[ジム]of [金の砂銀の砂]

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ジム

 翌日、ベッドルームにあるはずの上掛けにくるまって目が覚めたとき、ロイは自分がリビングにいることに驚いた。
 時計を見るとまだ、起きるには少しばかり早い気もしたが、再び眠れば、次の目覚めは最悪なのは分かっていた。
 睡眠のリズムに合わせて起き上がることができれば、寝不足でもさほど苦痛にはならない。ただ、激しい脱力感はいかんともしがたかった。
 仕方なく起き出して、シャワールームに入っていく。
 部屋全体に空調を入れ、タブにお湯を張らなくても寒くはない狭い部屋の中で、ロイは滴に打たれるまま、壁に頭をつけていた。

 身体の真ん中に、重くて堅いものが入り込んでいる気がする。それが脳天までを支配し、だるさを抜けさせないかのようだ。
 それでも、昨夜のジムの手をロイは思い出していた。
 愛しげで、優しい感触。
 柔らかなキス。
 そして、激しく変わっていくジムの動き。
 そこまで疲れているというのに、ロイはまだ身体のどこかが疼いてでもいるようで、舌打ちした。
 おかしいのかもしれない、自分は、と幾度も思ってきたことをまた思い出す。
 ジムは変化してきたロイに対して、とても嬉しいという態度を示すが、ロイはそんな自分が後ろめたくもあった。
 今ここにジムがいたら、そしてまたロイの背後からそっと抱きしめてきたら、ロイは性懲りもなく逆らえないのかもしれない。
 そんな自分の変化が怖くもある。
 悶々と考えつつも、ロイはバスルームを出ると、服をつけてからキッチンへ行った。
 熱い、うんと濃い珈琲を淹れよう。
 そして、頭をすっきりさせるのだ。

 
「今朝の珈琲はまた、思い切り苦いな」
 カーターはテーブルの脇にある棚から粉クリームのパックをとり、さらさらと黒い液体に混ぜた。
 ダイニングのテーブルを挟んで卵を所在なげにつついていたロイが、顔を上げた。
「申し訳ありません。水の量を間違えたのかも」
 夕べリビングのソファで電池が切れたくせに、ロイは朝からシャワーを浴び、きちんと朝食まで準備していた。そのくせ、サニーサイドの目玉焼きをさっきからフォークでつつくばかりで一片も口に入れず、ちぎったパンをほんの僅か食べては、うんざりした顔をしている。
「……食欲がないのか? 君はいつもそんなふうなのかな?」
 ああ、とロイは恥じ入るような顔で、やっと自分が虐めまくった卵に目を落とすと、申し訳のようにひとさじ口に入れた。
「朝がだめなわけでもないだろうに。血圧が低いとか、そんな症状があるのか?」
「すみません。考え事をしていたので、つい。みっともない真似をして、反省します。もちろん、健康体ですよ。血圧も正常範囲内です」
 しぶしぶのように食べ出したロイが気の毒な気はしたものの、一人暮らしの我が儘をカーターは見逃す気にはならなかった。
 たまになら誰しも食欲がないこともあるだろうが、きちんとした男で食べるために丁寧に料理をするくせに、この食事への姿勢は、明らかに不自然だ。
「私が知る限り、君が美味しそうにものを食べているところを、見たことがないんだが。生まれつきのものじゃないよな? まさか」
「仏頂面が素なもので。食べてないわけではありません」
「ま、私こそ大きなお世話だな、すまん」
 なにが煩わしいといって、他人に、いろいろ口出されることほどうっとうしいことはないはずだ。 
 カーターは苦い珈琲に、また少しクリームを混ぜた。
「……で、お世話ついでに聞くが、なにかあったのか?」
 ロイははっと押し黙った。たった今煩わしかろう、と思ったばかりなのに口が止まらない。
「バーク准将との話で、なにか?」
 え? と顔を上げ、ロイはああ、それは――と言いかけて、首を振った。
「少佐。准将があなたを強引に呼ばれた意味はおわかりでしょう?」
 カーターは返事ができなかった。呼び戻された意味など、既に確信がもてなくなってきていた。
「それに関しては、准将からお話があるでしょう。俺からはなんとも」
 ロイは苦い珈琲をごくりと飲み干した。食欲がなさげなのに、珈琲だけはすでに二杯目だ。わざと、こんな濃いものを淹れたのではないかと、ふと思った。

 夕べ電池切れを起こしたように寝入っていたロイは、苦い珈琲を飲まなければ、目が覚めなかったのかもしれない。
 そう思ってみると、目の下に黒い隈ができているようで、やつれて見える。
「どうも落ち着かないな。私がここにいるせいで無理をさせているんじゃないか?」
 そんなことはありませんよ、とロイは首を振った。
「いつものことです。それに、夕べは毛布を……あんなふうにだらしない姿を見せたりしたから、よけいな気を使わせてしまいましたね」
「ああ、ずいぶんくたびれていたみたいだな。私の日記につけたぞ。君のさえない姿を」
 カーターがいうと、ロイは少しだけ笑った。
「出て行ったのは気づかなかったよ。デートだったんだろう?」
 ええ、まあと小憎らしく表情を変えず、ロイは平然と答えている。
 卵だけは食べたらしい皿を流しで洗いついでに、ロイが棚から出したものをグラスに注いだ水で飲み干すのが見えた。
 薬を飲んでいる……? と、カーターはその後ろ姿を注視した。
「車の調子を見てきますから。まだ時間はあるのでごゆっくり」

 ロイがキッチンを出て行ったあと、カーターも自分の皿を空にして流しに持って行った。ついでのような気軽なふりをして、さっきロイが飲み下したと思われる瓶を目で探した。
 調味料の棚に、総合栄養剤というラベルが貼ってある瓶が見えた。掴んでみると、大瓶の中身はほとんど半分以上は減っているようだ。単に栄養を補うために、こういうものを好む国民性は理解しているが、ロイが本当に栄養補助の意味で摂っているのではと気にかかった。
 だが、こうして一応身体に気を使ってはいるのだからそれでいいのだろう。軍では絶えず健康チェックが行われる。
 それに引っかかれば、否応なく検査や治療を受けさせられる。
 どことなく疲れている印象はあるが、病の気配はないし、本人がいったように問題はないはずだ。あの男がずっと体調を崩し続けた記憶が鮮明なだけに、少し彼に対して神経質になってしまっているようだ。
 ばかだな、と自嘲する。
 心配なのはむしろ彼より自分の方だ。
 やたら他人のことばかりに関心がいって、ぐだぐだとくだらないことばかりを考えている。さっさと家を借りて、自分の生活を始めないから落ち着かないのだ。
 瓶を棚に戻して、カーターは流しの水を勢いよく出すと、手早く食器を洗った。
 テーブルに置いていた携帯をとって、不動産屋に電話をかけてみる。店舗の固定電話から転送されたのか、寝ぼけた不機嫌な声が聞こえた。
 思わず時計を見て、まだ七時をほんのわずか過ぎたばかりだと気がつき、電話に向かって詫びた。
「早朝にすみません。デイン・カーターです」
 ああ、と相手は答えた。
「お望みの地区に、空きそうな部屋があるにはあるんですがね」
 見せてもらえないかと聞くと、事情があって見られないという。
「でも、じきに空くはずですから。空いたらすぐに」
 すぐに空くといういい方が気になって、意味を聞いたが、あやふやな返事ばかりする。辛抱強く質問を重ねていたカーターは、乱暴に携帯を切った。思わず舌打ちが漏れる。
「どうしたんです?」
 ロイが戻ってきて、驚いたような顔を向けた。
「部屋が空くはずだというんだが、それがどうもかなり高齢のご老人の住まいらしいんだ」
「空くはず……というのはまさか……」
 察しのいいロイが眉を顰めた。
「じきに天に召されることを指していたようだな。あの不動産屋との取引はやめだ」
「慌てなくていいですよ、デイン。あなたさえよければ、ゆっくり探してください」
 穏やかに微笑むロイの顔を眺めながら、ありがとう、とカーターはため息をついた。
 
 
 ロイがバーク准将と共に、ワシントンDCへ出かけた金曜日の帰りは、ジムの車で送ってもらうことになった。
 ロイのラングラーを借りて帰るつもりだったのだが、話し相手が欲しい気分だったのだ。
 ジムはなんだか上の空でハンドルを握っているふうで、二度も急ブレーキをかけ、カーターを怯えさせた。
「どうした? 運転に集中してくれよ」
「ああ、分かっていますよ。すいません――なんか、腹が減って力が入らない」
「じゃあ、飯でも食おう。送ってくれたお礼に私が奢るよ」
 ジムはラッキーとほほえんだ。カーターの指示で、ピックアップトラックを通りがかったシーフードの店の前に止めた。
 真鍮の柱や、帆船の帆をあしらった、船の中のような作りだが、どちらかというと豪華客船に近い豪華さだ。
 観光客目当てのヴァイキング形式で、普段は素通りするような店だ。まあ、たまにはゴージャスな食べ物を食べるのもいいだろうと思ったのだ。
「ロイがいなくて残念だ」
「でも、あの人はバイキングじゃもとがとれない程度にしか食べませんからね」
 ジムの答えにそのとおりだと、馬鹿笑いをする。
 すでに観光の季節を終えた店内はふたりの他には一組の男女のカップルしかおらず、映画音楽らしい曲が流されていた。
 さっそくジムとつるんで料理を取りに行く。
 殻付きのまま焼いた蠣にレモンを垂らし、山盛りのサラダにドレッシングをかけたり、シュリンプのカクテルをつつきながら、カーターは軽くビールを喉に流し込んだ。
 ジムの山盛りの皿を見て、ついいわずもがなのことを口にした。
「ジム、皿にとったぶんは責任もって残さず食べないと、叱られるぞ」
「大丈夫。まだまだ序の口ですよ」
「君と私じゃ、店側が損をするかもな」
 ぬるい店内の空気に、一筋冷たい風が入り込んだせいでドア口に目をやる。
 キャメルの暖かそうなジャケットを着込んで、小さな女の子を抱えた男が入ってきた。後ろに、妻らしき女性の姿も見えた。
 ちらりとそちらに目を流した気がしたが、ジムは気付かぬふうで蠣をすすっている。  気がつくと、その男はカーターのすぐそばに立っていた。
「カーター少佐」
「……ああ、コネリー大尉。私服だから分からなかったよ」
 カーターは立ち上がり、手を差し出した。コネリーは、幼児を抱き直し、そのせいで気付かなかったのか、出した手は宙に浮いた。
「あなたは、またチームに戻られるおつもりですか?」
 ことさらに抑えたような、なのにはっきりと敵愾心を抱いているコネリーの声が耳に触った。

「なんだって?」
「急遽、ご自分の都合で辞めたのに、またご自分の都合で戻られても、もうあのチームは私のものだ」
 おい、とジムが立ち上がった。
「口の利き方に気をつけた方がいい、コネリー大尉。少佐はバーク准将に呼び戻されたんだ。あんたは今隊長かもしれんが、この人はその前の総責任者だった人だぞ」
 日頃穏やかな男の低いドスのきいた声音に、コネリーはちらりと目を向け、怯えたような女の子に笑って見せてから背を向けた。
 挨拶もなしに、いいたいことをいったとばかりに、戸惑ったように立っている妻のそばに歩いていく。
「……まったく」
 ジムがどすん、と椅子に座った。
「あの男は、いつもあんなふうか?」
 ジムは黙ったまま肩を竦めて同意を示した。
「ここのところ、立て続けに我々のチームが出動する羽目になってね。待機ではなく、出動ですよ。休む間もなく、連続でじゃ我々は身が持たない」
「というと? 私の――いや、コネリーのチームはなにをしていた?」
「あのチームは……。即応体制に入れない状態だったってことで」
 なんでだ、とカーターは声を尖らせた。
 わざとのように一番離れたテーブルに陣取ったあと、娘を抱いた妻とバイキング料理を選んでいるコネリーに目をやった。
「成果第一主義ってやつですかね。我々は、承った任務を成功して戻ることが仕事です。我々のことを、命知らずの突撃部隊だといってはばからぬ連中も多い。それはいいんですが、コネリーはそれこそ、部下の危険などまったく顧みない作戦を実行したんです」
 カーターは飲みかけていたビールのグラスを置いた。
「じゃあ、ストークスとジェラルドは、無茶な任務のせいで? ディクソンの怪我も……」
 いや、とカーターは続けて否定した。「誰が隊長であっても同じだろう? ジム。我々の任務は確かに危険と隣り合わせなんだし、私やロイが隊長であっても、やはり殉職者は出てしまう。今までだって何人も――そうしたくないと思っていても、不可抗力というヤツだ」
 ジムは手に持っていた蠣の殻を、投げやりに床に放った。
「不可抗力なら、誰だって諦める。出動前に決められた作戦通りに、いつもことが進むわけじゃない。でも、それを無視して自分は比較的安全な場所にいて、厳しい任務を急遽作戦変更して部下にやらせるというのは……。殉職者の数は問題じゃないんですよ、少佐。たった一度きり、任務へ赴いた隊員たちが、すっかりあいつについていく気力を萎えさせている、ということがすべてを語っているんです」
 カーターは黙り込み、もうコネリー一家の方向へ目をやることもできなくなってしまった。
「バーク准将は、知っているのか?」
 もちろんですよ、とジムは頷いた。
「コネリー大尉とも話をしたらしいが、実際の現場からの報告で作戦の予定変更は告げているし、それを承諾したのは准将だといったそうです。現場の様子が予定通りではないといわれれば、承諾するしかない。でも、隊員たちの意見は違う。それに――あいつは、太ももと背中を撃たれ、歩けなくなったディクソンを見捨てようとしたんだ」
「まさか……」

 銃火の飛び交う中、兵士たちは必死で負傷者を助けようとする。
 戦場に於いて衛生兵が、もっとも敵方に注目され、狙撃されやすいのは負傷者の面倒を見るものがいなくなることで、士気を下げるためだ。
 ことに、特殊部隊などという、小さくまとまって家族同然にくっつきあっている連中にとって、仲間は兄弟以上の存在であるし、負傷者を捨てていくのはいずれ自分もそうされる可能性を見せられたのと同然だ。
 国家に命を捧げることを誓ってはいても、誰だって動けなくなって適地に置き去りにされることを、太っ腹に受け止めることなどできはしない。命というのはそれだから現在まで人類を繁栄させているのだ。
「誰も命令を聞かなかった。ディクソンを……連れて帰るために、全員が必死で戦った。そのせいで、負傷者が増えたのも事実です。確かにそれは、無謀だったかもしれません。でも、俺でもそうするでしょうね。たとえそれで自分が死ぬことになっても」 
 それでか、とカーターは合点がいった。
 バークは手に負えないでいるのだろう。どういうふうに絡ませていくつもりかは分からないが、カーターを呼んだのには、そういうことが背景としてあるのだろう。
 隊員たちを説得する役割を与えるつもりか、あるいはコネリーを諭すことになるのか……。それともコネリーを押し出して、カーターを隊長に戻すつもりか――
 ただ、半年前隊長交代を強引に行ったことから、すぐには対処ができなくてバークも解決策を悩んでいるのだろう。
 ロイに朝まで相談をしなくてはならないほど――
「ロイはなんといっている?」
 ジムは渋い顔をした。
「コネリー大尉を庇うようなことを……。合点がいかないんですがね。まあ、あの人はそういうところがある。アクの強い、あまり親しみの感じられる相手じゃないせいで、よけいに隊員たちが不信感を募らせているのかもしれないと。もっと話し合えば分かり合えるのではないかとね」
 かもしれないぞ、とカーターも頷いた。
「彼にとっても初任務だったんだ。そう完璧にやれったって無理だ。ことに、隊員としての修行期間もなかったんだ。ロイのいうとおりだよ」
 ですかね、とジムは口を尖らせた。
「今頃、ロイはお偉方に囲まれて飲み会でもつきあわされているのかな」
「多分な。彼は上層部の人気者のはずだ。お偉方が、手ぐすね引いて待ってるはずだよ」
 実際、幾度もペンタゴンでの勤務を要請されてもいたはずだ。もちろん、短期出張はともかく、彼をチームから奪って異動させることはできないでいるらしいが。
「ワシントンか……」
 ジムはふん、と鼻を鳴らしてビールを喉に流し込んだ。











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後日憚―哀しみの追憶―

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おもちゃ屋探検

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ロイとジムの映画評