白川城

白川城(★★★ 福島県白河市藤沢山)は白河市街の東方、阿武隈川の川筋を南から一望できる丘陵に造られました。御本城山(館山)と呼ばれる山頂の平坦部は空濠と土塁で守られた白川城の中心部にあたり、この周辺に防御のために造られたたくさんの平坦地や土塁が拡がっています。

 源頼朝の奥州合戦の結果、白川庄の地頭となった結城白川氏は、この城を本拠地として北関東から奥州にかけて活躍しました。特に南北朝時代には宗広・親光父子が南朝(吉野方)の中心的存在として奥州軍を率いて京都周辺まで二度も遠征し、北朝方の足利尊氏軍を戦いました。

 江戸時代になって、内山重濃が宗広・親光父子の業績を伝えるために、白河城主松平定信の撰んだ「感忠銘」の三文字と、当時の白河藩最高の学者であった広瀬典の文章を北東部分に断崖に彫ったものが感忠銘です(『城址説明板』)。

主郭を中心に遺構が良く残っている。地震か台風か不明だが、「感忠銘」の石碑が倒壊していた…。

 

(城址碑と主郭への登城道)

 

(【左写真】主郭内部(土塁の一部が残る)【右写真】堀切跡)

  (2013年4月28日訪問)

 

戻る

城と古戦場