宇喜多秀家潜居地

宇喜多秀家公潜居地(☆鹿児島県垂水市牛根麓)は、関ケ原の戦いで敗れた西軍の五大老・宇喜多秀家の居所。

宇喜多家は家康によって改易されたが、秀家は伊吹山中に逃れた後、変装して薩摩国島津義弘を頼って落ち延びた。しかし秀家を匿う余裕がなく、鶴丸城には入れず、牛根の豪族平野氏に預けた。平野氏は上屋敷を明け渡し、自分達は海辺の警護を兼ね下屋敷へ移った(垂水市観光協会HP)

秀家公はここに二年三ヶ月潜居し、「うたたねの夢は牛根の里にさえ都忘れの菊は さきにけり」と歌を残している。島津忠恒、並びに縁戚の前田利長の懇願により罪一等を減じられて死罪は免れ、駿河国久能山へ幽閉される。慶長十一年(1606)、同地での公式史上初の流人として八丈島へ配流となったWikipedia)

 

  

(道の駅たるみずに設置されている案内)

宇喜多秀家公潜居地・垂水市観光協会HPより引用)

(宇喜多秀家が潜居した牛根の地)

 

 (2013年12月21日訪問)

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