指導責任者 福田伸寛のプロフィール

宮城県仙台第一高等学校、学習院大学
法学部法学科卒業。
法律家を目指していた大学生時代から、中村天風先生が創設した天風会で心身統一法を学ぶ。
その後(財)氣の研究会、心身統一合氣道会の創始者藤平光一先生に巡り合い、以後藤平光一先生に師事する。
心身統一合氣道学院、東京氣圧療法学院(現・氣の健康学院)を卒業し、東京氣の健康学院の講師を7年間勤め教学部主任を歴任。
心身統一合氣道
五段 師範 心身統一合氣道会 審判員 平成19年度 全日本心身統一合氣道競技大会
体技審判員 平成20年度 第4回国際心身統一合氣道競技大会 体技審判員
平成21年 全日本心身統一合氣道競技大会 体技審判員 (財)氣の研究会
講師
高校までバスケットボールに専念し、高校総体で宮城県大会二度の優勝。全国大会に進みベスト4進出に貢献。
大学時代はクラブチーム選手権東京都代表で全国大会に進むと共に学習院女子高等学校の部活動をコーチとして指導。生徒は東京都ベスト16から常に上位を臨むチームに成長。
大学時代には日墺スキー連盟のプロスキー教師として、オーストリアのトッププロ指導者の指導を受けた経験も持つ。
藤平先生は「合氣道の世界の中だけで正しいといくら主張していても、あらゆる世界で正しいと通用するものでなければ本当に正しいとは言えない。」と常に語られています。
青春期にスポーツに親しんだ経験から、多くのスポーツの分野において心身統一によってプレーの質を高める指導や、社会生活に心身統一を活かす社員研修等幅広い分野で活動しています。
どこの国、どんな時代においても人間こそが社会の財産です。心身統一道を通じて人間の本質的な価値がどれ程素晴しいかということに確信を得ている者として、私達が心身統一合氣道をお伝えする目的は第一義的に『人を育てること』にあります。 大人も子供も一人一人誰もが無限の可能性を持っていますが、それは同時に各々が成長する為の課題を持って生きているということでもあります。
特に子供達は人生体験も少なく成長の途上にあるのですから足りない面が多く目に付くのは当り前のことです。
人は体験を通して氣付きを得、氣付きから成長への足がかりを得て飛躍の一歩を踏み出すのです。目の前の課題の一つ一つと真剣に向き合い、格闘し、解決して乗り越えていくこと。それがまさに成長ということだと思います。
ですから、私達大人にはこの様な可能性に満ちた子供達を見守り育てる責任があります。
子供達の氣付きを大切に思い,一緒に共感し、支えてあげることで、私達大人は子供達に未来を託すのだと思います。
私達が心身統一合氣道を学ぶ目的は、私達の身の周りの出来事を他人や社会の問題にするのではなく、すべてを自分自身で律して行ける人間に成長することにあります。言葉を替えると、身の周りに生じる出来事すべてを、自分自身の成長の糧に出来る積極的な生き方を掴むことにあります。
その土台になるのが私達一人一人に与えられた能力や個性ですが、その与えられた能力と可能性がいかに大きなものであるかに氣付けるのが心身統一合氣道の稽古なのです。
自分自身の可能性を信じて将来に希望と目標を持ち、社会の発展を信じてこれに寄与出来る人間に成長することこそ、私達が与えられた価値高い命を全うする真の道だと思います。
私達は専門家の集まりです。ご縁があって出会った皆様お一人お一人のお役に立てる為に、これからも常に研鑽努力してまいります。

我が師、(財)氣の研究会、心身統一合氣道会の創始者藤平光一先生について。
藤平光一先生は合氣道の開祖植芝盛平先生の下で師範部長というトップの要職を30年近く担い、その間合氣道界に最も貢献され開祖から十段位を授与されています。 また現在の海外での合氣道の普及は、藤平光一先生が昭和28年に単身で渡米して以来長年渡航を重ねてその礎を築いたものです。 普及の過程で体格の違う多くの力自慢を相手にされて来た経験から、少しでも力に頼っていると海外では全く通用しないことを最も身を以て体感されている方です。 その意味で、開祖が身をもって示された全く力に頼らない合氣道を、最も理解出来やって見せれる方でもあります。 開祖植芝盛平先生が逝去された後も三年間ご遺志を守られて要職を担われました。
また藤平光一先生は中村天風先生の下で師の説く心身統一法を最も深く理解し徹底して実践されたことで大変信頼されました。そして後継者として最も望まれた方です。
天風先生から『心が身体を動かす』ことを説かれ、「そうか!」と氣付かれた後、藤平光一先生の合氣道は一氣に開花したのでした。
そして心身統一合氣道会を創設されてからはそれまでにも増して、合氣道界に留まらず、プロ野球をはじめとするスポーツ界、能、歌舞伎、音楽、華道、書道、絵画等の世界にまで多くの会員、賛同者を得られ、合氣道の根底にあって揺るがない「心身統一道」の進化と普及に邁進されて来られました。
中村天風先生は旧柳川藩主の血縁として誕生し、青年期は軍事探偵として中国大陸を活躍の舞台としておられました。
長年のあまりに過酷な軍事探偵としての生活から進行性の結核を患い、それを期に密出国して渡米しコロンビア大学で医学博士となり、更にドイツで哲学を学ばれました。
死期を覚って日本へ帰国する途上、偶然同船したヨガの大聖者カリアッパ師に同行してインドのヒマラヤの麓に赴き、外国人として唯一悟りを得て下山を許された方です。現地では今でも「中村三郎」の名は語り継がれています。
日本への帰途、中国の辛亥革命に最高軍事顧問としてかかわり、孫文が日本に亡命する折に帰国。その後、銀行を経営されました。
この様な波乱の人生を歩まれた末に事業の全てを手放され、ヒマラヤの麓で自ら悟得した心身統一法を広く世に説かれました。
そして昭和の初期から中期にかけて驚く程多くの皇室、政財界、科学者、思想家の方々に強い影響を与えた方で、終戦直後の一時期にはGHQを通じて米軍将校にもその名を知られた逸材です。
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