高取山城

高取山城(★★ 岡山県瀬戸内市邑久町東谷)

高取山は千野平野の西寄りに位置し、吉井川下流両岸平野の見通しがきき、砥石山と同様に豊原荘の一角を拠点にする名手層が山城を構えるのには格好の地である。

城の経歴は、備前守護代浦上氏の重臣高取氏が居城したとの伝承があるが、築城期が定かでなく、その後、千町平野南部を拠点に島村氏が居城したと推定され、応仁年間(1467〜69)には備前守護代浦上氏に仕える島村氏の名がみえる。
「備前軍記」によれば、享禄4年(1531)に浦上村宗の重臣として高取城主島村貴則の名もあり、島村氏は代々この城を居城に浦上氏に仕えていたと考えられる。
貴則の子豊後守は、天文3年(1534)、この地域を基盤に国人化していた宇喜多能家を砥石城に夜襲をかけて攻め滅ぼし、浦上氏隷下の国人に成長し、この地方を20数年間にわたって司った。
しかし、豊後守も永禄2年(1559)、能家の孫直家に謀殺され、居城も攻略された。

高取山城の城郭構造は頂部の楕円形の本丸を構え、主峰側と平野に延びる主尾根側に腰曲輪を備え、両山腹にも腰曲輪や犬走りの段を設けて本丸周辺に輪郭的な構造をとる一方、主尾根先に大型の二の丸に比定できる曲輪を構え、また頂部から東に分かれた支尾根先に三の丸に比定できる先端に一段の郭を伴う曲輪を構え、尾根筋には連郭的な様相で郭を配置している。頂部から三方に延びた尾根には郭の先端に堀り切りを設けて切断している。

 水の手は、本城城郭内には井戸や池などの利水施設が確認されていないが、本丸の西と南中腹に井戸が計3箇所存在している(『城址案内板』より)。

高取山山頂が城跡で、県道231号沿いの東谷公会堂に登山口の案内がある。藪化が激しく堀切等の遺構は確認できなかった。

 

 

 (【左写真】本丸跡【右写真】二の丸)

 

 (【左写真】三の丸【右写真】城址からの眺望)

(城址遠景・公会堂の登山口)

   (2016年4月25日訪問)

 

戻る

城と古戦場