[異変] of [哀しみの追憶]


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第十一章 異変

 半分開かれた目に、不意に光が宿るのが見えた気がした。
「……ロバート」
 小さな声が、間違いなくその喉から発せられた。
 ロバートはロイの手を握ると、思わず叫んだ。
「ロイ!」

 はっと、息が漏れでて来る音がした。
 紙のように真っ白だった頬に、うっすらと生気が蘇ってきている。思わず手をとって握りしめると、強すぎたのか、ロイが微かに眉を顰めた。
「大……佐、これは……」
「ロイ、生きてるんだな?」
 ロバートが声をかけると、ロイは瞼を閉じて、小さな吐息を漏らした。
 神様……、ロバートは心の中で祈った。感謝します、と。
「君は今、呼吸が止まって…、私は君が死んだかと……」
「テリーの家に……いました…」
その声はつらそうだったが、それは肉体的にというよりは、むしろ精神的なもののように見えた。
「でかい模型があって……。俺が読んだことのあるサリンジャーの読みかけの本が伏せてあって……」
 息を飲む音が聞こえた。
 ロバート自身が飲み込んだものだった。
 そうだ、ついさっきまで、ロバートはそこにいた。
 ベッドのシーツは金色のシルクだったろう? ワインのグラスがあったはずだ、そうだろう? と喉まで出かけたが、飲み込み、代わりにじっと目の前の顔を凝視した。
「父はあんなことは嫌いだった。本は栞で挟まなければ、…こっぴどく叱られたものです」
「ああ、マイクはいつもきちんとしていて……。まるで今の君と同じに真っ直ぐで頑固者で…」
 ロバートは安堵にひと筋涙が零れるのを感じて、うすく微笑んだ。
 だが、ロイの語った内容は笑ってすませるわけにはいかない。

 これはなんなのだ?
 今、二人の間に何が起こっているというのだ?
「……まさか君は、テリーと会った?」
「そうじゃ…ない。俺が、テリーで……彼の考えていることはすべて俺自身が感じていた……」
 ロイは不意に、大きな涙の粒を零した。
「綺麗な躰で……、最後にあなたに抱かれたかった……。俺は…いや彼はそれだけを望んでいた……長い間、ずっと…その機会を捜していた…」
 組み合わせて握りしめた拳が震えてくるのを、ロバートは止められなかった。
「けど、もう躰がずたずたで…、意識して穢してきたものに触れられたくはなかった…」
 ロバートはとうとう嗚咽した。
「穢さなければよかった…、でも淋しくて…、そんな躰にしたあなたを恨んだ…。誰でもいいから抱いてほしかっ…、…ぼろぼろになるほど…抱かれて…死にたかった…」
 ロバートはテリーを思って泣いた。

 未だテリーは天国へは行けず、この地上に留まっていたのだろうか?
 傷ついた躰を引きずりながら、どこかからじっとロバートを見詰めて、最後の望みを叶える事のできなかった無念に泣いていたのだろうか…?
 すっかり心の隅に押しやられ、たまにしか思い出しもしない薄情な恋人を恨んで、この一連の不可思議な出来事を引き起こしたのだろうか?
 ロイは両手で顔を覆った。
「あの部屋に取り残された俺は…いや彼の躰は無惨で……。でも俺の躰だって、そう綺麗なものじゃない…のに…」
 ロバートははっとして、ロイを見詰めた。目の前の男が、急に現実感を伴って浮かび上がった。ロイの傷跡が、ぱっくり口を開けたような気がしたのだ。これまで一切かかわりのなかった男の悲惨な人生の記憶に、ロイ自身が呑み込まれてしまっているように感じられた。
「君は綺麗だよ、ロイ。あの日のテリーと同じように…。誰よりも美しい……」
 ロイの手を握り、ロバートは語りかけた。ロイは目を閉じたまま気にしているわけじゃない、というように小さく頷いた。

 暖炉の薪がことん、と落ちた。
 雨の音がせわしなく響いている。
 長い時間彷徨い続けた魂は、今どこにいるのだろう?
 自ら命を絶ってしまったテリーが天国へ入れるように、ロバートは心の中で祈り続けた。そう、地獄に行くならばそれはテリーではなく、自分だとロバートは神に訴えた。
「どうか、どうか、お願いします。彼を天国に……神様…」
 ロバートは思わず口に出して祈っていた。
「…でも、道が見えない…俺には居場所がない…」
 ロイが吐いた言葉は意味が分からなかった。まるでロバートの心に呼応するかのような、不思議な言葉……。
 道が見えないとは、天国への道のことなのだろうか? 今、ロイはテリーの言葉を吐いたのだろうか? 居場所がないとは?
 今夜ロバートとロイは、過去へ戻り、哀れな男の操るままに運命を共にしているのかもしれない。
 彼はひょっとしたらテリーの生まれ変わった姿なのではないか? 前世の記憶が、ロイにテリーの言葉をしゃべらせているのかもしれない、とロバートは一瞬思ったが、テリーが死んだとき、ロイはもう小さな子供ではなかった。それでも生まれ変わりというのだろうか?
 いくら血を分けている間柄とはいえ、これほど似ているのにはそういう理由があるのだろうか?

『はじめからやりなおすから』
 幻となって会いに来たテリーの口調が蘇る。
 テリーにとって、ロイは息子という実感はなかっただろう。おそらくマイクが死んで、十いくつになっていたロイを見たときに、初めて真相を知ったのに違いない。
 親子……などという言葉にはリアリティなどなかったに違いない。ただ単に、最もロバートに近く、自分の身代わりになりうる躰の持ち主……。
 ロイが、ロバートの肩越しに窓を見ているのに気がつき、ロバートはロイの視線を追って振り返った。
 冷たい雨の滴の合間に何かが浮かび上がるのが見えた。
濡れた金色の頭……。
 ほっそりとした、痩せた白い躰を全て晒して、それは窓の向こうに佇んでいた。
 頭から、腹から、足から血が流れているのが、なぜかはっきりと見えた。雨に濡れているせいか、全身が血に染まっているように見える。そんな姿で、彼はこれまで彷徨っていたのだ。
「もう…これで逝けると…思っていたのに…寒い…。…寒くて…痛い…」

 外のものに気をとられていたロバートは、ロイの声に振り向いた。
 焦点の合っていないような、不思議な瞳をしていた。再び、ロイの顔がみるみる透明なほどに青くなっていくのを見て、ロバートは怯えた。なぜだか、寒くて痛がっているのがロイではないような気がした。
 もう一度窓を見ると、白い影は見えなくなっていた。
 「俺は…ここに…いる。そばにい…る」
 不気味な言葉を吐きながら、ロイは瞼を閉じてほとんど唇さえも僅かにしか動かないまま言葉を発している。
 手を触ってみると、死人のように冷たく、たった今窓の外にいたテリーがロイに乗り移ろうとしているんじゃないかと思えた。
 普段なら絶対に考え付きそうにない突飛な発想だったが、すでに不可思議なことばかりで、そう考える以外に今の状況は説明できなかった。
 この躰を奪い、ロバートと再び愛し合おうとしている……? 

 今夜あのシャワー室でなぜロイの躰が動かなかったのか、それが誰の仕業なのか分かるような気がした。
 だがロイの意識が意外に強硬だったため、目的は達せなかった。
 さっき過去に戻ったと思っていたとき、ロイは仮死状態にまで追い込まれていた。そこまで意識を消さなければ、自由にならなかったのだろう。今また、乗り移りやすいように、ロイの躰から生者の息吹を奪い去ろうとしている。
 ロバートはテリーの意志を強く感じた。顔色に反して、だんだん瞳が強い光を放ちだした。しっかりとロバートを見据え、微笑を浮かべている。
「受け止めて…、ロバート」
 ロイの躰が起きあがり、しどけない姿でロバートに手を差し出した。
 目ばかりが異様な光を発し、すでにテリーの意思を越えた何かを感じさせた。ロイの姿をしてはいるが、それはモンスターのような薄気味の悪い雰囲気を漂わせていた。さっきのロイの話では、彼は最後の望みを達成したはずではなかったか?
 ロバートは、常識では測れないものの存在の、底知れぬ恐怖を感じていた。
「そしたら、戻れる…。このときを、ずっとずっと…、待ってた…」
 テリーの声で、テリーの表情で、それはロバートをすがるように見た。
 思わず手を延ばしそうになって、ロバートはぎゅっと拳を握った。この手をとってはいけないという警報が耳元で鳴り響いていた。

 ロイはどこへ行った? 
 テリーが蘇ったら、彼はどこへ行く?
 テリーと同じように傷だらけで、それなのに立ち上がって前に進んでいこうとしているこの青年の魂は……?
 ロイは強い。DNAは受け継がれていたとしても、そこにはマイクの強さがあった。血縁などなくても、それほどまでにマイクが息子に与えた影響は大きかったのだ。
 本に栞をきちんと挟む男。わずかに肩を揺らして歩く姿。刺さったガラスを自分で抜き、処置をする男。同じサリンジャーを読んでも、感じ方はテリーとは全く違うはずだ。

「…マイク…!」
 ロバートは、ロイを奪いつつあるテリーに触れることができないまま、自分の躰を抱きしめた。触れたらテリーは完全に蘇ってしまいそうで、恐ろしかった。
「マイク! 君の息子が死んでしまう…私はどうすればいい?」
 一瞬、テリーの表情が揺らいだ。
 顔が苦しそうに歪められ、何かと葛藤するかのように躰が小刻みに震えた。
「おとうさん……」
 絞り出すような、その言葉が聞こえたとき、ロバートは思わず叫んだ。
「これは、マイクの息子だ! 私はマイクに誓ったんだ! 彼の代わりに父親になると。ロイは私の息子なんだ! テリー!」 
ロバートは、ロイが壊れてしまうほどの力でその躰を抱きしめた。逆に力をこめることで、テリーを押さえ込んだつもりだった。
 今度こそ、紛れもなくマイクのように……、そう父親のような暖かさがロイの全身を包んで行くのを、ロバート自身が感じていた。
「彼は君の代わりに生まれたわけじゃない……」
 ロバートはテリーの魂に語りかけた。全力で振り絞る声が、掠れて響いた。
「これで本当に終わりにしよう。お前はロイの躰を使い、彼に自分の意識を体験させた。けれどもこれ以上はもう駄目だ。ロイをこれ以上苦しめるな! お前には何の関係もない人間なんだぞ!」
 だが、ロイの躰はますます冷たく、顔は恐ろしいほどに血の気を失っていく。
「大佐…、どこに…」
「ここだよ、ロイ。見えないのか?」
 しっかり目を開けているのに、腕に抱かれているのに、ロイにはロバートが見えていないようだった。

 がくがくと躰が激しく痙攣し、うなだれた頭のそのままの姿勢で、ロイの瞳が、今度はしっかりとロバートを捉えた。
「……ロバート」 
 殺す気なのか……?
 ロバートはわなわなと唇を震わせた。
 ロイの躰が欲しいんだろう?

 なのに殺したらもう、蘇れないぞ、と言いたかったが、言葉にはならなかった。










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