五稜郭

五稜郭(★★★★ 北海道函館市五稜郭町)

五稜郭跡は、幕末の箱館開港に伴い設置された箱館奉行所の防御施設で、箱館奉行配下の諸術調所教授役で蘭学者の武田斐三郎成章により、中世ヨーロッパで発達した城塞都市を参考に設計された西洋式土塁です。稜堡とよばれる5つの突角が星形の五角形状に土塁がめぐっていることから五稜郭と呼ばれ、郭内には日本伝統建築の箱館奉行所庁舎とその付属建物20数棟が建てられました。

 安政4年に築造を開始して7年後の元治元年に竣工、同年6月に奉行所が移転して蝦夷地における政治的中心地となりました。その後、明治維新により明治新政府の役所となりましたが、明治元年10月に榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が占拠、翌明治25月に集結する箱館戦争の舞台となりました。箱館戦争後は、明治4年に開拓使により郭内建物のほとんどが解体され、大正時代以降は公園として開放されています。

 五稜郭跡は、築造時の形態がよく残っていて、日本城郭史上重要であるとともに、幕末期の洋学採用の一端を示すものとして学術上きわめて価値が高いことから、北海道で唯一の特別史跡に指定されています。

(『城址案内板』より)

幕末の様式城郭ではあるが、土塁・堀等が良好に残っている。付近の五稜郭タワーから星形の形状が鳥瞰できる。

 

 

 (【左写真】一の橋脇の五稜郭碑。【右写真】郭内から稜堡の土塁を眺める。)

 

 (【左写真】見隠塁石垣(外部からの視界を防ぐため門後方に配置)。【右写真】五稜郭タワーからの眺望(下方の半月堡は当初5か所設置予定であったが、表門の1か所のみとなった)

 

 (【左写真】冬期には凍結するという水堀。【右写真】半月堡の武者返しの石垣(台場特有の板石を張り出させた形状)

 

 (【左写真】表門跡後方の本塁石垣と堀跡。【右写真】平成22年に往時の姿に復元された箱館奉行所。)

 (門付近の空堀跡)

 

   (2016年8月22日訪問)

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