[裏切り] of [哀しみの追憶]


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第二章 裏切り

 サマンサが知ったら大変なことになる。
 ロバートはちらりと考えたが、テリーとサマンサが密会するよりも、ロバートとテリーの場合にはもっと簡単にごまかしがきいた。
 二人は共に仕事をする仲間であり、共に遠征し、家族にも行き先を知らせず行方をくらますことは頻繁にあったからだ。
 新妻に申し訳ないと思う反面、ロバートは生まれて初めて恋に落ちたことを自覚していた。
 サマンサに感じていた愛情は、恋とは違うのだと、ロバートが認めざるを得ないほど、テリーの存在は世界の全てになろうとしていた。
 テリーは、ロバートと機密を分け合う。仕事の細部まで話し合うことができる。明るく、積極的な前向きの姿勢がロバートをいつも居心地良くさせる。
 そして、この躰……。
 大抵の男は、昼間貴婦人で夜には娼婦に変貌する女性に憧れるものだが、テリーはまさに娼婦のように、あらゆる快楽を享受した。
 テリーを抱くとき、ロバートは自分がゲイであるとか、世間に反した行為をしているとか、そんなことは感じなかった。
 それどころか、彼が男であることすら忘れていた。
 だが、女ではないのは承知している。なにか不思議な存在。滑らかで、敏感で、猥らなものが詰まったもの。
 それでいて、乱暴に扱えば壊れてしまうのではないかと思わせるほど繊細な脆さを感じさせ、ロバートは夢中になってしまう。

 二人でいるときのテリーは、あどけないほど純粋にロバートへの愛を訴えていた。低すぎも高すぎもしない、日頃は鋭ささえある特徴的な声が、甘く蕩けるように唇から漏れ始めると、体の中が熱くたぎるのが分かる。時に悲鳴のように、すすり泣きのように、テリーは様々な声をロバートの責めに応じて変化させた。
 この恋人の存在が、自分の生活を変化させていることなど、ロバートはまったく自覚していなかった。

 テリーと別れなければならない、とはっきり認識したのはサマンサが彼の様子に疑いを持ち始めたからだ。
「なんでも話し合っていきましょうね」と、二人は誓い合い、共に暮らし始めたのだ。それなのに、早々にその約束が破られていることを、サマンサは女性の勘で見抜いていた。
 サマンサは、口には出さなかった。
 何も、ひとことも、ロバートの行動に関して不満めいたことは言わなかったし、疑っていることを伝えたわけではない。だが、サマンサの紫色の瞳が、明確にそのことを問いただしていた。
 彼女が何も言わないことが、ロバートの心を痛めつけた。
 相手が誰なのか、それすらも彼女は見抜いているのではないかと、ロバートは恐れた。
 彼女は「テリーをつれていらっしゃい」と言わなくなっていた。実際、ロバートはテリーを家に呼ばなくなっていた。
 時にサマンサの目にとがめられている気がして、ロバートはいっそ別れるのはサマンサと、と思い詰めることさえあった。
 テリーと会ってしまうと、つい夢中になってその躰を味わい、すがるような瞳に目眩がするほどに魅せられて、別れ話など持ち出せなかった。

「なにが起こっている?」
 マイク・フォードの質素な佇まいのアパートを訪れたとき、マイクが穏やかな声で尋ねた。ロバートは昔から、同級でありながら十も年長に感じられる、落ち着いたこの友人の前では嘘がつけない。
 マイクは基地内のうわさ話が、自分の乗っている護衛艦の中まで届いたことを話した。
「噂だけなのか?」
 ブランデーのグラスを傾けながら、暖かな深い茶色の瞳を向けるマイクに、ロバートはどぎまぎした。
「実は……」
 ロバートがこれまでのいきさつを簡単に話すと、マイクは目を伏せた。
「そんなことをしてはいけない」
 マイクならしないだろう。
 たとえ、どんなに魔力を持った美しい人物に捕らわれても、決してこんな軽はずみなことはしないはずだ。彼はまだ独身だったが、浮いた噂のひとつもなく、一筋に海軍の仕事に打ち込んでいた。
 ロバートは、この親友に言われると、自分がいかに人間としての常識を逸脱しているかを思い知らされ、恥じ入った。
「君の友人として、軽蔑されるようなことは、やめるよ」
 ロバートはそう言って、フォードの家を出た。
 彼は多くを語らなかったが、言いたいことは分かっていた。これ以上、テリーとの関係を続けていけば、いずれ二人共が海軍を逐われてしまうのは目に見えていた。
 最後にマイクが言った言葉だけが、ロバートにとうとう決心をさせた。
「どこか遠い土地で、志願までして得た仕事を捨てて、二人で暮らすなら問題は何もない」
 そこまでの覚悟はなかった。あるいは、そこまでの愛情があると、自分を確かめるのが怖かった。

 テリーに紹介したいひとがいるのよ、とサマンサが言い出したとき、ロバートはやはり妻がテリーと自分との仲を疑っていたことを確信した。
 ある日曜日、庭でパーティーをして、その席で妻は美しい後輩を紹介した。一緒に合唱団に所属していたという、ジュリアという女性は、たちまちテリーに惹かれたようだった。
 テリーは紳士的にジュリアの相手をし、その日一度もロバートの顔を見なかった。
 テリーがもっと分からず屋なのではないかと、密かに気を揉んでいたロバートは拍子抜けした思いがするほど、テリーは以後ロバートと二人で会う機会を持たなかった。
 まだ何の話もしていないにもかかわらず、ロバートが関係を辞めたがっていたことが、分かっていたかのようだった。

 サマンサの話から、ジュリアとテリーはうまく交際を進めているようだとの報告を聞くたび、結局はテリーも自分も一時的な迷い道を彷徨っていただけなのではないかと思うようになっていった。
 家庭に妻がいて、やがて子どもが誕生して、その喜びと責任が男を仕事に集中させていくものだと、ロバートはテリーの身になってこのことを喜んだ。
 世間に後ろ指を指されるような、そんな姿は彼には似合わなかった。
 それでも、ふと夜中に目覚めたときに、隣に寝ているのがサマンサであることにぎょっとすることがあった。サマンサの女性らしい躰の線や、愛らしい顔を眺め、目を閉じるとテリーの白い滑らかな人形のような、それでいて猥らな雰囲気をたたえた風情が脳裏に蘇った。
 あの躰をもう一度撫で回したい欲求に、ロバートは身もだえる夜を何度も過ごした。

 チームで訓練をしているときも、任務についた時も、たとえ二人きりになってもテリーは何も言わなかった。まったく普通の口調でなんの屈託もないような笑顔を浮かべることすらあった。彼もまた、尉官をのぼり、佐官になっていき、SEALの中のエリートとして進んでいく身だ。それを自覚しているのだと、ロバートは思い、この件を二人で話し合うことなく、ピリオドをつけられたことに安堵した。
 やがてジュリアとの結婚の招待状が来るだろう。ロバートは自分の迷いに決別するために、それを待ち望んでさえいた。

 だが、結婚の招待状は、思わぬ所からやってきた。
 ジュリアとマイク・フォードが結婚することになったと、サマンサが驚いたように告げたのは、それから間もない頃であった。
 ジュリアが、夢中になっていたテリーを捨て、マイクに走った理由がどうしても分からなかった。テリーが傷心して一人でいると思うと、走って抱き寄せにいきたくなる感情がわき上がり、ロバートはジュリアの背信を恨みたくなった。
 サマンサがジュリアの所へ出掛けていき、詳細が分かるにつれ、ロバートは暗澹たる気持ちになっていった。
 たまたま、SEAL隊員の事故死が新聞で報道された時だったのが災いしたのだ。
 SEALはその仕事の特殊性から、当時あまり知られる存在ではなかった。だが周りから、ジュリアはSEALという仕事がいかに危険と隣り合わせかを聞かされ、未亡人になりたくないなら、そんな男とは別れた方がいいと母親からも諭されたという。
 ジュリアの父親は、軍とはなんの関係もない仕事だった。
 不幸にもジュリアがまだ子どもの時に病死したらしい。未亡人の苦労を嫌と言うほど母親から叩き込まれていたのだ。

「それとね…」
 サマンサが言いよどんだ。「ジュリアは、テリーの心の奥には、真に好きな存在があるように思える…って」
 ロバートは、返事をすることができなかった。
「多分、それもジュリアを迷わせた原因のひとつにはなったのでしょうね。彼女は本当にテリーを愛していたのだもの」
 たまたまその頃、親戚が連れてきた相手がマイクであり、ジュリアに一目惚れしたマイクが、速攻の勢いでプロポーズしたのだという。

 そして、赤ん坊も速攻で生まれた。
 ――早すぎるほどに……。














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