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金の砂と銀の砂

 打ち寄せる大西洋の波が、冷たい風を運んでくる。
 ヴァージニアビーチの、閑散とした砂浜を見下ろすレストランで朝食を取り、久しぶりにゆったりとした気分で浜に下りた。
 観光客のいないホテルは、寒風にさらされてひっそりとしていた。
 砂に足を取られながら、カーターは延々と歩き続けた。

 すでにニューイヤーの浮かれた空気も終わり、ただでさえ人気の減った季節外れのリゾート地帯は早朝のせいもあり、ゴーストタウンのようで、街中を歩く気にはならなかった。
 あてどなく歩いて、だんだん荒々しい岩肌が見える箇所まで来たとき、そこがロイの住むビーチハウスのあたりだと気づいた。
 今日は日曜で、ジムがまだいるだろう。
 たまに一緒に食事を楽しむものの、週末は控えるようにしていた。
 ジムも今はアパートに戻り、お互いの負担にならない程度に訪れているらしいとは感じていたが、やはりのんびり過ごしている邪魔はしたくなかったからだ。
 ジムは夕べもここに泊まったはずだと思うと、訪ねて行く気にはならなかった。
 それなのに、切り立った崖になった住宅地に登る板の階段に足をかけ、カーターは上を目指した。
 オレンジの屋根が見えてくる。白い壁と、硝子のたくさんはまった窓。
 その前のベランダ――
 その家の前に、案の定ジムのピックアップトラックがロイのジープと並んでいた。
 うんと岬側の、ベランダの一番端っこに、人影が現れた。キッチン側に張り出したスペースだ。
 ロイだと気づいて、カーターは少し頭を引っ込めた。
 まだまだゆっくりと、足を引きずるような感じはあるが、杖なしで歩けるようになり、かなり良くなってきているのは見ていても分かる。
 すでに両手に水と珈琲のデカンタらしきものすら持っている。
 先日、辞めたいといっていたことなど知らない振りをして「訓練にはいつ頃戻れそうかな?」とカーターは聞いてみたが、ロイは来月にはおそらく、とよどみなく答えた。
 ジムが頷き、「じきですよ」と嬉しげに微笑んだ。
 ロイが完治したら、二つのチームで快気祝いをやりましょうと、ジムは上機嫌だった。
 食事らしいトレーを抱えたジムが、家の中から出てきた。
 ベランダの小さな木のテーブルにそれを下ろして、ロイの椅子を引いて座らせてやっている。これから外で朝食をとるのだろう。
 寒空でピクニックでもあるまいに、と思いながらもなんだか楽しげな様子に、寒さなど気にもならないのだろうとふと羨望の気分が湧いた。
 カーターは、階段を上りきることができないまま、まるで覗き屋のように目が離せずたたずんでいた。
 ジムがサラダをとりわけたりしながら、ふたりは微笑んで何事か言葉を交わしている。
 それはただの友人に見え、誰も見てもいないのに屋外だからなのだろう、見つめ合うことすらしてはいない。
 けれどもロイの浮かべた微笑みが、見たことのないほど穏やかで、甘みすらを帯びて見えるのは、カーターの心が狭いせいだろうか。
 散歩中なんだ、と顔を出せば、ふたりはその空間になんのわだかまりも見せず入れてくれるのが分かっていて、カーターはどうしても足を踏み出せなかった。

 なんだって、この階段を上ってしまったんだろう、とカーターは思った。
 なんだって、わざわざこんな海岸の外れまで歩いてきたのだと。
 フロリダのカイルの墓の前で、そういうくだらないわだかまりを、すっかり処分してきたつもりだったというのに、まだ胸に残り滓を抱いているようで、たまらなくなって階段を下りかけた。
 そのとき、一台の車が空き地に現れ、ジムのピックアップの隣に並んだ。
 下りてきた人物は――コネリーだった。
 コネリーはかしこまった硬い顔で玄関に向かいかけ、ベランダから顔を出したロイに声をかけられて、ふたりの方向へ進んでいった。
 その会話は手に取るように分かった。
 コネリーが詫びを入れ、ロイが頷き、ジムが新しいカップと皿をキッチンから持ってきて珈琲を注いでいる。
 やがてふたりの食卓にコネリーも加わっての食事が始まった。
 よかった、と息が漏れる。
 さっきまでの鬱屈した想いが吹き飛ぶようで、それでもさらにそこに加わることはやめにした。
 その足で、カーターは家に向かって戻っていた。

 白い波が泡立っては、その後を砂に残して退いていく。
 波にかからない程度の際を、足跡が点々とついては、また寄せてきた水に流される。そこにはカーターの通った軌跡はなく、また新たに生まれたかのように足跡が生まれる。
 徒歩で散歩がてら歩いてきたが、戻るとなると結構な距離がある。
 潮風に嬲られながら、カーターは黙々と歩いた。

 カーターにとって、愛情というのはどういうものなのか、恋というのがどんな意味があるのか、そんな答えの分からない問題に必死で取り組みながら、歩き続けた。
「あれ? カーター少佐」
 不意に声をかけられて、うつむけていた顔を上げると、ビリーがホテル側から下りてきたところだった。
「意外なところで会うな」
「忙しいもんで」
「恋人か?」
「恋人は別にいるけど、ゆうべはつまみ食い。俺んちはこの先でね」
「相変わらず、君ってやつは……羨ましいよ」
「へえ?」
 ビリーは並んで歩きながら、小首を傾げた。
「なんだってひとりでこんなとこを歩いてんです?」
「なんでかな。ただの散歩だ。君と違ってそっちのほうは不器用でね」
「噂に聞いたけど……カイルと暮らしてたって?」
「広まってるか?」
「いいほうにね。友情のためにそこまでやれるなんて、ってコムスやゲーリーがしきりにいってるようで……でも、違うんだろ? ほんとは愛してたんだろう?」
 カーターは笑った。
 コネリーが広めかけた噂を、必死でカバーしているふたりの様子が目に浮かんだからだ。
「愛してたな。それは事実だ。彼は私の大切な恋人だった」
 ふうん、とビリーはカーターの頭からつま先まで、目線を走らせた。
「……ちゃんと恋人しての営みを?」
 ふん、と鼻を鳴らしてちらりと見ると、ビリーは笑った。
「本物ってわけか。いいじゃねえか、それならそれで。あんたがそうだとは誰も疑いやしないだろ。けど、気の毒にな、フレミング少尉は振られたってわけだ」
「さすがに、そういう情報は詳しいな。ビリー」
 先日、ずっと席を隣にしていた女性士官が、食事に誘ってくれたのだ。
 一応その招待に乗りはしたものの、先に進んではいない。彼女が女性だからというわけではないと思う。
 男だから、女だからというこだわりを持っているとは自分では思ってはいない。ただ、彼女にはカーターが求めているものとは違う魅力があるのだろうということが、次の約束をすることをカーターに躊躇わせた。
 自分がなにを相手に求めているのか、カイルに、ロイになにを求めたのか、その答えが分かるまではひとりでいるしかないのだろうと諦めてもいる。
 あるいは――
 本当は、デイン・カーターという男は、やはりすっかり同性にしか魅力を感じないのかもしれない。ビリーにいわれるまでもなく、それならそれでかまわない。受け入れてくれる確率はぐっと狭まってくるだろうが、いつかは新たな出会いがあるだろう。
「なんだったら、俺が相手してやってもいいぜ」
 ビリーが耳に囁くようにして、肩を叩いた。
 カーターは呆気にとられて立ち止まった。
 ビリーはかまわずずんずん先を歩いていく。
「けど、俺はいつも予約がいっぱいだからな、あらかじめアポをとってくれよ」
 カーターは苦笑した。
「そうだな、どうしてものときは頼むとするか」
 ビリーは両手をポケットに入れて、口笛を吹きながら小さくなっていく。
 まったく、身軽で軽薄で、おかしな男だと思いつつも、ロイが彼を大事にしているのが分かる気がした。
 カーターは海岸線を離れ、そろそろ通りに出ようと砂浜に平行に建っている建物の間の道に足を踏み込みかけた。

 そこに、大きなキャンバスを広げた絵描きが座っているのが見えた。
 この寒空に、手もかじかんでいるだろうに物好きな、と何気なく白い画布を覗くと、目の前の光景を切り取ったかのような砂浜の様子が描かれかけていた。
 すでに、色が乗っているその砂がまるできらきらと輝くように見えるのは、冬の日差しに反射しているからばかりではないのだろう。
 金色の砂――
 カーターは呟いた。

 油絵のように見えるがどういう技法なのか、と思わず立ち止まって覗き込んでいると、痩せた顔が振り向いて見あげた。
「……あ、すまない。なんだか、いい絵だと思って。邪魔なら退散する」
「ああ、いいんだ」
 愛想のない若い画家は、また目を砂浜に向け色を塗り重ねていく。
 別に金粉を撒いているわけでもなく、普通の油絵の具のようだ、とその筆の行方をじっと見つめた。
「……砂浜がメインなんだね。海ではなく」
 海は、遙か彼方に見えるかのように、蒼い筋が通っているだけのようで、画家は砂の模様に腐心しているように見えたのだ。
 絵などに詳しいわけでもないが、構図としては変わっているといってもいいだろう。
「遠くに銀色、近くに金色……」
 みすぼらしいジーンズに、あちこちがほころびたような絵の具だらけのジャケットを着た画家が、詩をでもうたうようにいった。
「金色と銀色?」
「同じ砂なのに、宝石みたいに色が違う。黄色もあるし、黒いのもあるけど」
 なるほど、と分かったような分からないような気分で遠くを見る。カーターには同じ砂に見えるが、確かに遠くの砂と近くの砂では違いがある。
 実際に手に掬えば、砂の色は様々だ。
「陸地の終わりに、なぜこんな美しいものが地表を覆っているのか、あの砂は海のどのあたりまで続いているのか不思議なんだ。僕は砂ばかり描いているんだ」
「でも、いい絵だと思う」
 青年は顔をもう一度カーターに向け、初めてにっこりと笑った。
 カーターはその場を離れ、近くのカフェに入って珈琲をふたつ、テイクアウトした。
 さっきの浜に戻ると、青年はさっきと同じ姿勢のままそこにいる。右肩のかしいだ、少し癖のあるポーズで筆を動かしていた。
 黙ってカップをひとつ差し出すと、青年は驚いたように受け取り、「ありがとう」とそれを両手に包んだ。手袋などするわけにはいかない両方の指が、すっかり白くなって凍えているのが分かった。
「同じ砂か……」
 カーターはカップを手に持ったまま呟いた。
「私は砂を探していたんだ。私が掘った墓穴を埋めてくれる砂を」
 カップに口をつけながら、いぶかしげな目で青年が見上げた。
「好きな人間がふたりいてね。でも、どっちも私のそばにはもういない。けど結局は私の掘った穴を埋めてくれた気がする。この絵を見たとき、不意にそんなことを考えたんだ。どっちが銀でどっちが金の砂なのか分からないけど、でも、どっちも同じ砂だったのかもしれないね」
 輝く金色の砂と、遠くに見える白く銀に見える砂。
 あるいは、青い空と蒼い海の色……。
 そのどちらも、心を埋めてはくれたが、結局はさらさらと零れて私の手からすり抜けてしまった――
「……すみません。意味がよく分からない」
 ああ、とカーターは改めて戸惑ったような青年の顔を見て笑った。
「寂しい男の部屋に、ぴったりの絵だと思わないか? この絵を譲ってはくれないだろうか?」
「寂しいの?」
「友達はたくさんいるんだけどね」

 結局、画家はびっくりするほど安い値段で譲るといった。
 今時、複写写真を入れた額縁だけでもそれ以上はする、とカーターは呆れ、欲のない芸術家に敬意を表して彼の値段の十倍の値をつけた。
 それだって、画廊に行って名もない画家の絵を買うことすら不可能な程度だ。
「……そんなに?」
「君はちゃんとした画商と手を結んだ方がいい。そんなじゃ食べていけないだろう?」
「はあ」
 彼は、照れたように砂色の長い髪を後ろにひとくくりにした頭に手をやり、微笑んだ。
「確かに、今まで絵を売ったことはないんだ。バイトしても、絵の具代に取られてしまって大変なんだけど売れるとは思ってもいなかったんで。でも、食べなくても描けてれば幸せだから」
「食べて描ければ、もっと幸せだと思うよ。というより、もっと自分の絵に誇りを持った方がいい。金銭がどうのということよりも、価値の問題だよ」
「価値……? あなたもなにか作る人?」
「いや、私は趣味でちょっと文章を書く程度で。価値などそれにはないよ。でも、君の絵は違う」
 ありがとう、と青年は素直に頷き、できあがったらどこへ持っていけばいいか、と聞いた。

 それからしばらくして、その絵がカーターの部屋に届いた。
 軽く腰高窓の枠ほどもサイズがあるというのに、本人が抱えて歩いて運んできたのには驚いてしまった。この寒いのに、汗までかいて大判の額縁を持った手が痺れているようで、ほほえましくなった。
「いってくれたら車で迎えに行ったのに」
 どうしても直接渡したかった、という青年を家に入れ、ふたりで白い壁にかけると、それはまるで昔からそこにあったかのように部屋に馴染んだ。
 封筒に入れた小切手と、わざわざ額に入れてきてくれたことに感謝して、額縁代を渡すと、青年は恐縮しながらも受け取ってポケットに入れた。
「綺麗な絵だね」
 カーターは彼に珈琲のカップを渡し、並んで絵の前に立った。
「タイトルは金の砂と銀の砂……かな。といっても、描いた絵みんなそうなんだけど」
「金の砂と銀の砂か」
 ぴったりのタイトルだな、とカーターは改めて絵に見入った。青年も、所在なげにその場に立っている。

「どうした?」
「……絵を手放すのは初めてなんで。なんだか、寂しいといったらおかしいかな?」
「大事にするよ。君はまた、新しい作品を生み出していける。私のためにこれはここに置いておいてくれないか?」
 いいんだ、ちょっと感傷的になっただけだからと、青年は微笑んだ。
「よかったら、食事でもしていかないか? 私が作るから大した味ではないが、腹はふくれる」
 そういえば、朝からなにも食べてない、といいながら青年は嬉しそうに頷いた。
「私はデイン・カーターだ」
「アリス。アリスティン・ベル」
 後ろでまとめていたゴムが緩んで、長い髪がぱさり、と落ちた。
「……あ、すまない」
 カーターは眉をあげて、目の前の人物を見つめた。
 見ようによっては、女性に見えないこともないと、気づいたのだ。甲高くない声の女性だっている。
「てっきり私はその……」
「女の子じゃないんだ。みんな戸惑うけど。でも、本名だから。不思議の国のアリスから母がつけてくれたんだ」
 ああ、そのアリスね、とカーターは呆けた顔で頷きながら、息子にそんな美少女の代名詞みたいな命名をする親はどんな人たちなんだろう、とカーターはその神経を疑った。
「兄が三人いるんだ。トム・ソーヤのトム、ピーター・パンのピーター、つばめ号のジョン。それで母はとうとう四人目の僕にその名前をつけた。ごつい兄たちと違ってせめて美青年になってほしかったらしいんだ。僕だけひ弱で、兄たちには似なかったけど、名前だけで美青年になるわけないよね」
「そうかな。君は魅力的だと思うよ」
 アリスティンは「うまいいい方だ。魅力的ってことばは、万能に人を褒められるものね」と、おかしそうに笑った。
「まあでも、悪くはない名前だって今は思ってる。みんな一発で覚えてくれるし、心なしか親切にしてくれるし」
 とりあえずふたりは握手をし、手伝うという彼と一緒にカーターは食事の支度にかかった。
 リビングダイニングのテーブルに皿を並べながら、空白だった壁に埋まった風景が目に飛び込む。

 金の砂と銀の砂―― 
 その砂は、またはロイにとってのジムとカーターかもしれない。
 結局は同じ砂だが、ロイにはどっちが金でどっちが銀なのか分かっているのだ。その同じような形態のなかで、微妙に違う色合いが。

「あの、スープの鍋、どこに置く?」
「ああ」
 鍋を持ったまま、突っ立っているアリスに、カーターはテーブルの上を指さす。
「直接置いていいよ。このテーブルは耐熱だから」
 思えば、この家に誰かが来たことはまだなかったのだ。人がいるのはいい。
 そのうち、ロイやジムをここに呼ぶことにしよう。一緒に飲んで、朝まで語り合うのだ。大切な“友人たち”なら、この家とカイルの思い出話にもつきあってくれることだろう。
 アリスがもう一度キッチンへもどりかけて、肘を棚に引っかけてしまったらしい。無造作に束ねて置いていた紙がばさりと落ちて散らばった。
「あ、ごめんなさい」
「ああ、いいんだ。そんなところに置いた私が悪い」
 同時にしゃがんで紙を拾いながら、アリスが興味深げな声を出した。
「これ……あんたが書いたもの?」
「ちょっと、プリントしてみたんだが、ひどい内容でね」
「小説?」
 うん、まあとカーターは照れながら胸に集めた用紙を重ねていく。
 なんとなく、ロイに読んで欲しいと思って出してみたものの、とても見せられるものではないと投げ出していたのだ。
 せっかくカタがついたふたりの関係に、陰りが出てしまいかねないほど感情のままに書いた文章を読めば、ロイをまた悩ませかねない。
「読んでみたい」
「読ませるほどの価値はないよ。無様な生き方をしていた男の日記だ」
「でも、僕の絵を褒めてくれた人が書いたものだ」
 青年の、生真面目な瞳が痩せている顔の、みすぼらしい風情の中できらきらと輝いた。少し紫がかった薄色のグレイ。
 ロイのように整った顔でもないし、カイルともまた違う。どちらかというともっと小作りな、地味な印象の顔立ちながら、その瞳は印象的だった。
 これは、一筋になにかを愛し続け、それを探求し続けているものだけが持つ目だ、とカーターは感じた。
 食べないことも厭わない、着るものにもこだわらないほどに一心に描くことのみに専念しているらしいこの男は、崇高なほどの神々しい気配をまとっていた。

 彼になら、読んでもらってもいいのかもしれない。
 実名のままの、まだ小説の体裁すらとっていない雑文ではあるが、デイン・カーターという人間が考えてきたことを、彼ならなんと評するだろう。
 それに少し興味が湧いた。
「無様な生き方をしていた、ってことは過去形だね。今はちゃんと生きているんだ?」
「そうするつもりではいる。なかなか、人は大人になりきれないものだから。また同じようなミスをするかもしれないけど、ちょっとは成長できたかもしれない」
「あんたは完璧な大人に見えるけどな」
 見かけはね、と笑いながら、カーターは彼に原稿を差し出した。
「……笑わないか?」
 アリスは頷いて、集めた用紙を胸に抱いた。
「これ、タイトルは?」
 タイトルなど考えてもいなかったカーターの目に、また壁の絵が映った。
「そうだな。“金の砂銀の砂”――っていうのは?」
 いいね、とアリスは微笑みを浮かべた。
 ついでに話してみようか? この彼に。
 ふと、そんな気分がカーターを襲った。
「人を愛するという事柄が、よく理解できないまま大人になった男がいてね」
「うん?」
 そこにひとりの男が現れた……

 その先が出てこなくなりカーターは唇を閉ざした。
 アリスは黙って椅子に腰掛けたまま、こちらを見ている。
 誰のことを語ろうとしている? 
 それは数年前のロイの話か、その後のカイルの話か――
 いや、この物語はやはり続いているのだ。最初から。
 順を追って話すのが妥当だろう。長くなるだろうが、今夜この絵描きはまだ、絵を描きたいだろうか?
 それともここでビールでも飲みながら、他愛ない話に耳を傾けてくれるだろうか?
 いやいや、彼に今渡した小説まがいの代物を、好きなときに読んでくれればすむことではある。ただ誰かとゆっくり時間を過ごす、それだけのことをしたかっただけかもしれないが。
 ここに、この壁にたった今飾られた絵が物語の終着駅ならば、今日は記念の日になるはずだから。
「その前に、君の時間の予定を聞かないと。話し出したら終わりが見えないくらい長い」
「いいよ、今日はバイトもないし」
 アリスは笑った。「その代わり、スケッチしてもいい? あんた今、すごくいい顔してるからさ」
 アリスは足下に置いていたズタ袋のようなバッグから、クロッキー帳をとりだして、テーブルに置いた。
「いいけど。じゃあ先に食べてしまおうか?」
「食べながら、飲みながら描くよ。それとも、行儀悪いって怒る?」
「じゃあ、食べながら飲みながらしゃべるとするか」
 ――カイルとそうやって、パズルを作ったように。

 
 金色の砂と、銀色の砂――
 自分にとって誰がどっちだったのか、未だに分からない。
 それは永遠の問題かもしれないが、もはやそれを解く意味はないことを、カーターは分かってもいた。
 絵の額縁の硝子に、日が反射して光った。

 その砂が、さらさらと舞い上がり、部屋中に光を漂わせているようにカーターには思えた。

















硝子の破片

哀しみの追憶

後日憚―哀しみの追憶―

観客

おもちゃ屋探検

おもちゃ談議

キャンディーバー

Pは××のP

金の砂銀の砂第一部

金の砂銀の砂第二部

金の砂銀の砂第三部

僕が彼を憎んだわけ

ロイとジムの映画評