大館

大館(徳山館)(☆ 北海道松前郡松前町神明)

中世蝦夷地の策定地であった大館は、近世に縄張りされた松前城のある福山台地の背後に突出した丘陵を利用した典型的な山城で、大館・小館の二つの郭によって成り立っている。

 室町時代、津軽北部に北条得宗領の管理者として君臨した蝦夷管領安東盛季は、蝦夷地もその領有下に治めていた。蝦夷地のうち和人居住地域を統轄するため一族を代官として派遣などしていたが、その時期・場所は定かではない。

 盛季は嘉吉二年(1442)に南部氏との戦いに敗れ蝦夷地に渡った。逃避した盛季の居住地について『下国伊駒安陪姓家譜』は松前としているので、大館はこの時期には存在していたものと考えられる。

 永正十一年(1514)、上ノ国に武威を張る武田信広の子蛎崎光広は長子良広と共に小船一八〇艘をもって松前に移り、大館を改装して徳山館と改めた。蛎崎氏は安東氏の代官になることを強く希望し、徳山館主として道南諸館を統轄する立場となった。その後も蝦夷との抗争は続き、同十二年には徳山館で酋長ショヤコウジらを謀殺し、享禄五年(1532)には酋長タリコナを謀殺するなど手段を選ばなかった。

 五代慶広は慶長十一年(1606)に松前(福山)城に移城し、大館(徳山)館は廃館となり、その後は万一の場合の隠し砦としてそのまま保存され、現在に至っている。(『日本城郭大系』より一部抜粋)

館跡は徳山大神宮背後の丘陵であるが、登城口も見つけられず、整備している様子も全くないので断念です。

松前氏にとって重要な館であったので、ぜひ整備してほしいです。


 

徳山大神宮背後の丘陵が館跡

 

   (2016年8月23日訪問)

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