野田城

野田城(★★★ 愛知県新城市豊島字本城)

この城は、永正五年(1508)に築城されたと伝えられる。菅沼定則・菅沼定村・菅沼定盈等がここを居城とした。元亀四年(1573)1月、上洛をねらう武田信玄は、宇利峠を越えて三河に進入してきた。菅沼定盈の守るこの野田城を攻撃するためであった。
野田城は小城であるが、備えが固くなかなか攻め込めない。そこで信玄は、甲州の金堀人足を使って水脈を切り、城内の水を枯らしてしまった。定盈は、徳川家康の援軍も来ないので、城の運命もこれまでと判断し、城を明け渡した
(『城址案内板』)。

城郭は南北に長く、北より三の丸・二の丸・本丸と続くいわゆる連鎖式の山城である。東西両側は谷になっており、当時は自然の川をせき止めて堀を形成していた。
戦国時代、今川・武田・徳川などによって幾度も争奪戦が繰り返され、天正十八年定盈が関東へ移封されるまで続いた(『城址案内板』)。

城跡は良く整備されており、本丸を中心に空堀や土塁が良好に残る。

 

  

(【左写真】城址案内図【右写真】本丸城址碑) 

 

(【左写真】本丸の土塁に建つ城址碑【右写真】本丸井戸跡。) 

 

(【左写真】本丸土橋【右写真】空堀が良好に残る) 

伝信玄公、狙撃場所(本丸内)

 

 2015.3.20訪問

城と古戦場

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