桟原屋形

桟原屋形(さじきばるやかた・桟原城とも★ 長崎県対馬市厳原町桟原)

桟原の名は、宗重尚公が敵の首実検を行った際に桟敷を組んだ所との意味から起こった説と藩主が練武を見るために桟敷を設けた所との説があります。 桟原の館は宗家の下屋敷として存在し、明治維新後は陸軍の兵営となりました(『城址説明版』より抜粋)。

義真(よしざね)が金石屋形を拡張整備したのと同時期、桟原屋形の新築が進んでいた。万治3年(1660)3月3日に着工し、延宝6年(1678)の完成まで18年の歳月をかけて築城した。対州府城または府中城と称したが、家中では「お屋形」と呼び、金石城に対して桟原城ともいう。
明治2年(1869)に府中を厳原と改名してからは厳原城ともいう。現在城跡は陸上自衛隊対馬駐屯地となっている。
また築城と同時に水利工事、城下の町割等が行われ、現在もこの時の町並みをとどめている。船着場から桟原の城門まで直線の大通りを通したのは、朝鮮通信使の行列を盛大に見せるためであったという
(『九州国立博物館HP』)。

城跡は陸上自衛隊駐屯地となっており、厳原幼稚園に高麗門が移築保存されている。

 

  

 (【左写真】屋形跡は陸上自衛隊駐屯地となっている。【右写真】移築保存されている高麗門。)

 

   (2017年1月6日訪問)

戻る

城と古戦場