乙子城

乙子城(★★ 岡山県岡山市東区乙子)

宇喜多直家が乙子山に構えた連郭式の小型山城。後に備前・美作一帯を統一した直家の最初の居城で、「国とり」はじまりの地といえる。

乙子城は、当時の吉井川河口付近に位置し、邑久郡の穀倉地帯である千町平野の南側を画する山々の西端にある乙子山山頂にあった。北には西大寺の門前町など上道郡南東部を望み、また、南から西に拡がる児島湾を隔てて、児島郡の山々を遠望できた。かつての児島湾は広大で、後の新田開発によりその大半が干拓され、幸島新田、沖新田などの美田にかえられた。

戦国時代後期に天神山城(佐伯町田土)を根拠地に備前国東半を支配した浦上宗景は、上道郡を領する松田氏、児島郡を領する細川氏、さらには、瀬戸内海の海賊からの攻撃を防ぐため、天文13年(1544)、領地南西端に乙子城を築き、知行三百貫、足軽30人をつけて直家に守らせた。

邑久郡乙子城古図によると、城は本丸(頂上)と二の丸(乙子大明神境内)を構え、腰曲輪、出曲輪が配されている。曲輪は、ともに土段築成で、高石垣は認められない。本丸には当時の土塁の痕跡が見られる(『城址案内板』より)。

乙子大明神のある丘陵が城跡。現在は周囲が埋め立てられ往時の様子は偲べないが、宇喜多氏再興の起点となった城跡である。

 

 

 (【左写真】城址周辺図(往時は児島湾近くに面していた)【右写真】本丸(眺望は望めない)

 

 (【左写真】曲輪跡【右写真】城址碑(宇喜多直家国とりはじまりの地、とある)

   (2016年4月25日訪問)

 

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