峰ヶ城

峰ヶ城(★峰山城、高江城とも・鹿児島県薩摩川内市高江町)は、峰山小学校から、後方の共同墓地一体の高台にあった。

築城時期は諸説あるが、南北朝時代、島津氏五代貞久(1269-1363)がここを本拠として、渋谷氏一族と合戦を繰り広げていた。六代師久(1325-1376)は薩摩の守護職となり、峰ヶ城は山田式部三郎忠房に守らせた。
応安五年(1372)渋谷氏一族は峰ヶ城を攻めたが、入来院弾正重門は城から投下された石に当たって死亡した。これを見た同族が来援し、山田式部三郎忠房ら多くが戦死し、落城した。その後、幾たびの戦乱を経て、元亀元年(1570)入来院氏は島津義久へ峰ヶ城を献上した。
高江町には峰ヶ城の支城として白石ヶ城城山城検見ヶ城大峯元城があったが、江戸時代の一国一城令(1615)によりすべて廃城となった(『現地案内板』)。

峰ヶ城の跡地には峯山松嶺寺(真言宗)が建立されたが、明治二年(1869)廃仏毀釈令により廃寺となった。その年、寺の建築材を用いて村立手習所が建築され、明治五年(1872)には峰山小学校が誕生した(『現地案内板』)。

現在では小学校となって遺構は残っていないようである。しかし周囲には武家屋敷跡が散見でき、すばらしい雰囲気を有した町である。

 

 

(峰山小学校。遺構は見当たらない。)

(周辺には武家屋敷跡が残っている。由緒ある素晴らしい里村である。)

 

 (2013年12月22日訪問)

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