[混乱] of [哀しみの追憶]


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第十章 混乱

 気がつくと、青緑の瞳がじっと自分を見詰めていた。
 宝石のような強い光を放ち、艶を含んだ視線がロバートを捕らえて離さなかった。
 不意に、頬を包み込んでいた自分の手が、皺ひとつないのに気がついた。
「ロバート……」
 手の中の顔が微笑んだ。
「……テリー?」
「どうした? 夢でも見てた?」

 そこはテリーのアパートだった。
 美しい模型がベッドルームの棚の上に飾ってある。読みかけの本がナイトテーブルの上に広げて伏せられていた。二人で飲んでいたワインのグラスがピンクに染まって並んでいた。
 テリーの清潔なベッドの上で、お互いに裸のぬくもりを感じあいながら寝転んでいる自分に気がついた。テリー自慢の金色のシルクのシーツで、その趣味に関してさんざん笑い転げた、しかし肌にひんやりとしたその感触は極上のものだ。
 ロバートは思わず片手をシーツに這わせて、滑らかな表面をなぞると、そっとつまんで布地を確かめ、それからその手をもう一度目の高さにあげた。
 目に見える自分の躰の隅々までが、硬く張った若い皮膚をしていた。軍で鍛えた体脂肪の少ない躰。筋肉が美しく、我ながらまんざらでもないと思っている。
 ああ、これは俺の躰だとロバートは確認した。
「奇妙な……、俺は年寄りになっていて…」ロバートは幾度も自分の手を見返しながら、呟いた。「そう、お前の息子がいて…」
「息子? 俺、結婚するの? で、年寄りのロバートと息子。同じく年取ったはずの俺はどこに?」
 テリーが声をたてて笑った。
 ロバートは、その屈託のない笑顔を見ていると、泣き出しそうな気分になった
 輝く瞳、柔らかな金髪がまだ何の傷も受けてはいないことを物語っていた。
「……会いたかった」
 テリーはそういうと、ロバートの胸にもたれかかってきた。
 二人でベッドに寝ころんで、しばらく軽くキスをしあいながら、ふざけた調子でロバートが言った。
「どうした? いつも会ってるじゃないか」
「別れたい? ロバート」
 ロバートは、身を起こし、恋人の顔を覗き込んだ。
「馬鹿」
「馬鹿なんだ。だから今日は思い切り抱きしめて。いっぱいキスして」
「馬鹿」
 別れなければと、ロバートは常に思っていたのだ。最初に医務室で抱き合ったときから、こんな関係は続けてはいけないと。頭では分かっていても感情がそれを許さなかった……。
 いつも、こうして甘えられると、すべてがどうでもよくなってしまうのだ。

 これで最後の逢瀬にしようと、ロバートは毎回考えていた。
 それを察知しないほど、テリーが鈍い男じゃないのも分かっていた。
 優柔不断で勇気も決断力もない、そんなふがいない自分に腹が立っていた。
 妻にもしたことのないような、熱いものを込めたキスをすると、テリーが甘い動きでそれを捕らえていく。小さな美しい突起を舐め、形のいい臍をたどり、手と唇と舌で、ロバートは捕らえられる限りの恋人の全身を自分のものにした。
 滑らかな肢体がうねるように反応し、やがて愛しい躰に入り込むと、ロバートは永遠にこうして繋がっていたいと心から願った。テリーの内部は熱源でもあるかのようにたぎり、ロバートを離さなかった。
 夢が脳裏に蘇る。
 やせ衰えて一人死んでいった男の撃ちぬかれた血と脳漿で濡れた金色の髪。
 あれは何だったのか?
 予知夢ならばどうすれば引き留められるのか?
 夢の中でロバートはサマンサと別れ、テリーを選べば良かったと泣いていた。あるいは仕事を捨ててでも、周囲の声を恐れずつきあい続けていけばいいと。
 手放して一人にしたことを、死ぬほど後悔していた年老いた自分の姿が、今ロバートの躰を燃えあがらせていた。
 だが、こうして現実になれば、ロバートはただ恋人と睦み合うだけで、やはりどう対処しようもない、平凡な男なのだ。

 ロバートが組み敷いた艶めかしい躰、甘い苦悶の声を上げる愛しい顔が、ロバートの心を狂わせた。
 しどけなく散らばった髪が、見詰める青緑の瞳が、ロバートは愛しくて、愛しくて悲しくなって涙が溢れ出てきた。
 間違うなと夢が伝えでもしたのだろうか? だが、サマンサを捨ててしまうことが自分にできるとも思えない。
 それでも夢で見たような目に、テリーを遭わせてしまいたくはなかった。
 テリーはその涙を指で拭い、にっこりと微笑んだ。
 なぜだか、このまま彼が消えてしまうような哀しみに、ロバートは取り憑かれたかのように怯えた。そして不思議な悲しい気分のまま、ロバートは激しく攻め続け、恋人の喉から何度も何度も掠れた悲鳴を漏らさせた。
 ぐったりとした躰に躰を重ねたまま、ロバートはテリーの手を取り、その指を唇に挟んだ。

 指の先から血の甘い味がした。
 怪我したのか? 血が出てる…と、指先を見ると、それが暖炉の灯りにオレンジに染まるのが見えた。  

 勢いよく燃える薪が、ぱちぱちとはぜ、ロバートは自分が今どこにいるのか理解しかねてあたりを見回した。
 広々としたリビングの一隅にある暖炉の前にロバートは俯せていた。そしてその下には細くしなる躰を押さえ込まれた恋人の躰があった。
 肩がむき出しになるほど広げられたガウンとシャツに、指先の血が点々と落ちている。
 ロバートは、蒼白な顔をして虚ろに目を開けている組み敷かれた男を見た。その指を手の平ごと握りしめた自分の手が、醜く老いているのを。
 躰から血の気が引いたのが分かった。
「ロイ…?」
 躰を離し、横たわった全身に目を走らせる。
 むき出しにされた青白い下半身が、かつての恋人とそっくりに投げ出されていた。
 何をしたのか、なぜ人形のようにロイは動かないのか、ロバートには分からなかった。自分がとうとう錯乱して、目の前の青年をかつての恋人と見紛い、首でも締めたのではないかと、首筋に指を当ててみる。
「ロイ、ロイ! ああ、なんということだ」
 ロバートはロイを抱え上げ、ソファに寝かせると、寝室から毛布を持ってきて躰にかけた。
 なにが起きたのか理解できないまま、自分がとんでもない事態を引き起こしたことだけは分かった。
 よりによってこの大切な青年を意識がなくなるような目に遭わせたらしいことは、全ての状況が語っていた。いや、ないのは意識だけはないようだった。
 ロバートの指先が震え、何度もロイの顔の前に手をかざしたが、手のひらには何の空気の振動も感じられない。

 なぜだかロイは呼吸をしていなかった。
 脈をとっても、拍動の感触が得られない。
 死んでいる、と他人事のようにロバートは呆然と肩を落とした。もはや、終わりだ、とロイを横たえたソファのそばに跪き、ロバートはロイの半分開かれたままの瞳をぼんやりと見つめた。
 自分が全てを失うことは怖くはなかった。だが、テリーの遺伝子を受け継ぎ、マイクの愛情に育まれたこの青年を失ってしまうことだけは、耐えられなかった。それなのに、ロバートは人工呼吸や救急車を呼ぶことなどの一切を、頭に浮かべることもできないまま、ただ夢を見ているような気分で眺めていた。

 この異常な出来事のすべてが、どれが夢でどれが現なのかを分からなくさせていた。










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