新庄山城

新庄山城(★ 岡山県岡山市東区竹原)

頂に本丸を構え、尾根筋に郭を縦列に配し先端に堀切のある連郭式の山城。築城年代は不詳であるが、亀山城主中山備中守の臣、新庄助之進の居城と伝えているので、十六世紀前葉であろう。ただし、現在の城跡は宇喜多時代に改修された跡。
 天文十八年(1549)春、乙子城主宇喜多直家は砥石城主浮田大和が主君浦上宗景に背いたとし、宗景の軍勢と協力し砥石城を攻め、大和を敗死させた。このときの恩賞として宗景から新庄山城が与えられ、乙子城から移ってきた。
 永禄二年(1559)、亀山城主中山備中守と砥石城主島村豊後守とが、主君宗景に対し謀反の噂があった。宗景は直家に命じてこれを誘致させた。この功により直家は亀山城を賜り、新庄山城から移った。
 新庄山城は家臣に守らせていたが、直家が岡山城主となったとき、この城は役目を終え廃城となった。なお、本丸跡から焼麦が現在も出土する(『城址案内板』より)。

新庄山北側に登城口がある。堀切や郭跡が残るというが、明瞭な遺構は確認できなかった。


 

 (【左写真】登城口。【右写真】本丸にある石鉄神社。)

   (2016年4月25日訪問)

 

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