[決意] of [哀しみの追憶]


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第十二章 決意

 ロバートは決意した。
 こんなことをしていたら、ロイの躰はもういくらももたない。
「どうしてもというなら、私がお前のそばに行く」
 ロバートはロイの躰を離すと、キッチンへ走り込んだ。きちんと掃除の行き届いたキッチンは、家主の人柄を示すように整然としている。
 サマンサが使っているようなナイフを立てておくケースは見あたらなかった。
 癇性なほどに整えられた、キッチンのいくつかの引き出しを開けると、その中のひとつに、よく手入れされた包丁やナイフが並んでいるのが見えた。
「テリー、待ってろ。だから、ロイを放っておいてくれ」
 キッチンの床に跪き、シャツの袖を捲り上げると、ロバートは刃先を手首に押し当てた。一瞬、サマンサの顔がよぎったが、「すまない」と、呟くと、ロバートはそのまま刃先を引こうとした。

 いきなり、ナイフを持った手首が捕まれ、刃先が手首から離れた。。
 見上げると、背後にロイが立っており、その手を強く捻ってナイフを取り上げた。
 幽鬼のような顔が、薄暗がりに浮かんだ。
「……」
 テリーが、なんとしてもこの世で繋がるつもりなのかと、ロバートはおののいた。
「そんなことをしてはいけない」
 だが、吐かれた言葉はマイクを思い出させた。
 学生時代から、「そんなことをしてはいけない」と、マイクは事あるごとに口にした。苦手なにんじんをより分けた時。本のページの端を折り曲げた時。好きな女の子を泣かせた時…。そしてテリーに夢中になっていた時も…。
「大佐…、バーク大佐…」
 ロイは、ロバートの後ろから肩に手を置き、頭を乗せた。
「そんなことを…、してはいけない…」
「マイクは…。君はマイクなのか?」
 とうとうマイクまでロイの躰を借りて、ロバートの前に現れたのかと、ロバートは思った。だが、顔の横で、首が横に振られるのが分かった。
「ロイ・フォード大尉です。大佐…」
 ロバートはロイの顔を見た。
 はっきりとした違いが見えた。
 気高い雰囲気が漂う、ロイ・フォードならではの姿だ。
 よく見るとテリーとはまったく違う。だが今、その顔は生きている人間には見えないほど、青ざめていた。
 力を振り絞って、あるいは本当にマイクの助けを借りて、ロバートを止めるためにテリーを押さえ込んできたのかもしれなかった。そうだ、とロバートは肩を落とした。
 マイク・フォードという男は常に覚悟を決めた男だった。
 そして、馬鹿げた軽薄な行動を、なによりも嫌う…。今、彼は天国で苦い顔でロバートを見ているに違いない。
「ロイ…」

 ロバートにはやっと、ロイとテリーの区別がはっきりと見えた気がした。これからは絶対に彼は恋人の代わりではなく、息子として見ることができるだろう。
 だから彼を乗っ取っても無駄だ。
 そのかわり、必ずお前を天国に入れてくれるよう、神様と、あるいは悪魔と契約してもいい。この場で、契約書を書いたっていいと、ロバートは心でテリーに語りかけた。
 ううう、という呻き声が聞こえた。
 たった今まで厳しい顔をしていたロイの表情が苦悶にゆがみ、その場に倒れこんだ。
「なぜ? なぜ? ロバート…」
 ロイがのた打ち回って、床に爪を立てた。
「せっかく、会えたのに…、会えたのに…」
「…最後の望みは叶えたろう? テリー。お前はここにいてはいけない」
 ロバートは言った。
 ロイの躰がのろのろと立ち上がった。
 乱れた髪の影から、不気味に光る目が大きく開けられた。
「呼んでたくせに…」
 その声は、地獄から響いてくるかのようだった。
 この中にいるのは、もはやテリーではないのかもしれないと、ロバートは総毛だった。
「この躰を通して、君が呼びかけたから戻ってきただけなのに…」
 ロイの腹部からうっすらと血が滲みだした。
 これをさせたのは自分なのか、とロバートは思った。自分が毎日のようにロイにテリーの面影を探していたから。毎日彼を抱きたくてうずうずしていたから。
 その心に、テリーが反応して、ロイを使ってロバートに抱かれたのだ。
 彷徨ってはいても、ロバートに近づくこともできず、甦りたいなどと思ってもいなかったテリーを自分が呼び出し、そしてそのテリーの苦悩の魂に便乗するように、さらに邪悪な力が働いているのかもしれない。

 全ては自分の責任だった。
 最初から、テリーの瞳を目映く感じていたあの日から…。
「これは俺のものだ。俺の血をひき、ジュリアが産んだ。俺はここにいる…」
 みるみる流れ出す血が、ロイの全身を染めていく。仁王立ちで異様な輝きを放つ瞳の中からも、血が流れ出してきた。揺れていた金色の髪が、べっとりと赤く染まって額にはりついている。 
「これ以上、俺を裏切るな、ロバート」
 不意に眉が顰められ、「いやだ…」というか細い声が漏れた。ロイの声だと、ロバートには分かった。ロイが内部で抵抗しているらしい。ふたたび、ロイの躰は激しく捩られ、よろめき壁に背をついた。
「いや…だ」
テリーは彼をこの躰から追い出すことはできない。どれほどの邪悪な力をもってしても。なすすべもなくその様子を見つめながら、ロバートは思った。
 現に獲りつかれていながらも、ロバートを止めに来た。ロイは最後の最後まで抵抗し続けるに違いない。ロイを追い出すには、さっきのように仮死状態にでもしないことには無理なことなのだ。彼の意思の強さがテリーの予定を狂わせている。
 だがたびたびそんな状態にすれば、躰がもたないことは明白だった。
 すでに、極限まで死の状態に近づいている今、すぐにでもロイの息は止まりそうに見える。
 テリーは分からず屋ではないし、我が儘な男ではなかった。ちゃんと話すことが大切だと、ロバートは努めて穏やかな声を出した。
 悪魔がそばについていたとしても、テリーに聞こえさえすれば…。とにかく他に方法はなかった。
「彼は…、SEALの隊長だ。ロイはSEALを志願した。なぜかは知らない。だが彼はお前がSEALだと知っていた上で志願したんだ。マイクのように船乗りにはならず、なぜか彼はお前と同じ道を歩いている。」
 ぴくりと、表情が揺らいだ。
「ロイは父親のマイクを尊敬していた。それなのに、なぜ、おまえと同じ道を歩み、過酷な任務で大きな傷を負ってさえ、それを辞めようとしないのか私には分からない。彼自身にだって、分からないんだろう。ロイはおまえの存在を知っている。おまえが誰かも知っている。そんな彼を、おまえは潰してまで甦りたいのか?」
「……」 
「何より彼は、お前が残した生きていた証だ。私にはないものだ。子供の頃に会ったろう? でも彼はお前じゃない」
「彼が誰でも関係ない…」
 泣き出しそうな声で、テリーが言った。
「お前は今、ロイの生きてきた道が見えているはずだ。何が見える? 彼がどんなことを考えてきたか、分かるはずだ」
 その年齢にして十分に過酷すぎる半生を、ロバート自身が悼んだ。
 テリーのことではなく、ロイのことに意識を集中させた。 
「私とジュリアは君だけではなく、何も責任のないロイまで苦しめてきたんだ…でも、ジュリアは十分罪を償った。苦しみを負うのは私だけだ。もしロイの躰を乗っ取ったって、それはおまえじゃない。私はお前を二度と抱いたりしない」
 テリーの瞳がまっすぐにロバートを見つめた。目の光が弱まり、かわりに涙に潤み始める。

「……な…ぜ?」
「終わったんだよ、テリー。過去はもう戻せない……。私を見ろ。この年老いた姿を。私はもう、あのころのロバートではないんだ」
 テリーの目から涙がこぼれ落ちた。
「でも、もうお前を閉め出したりはしない。雨の中や、暗い場所にいる必要はない。ここへ来い、テリー。血なんかすぐに止めてやる。ここでずっと生きていればいい」
 ロバートは自分の胸をぎゅっと掴んだ。
 ロイの躰がゆらりと動いた。
「そこ…は、サムがいる…」
「サムには謝って、譲ってもらう。サムだってお前が好きだった。分かってくれるさ」
 テリーは足を引きずりながら近づくと、ロバートの胸に顔を埋めた。
「…ここに…、…いてもいいのか? ずっと…」
「ああ、私が死ぬまでずっとだ」
「…痛い…んだ。身体中が苦しくて…具合が悪い…。いつもいつも…具合が……」
「ここにいればすぐに気分がよくなる」
「寒くて…、暗い…。どこへも行けなかった…。天国にも地獄にも…。俺の前には道がなかった…」
「どこへも行かなくていい…。ほら、血が止まってきた。足も痛くない。どうだ?」

 テリーは頷き、ほんとだ、と呟いた。 
 ロイの躰から力が徐々に抜けてきた。
 血だらけに見えていた躰が、少しずつもとに戻りだした。












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