金田城

金田城(★★★ 長崎県対馬市美津島町黒瀬城山) 

国の特別史跡『金田城』は、これより北方に連なる城山山系の北部にあり、この登山口を城戸という。おそらく城の入口を示す地名かと思われる。城門があった形跡はない。

 金田城は天智天皇六年(667)にこれを築くと『日本書紀』に記載されている。このことは朝鮮半島の情勢から、唐国の侵攻を恐れたわが国が、初めて外敵に備えた防衛の最前線で、大宰府の防護、瀬戸内の固め、そして畿内の本塁と続く戦略配置の要であった。

 現存する遺構は城山を取り巻くように、高さ数メートル、延長2.8キロメートルの城壁がえんえんとめぐり、城の周囲は5.4キロメートルである。谷間には水門を設け、城門を構えた遺構があり、これが一ノ城戸・ニノ城戸・三ノ城戸である。

 城山の北西面は絶壁が多く、北東面は細り口の断崖で、天然の要害であることから、防備の要が南東面に置かれたことを示している。

 この城に防人が常駐し、有事の際は島民と食料を収容して、防衛に徹することを使命とした。今を去る1300年前、対馬に遣わされた防人は、遠く東国から徴兵された若者たちで、彼等が任地で詠んだ望郷の歌が『万葉集』に多く収められている。

  大君の 命かしこみ 磯にふり

  海原渡たる 父母をおきて(万葉集防人の歌)

(『城址説明版』より)

県道24号沿いに登城口がある。城跡は良く整備され、見事な石垣が残る。一ノ城戸から山頂までの登山道がわからず、遭難しそうなので山頂は断念した。

 

 

 

 (【左写真】山頂付近から眺める浅茅湾。【右写真】一ノ城戸石塁。) 

 

(【左写真】整備されたニノ城戸城門跡。【右写真】三ノ城戸石塁。)

 

 (【左写真】修復が施された東南角石塁。【右写真】ビングシ門跡(左右に土塁が続く)

(兵の詰め所と思われる建物跡)

 

   (2017年1月6日訪問)

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城と古戦場