小手森城

小手森城(★★ 福島県二本松市針道字愛宕森) 

二本松会津攻めを図っていた伊達政宗は、まず大内氏の領する東安達の拠点、小手森への総攻撃を開始した。天正十三年(1585)八月二十三日のことである。城は大内備前守定綱の臣、菊池顕綱らが守っていたが力尽き、八月二十七日ついに落成した。政宗は兵と共に城に籠もった農民の老若男女を合わせ、八百余名の全てを斬り殺した。織田信長の比叡山焼き討ちにも比すべきものであった。
この戦いの後、功により小手森を与えられた石川弾正は、天正十六年、伊達勢に抵抗し小手森に兵を挙げた。政宗は同年閏五月十二日優勢な兵をもって、背臣への総攻撃をかけた。戦火はまだおさまらぬ僅か三年後、小手森城は再び五百余名が討死にするという悲劇に見舞われたのである。豊臣秀吉による全国統一(
1590年)の二年前のことである。時は流れて四百余年、往時を語るのは地に集く虫の音と、今なお残る石塁のみである(『城址説明板』)。

城跡は愛宕神社のある丘陵で、国道349号から城跡に至る脇道がある。明瞭な遺構はなく、社殿に残る石塁のみである。政宗の撫で斬りは城兵や農民だけでなく、牛馬、犬、鳥など城内の生き物全てを殺害した壮絶なものだったという。愛宕神社は薄暗く、少々不気味でした。遺構があまりないので、早々に立ち去りました。

 

頂上の愛宕神社と石塁跡

城址(愛宕神社)登城口

  (2013年4月27日訪問)

 

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城と古戦場