杣山城

杣山(そまやま・福井県南条郡南越前町・標高492m、比高382m。)一帯に築かれた中世の山城。

北の比叡山とも呼ばれ、鎌倉末期には瓜生一族の居城となり、その後延元元年(1336)から三年間新田義貞が籠城した南軍の拠点。北朝方との葉原の合戦で破れると、落城した。
戦国時代には朝倉氏の家臣・河合宗清が城主になったものの、織田信長の朝倉・浅井討伐の際に落城し、廃城に帰したと思われる。その後、織田氏に抵抗する一向一揆勢が天正二年(1576)にここに籠もったとされる(『現地説明板』『日本の名城・古城事典』等)が、明確な記録は残っておらず、本格的な城郭としての機能は失っていたと思われる。
西御殿、東御殿と伝わる平場や、姫穴、袿掛岩などの伝説の地形に、堀切、水場などの遺構も山全体に散在しているが、いずれも城郭の縄張としては極めて簡素である。少なくとも戦国時代に大規模な改修が為されたとは考えられない。

城址へは、いくつかの登山道があるようだが、国道365号から杣山地区に入って、杣山神社向かいに山腹まで車で行ける林道が走っている。山腹には駐車場があって、登山道も整備されているが、そこから徒歩で険しい登山を30分以上強いられる。

 

 

【左写真】西御殿跡で細長い削平地。【右写真】西御殿には一段高い郭があり、建築物があったように思われる。

  

【左写真】かろうじて堀切と分かる地形が尾根に見られる。【右写真】本丸手前の堀切は比較的規模が大きい。

 

【左写真】本丸。広くはないが削平はされている。【右写真】腰曲輪らしき地形もあるが明確でない。

 

【左写真】本丸設置の城址石碑。【右写真】登山道にある手作り案内板が厳しい登山を支えてくれる。

 

【左写真】袿掛岩。城主・瓜生保の戦死を聞いて夫人や女房らが岩に袿を掛けて身を投げた場所という。ただそれほどの断崖にはなっておらず伝説の域は出ないだろう。)

(【右写真】殿池。尾根筋から少し下った場所にあり、現在も豊富な湧き水をみる。

 

【左写真】現地案内図 【右写真】奥の頂上が本丸。実に険しい山城。登山がキツい割には遺構の満足度は低い。

 

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