日豊本線のDF50

日豊本線にC57がまだ健在だったころ、DF50は特急「富士」「彗星」急行「高千穂」「日南」などの優等列車の先頭に立ち、主力機として君臨していました。箱型の独特の風貌はなかなか好ましく私も好きでした。しかし当初は通過しても見ているだけで撮影をすることはあまりありませんでしたが晩年になると構えている時に来ればシャッターを押すようになりました。たしか昭和49年位から「富士」「彗星」のヘッドマークが外されてしまい、それ以前に撮影したのは僅かであるのは残念です。
MANエンジンを轟かせた日向路のDF50も日豊本線電化と共に昭和54年に姿を消しました。

昭和48年4月11日  宮崎機関区
日豊本線DF50の特徴は前面窓の黒いHゴムとヘッドマーク掲出用に低く「コの字型」に改造された全面貫通扉脇の手すりにあります。エアフィルタが十字タイプの初期型と3列タイプのものが混在しており興味深いです。

昭和49年2月21日 田野ー門石信号所 「富士」
C57牽引日南3号通過の15分前、ちょうどカメラを構えた頃に「富士」がやってくるので試し撮り代わりに撮影したものです。この直後、門石信号所で交換した「彗星」が通過し、下ってきます。この後に通過した日南3号の写真は弊板現役蒸気、日豊本線

http://www.geocities.jp/zensin7040/nippousen.htmにあります。

昭和49年2月25日 門石信号所ー青井岳 「富士」
山間の鉄橋にMANエンジンが轟きます。

昭和49年2月19日 田野ー日向沓掛
C57牽引のオールグリーン臨客が走るとの情報を得て待ちましたがDF50でした。
当時は非常にがっかりしましたが今となっては貴重な記録となりました。

昭和48年4月10日  日向沓掛駅
DF50牽引同士の普通客車が日向沓掛駅で交換しました。タブレットを交換しています。

昭和48年4月10日  清武ー日向沓掛
へードマークも誇らしげに特急「富士」の先頭に立つDF50が20系8両を従えて登ってきます。
下り方には丸いオデコのカニ21が連結されており好きでした。20系のブルーとDF50のオレンジが良いバランスでした。

昭和48年4月7日  大淀川
大分で附属編成を切り離した「富士」は8両の身軽な編成になって鹿児島を目指します。

昭和49年2月19日  田野ー門石信号所 「彗星」
上り列車の先頭には切妻のナハネフ23が付きます。下り勾配ですがDLだと関係ないですね。

昭和49年2月22日  高鍋 「彗星」
この頃になると宮崎電化を控えてすっかり架線も張られていました。

当時はC57撮影の合間に何気なく撮影したDF50の写真の数々。今から見れば貴重なシーンばかりです。DD51は「赤豚」などと呼ばれ目の仇にされていましたがDF50は当時から許されていたような気がします。
目を大陸に移せば「東風4B」の姿がダブります。今は前進を駆逐する憎っくき東風ですが何年後かには「東風4Bも良かったなぁ」と思える時がやってくるのでしょうか。