宮森城

宮森城(★★ 福島県二本松市小浜字上館)は、応永三年(1396)、宇都宮氏広が奥州管領に任ぜられこの地に築城し、四本松城と称した。

その後文明三年(1471)、大河内修理が城を修築して宮森城と改めた。天正八年(1580)、大内定綱がこの城に移り東安達(塩松)地方を治めたが、同十三年(1585)九月、伊達政宗との戦闘に敗れ会津に逃れる。
政宗の父輝宗がここに在陣したが同年十月八日、和議のお礼のため訪れた二本松城主畠山義継に拉致され、阿武隈河畔粟ノ須で最後をとげる事件の発生したのがこの宮森城である(『城址説明板』)。

城跡は八幡神社となっており整備されている。何より伊達輝宗が拉致された城であり、ここから車で1520分の場所に粟ノ須古戦場跡がある。現在は両方とも田園に囲まれた長閑な土地にあります。

 

 

 (【左写真】主郭の八幡神社【右写真】腹切石(永禄の変の際、大河内宗四郎がこの石の上で切腹した)

 

 (【左写真】御膳清水(伊達輝宗はじめ、歴代城主の御用水)【右写真】登城口の模擬門)

粟ノ須古戦場跡(この場所で伊達政宗が畠山義継もろとも父輝宗をやむなく射殺した)

  (2013年4月27日訪問)

 

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城と古戦場