伏見城

桃山城、指月城、木幡山城とも。

天正二十年(1592、比高25mの指月の台地に、豊臣秀吉が隠居城として築いたが、慶長元年(1596)の大地震によって倒壊し、多数の死者が出た。秀吉は木幡山に避難しており難を逃れ、指月の地から木幡山に城を移すことを思い立ったという。築城工事は昼夜続けられ、同年十月に本丸、翌年五月に天守閣と殿舎が完成。極めて壮大な城郭で、主郭部だけでも12の曲輪があったとされる(『日本の名城・古城事典』)。同三年(1598)、秀吉はこの城で歿した。

その後、徳川家康が入城。関ヶ原の前哨戦として西軍の攻撃をうけ、家康の留守を預かる鳥居元忠が籠城するが、炎上して落城。慶長十年(1605)家康によって再建されるものの次第に軍事的な重要性を失い、元和九年(1623)に破却。建物群は京都の社寺や各城に移築された。寛永二年(1625)廃城工事が完了。城址一帯は桃畑となり、美しい花が一面に広がったと伝わる。これが【桃山時代】の由来である(『日本の名城・古城事典』)。

近鉄京都線・桃山御陵前駅の改札を出るとかつての大手道が城跡へと続く。本丸跡は明治天皇陵となっていて城山の多くが立入禁止。かつての長束曲輪・御花畠跡に伏見桃山キャッスルランドという遊園地があり、模擬天守が建っているが現在は閉園。城の北側に堀跡がある。今となっては遺構建築物でしか、かつての面影は偲べない。養源院 (京都市東山区・三十三間堂の東) は落城時、自害した鳥居元忠らの血で染まった廊下の板とされる血天井が有名。

<伏見城の遺構>(いずれも確証はなく、あくまで伝承・俗説という。)

・御香宮神社…大手門

・二条城…唐門

・豊国神社…唐門

・西本願寺…唐門

・その他の櫓群…福山城・江戸城・大阪城(戦災焼失)・淀城(焼失)

 

【左写真】本丸跡(明治天皇陵) 【右写真】本丸からの眺望 

 

 【左写真】治部池(堀跡) 【右写真】名残りの石垣 

 

【左写真】伏見城残石 【右写真】参道脇 

 

【左写真】大手筋から城山を眺める。【右写真】移築大手門(御香宮神社) 

 

【左写真】唐門(西本願寺) 【右写真】唐門(二条城・二の丸御殿) 

 

【左写真】唐門(豊国神社) 【右写真】江戸城・伏見櫓

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