根知城

高320m、比高230m。

根知城は、「根小屋城」を中心に、標高525mの城山頂上に詰の城「上城山城」、標高100mの栗山に「栗山城」を配した大城塞であるが、一般には「根小屋城」をもって根知城を示す。本丸跡と殿屋敷と称する郭跡を中心に、郭跡17、削平地201、堀切16、竪堀15というように大規模な城郭である。

上杉謙信が信濃からの武田勢の侵攻に備えて姫川と根知川の合流地点に築き、永禄八年(1565)葛尾城より逃避してきた村上義清を城主に定めている。謙信は永禄十一年以降、幾たびかに亘って根知城の警備を厳重にするようにとの文書を発給している。その後、仁科盛信、西方房家などが入城し、堀氏が春日山城の主となった慶長三年(1598)には、堀備中守清重が城主となっている。堀清重は、慶長四年(1599)の上杉遺民一揆の際に根知城を廃したと伝承されている(『糸井川市資料』『日本の名城・古城事典』)

遺構は山腹から広い削平地が連続し、籠城、居住用のまさに根小屋として使用されていたことが分かる。そこから城主要部へは急斜面になり、山城独特の堀切などの縄張りを見せる。主郭は土塁があるものの面積は広くない。

国道148号の「根知谷入口」から県道225号へ入り、根小屋集落に登山道の案内板がある。勝蓮寺の奥に登山道が走っていて、そこからは長い30分ほどの厳しい道のり。ほとほと村上義清は険峻な山城が好きな武将である。

 

(【左写真】根小屋城本郭跡で見晴しは絶好 【右写真】本丸土塁は高さ2mほど)

 

(【左写真】根小屋城本丸木碑 【右写真】本郭周辺に城主要部には石積みが散見される)

 

(【左写真】本郭には複数の帯郭、副郭が急斜面に配置される 【右写真】帯郭は険しい切岸)

 

(【左写真】城域中央部の大堀切 【右写真】5合目付近の郭にはあずま屋が建つ)

 

(【左写真】4合目付近には広大な根小屋地区がある 【右写真】根小屋も高い切岸で形成)

 

(【左写真】根小屋の井戸跡で石積みが残る 【右写真】山麓の城址入口)

  

(【左写真】城山遠望 【右写真】根小屋城縄張図)

 

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