[世は事もなし]of [金の砂銀の砂]


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世はこともなし

 そろそろ冬の休暇が終わるという頃、ジムはカーターに呼び出されて街中のカフェに赴いた。
 カーターがこんな場所に自分を呼び出すなんて、珍しいことだと思いながらもドアを開けると、すでにカーターは座っており、ひとりの人物と向かい合っていた。
「ジム、こっちだ」
 呼ばれてそばに行くと、その男は海軍の制服を着て、法律関係の所属バッジをつけていた。兵士でありながらの弁護士である。
 ジムも一度会ったことのある顔だった。
 ペイジの件で、ロイと警察機関との間に立っていてくれていた男はまだ大尉であり、ジムにうなずいて見せてから椅子を勧めた。
 挨拶を交わしたあと、弁護士は、ペイジが白状した、と告げた。
「案外脆かったですね。もともと彼を指していた証拠がそろっていたし、隠れ家から大量の麻薬、および各種の薬剤が発見されたようです。連れ去られた被害者のいる場所も現在捜査官が向かっているという情報もあるし、幾人かはすでに保護されたとも聞いています。フォード少佐の告訴のおかげで、ペイジは相当な数の罪状で法廷に裁かれることになりそうです」
 それは良かった、とジムは上機嫌の弁護士に頷いた。
 いつになく堅い表情だったカーターが、単刀直入にいった。
「だったら、ロイ・フォードの告訴は取り下げても問題ないな」
「取り下げる?」
「彼に行ったことは、家宅侵入と暴力以外はすべて未遂だ。大した罪には問われない。他の罪で裁かれるなら、もう必要じゃないだろう?」
 弁護士は、ジムとカーターを見比べた。
「でも、フォード少佐は……」
「取り下げよう。そうだ、そうしたほうがいい」
 カーターの意図を悟ったジムも、同意した。
「もともと、彼の罪を暴くためにわざわざ芝居まで打って、現行犯逮捕に協力したんだ。少しでも長い拘留期間を得たくてね。警察がやつの大罪を暴く時間が欲しかったというのが正直なところで、告訴はフォード少佐の本意ではない」
 弁護士の大尉は、小首を傾げてしばらく考え、「そのほうがいいかもしれませんね」と頷いた。
「確かに、すでにあの件は小さなものになりました。私に話をしてくれた少佐の様子を考えたら……確かにそれがいいでしょう。彼の経歴のためにも」
 見ていて、気の毒なほどの様子でした、とついでに弁護士は付け加えた。
 ありがとう、とジムは大尉に手を差し出した。
 
 その足で、ジムとカーターに同行した弁護士がビーチハウスを訪れ、ロイに告訴取り下げの書類を作成してくれた。
 ロイは驚きながらも、ほっとしたようにそれにサインをし、彼を見送った。
「ありがとう、彼に話をしてくれたなんて……」
「俺じゃない。彼に相談を持ちかけたのはデインだよ」
 ジムがいうと、ロイはカーターを見つめた。
「あいつは今や全国を股にかけた極悪犯なんだ。他に余罪がたくさんあって、こんな小さな事件には手が回らないと思ったんだ。ほんのちょっと刑期が短くなったって、大差はない」
 ロイは、カーターに頭を垂れ、ありがとう、と呟いた。
「それから、ペイジはやっぱり催淫剤らしき代物をたらふく持っていたらしいぞ。麻薬と別にな。捕らえてきた人間を、そいつでおかしくしてセットで売り払ってたんまり儲けていたらしい。そんな薬があるなんて、現実は映画よりもおそろしいもんだな」
 映画好きのジムが感心したようにいうと、ロイはまた、そうか、と俯いた。
 平静を保とうとしているが、ロイが明らかにほっとしているのが分かる。
 それにしても、カーターがこんなことを考えていたとは驚きだった。
 彼がここまでロイのことを考えていたと思うと、迂闊だったなとジムは思った。法律などに関する問題は、ジムの手には余るとはいえ、ロイが自分のために告訴したことを考えたら、気づきべきだったと思う。
 リュウタロウがいったように、法廷の大勢の人々の前で、自分がされたことを証言しなければならないと思っただけでも、ロイは憂鬱だったはずだ。
 そうなれば、幾人かの人間からなにがあったか漏れないとも限らず、下手すれば新聞ネタにもなりかねない。
 そうなればさらに、色眼鏡で見られることも増えるだろう。だからこそ、ロイは鬱々と考え込んでしまうことが多かったのだろう。

「もうあいつは出て来られないぞ」とカーターが声をかけると、ロイも頷いた。
 だったらもう忘れて、チームに戻ってくれるんだろう? と聞きたかったが、それをジムは押しとどめた。
 カーターもなにも聞かなかった。
 自分はロイがどう進もうと一緒にいる。そう決めたことに代わりはない。だから、ロイが決めたことに従うだけだ。
 ゆっくりと考えればいい。
 身体が回復してしまうまでは、バーク准将はなにも受け取らないと断言している。今後の進退を決めるには早すぎるというのがその理由だった。
 医者というのはおうおうにして、大袈裟に予告したがるものだし、本当に足がうまく完治しなければ、そのときに一緒に考えればいいと、バークが言い含めるようにロイに語っていた姿が思い出された。
 影のようにつきまとった忌まわしい男の心配はもうないし、不当にロイを逆恨みしていたコネリーだって、その勢いは削がれたはずだ。
 バークに逆らってまで、今すぐに辞表を書かないという、そのことがジムには希望でもあった。
 ロイは、辞めたくはないのだと、誰よりも知っているのはジム自身だ。
 今、そのことは大した問題ではない。それに、少なくともロイは今朝に比べたら、明らかにほっとしたような顔をしている。
 感謝します、という目線の意味を理解したのか、カーターが片方の眉を上げてつぶやいた。
「時は春、日は朝……」
「ロバート・ブラウニング?」
 春の朝というその詩を、カーターは噛みしめるように呟き続けた。
「……なべて世は事も無し」
「なべて世は事も無し……か」
 ジムがにんまりと笑う。
 ロイはそんなふたりを交互に見てさらに復唱した。
「なべて世は事も無し」


 チームはカーターの色に戻りつつあった。
 彼らに、一度去ったことを詫び、今後ここに落ち着くことを告げた。全員が歓声を上げて喜んでくれたようで、カーターはほっとしていた。
 慌ただしい職場での様々な出来事と訓練に対処せねばならず、忙しくなった。当分隊長不在のはずのロイのチームは、ビリーとジムに任せていていいとバークにいわれ、それでも様子を見に行くと、問題なくまとまっている様子を見せている。
 驚いたことに、訓練場の外の車の中で、ディエゴと共に見学しているロイを発見し、隊員たちが張り切っている理由が分かってカーターは微笑んだ。
 ひと頃の、気力をなくした様子も影を潜め、ロイはかなり元気になっているように見える。いずれにしても、ジムが休みの間は毎日ビーチハウスに泊まり込んでいたようで、それがロイを安心させているのかもしれない。週末にしか会わないといっていたふたりが、今は上手に距離を保ちつつ、甘い生活を送っているのだろう。
 コネリーは副隊長になり、これ以上はないだろうというほど、不機嫌な様子ではあったが、決められてしまったことに対して、正面切って文句をいうことはなかった。
 ただ、訓練終了後に一度だけふたりになったとき、「やはりあなたが戻るために、俺は降格されたってわけですね」と、かわいくない言葉を吐いた。
 カーターは、いきなりコネリーの頬を平手で打った。
「……なにをするんだ!」
 コネリーは頬を大袈裟に押さえたが、心底驚いたのだろう。怒りよりも、戸惑ったように上官を見つめる瞳には力がなかった。
「おまえを差し置いてフォード少佐を望んだ連中の気持ちが分からないままか? 先日捕らえられて置き去りにされかけたときの心境はどうだった? 任務のためならどういう目に遭ってもいいと、思っていたようには見えなかったが」
 コネリーは頬を押さえたまま、ようやく意気地を取り戻したようにカーターを睨んだ。
「あれは……あなた方が仕組んだんじゃないんですか? 俺は行きのヘリの中でコムスキーに珈琲をもらった。その後、ヘリが落ちそうだという記憶すらないんだ。脳波に異常がないどころか、俺はかすり傷ひとつ負ってなかった。海に落ちたとあなたはいったが、匂いを嗅いでも、塩水ではなかった」
 思い出すような顔で、コネリーは唸るようにいった。
「あの頭巾の男の声が……最初はなまっていたのに、あとからは普通に英語を話していた。
……それに早すぎる……と、確かにいったのを覚えています。布越しだったが、ホーナーじゃないかと思う。あれは、本当の任務ではなかった。そうなんじゃないんですか?」
 カーターは彼を睨み返した。
「君はアナポリスの士官学校出身のはずだったな? そこでなにを学んだか思い出せ。部下を率いるものの立場がどういうものか。それから特殊部隊訓練学校での教えがなんだったか」
「そんなことは……分かっている。質問をしているのは俺のほう――」
「質問をするのは上官の私だ。今いえ。訓練学校の教えはなんだ?」
 コネリーは口をへの字に曲げ、つま先で地面を小突いた。
「忘れたか? 任務の遂行などというんじゃないぞ」
 返事をしないでふてくされる男に、カーターは一喝した。
「誰と話をしている? ここの縦社会のルールまで教えないといけないのか?」
 コネリーは踵をそろえ、硬直した顔で失礼しました、と直立してしぶしぶではあるが、敬意を表した。
「よし。答えをいえ」
「……仲間……であります」
 ぶすっと、コネリーがいった。

「そうだ。おまえはそれをいち早く悟って、訓練学校ではずいぶんと周りを手助けしたと記録にある。そのせいで、早々に重要なポストを与えられたんだ。キャリア組であることも多少は考慮されただろうが、一番の要因はそこのはずだ。でも、学校ではなく、実践でそれが実行できないならもう一度、学校へ行ってもらうよう手配する」
「……でも実践と訓練は違う……」
「違うもんか。いいか、あそこで学ぶのは卒業が目的じゃないんだ。おまえは仲間と庇い合えば卒業できると賢くも判断した。現場に出て、いかにそれが大切かをみんな知ってるから、学校でそう教えるんだ」
 コネリーは自分の足下を見た。
「もちろん、それでも救えないことは確かにある。だが、最初から命を粗末にすることだけはやってはいけないと、腑に染みこませろ。置いて行かれかけたあの時の恐怖を思い出せ。おまえの初任務で、おまえは隊員達にそれを味合わせたんだ。
 仲間を守ることはおまえがしてやるだけでなく、いずれおまえが危機に陥ったときにおまえ自身が救われる、唯一の道だ。あのとき助けに来たコムスが神様みたいに見えたはずだぞ。間一髪で、すっぽんぽんにされて、辱めを受け、その後殺されたかもしれない場所から、おまえは救われたんだからな」
 悔しそうに、コネリーは唇を噛んだ。死ぬより何より、その屈辱に怯えていた姿が思い出された。そこから話題を逸らすように、コネリーは質問で返した。
「でも、フォード大尉が行った捨て身の救出は間違っている、と……思いますが。自分が死んでは助けられない」
「そうだな。それも一理あるだろう。けど、あの時彼は勝算はあった、といっていた。いつもいつもそんな無茶をするわけじゃない。あの部屋が武器庫じゃなければ、確かに三人は残りのチームに合流できたはずなんだ。今後はおまえも状況を見て、もっと的確な判断ができるようになるはずだ。私がそれを指導してやる」
 分かりました、とコネリーは呟いた。
「よし。行っていい。殴って悪かった」
 略式の礼をとって、コネリーは踵を返した。
「コネリー大尉」
 呼び止められて、彼は振り返った。
「よく、辞めずに残ってくれたな」
 面食らったような顔で、コネリーは視線を逸らした。そういう顔をすると、まだまだ若さが滲み出る。
「SEALSに憧れていたんです。つらい訓練を乗り越えて……そう簡単には辞めません」
 うん、とカーターは頷き、微笑んだ。
「おまえがあの時、白状しかけたことを忘れるんじゃないぞ、大尉」
 コネリーは焦ったように顔に色をなした。だが、諦めたのか小さく息を吐いて俯いた。
「フォード……大尉を…」
「うん?」
 くそっと、口の中で呟き、コネリーは続けた。
「誤解して……いたと思います」
「うん。一度じっくりつきあってみろ」と頷き、手で行っていいと合図をして背を背けた。
 コネリーの足音が遠くなっていくのを聞きながら、カーターはやっと身体から力を抜いた。
 こういう隊長交代劇は、そうあるわけではあるまいが、最初からコネリーという男には、今みたいな躾が必要だったのだ。そうしておけば、数年後には素晴らしいリーダーに育っていくだけの素質はあるはずなのは、いわずもがなだ。
 ロイのところのビリーだって、なんだかんだと問題を起こしてはきたものの、常に彼を導いてきたロイのおかげで、今や誰よりも頼りになるポジションを押さえている。当初、チームに現れたあの男を見たとき、カーターはビリーは長くは勤まるまい、と心の中で判断していたのだ。
 少しだけ、ロイに近づけた気がした。
 誰もいなくなった訓練場を眺め渡す。
 何度も訓練には参加していたものの、やっと本当の居場所へ戻ったという気分になった。
 戻ってきて良かったのかもしれないと、初めて思った。
 隊員たちのためにも、コネリーのためにも。
 そして、自分自身のためにも……。

















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