりはできないものだ。先王が礼楽の大本を守りほんの僅かの時間も心から忘れず、礼楽の飾りを行って本の僅かの時間も身から遠ざけなかった。閨門に興り、朝廷にて著われ、近隣に波及し諸侯に達し四海に流れ、祭祀や軍旅から飲食起居に至るまで、いまだかつて礼楽から外れるものはなかった。このようにして数十百年経ち、それでようやく世界があまねく教化され、鳳凰が飛んできて舞を舞うのである。
 いやしくもその大本もないのにいたずらに枝葉の飾りだけを追い求め、一日だけ実行して百日顧みないようならば、風俗を変えようと思っても実に難しいことではないか。例えば漢の武帝は協律都尉を置き、天瑞を歌わせた。これは美麗だったけれども、結局は「哀痛の詔」を出す羽目になった。王莽は羲和の官を建てて律呂を制定させた。これは精密だったけれども、それで「漸台の禍」を救うことはできなかった。晋の武帝は笛の長さを制定し金石の音を整えた。これは詳細だったけれども「平陽の災」を止められなかった。梁の武帝は四器を立て八音を整えた。これは明察だったけれども「台城の辱」を免れなかった。
 こうして考えるなら、韶や夏や濩や武の音楽がそのまま伝承されていたとしても、根本の徳が称するに足りないものならば、一人の匹夫でさえ感化させることはできない。ましてや四海なら尚更だ!
 これは例えるならば、垂の定規やコンパスがあっても、工人も材料も揃えずに、ただ座り込んで器ができるのを待つようなものだ。絶対に手に入らない。ましてや斉や陳のように淫乱昏迷の主君が亡国の音楽をを朝廷で演奏させてみたところで、どうして一世の哀楽を根本から変えられようか!
 それなのに太宗は、政治の興廃は歌に依らないと、何とも容易に発言し、こんなに果断に聖人を否定したものだ!
 それ、礼とは威儀のことではない。だが、威儀がなければ礼を得て実践することはできない。楽とは、音声のことではない。だが、音声がなければ楽は得て見ることはできない。
 たとえば、山から一土一石を取ってきて、「これが山だ」と言ったら、それは間違いだ。しかし、土石を全て取り除いてしまったら、山は一体どこにあるのか!
 だから言う、「大本がなければ立たず、飾りがなければ実践されない。」と。
 今の時代に、斉や陳の音が効能なかったからと言って、楽が治乱に益無しとゆうのは、拳ほどの石を持って泰山を軽いというようなものではないか!
 もしもこの言葉が正しいのならば、五帝三王が楽を造ったのは、皆、馬鹿げた話だとなってしまう。
「君子は、知らないことについては黙っているものだ。」と言うではないか。
 惜しいことだ!
 14戊子,上謂侍臣曰:「朕觀隋煬帝集,文辭奧博,亦知是堯、舜而非桀、紂,然行事何其反也!」魏徴對曰:「人君雖聖哲,猶當虚己以受人,故智者獻其謀,勇者竭其力。煬帝恃其俊才,驕矜自用,故口誦堯、舜之言而身爲桀、紂之行,曾不自知,以至覆亡也。」上曰:「前事不遠,吾屬之師也!」
14.戊子、上が侍臣へ言った。
「朕は隋の煬帝集を読んでみたが、文辞は奥深く、そのうえ博い。この著者は堯・舜の様な人間で、決して桀や紂のような人間ではないと思える。だが、彼の実績を見ると、正反対ではないか!」
 魏徴が言った。
「人君は聖哲であっても、なお、己を虚しくして人を受け入れなければならないのです。そのようであればこそ、智者は謀を献上し、勇者は力を尽くすのです。煬帝は、その俊才を恃んで自分の力に驕りました。ですから口では堯、舜の言葉を誦しながら桀や紂の行動をとっていたのです。そして、滅亡するまでそれに気がつきませんでした。」
 上は言った。
「隋の滅亡は遠い過去ではない。我らの反面教師だ!」
 15畿内有蝗。辛卯,上入苑中,見蝗,掇數枚,祝之曰:「民以穀爲命,而汝食之,寧食吾之肺腸。」舉手欲呑之,左右諫曰:「惡物或成疾。」上曰:「朕爲民受災,何疾之避!」遂呑之。是歳,蝗不爲災。
15.畿内で蝗が出た。辛卯、上は苑中へ入って蝗を見、数匹摘んで祈った。
「穀物は民の命だ。それなのに汝等はこれを食う。それならばいっそ、我が肺腑を食べてくれ。」
 そして、これを呑み込もうとしたので、左右の臣が諫めて言った。
「悪食は体を壊しますぞ。」
 上は言った。
「民のために災を受けるのなら、朕は何物をも避けないぞ!」
 遂にこれを呑んだ。
 この年、蝗害は起こらなかった。
 16上曰:「朕毎臨朝,欲發一言,未嘗不三思。恐爲民害,是以不多言。」給事中知起居事杜正倫曰:「臣職在記言,陛下之失,臣必書之,豈徒有害於今,亦恐貽譏於後。」上悅,賜帛二百段。
16.上が言った。
「朕は朝廷へ臨んで言葉を出そうと思うたびに、三思しなかったことがない。民を害することを懼れる余り、多弁になれないのだ。」
 給事中知起居事の杜正倫が言った。
「臣の職務は、天子の言葉を記録することでございます。陛下の湿原は、必ず臣が書き留めます。ですから陛下の失言は今の害になるだけではありません。後世まで謗られるのです。」
 上は悦んで帛二百段を贈った。
 17上曰:「梁武帝君臣惟談苦空,侯景之亂,百官不能乘馬。元帝爲周師所圍,猶講老子,百官戎服以聽。此深足爲戒。朕所好者,唯堯、舜、周、孔之道,以爲如鳥有翼,如魚有水,失之則死,不可暫無耳。」
17.上は言った。
「梁の武帝の君臣は、ただ苦行や空寂のみを語り合っていた。其の挙げ句、侯景が乱を起こした時には、百官は馬に乗ることさえできなかった。元帝は、周の軍隊に包囲されても、なお老子を講釈していた。百官は軍服を着てこれを聞いたとゆう。これらは深く戒めるに足りる。朕が好むのは、ただ堯、舜、周、孔の道である。鳥に翼が要るように、魚に水が要るように、これを失えば死んでしまう。ほんの暫しの時間でも無くせない物だ。」
 18以辰州刺史裴虔通,隋煬帝故人,特蒙寵任,而身爲弑逆,雖時移事變,屢更赦令,幸免族夷,不可猶使牧民,乃下詔除名,流驩州。虔通常言「身除隋室以啓大唐」,自以爲功,頗有觖望之色。及得罪,怨憤而死。
18.辰州刺史裴虔通は、隋の煬帝の古馴染みで特に寵任を蒙っていたのに、弑逆を為した人間である。あれから時が流れ世も移り変わり、赦令も何度も出、幸いにして一族殲滅は免れた。しかし、このような人間を民の父母にはできないと、詔が降って除名され、驩州へ流された。
 虔通は、いつも「隋を滅ぼして大唐を勃興させたのは、この俺だ。」と吹聴しており、自分では大功臣のつもりだったので、たかが地方の刺史にしかなれなかったことを、不本意に思っていた。今回罪に落とされるに及んで、怨憤の余り死んでしまった。
 19秋,七月,詔宇文化及之黨莱州刺史牛方裕、絳州刺史薛世良、廣州都督長史唐奉義、隋武牙郎將元禮並除名徙邊。
19.秋、七月。宇文化及の仲間である莱州刺史牛方裕、絳州刺史薛世良、広州都督長史唐奉義、隋武牙郎将元礼等を皆除名して辺境へ流した。
 20上謂侍臣曰:「古語有之:『赦者小人之幸,君子之不幸。』『一歳再赦,善人暗啞。』夫養稂莠者害嘉穀,赦有罪者賊良民,故朕即位以來,不欲數赦,恐小人恃之輕犯憲章故也!」
20.上が侍臣へ言った。
「古語にある。『赦は、小人の幸いで君子の不幸だ。』『一年に二回も大赦を行うと、善人は黙り込んでしまう。』と。雑草を養ったら稲が枯れるように、罪人を赦したら良民が害される。だから、朕は即位以来大赦を頻繁に行うことを望まなかったのだ。小人が大赦を恃んで軽々しく法を犯すようになることを恐れるからだ!」

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