牛久保城

牛久保城(★ 愛知県豊川市牛久保町城跡)

この地にあった牛久保城は、享禄二年(1529一色城主牧野成勝が、今橋城主(のちの吉田城主)の信成の命を受けて築城したといわれています。
扇状台地の端につくられた平城で、南は遠く下郷の地を一望でき、北には二重の堀をめぐらせた城でした。城を取り囲むように、武家の屋敷が配置され、その北に町人の家が通りに面して連なり、さらに周辺に寺院があって外敵に備えていました。城に向かって真っすぐに入る道はなく、すべての道が曲尺手になっていて、近世の城下町の先駆けをなすものだったようです。
のちに牛久保は天領となり元禄十三年(
1700)廃城になりました。今は昔の面影はなく、JR牛久保駅周辺にある「城跡」「大手」「城下」等の地名がわずかに昔を偲ばせています(『城址案内板』)。

『甲陽軍鑑』によれば山本勘助は「牛窪」から駿府へ出て今川家への仕官を希望したと始まり、これを元に牛久保町がその出生地とする説も見られる。

「三河の国牛窪より今川殿へ奉公の望にて参るといえども、彼山本勘助散々の夫男にて、そのうえ一眼、指も叶わず、足はちんば也。しかれども大剛の者なれば、ことさら城どり、陣取一切の軍法をよく鍛錬いたす。京流の兵法も上手也。勘助九年駿河に罷在ども、今川殿かかへ給わず」(『甲陽軍鑑』)

線路脇に城址碑が残るのみで、遺構はない。

 

城址碑のみが残る。) 

 

 2015.3.20訪問

城と古戦場

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