勝山館

勝山館(★★★ 北海道檜山郡上ノ国町勝山)

勝山館は、後の松前氏の祖である武田信廣が15世紀後半に築いた山城で、16世紀末頃まで武田・蠣崎氏の日本海側での政治・軍事・交易の一大拠点でありました。

  20年以上行われてきた発掘調査により、中国産青磁・白磁・染付、国産の美濃焼、越前焼など約5万点の陶磁器や、金属製品、木製品など10万点余りの出土品や建物・井戸・空壕・橋などの跡が多数見つかり、館内での様々な暮らしぶりがよみがえりました。
 さらに、近年、調査・研究で明らかになってきた直下の町場の様子と併せて「中世都市」と呼ぶにふさわしい景観が見えてきました。
 また、今一つ注目すべきことは、当時アイヌの人々が使っていた500点余りの骨角器が出土していることです。中世史研究の第一人者故網野善彦氏は「この館にアイヌと本州人が混住していたことはほぼ明らかといってよいのではないだろうか。」(「日本海と北国文化」『北国の社会と日本海』小学館刊)と述べております
現在、館の内部では柵・空壕・橋などの立体復元、建物・井戸跡などの平面表示が進められています。(『上之国町
HP』より抜粋)

史跡勝山館として良好に整備されており、遺構の説明板もわかりやすく、主郭部からの眺望も素晴らしい。
本来は搦手口に案内施設がありガイドもいるので、そちらから登城した方がいいようです。ただクセの強いガイドだと時間をロスする可能性があるので大手口から登城しました。松前家始祖の武田信広という人物は若狭武田家の出自となっていますが、最近の研究では若狭の武装商人だろうということです。しかしなかなかの人物であったことは間違いないでしょう。


 

 

 (【左写真】城址最高部にあたる館神八幡宮跡。【右写真】主郭部から客殿方向を眺める。)

 

 (【左写真】客殿跡。館内最大の建物で館主が居住していたと考えられ、井戸、庭園跡が残る。【右写真】二重の大手空堀跡。)

 

 (【左写真】食い違い遺構を残す虎口。【右写真】登城道に残る荒神堂。謀反を企て討たれた蛎崎基広を祀る。)

 

 (【左写真】搦手門跡に架かる橋(下方に空堀が幾重に重なる)。【右写真】城址遠景。麓の上國寺脇が登城道。)

 

   (2016年8月23日訪問)

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