神指城

神指城(こうざし・★★★ 福島県会津若松市神指町高瀬)は、慶長三年(1598)越後から会津へ百二十万石で移封された上杉景勝が、執政の直江兼続に命じて築かせた日本有数の規模をもつ平城です。

 『会津旧事雑考』によると、当初は会津盆地中央とする予定でしたが、平坦で川との落差のない神指ヶ原に定め、慶長五年(1600)三月十八日から築城を開始しました。兼続の総指揮により、神指の十三ヶ村を強制的に移住させ、城は北東の鬼門に位置する「高瀬のケヤキ」と北極星を基点に縄張りしました。領内から十二万人を動員し、東山町慶山から石を運び本丸に石垣を築き、町割りまで計画しました。しかし家康の上杉討伐令により、六月十日で工事は中止しました。本丸は石垣と堀や三方の門、二ノ丸は四方の土塁と堀が完成しましたが、天守閣には着工できませんでした。

 面積は会津若松城(鶴ヶ城)の二倍約五十五fもあり、毛利輝元の広島城に似た「回」字形をした城郭でした。中央の京・大坂、西の広島、東の会津というように、政治経済の中心拠点にしようと川や運河を利用して築こうとしました。慶長六年(1601)に上杉氏は、米沢三十万石へ移封となり、城は破却され、更に寛永十六年(1639)領主加藤氏が、石垣を全て若松城に運び去り、神指城は廃城となりました(『城址説明板』)。

本丸内は私有地のため立入禁止だが、外から土塁や石垣等を確認できる。案内や説明が随所にあり、見学しやすい。

 

主郭跡)

 

【左写真】本丸遠景 【右写真】本丸土塁跡 

僅かに残る石垣跡)

  (2013年4月28日訪問)

 

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城と古戦場