新善光寺城

新善光寺城(★★ 福井県越前市京町2丁目)

南北朝の動乱期、越前国守護・斯波高経は新善光寺跡に新善光寺城を築城し、南朝方に備えた。延元元年(1336)、南朝方の杣山城(南条町)主瓜生保の軍勢により落城したが、すぐ奪回した。さらに延元三年、金ヶ崎城(敦賀市)の落城で杣山城に逃れていた新田義貞等は勢いを盛り返し、高経の軍勢と日野川で激戦を交えた。この戦で府中(武生)の町は焼け、高経は敗走し新善光寺城は義貞の手に落ちてしまった。義貞が新田塚で戦死後、南朝方の勢力は衰え、義貞の弟脇屋義助は美濃へ敗走した。貞治五年(1366)浄土宗の良如により、この城跡に正覚寺が創建され、現在に至っている。
 現在は、境内に北部の駐車場に沿う東西と境内西部の墓地内に南北に、僅かに盛り上がった土塁の跡を留めるのみであるが、正徳元年(1711)の府中図によれば、寺域は東西九十間南北七十六間で、土塁の外に堀が巡らされていた(『城址案内板』)。

城跡は正覚寺となっており、僅かな土塁と旧府中城表門が移築され残る。

 

(移築された旧府中城表門)

 

(境内に残る土塁跡)

 

   (2013年9月21日訪問)

 戻る

城と古戦場