岡山城

岡山城(★★★ 岡山県岡山市北区丸の内2

備前の国邑久から起った宇喜多直家が、岡山の地・石山の城にいた金光宗高を亡ぼして城郭を拡張し入城したのは天正元年(1573)の秋であった。それまでは金川の松田氏に属する小城に過ぎなかったが、直家はこの城を本拠として城下町の経営に着手し、岡山の繁栄の基礎をつくった。
 その子八郎秀家は、豊臣秀吉の殊遇を受け、直家の遺領である備前、美作のほかに備中の内の高梁川以東をも加え、57万石をこえる大領主となった。
 ここにおいて秀吉の意見に従い、石山の東に本丸を移して城郭の拡張整備を行ない、慶長2年(1597)、36階の天守閣が落成するにおよんで、城普請は一段落した。これがこの地に豪壮きわまりない石垣と内堀を残す岡山城本丸であって、さらに西南の平地に二の丸、三の丸などが城域を画し、近世城下町の骨格ができあがったのである。
 宇喜多秀家は、慶長5年(1600)の関が原の戦いに西軍の総大将となって出陣、一敗地に塗れて八丈島へ流された。その後小早川秀秋が備前の国・名島から移って岡山城主となったが、在城わずか2年余りで急死し、後継者がいなかったのでこの家は断絶した。そのあと姫路城主池田輝政の子、池田忠継に備前一国を与えられ岡山城に入る。以降池田氏315千石の時代が続き明治維新におよんだ(『城址案内板』より)。

言わずと知れた岡山の名城。天守は空襲で焼失したため鉄筋コンクリートの復元ではあるが、風光明媚な地に映えて味わいがある。また、宇喜多、小早川、池田時代の様々な石垣が楽しめるのも魅力。

 

 

(【左写真】復元天守(空襲で焼失したが、昭和になりコンクリ復元された)【右写真】本丸中の段に残る宇喜多時代の石垣(江戸期の改修の際に埋め込まれた))

 

(【左写真】本丸搦手の廊下門(復元)【右写真】不明門(本段全体の入口で、昭和になってからのコンクリ復元))

 

(【左写真】月見櫓(2代池田忠雄が創建し現存)【右写真】内下馬門跡の巨大な石垣(池田氏時代))

 

(【左写真】大納戸櫓跡の石垣(小早川秀秋が築き、池田利隆が改修)【右写真】大手から本丸へ通じる目安橋)

 

(【左写真】背後を流れる旭川が天然の堀となっている【右写真】後楽園から眺める天守)

 

(【左写真】広大な水を蓄える内堀【右写真】城址古写真(左手前が大納戸櫓(旧亀山城天守)で右奥が天守))

2016/04/25再訪

 

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永禄年間に金光宗高が現在の二の丸の1部に築いた石山城が始まり。

宗高は宇喜多直家臣従していたが直家に謀殺され城を奪われる。その後直家の子・秀家が豊臣秀吉の指導のもと大改修に着手し、近世城郭として完成した。

天守は昭和20年の空襲で消失したが、現代工法で再建された。復元ながらも漆黒の天守閣、荒々しい石垣、日本三名園の一つ後楽園は見ごたえがあり、中国の雄藩の佇まいをうかがわせる。

  

(復元天守閣)

 

(城址遠望)

 

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