舘山城

舘山城(★★★ 山形県米沢市大字舘山字長峯)

舘山城は、伊達晴宗が天文一七年(1548)に福島県桑折西山城から米沢に拠点を移した際の主城と考えられています。以後、伊達氏は、輝宗、政宗と引き継ぎ、天正一九年(1591)に政宗が岩出山(岩手沢)城に移るまでの四三年間をここ米沢で過ごしました。本城は、大樽川と小樽川に挟まれた舌状丘陵部に築かれた全長三五〇メートルを有する山城で、大規模な土塁と堀切や縦堀によって、主郭(曲輪T)、馬出(曲輪U)、西曲輪(曲輪V)を構成しています。遺存状況も良好で、大手門・物見台・虎口・桝形・搦手・帯曲輪等の遺構も明確に残っています。

 城の周囲には、三個所の平坦地(南館・北館・東館と仮称)が置かれ、北館からは石垣を配した遺構や家臣団の屋敷跡群、東館からは庭園跡の一部や井戸跡、敷石遺構が発掘調査によって検出されています。また、南館からは大規模な空間を整地していることが確認されています。このように舘山城は、自然の地の利を活かした要害の城で、山城を本丸として直下に居館を配置する構造は、後の岩出山や仙台城にも取り入れられ、伊達氏山城の原点となったものと考えられています(『城址案内板』より)。

城域が広大で全てを見学できなかったが、様々な遺構が確認できる。平成25年の発掘調査で石垣が見つかり、「舘山城が伊達氏の本拠ではなかったか」という議論がある模様。今後の調査・研究の推移を見守りたい。

 


 

 (【左写真】主郭内部。【右写真】主郭南門跡。虎口。)

 

 (【左写真】主郭西側の桝形で発見された石垣。【右写真】主郭西側の桝形虎口。)

 

 (【左写真】主郭を囲う土塁。【右写真】主郭の一段下に残る腰曲輪跡。)

 

 (【左写真】尾根を横断していた堀跡。【右写真】城址からの眺望。)

 

   (2016年11月12日訪問)

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