二 被告人らの関係

被告人ら4名は、右のとおり、足立区立東綾瀬中学校の先輩・後輩関係にあり、
最年長の宮野がリーダーとなって、昭和63年10月ころから、湊伸治の両親が
共稼ぎで不在がちであることに乗じて、足立区綾瀬7丁目8番6号所在
湊靖人方2階の伸治の部屋(以下伸治の部屋と略称)をいわゆる溜まり場として、
行動を共にしていた。そして、被告人らは、夜間、電柱あるいは脚立を利用して
2回ベランダ経由で同部屋に出入りしていた。

また、宮野は、昭和63年12月11日ころ暴力団極東組関口一家桜誠会幹部
豊田倖一の勧めで、極東組の下部組織(青年部)として極青会を結成し、
自ら会長に就き、小倉を事務局長に据え、湊伸治、渡邊ら
中学校の後輩多数をその配下に組み入れていた。


三 被害者(原文では実名ですが私の判断で被害者と書くことにしました)に対する 猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、殺人、死体遺棄関係

1 被害者の身上経歴等

被害者は、昭和46年1月18日、父(原文では実名)、母(原文では実名)の長女として生まれ、
埼玉県三郷市立高洲小学校、同南中学校を経て、同県立八潮南高校に進学し、平成元年3月には
同校を卒業して都内の会社に就職する予定であった上、人柄は明朗で友人も多く、
健康で親孝行な女子高生であった。

被害者は、かねて同県八潮市内の株式会社秀英堂八潮センターで週2回アルバイトをしており、
後記のとおり、昭和63年11月25日、同会社でアルバイトを終えて帰宅途上、
後記のとおり宮野らに取拐されたものである。

2 宮野らが被害者を誘拐略取した状況(公訴事実第一、1事実関係)

昭和63年11月25日、宮野及び湊伸治は、それぞれ原付自転車を運転して、
引ったくりないし強姦するに格好な女性を物色して埼玉県三郷市内を徘徊していたところ、
同日午後8時30分ごろ、同市戸ヶ崎2138番地先交差点付近で、折から自転車に乗って
信号待ちをしていた被害者を認めるや、被害者を拐取して強姦しようと企て、互いに意思を相通じ、
共謀を遂げ、被害者の後を追尾して行き、伸治が同市戸ヶ崎2丁目747番地路上において
被害者を自転車もろとも蹴飛ばして側溝に転倒させ、次いで、宮野が偶然通り掛かったように
装いながら、被害者に対して「危ないから、送ってやる。」などと甘言を弄して言葉巧みに被害者を
信用させて同市寄巻920番地所在駐車場の暗がりに誘い込み、同所で被害者に対して
「俺はさっきの奴の仲間で、お前のことを狙っているやくざだ。
俺は幹部だから、俺の言うことを聞けば命だけは助けてやる。
セックスさせろ。」
などと申し向け、同日午後9時50分ごろ、被害者を東京都足立区綾瀬6丁目25番地4号所在
ホテル「ウィングス」に連れ込み、もって、猥褻の目的で被害者を誘拐・略取した上、同所で
被害者を強姦した。
なお、伸治は、同日午後10時ごろ、一人で自宅へ戻った。

宮野は、被害者を強姦した後、右ホテルから伸治宅に電話をかけ、折から居合わせた
小倉及び伸治に右の事情を説明したところ、小倉らが被害者を連れて来て欲しい旨
言ったので、足立区東綾瀬1丁目17番8号先路上まで出向くよう指示し、自ら被害者を連れて
同所に赴いた。

一方、小倉は、伸治及び折から居合わせた渡邊と共に同所に赴き、宮野および被害者と落ち合った。
小倉、渡邊は、同所に赴く途中、伸治から、右のとおり宮野及び伸治が
被害者を拐取した顛末を聞いた。

その後、宮野、小倉、伸治及び渡邊の4名は、11月26日午前0時30分ごろ、被害者を連れて
同所から足立区東和4丁目6番所在の蒲原公園に赴き、同所において、被害者の拉致先等に
つき相談した結果、小倉及び渡邊も、宮野及び伸治のなした右一連の被害者拐取行為の内容及び
それによって生じた結果を認識した上、これに承継加担して共同実行しようと考え、ここに
宮野、小倉、伸治及び渡邊の4名は、引き続き被害者を拐取して伸治の部屋に連れ込んで
さらに強姦しようと互いに意見を相通じ、共謀を遂げ、宮野において被害者に対して
「俺は、上からお前をさらってくるように言われたが、お前は俺の女に似ているから
助けてやりたい。今日は遅いから仲間の家に泊まれ。明日かあさってには話をつけてやる。」
などと申し向けた上、11月26日午前1時ごろ、全員で被害者を伸治の部屋に連行し、
もって、猥褻の目的で被害者を誘拐・略取した。

3 J監禁状況(公訴事実第1、2事実)

被告人4名は、右のとおりJを伸治の部屋に連行した11月26日午前1時ごろ以降、
Jを同所に監禁しようと企て、互いに意志を相通じ、湊恒治(伸治の兄)と共謀の上、
宮野の指示により、主として渡邊、伸治及び湊恒治において絶えず交互にJを監視し、
更には逃走を図ったJに対し、後記のようなリンチを加えるなどして、Jが同部屋から
脱走することを不能ならしめ、そのころから昭和64年1月4日Jが死亡するまでの間、
Jを不法に監禁した。
その間、宮野は、昭和63年11月30日ごろから翌12月2日までの間に、Jをして、
3回にわたり、自宅に電話をさせ、母親に
「家出しているのだから、捜索願いは取り消して欲しい。」
などと言わせたのみならず、更にJの友人方へ自ら電話して、同女に対し、
「やくざの上の人に命令されて俺たちの仲間でJちゃんを車で轢くことになっていた、
しかしその時になって、かわいそうになり、かくまってやっている。
今はJちゃんの家のまわりにやくざが集まっているから帰せない。
もう少したったら、その人たちと話がつくから、帰してやる。」
と言わせて(宮野が被害者の友人に言ったということなら不自然な表現だが原文どおりに入力しました。)
右友人を安心させるなどして、警察のJ捜索活動の矛先が自己らに及ばないように画策した。
またJは、12月2日ごろの午後、2回にわたり伸治の部屋から逃走しようとしたが、いずれも小倉あるいは
伸治に発見され、更に、助けを求める電話を警察にしようとしたが、宮野に阻止されてしまった。
それで、宮野において、
「どうして警察に電話をするんだ。逃げるとこのようになるんだ。」
などと言いながら、Jの顔面を多数回にわたって手拳で殴打した上、その足首等を所携のライターで
5〜6回にわたってそれぞれ数秒間焼き、足首等に相当の火傷を負わせ、さらに伸治及び小倉において、
なおもその顔面を多数回にわたって手拳等で殴打した。
そのため、Jは、
「もう逃げません。許してください。」
と哀願した。
一方、Jの両親は、昭和63年11月27日午後11時5分、前々夜から
Jが帰宅しなかったので埼玉県警吉川警察署に同女の捜索願を出し、
以後同警察署で鋭意同女の行方を捜査していた。


四 J輪姦状況(公訴事実第一、二事実)

昭和63年11月28日ころの深夜、被告人4名のほか、遊び仲間の
垣東孝一(当時17歳)
及び岩井哲夫(当時16歳)が集まった際、宮野及び小倉において、
渡邊らをして被害者を強姦させようと相談の上こもごも
被害者に襲いかかるや、それを見た湊伸治、渡邊、垣東、及び岩井の
4名は、宮野らとともに被害者を強姦しようと考え、互いに意志相通じ、
ここに被告人4名は、垣東及び岩井と共謀を遂げ、全員で手足を
ばたつかせて抵抗する被害者を毛布をかぶせるなどして
押さえつけて被害者を全裸にしてその反抗を抑圧し、
岩井、垣東、渡邊の順に強いて被害者を姦淫した。
強姦後、宮野および小倉は、部屋にあったT字型カミソリで
被害者の陰毛の一部を剃り、さらに、被害者の陰部にマッチの軸を挿し込み、
マッチの頭にライターで点火し、被害者が熱がるのを全員で打ち興じて見ていた。


五 被害者に対する凌辱・リンチ等の状況

被告人らは、被害者を監禁中、昭和63年12月中旬ころから次第に
被害者をなぶり行為の対象として扱い、さらに12月下旬に至っては
もはや人間ではなく醜い物体とみなし、被害者に対して以下のような
凌辱・リンチ行為を加えた。

1 昭和63年12月中旬ころ、被告人4名のほか極青会仲間の
星寿和(当時17歳)が湊伸治の部屋に集まっていた際、
被害者が「家に帰して。何でも言われたことをするから。」
などと哀願したところ、宮野がまず、被害者に命じて全裸になって
音楽に合わせて踊らせ、さらにオナニーをさせた上、続いて、
宮野、星、小倉および伸治において順次長さ30センチメートルくらい
直径3センチメートルくらいの鉄棒の先にコンドームをつけ、これを
被害者の陰部に各数回づつ挿入する行為をし、さらには、伸治および星において、
オロナミンCドリンクのビンを被害者の肛門に、前記の鉄棒を被害者の陰部に
同時に挿入し、また、宮野においてその陰毛をハサミで切るなどして
皆で面白がった。
それから、宮野は、被害者に対し、
「家に帰ったら母親になんて言うんだよ。」などと詰問し、
被害者が
「今まで新宿で遊んでいました。」
などと陳弁に努めるや、
「新宿で制服のままそんなに長く遊んでいられるかよ。」
などと言って、星と共に持っていたライターで被害者の足首等を焼き、
火傷を負わせた。

2 また被告人らは、再三にわたって被害者にシンナーを吸わせたり、
ウイスキー、焼酎を一気飲みさせるなどして面白がった。

3 また、被害者は、湊伸治の両親(湊靖人、ます子)がいる間は階下のトイレを
使わせてもらえず、500CC用飲料パックに小便をさせられていたが、
12月25日頃、その小便がこぼれて伸治の布団を汚した。
そのため、小倉および伸治は、
「てめえなんで布団の上にこぼすんだ。」
などといって、こもごも拳骨で被害者の顔面を数十回にわたって殴打した。
その結果、被害者の顔面は頬と鼻の高さが同じになり、目を開けているのか否か
外見ではわからないほどに腫れ上がってしまい、それを見た小倉および伸治は、
「何だお前、でけえ顔になったなあ。」
といって笑った。
そしてその翌日、伸治が宮野に自慢気に
「先輩あいつの顔を一度見てやってください。ひどく腫れ上がっちゃっているんですよ。」
と話したので、宮野は、小倉および伸治と共に伸治の部屋へ行き、ぐったりして寝ていた
被害者に対して、
「お前は俺に冷たいところを踏ませていたのか。ふざけているな、この野郎。」
などと怒号し、被害者が
「ごめんなさい。」
と繰り返し謝っても聞き入れず、その下腿部(もも)等を拳骨で数十回にわたって殴打し、
さらに、被害者の上半身を裸にしてベランダに立たせ、牛乳と水を大量に飲ませた上、
たばこを二本一度に吸わせるなどし、引き続いて、宮野、小倉および伸治の3名は、
被害者の両大腿部、ひざ、すね等にジャンボオイル(揮発性の高いライター用油)を注いだ上
ライターでこれに火をつけ、被害者が熱がって両手で消そうとすると、その手にもオイルをかけて
火をつけ、火が消えたら、またオイルをかけては火をつけるという行為を繰り返し、
被害者がその間苦しみもだえ、
「殺して、殺してよ」
と泣き叫ぶ姿を見て笑っていた。
そのため、被害者の手の甲は皮がべろんむけ、両大腿部等には水泡ができ、
あるいは赤黒く変色し、
皮がむけるという状態となった。
その後、12月28日頃、伸治および小倉は、被害者の火傷のため異臭がし、
その箇所から血膿(血まみれのうみ)が出ていたので、
「乾燥させておけ、と言ったのになんだ。」
と言って、こもごも拳骨でその顔面、頭部等を多数回にわたって殴打した。


六 被害者の身体の衰弱状況

被告人らは、当初は被害者に湊伸治方近くの飲食店から出前を取って分け与えたり、
カップラーメンを食べさせたりしていたが、その内パンや牛乳を買って与える程度になり、
前記のとおり、12月20日頃からは、被害者が異臭を放つことから近づくことを嫌い、
湊恒治にその世話をさせるようになり、恒治も、12月26日ころまでは、カップラーメン
や牛乳に卵を入れたものなどを与えていたが、12月27日ころ以降は、一日200CCくらいの
牛乳を与える程度で、昭和64年に入ってからは、水を飲ませるだけの状態になっていた。
被害者は、このような飲食の状況に加え、被告人らから右のとおり繰り返し暴行を加えられる
などしたため、昭和63年12月末頃には、自分で立つことも困難なくらいに衰弱し、
トイレに行くため一階に降りるにも、
数十分をかけてはいずって降りるという状態となっていた。


七 被害者殺害状況(公訴事実第一、四事実)

1 被告人4名は、右のような被害者の衰弱状況を承知した上でその取り扱い方に窮し、
昭和63年12月下旬以降、前記フラワーフレンド等において、しばしば今後の対応策について
話し合い、たとえば、宮野、小倉および湊伸治の3名で話し合った際、宮野が
「被害者を殺してコンクリート詰めにして海に捨てれば、浮かんでこない。
コンクリート詰めにするドラム缶の中に、被害者の好きな「とんぼ」のビデオと花束くらい
入れてやるか。」
と言ったところ、小倉と伸治の2名が
「そんなことをしたら、ドラム缶が見つかったとき、誰かを決める手がかりになる。」
などと言って反対し、あるいは小倉、伸治および渡辺の3名が話し合った際、まず小倉は
「女の子どうする。殺して埋めるか。」
と言い出したところ、伸治が
「どうするんですかね。誰が殺すんですか。」
と言い、さらに渡辺が
「殺すんなら、ミンチがいいですよ。」
などと言い、また、宮野、渡辺らが集まった際、宮野が
「被害者をドラム缶に入れてセメントを流し込み、海か山に捨てよう。」
と言ったところ、渡辺が
「風呂場でみじん切りにしてしまえば、血も流れてしまって見つからなくていいですよ。」
などと言っていた。

2 被告人4名は、昭和63年12月29日から昭和64年1月2日までの間、
湊恒治に被害者の監視をさせ、ほとんど前記フラワーフレンドに寝泊りしていたところ、
宮野は、昭和64年1月3日午後9時ごろからJR綾瀬駅付近の麻雀屋で麻雀をして十万円くらい負け、
1月4日午前5時過ぎころ、足立区綾瀬2丁目6番地16号所在の渡辺ヤス方で小倉、伸治および渡辺と
飲食しているうち、被害者にリンチを加えて麻雀に負けたうっぷんを晴らそうと思い立ち、
「麻雀に負けたのは被害者のせいだ。これから被害者をいじめに行くか。」
などと言って1月4日午前7時ころ、小倉、伸治、渡辺と共に伸治の部屋に行った。
そして、宮野は、小倉と共に一旦外出して付近のコンビニエンスストアで
ロウソク(直径2センチメートル、長さ20センチメートル)数本と
小倉羊羹を購入して伸治の部屋に戻った。

3 その後、宮野、小倉、湊伸治および渡辺の4名は、いずれも殺意を持って、
互いに意見を相通じ、湊恒治と共謀の上、昭和64年1月4日午前8時ごろから
同午前10時ごろまでの間の約2時間、伸治の部屋において、被害者に対して
以下のような暴行を加えて被害者を殺害した。

まず、被害者に小倉羊羹を食べさせて、その名前を聞き、被害者が
「オグラヨウカンです。」
と答えると、
「小倉を呼び捨てにした。」
などと因縁をつけ、被害者が
「オグラヨウカンさんです。」
と答え直すと、
「羊羹にさん付けするとは何事だ。」
と文句を言い、さらに被害者が小便をこぼしたと文句を言って、
宮野、小倉および伸治が、被害者の脚部(足)、腕部、わき腹等をそれぞれ多数回にわたって
拳骨で殴打した。
次いで、宮野および小倉が、ロウソク2本に火をつけ、仰向(あおむ)けにさせた被害者の顔面全体に
わたって溶けた蝋(ろう)をたらした上、短くなったロウソクを被害者の両まぶたの上に立てた。
また、宮野および小倉は、被害者に命じて、500CC用飲料パックに入っていた
被害者の尿を被害者にストローで飲ませた。
それから、宮野、小倉、伸治および渡辺は、それぞれ多数回にわたって倒れている被害者を
引き起こしては拳骨で顔面を殴打したり、足蹴にするなどしたところ、被害者が鼻血を出し、
また、被害者の大腿部(ふともも)等の火傷のかさぶたがとれて血の膿(うみ)が出たため、
被告人らは手に血がつくのを嫌って、渡辺の発案によりそれぞれビニール袋で手を包んだ上、
さらにそれぞれ数十回にわたって被害者の顔面、腹部等を拳骨で殴打して転倒させ、
転倒した被害者の顔面等を足蹴にし、さらにまた被害者を引き起こしては被害者の顔面、腹部等を
拳骨で殴打する等の暴行を加えた。
さらに宮野、小倉、伸治および渡辺は、ゴルフスイングの要領で、30センチメートルくらいの鉄棒の先に
重さ1.6キログラムくらいの鉄球がついたもので被害者の大腿部をそれぞれ数十回にわたって殴打し、
湊恒治も、宮野の指示を受け、同様に3回くらい被害者を鉄棒で殴打した。
その後、宮野は、被害者を立たせて回し蹴りをしたり、顔面を数回拳骨で殴打し、伸治も、
3、4回くらい回し蹴りをするなどの暴行を繰り返した。
続いて、宮野および小倉は、被害者の両大腿部、膝(ひざ)部等にジッポオイルを注いでは火をつける
ことを繰り返し、そのため、被害者は最初はゆっくりと手を大腿部に移動させ、火を消そうとするしぐさを
していたが、最後には反応を示さなくなるに至った。
それから、宮野は、前記鉄球つきの鉄棒で多数回にわたって被害者の大腿部を殴打し、その顔面を
足蹴りするなどの暴行を加えた。

4 被害者は、前記のとおり被告人らから暴行を受けたことにより、そのころから
昭和64年1月4日午後10時ころまでの間に、伸治の部屋で外傷性ショックにより死亡した。

5 このような暴行を加えた後、宮野らは、1月4日午前10時ころ、後の始末を湊恒治に託して
伸治の部屋を出て、綾瀬駅付近のサウナ「一龍」に行った。


八 被害者の死体遺棄状況(公訴事実第二事実)

宮野、小倉、伸治および渡辺は、昭和64年1月4日の夜はフラワーフレンドに泊まり、
翌1月5日午後3時ごろ湊恒治から被害者の様子がおかしいとの連絡を受け、
宮野、小倉および伸治は、渡辺を留守番のために残して、伸治の部屋に行ったところ、
被害者は既に死亡していた。

そこで、宮野、小倉、伸治は、相談の上、その死体をドラム缶に詰めて海にでも捨てようと考え、
死体を毛布2枚に包んでガムテープで巻いた上、旅行用かばんに入れ、宮野が前記
(月刊ゼンボウ誌上検察側冒頭陳述1枚目)
中村タイルから借りてきた貨物自動車にこれを積み込み、さらに付近の工場から盗んできた
ドラム缶もあわせて積み込んで、宮野方付近路上に赴き、同所で、ドラム缶に死体の入った
旅行用かばんを詰め込み、この上に右中村タイルから盗んできたコンクリート、ブロック片、
レンガ等を流し込んで固定密閉した。

その後、宮野、小倉および伸治の3名は、1月5日午後8時ごろ、右ドラム缶を海に投棄すべく、
右自動車にこれを積載して高速道路を利用して、東京都江東区若洲15号地
若洲海浜公園整備工事現場横空き地に赴いたが、恐ろしくなり、同所で右空き地に
ドラム缶を投棄し、もって被害者の死体を遺棄した。