上野城

上野城跡(★★ 三重県津市河芸町上野)は、東西約250m、南北約550mの規模で、城の主郭の周囲には、かつて土塁や堀切りで区画された郭が取り巻き、主郭の東側には幅が20m近い空堀があったといわれています。

主郭の広さは約30×45m、その四周には今も所々に土塁が残ります。

上野城の築城時期は明らかではないですが、天文十七年(1548)の記録に分部氏から三間氏にこの城が預けられたことが記されています。その後、永禄十一年(1568)に織田信長軍による伊勢侵攻があり、信長の弟信包が一時この城に入り、分部氏は信包に仕えました。信包が天正八年(1580)に安濃津城(津城の前身)に移ると、分部氏が入ったと考えられます。その信包が治めた頃、お市とその娘の三姉妹(茶々、初、江)がいたといわれています。文禄三年(1594)に信包が近江に移った後は、分部氏は豊臣秀吉、徳川家康に仕えて加増を重ね大名となりましたが、元和五年(1619)近江国大溝(現在の滋賀県高島市)へ転封となり、それとともに廃城となりました(『城址案内板』)。

城跡は本宮山青少年公園となっており、櫓台や土塁などが残る。

 

 

 

 (【左写真】展望台から眺める本丸(周囲を土塁が囲う) 【右写真】本丸を囲う土塁)

  

 (【左写真】櫓台跡には展望台が建つ 【右写真】二の丸跡は公園に)

 

 (溝跡)

  (2013年2月9日訪問)

 

戻る

城と古戦場