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第一章 恋

 海軍特殊部隊の総隊長である、ロバート・バーク大佐にとって、ロイ・フォードは縁の深い存在だった。
 彼の育ての父親、マイク・フォードは士官学校時代からの親友であり、ロバートにとってかけがえのない人物だった。
 そして、ロイの本当の父親であるテリー・ランド。彼はロバートの部下で、優秀な男だった。

 歳月は残酷にも、大切なこの二人をロバートから奪い去った。
そして歳月はロバートから若さをも奪った。本当なら孫に囲まれていてもおかしくない年齢になったが、職場に満ちあふれる若い息吹に影響されているのか、自分がいつまでもあの二人が元気でいた頃と変わっていないような気さえしていた。
ロイ・フォードという、彼の直属の部下としてSEALを率いる大尉を見るたび、あの頃の昂揚した気分が蘇るのを、ロバートは感じていた。今やテリーに瓜二つといっていいほどにそっくりに成長したロイは、背格好もほとんど同じで、テリーと同じ顔をロバートに向け、テリーと同じ声で語りかける。
 けれど…、とロバートは時々考える。躰の隅々も似ているのだろうか? ……と。

 ロバートがまだSEALSの現役の隊長を務めていた頃、テレンス・R・ランドは副隊長として彼のチームに配属されてきた。西海岸の基地で1年チームの経験があり、テリーは最初から使える男だった。
 結婚して間もなかったロバートは、家に呼んで妻と一緒に食事をしたり、三人で映画に行ったりするほど、二人はうまがあった。
 彼は、明るい性格で、人なつこく、妻のサマンサもすっかり弟のような気分で接しており、テリーが来ると華やいだ雰囲気で歓待した。
 海辺のすぐ近くにあった当時のロバートの家の前には砂浜が広がり、ピクニックシートを敷いて日光浴をしたり、泳ぎに興じるときなど、サマンサのはち切れるような肢体にまとったワンピースの水着が、テリーを挑発しているんじゃないかと気を揉んだこともある。
 彼はサマンサを好きなのかもしれない、と新妻を自慢に思う反面、背も高くはなく、容姿はごく普通だと自覚しているロバートにとって、テリーは十分に妻を魅了できる男だとも思っていた。ふたりが自分の前で楽しそうに振る舞っているのを見ると、ロバートはどちらにともなく嫉妬の光が差すのを感じて驚いたものだ。
 けれども、ロバートはこの大切な二人をおおっぴらに疑うどころか、心の中で微かによぎる不安さえも、二人に対する冒涜だと考えていた。
 第一、ほとんど同じ時間を過ごすテリーには、ロバート抜きでサマンサと会う時間など皆無に等しい。馬鹿げた考えは、全てを崩壊するもとだと、ロバートは自分を戒めていた。
 出動の時、テリーは誰よりも頼れる存在だった。ロバートにピッタリとつき、計画通りに事が行える、わずかな慢心も恐れも感じさせない態度に、チームはぐいぐいと引っ張られていた。


 ある晩、あれは冷たい雪が舞っていた時だったと思う。
 いつものように、暖かいロバートの居間でチェスを楽しんだテリーは、コートを着て玄関に立った。帰るには遅いから泊まっていけという言葉に、テリーは首を振った。
「サムはもう寝てるでしょう?僕みたいな男が泊まり込んじゃ気の毒だ」
「ナニを言ってる。朝飯を作ってくれるさ」
 しかし、テリーはドアを開け、うっすらと降り積もったエントランスに足を踏み出した。革靴が、雪を掬い、テリーは後ろ向きによろけた。
 ロバートは思わずテリーの肩を抱き、ふたりとも玄関に尻餅をついた。
 テリーの酒に酔った耳たぶが熱い、と感じたほどテリーの頭がすぐ前にあった。
「おおっと、大丈夫か?」
 テリーは何も言わず、ゆっくりと振り返った。心なしか潤んだような瞳をこちらに向ける。青緑色の、宝石のような瞳。その瞳が時々光の加減で色が変わるのが、とても綺麗よ、とサマンサがいつか言っていた言葉が蘇る。
「…すみません、少佐」
 テリーが強い光の眼差しをこちらに向けているのが、なぜだか居心地が悪く、ロバートは掠れた声でいや、と言った。
 テリーはいつもに似合わずのろのろと立ち上がると、今度は踏みしめるようにエントランスを出て行った。
 小雪の舞う闇の中、うっすらとした街頭の灯りに背の高い細い躰が消えていくのを、ロバートはじっと見送った。テリーは一度も振り返らなかった。
 今の自分の感情はなんだったんだろう?とロバートは思った。そして今のテリーの瞳の意味は?
「泊めてあげたらよかったのに」
 いつの間にか後ろにサマンサが立っていた。
「おお、寒い。ダーリン、早く閉めて」
 ロバートは黙って玄関に鍵をかけた。

 そんな事が数回あった。酒が入っていることもあったし、しらふの状態であることもあった。ふと強い視線を感じると、目をそらしたばかりに見えるテリーが立っていたりした。
 だが、ロバートは頭を振って、自分の感情を否定した。
 ロバートにとって、男性は恋愛の対象ではない。新婚で、これから真っ直ぐに出世街道を歩いていくための絨毯が敷かれたロバートの人生に、脇道はないと思っていた。もちろん女性相手の浮気すらする気もなかった。サマンサは魅力的であり、留守がちの家を守る、しっかりした芯のある女性だ。これ以上望む物は何もない。わざわざつかの間の快楽のために、それを壊すつもりなどなかった。ロバートは常にそう考えていた。

 ある任務の時、ロバートは足に被弾した。
 チームは隊長の負傷によって、撤退をやむなくされた。このまま帰るのは悔しい。ロバートは隊長命令として、テリーを臨時の隊長に任命した。自分が行うべき任務を頼み、当初の予定通りの破壊工作を行わせた。
 衛生兵と二人、じっと木の陰で待っていると、激しい出血のために体温がどんどん下がってくるのが自覚できた。このまま死ぬのだろうか、とロバートは思った。衛生兵が大きなリュックから寝袋を出し、ロバートをその中に入れたが、躰は凍えたようになっていき、衛生兵がその上から被さってくれても一向に寒気は収まらなかった。
 隊員たちと任務を完了させた後、報告に戻ってきたテリーは、ロバートを見て顔色を変えた。すぐに迎えのヘリへの連絡をとらせ、ヘリ着陸に対する草地の整備を指示すると、テリーは寝袋を開け、血に染まった内部に入り込んできた。
「この方が暖かいでしょう?少佐」
 テリーの体温が直に躰に伝わってくる感覚に、ロバートはほっとため息が漏れた。
 少し生き返った気がした。
 氷のような躰を抱きしめ、テリーは血の臭いのする寝袋の中で、じっと息を殺していた。何も言わず、身動きすらせず、テリーは自分の体温のすべてをロバートに与えようとでもしているかのようだった。
 それでもほんの時たま、様子を見るために向けられた青緑の瞳が、強い光を伴っているのを、ロバートは薄れていく意識の中でおののくような気分で見返していた。
そう、それらはあの出来事への布石となっていったのだった。

 オフィサー専用と書いてあるシャワールームで、ロバートが汗を流していた時のことだ。
 誰かが入ってくる気配がした。やがて、大きな音がしたかと思うと、呻き声が聞こえた。
 ロバートは慌ててシャワーの栓を捻ると、バスタオルを巻いてロッカールームに飛び出した。
 入り口の近くで、誰かが蹲っていた。白い、流れるような線を露わにし、裸の上半身が見えた。つかの間女性士官がいるのかと息を飲んだロバートは、それが男性であることを認めると、そばに寄っていった。
「どうした?」
 ロバートが声をかけると、金色の髪が揺れ、テリーの歪んだ顔が微かに見えた。
「…ロバート…、たすけ…」
 割れたグラスが転がっており、尖った破片がテリーの足の裏を刺している。腰に巻いただけのバスタオルが血に染まっていた。
 ロバートは慌ててそばにしゃがみこみ、そっと破片に触れてみた。
「…つう」テリーが苦痛に躰を強ばらせる。
「このまま医務室に行こう」
 ロバートは、立ち上がろうとするテリーの膝裏に腕を差し入れ、横抱きにして抱え上げた。テリーはロバートよりも長身であったが、意外なほど軽かった。あれほど鍛えているのに、腕に触れる筋肉は滑らかで、自分が抱いているものがなんなのか、一瞬ロバートは忘れかけたほどだ。

 医務室には誰もいなかった。考えてみたら今日は土曜日の、それも午後も遅く、医療担当官はすでに帰ったあとらしかった。この建物の中にいる人間すら、たいして残ってはいないはずだ。
 ベッドに寝せ、手を消毒してから、ロバートは足に刺さったままになっていたガラスを抜くと、テリーは呻いたが、子どものように素直に身を任せていた。ロバートは丁寧に消毒を始めた。広さはないが、けっこう深く刺さっていたらしく、血がどんどん流れてくるのを、ロバートは逆に止めなかった。破片が流れ出てくるかもしれないと思ったからだ。やがて、血の流れが止まると、ロバートはガーゼを当て、軽くテープで留めた。
「病院へ行こう。破片が残っていたら大変だ」
 そう言って、患者に目をやると、いつの間にかはだけられた大判のバスタオルから両の太ももが見え、痛そうに顔を顰めていた顔が幼子のように無防備な様子でロバートを見詰めていた。肘をついて躰を起こし、肩から胸、そして腹部にかけての白さが、ロバートをどぎまぎさせた。
「大丈夫か?テリー」
 微かに震えかける自分の声を訝しむように、ロバートはバスタオルに手をかけた。
 すっかり血にそまったそれは、元のように両足を隠すのは躊躇われるほどだった。考えたら、ロバート自身も腰にバスタオルを巻いただけの状態だ。
「とにかく、服を取ってくる。車で病院に連れて行くから」
 ロバートがドアを開けようとした時、背後からすがるような声が聞こえた。
「ロバート…」
 テリーはこれまで自分をファーストネームで呼んだことはない。隊長、少佐、もしくはバーク少佐というのが、ロバートのチームの中では名前のようなものだった。
 振り返ると、目の色がまるで違って見えるせいか、別人のような男が肘をついて半身を起こした状態のまま、泣きそうな顔で、瞳だけを異様に輝かせてロバートをみている。
「…テリー?」
 だが、テリーはそれ以上何も言わない。ロバートは戻っていって、そばに立つと、顔を覗き込んだ。
「どうした?顔色が悪いな。具合が悪くなったか?」

 突然、両腕がロバートの首に巻き付いてきた。唇に、冷たい感触が伝わってきて、テリーがキスをしかけたのだと気付くのに、一瞬の間があった。
冷たい唇とは相反して、それが微かに開かれると、熱い息が漏れてくるのが感じられた。
 ロバートは無意識に、その唇に応えるようにキスを返した。躰の奥から湧き出てくる情熱が、誘うようにロバートを包み込む。
 こんなことは馬鹿げた行動だ。
 ロバートは、自分の脳のどこかで警告音が鳴り響くのを感じていた。
 だが、その警告音の発生地帯は遠く、逆にわき上がってくる歓喜の声が、すぐに耳元で騒ぎ始めるのを、不思議な気分で聞いていた。
 それはロバートの頭の中だけで起こった声であり、テリーはひと言も発することなく、ただ夢中でキスをしているだけである。
 慎ましく、一部を隠すのみであったバスタオルがはだけ落ち、テリーの全身が露わになると、ロバートは息を飲んだ。

 テリーと供にシャワーを浴びたことはある。訓練中に上半身を太陽に晒すこともあれば、一緒に浜で遊んだときだって海水パンツひとつだった。そんな時、テリーの躰は一人の男性の躰であって、大して気にも留めていなかったのだが、この日の彼の全てを晒した裸体は猥らなまでに美しかった。
 夏に焦げ付いた皮膚は、早々に色を抜いてしまうのか、年中浅黒い躰をした他の男達とはまったく性質の違う白さを見せていた。
 知らなかった…、とロバートは思った。いつの間にか、肩を、胸のラインを、手がなでさすっていた。こんなに肌理の細かい、滑らかな肌をしていたなんて。
 こんなに艶っぽいものが日頃ズボンに隠されていたなんて。
 ロバートはむさぼるように、全身を撫で回し、やがて熱いものに手が触れると、躊躇いながら、それにキスをした。こんな行為を自分がするとは意外な気がしたが、ずっとこうしたかったような気もした。
「…どうすればいい?」
 ロバートはすっかり掠れてしまった声で言った。異常に興奮しているのが自覚された。
「あなたの好きなように…」
 テリーは淡い緑色に揺れる瞳を向け、囁くように言った。「あなたがサムにしているように…」
 ロバートはそのまま、ベッドに乗り、テリーの躰に覆い被さった。













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