飛騨松倉城

標高857m、比高270m。松倉山頂に構築された山城である。高山盆地を眼下に見おろし、北は越中、南は岐阜、東は木曽、西は郡上に通ずる街道を一望のうちにおさめる。

天正七年(1579)に三木自綱によって築城され、桜洞城から移った。三木氏は自綱のときに白川郷を除く飛騨国一円を支配し、かつて飛騨国司を勤めた姉小路氏を自称した。自綱は子・秀綱を松倉城に配し、自らは広瀬城に居城。本能寺の変後に自綱は佐々成政と手を組み豊臣秀吉と対抗。天正十三年(1585)、羽柴秀吉の命により金森長近・可重父子が飛騨に侵攻。自綱は降参したが、秀綱は降参せずに最後まで松倉城に籠り抗戦。しかし城中に内応者が出たため落城。秀綱は信州に逃走するも土地の者に殺害され、自綱は京都に隠遁。後に廃城となった。

本丸には内曲輪(くるわ)の四方と外曲輪の西側・南側に石垣が現存。二の丸は本丸東に位置し、南側に旗立石と俗称する巨岩があって東側・南側に石垣が残存する。三の丸は本丸南にあり、西側・南側に石垣、西南隅に1段高く角櫓(すみやぐら)跡が残る。その他、南中間櫓に石垣が現存し、出丸は本丸西方1qで現在松倉観音が安置されている(『高山市資料』)。

飛騨民俗村「飛騨の里」から遊歩道を登ると山頂に着く。本丸・三の丸の石垣が見事。山頂からは高山市内が一望できる。城址の250mまで車で訪問でき、そこから10分も歩けば訪問可能。

(現地縄張図)

 

(【左写真】本丸跡 【右写真】本丸虎口)

 

(本丸の石垣は良好に残存している。)

 

(【左写真】二の丸跡 【右写真】二の丸の井戸跡)

 

(【左写真】三の丸石垣 【右写真】大手門跡)

 (二の丸から城下の眺望)

 

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