津山城

津山城(★★★ 岡山県津山市山下)

津山城は、もと山城のあったこの鶴山の地に森忠政が慶長九年(1604)に起工し、元和二年(1616)の完成まで十三年の歳月をかけて築いた輪郭式の平山城です。

 往時には五層の天守閣がそびえていましたが、この天守閣は弓狭間・鉄砲狭間・石落し等の備えを持ち、唐破風・千鳥破風等の装飾のない実践的なものでした。また、本丸・二の丸・三の丸には、備中櫓をはじめ、粟積櫓・月見櫓等数多くの櫓が立ち並び、本丸には70余の部屋からなる御殿と庭園がありました。

 この城が築かれた当時は、我が国の築城技術が最盛期を迎えた時期にあたり、津山城の縄張りの巧妙さは攻守両面において非常に優れたもので、近世平山城の典型とされています。

 明治六年(1873)廃城令によって城郭は公売され、翌七年から八年にかけて天守閣をはじめとする一切の建物が取り壊されましたが、豪壮堅固な石垣は残りました(『城址案内板』より)。

鶴山公園が城跡で、壮大な石垣が良好に残る。復元された備中櫓、天守閣など多数の建物があった往時が偲ばれる。

 

 

(【左写真】天守台石垣(5階建層塔型で、最上階以破風をもたない質実なつくりであった)【右写真】天守台からの眺望)

 

(【左写真】本丸への入口にあたる表鉄門跡【右写真】二の丸石垣)

 

(【左写真】裏中門跡の石垣(搦手の本丸から二の丸の間にある)【右写真】取り壊し前の古写真)

 

2016/4/26再訪

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嘉吉年間に山名宗全の一族・山名忠政がこの地の守護代として砦を設けたのが始まり。

諸豪族の間を転々として森忠政が入国した際、本格的な城郭として完成した。

明治維新後に民間に払い下げられ、数十もの櫓・門、五重の天守が撤去させられたが、壮麗な石垣群がほぼ完全な形で残っている。「扇の勾配」でそびえたつ石垣は圧巻で、城郭というより巨大要塞を思わせる。

  

(城址に残る石垣)

 

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