[コネリーの棘]of [金の砂銀の砂]


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コネリーの棘

「今日は少し微熱があるようだ。リハビリはやめておきましょう」
 朝一でリュウタロウと一緒に足の検査を受けて戻ったあと、ディエゴはそういって、ロイをベッドに寝かせた。
 ベッドに入るのを手伝うと、自分は部屋の隅で、ずっと本を読んでいた。
 夕べのショックで熱まで出ているのか、とロイはぼんやり思いながら、確かにだるくて頭の芯が痛み、瞼が重かった。
 元気なときならとうていできないほど、ロイは午後を過ぎるまで眠り続けた。
 遅いランチを終え、ゆっくりとシャワーを手伝ってもらったあとは、すっきりとしたせいもあり、少し気分がよくなった気がした。
 鞭の痕に驚きもせず、ディエゴはなにもいわず、丁寧に洗ってくれた。
 ロイの方が、自分の身体を見て、ぎょっとしたほどだ。だがディエゴは薬をつけ、それを指示されたということは鞭の傷について、リュウタロウから話をすでに聞いていたのだろう。
 恥ずかしいが、仕方がない。
 身の回りのことをディエゴに頼んでいる以上、隠すことはできないのだ。
 この男の醸し出す雰囲気が、いかにも介護を生涯の仕事として選んだ者らしく、医師と同じように大らかで温かいせいかもしれなかった。
 そういった意味ではディエゴの存在は、今のロイには救いとなっている。
 カーターが電話をかけてきて、心配してくれているとディエゴが笑った。
「いいお友達がたくさんいるんですね。ドクター・ナカニシもそうなんでしょう?」
 ロイは頷き、確かに自分は恵まれている、と素直に感謝する気持ちすら湧いた。
 カーターとの今朝方の会話を思い返し、それでも今夜また、ここに戻ってくれるという気遣いが有り難かった。
 今夜はもう少し落ち着いて、心配かけないように過ごすことができるよう、努力することだってできそうな気がする。
 無様な姿をいつまでも晒すのはかえってみっともない。
 あんなやつにどうこうされたからと落ち込んではいけない、とロイは自分を励ました。
 これ以上心配をかけたくはなかったのだ。

「筋肉のマッサージを軽くしましょうか」
 リビングにマットを敷いて、ディエゴがロイを横にした。
 いつも優しい男だが、今日のディエゴはロイを労るようにさらに温かく接してくれていた。
「ベランダのドア、硝子が入りましたよ」
 病院に行っている間にガラス屋が来たとディエゴはいい、そんな雑用まで任せてしまったことをロイは詫びた。
 それから急に不安になった。
 ディエゴはたくましい大きな身体を持ってはいるが、けんか慣れしているとは思えない。夕方までいてくれるというのでほっとしたものの、もしペイジが捨て身で現れたら、巻き込んでしまうのではないか、と思ったのだ。
「ただの……泥棒じゃないんだ、ディエゴ。身体の傷を見ただろう? 俺に恨みがあって。もし、あいつがまた戻ってきたら俺にかまっている間に、警察かカーター少佐に電話をして、身を隠してくれ。絶対に、君はあいつに手出しなどしないでほしい」
「あなたが殴られたり蹴られたりしている間に、僕は警察を待って外にいろと?」
 ディエゴは、少し気を悪くしたようにいった。
「君は介護士でボディガードじゃない。君になにかあったら……」
「見くびらないでください。患者を守るのも仕事のうちでしょ。僕の患者に、二度とこんな真似はさせませんよ」
 すまない、と謝ったものの、ロイはそうならないよう祈るしかなかった。
 まさか明るいうちに来るとも思えなかったが、相手のあることに断言はできない。
 身体が良くなるまで、どこかに身を隠しているべきなのかもしれない。
 でもどこへ? と、ロイは自分に問うた。
 すでに母のいないロイには、こんなとき頼るべき家はない。
 あってもやっぱり、巻き込むかもしれないと思えば、うかつに知人を頼ることなどできない気がした。大した額ではないが、貯金をはたけば安いホテルくらいならしばらくは住むことができるかもしれないとまで、ロイは考えた。
「頭痛がしますか?」
「申し訳ないけど、水をもらえないかな?」
 いいですよ、とディエゴは身軽に立ち上がり、戻ってきてロイにグラスを渡した。
 右手が使えないというのに、今日は瓶で打たれたせいか、左手がまだ痺れたようになっており、骨に異常はないとはいえ力が入らない。
 思わずグラスを落としそうになって、ディエゴが慌ててそれを掴んだ。
 視線を感じて、ぎくりと顔を上げると、ベランダから男がこちらを見ていた。
 その手に持っている花束を見て、ロイは思わずそばにいるディエゴにしがみついた。

「……ロイ? 大丈夫ですか?」
 ディエゴが不審な顔でロイを見て、それからやっとベランダの人影に気づいたようだった。
「……あれが、例の男ですか?」
 ディエゴが立ち上がりかけたが、ロイは慌てて「ちがう」と止めた。
「同僚だ。開けてやってくれないか?」
 ディエゴはほっとしたようにドアを開け、どうぞと男を招き入れた。
 黒い巻き毛をなでつけた、エキゾチックな顔立ちの頬の片方を赤く腫らし、入ってきた男はコネリーだった。
 仕事中であろうのに、なにをしに来たのだ、と訝るロイのそばにコネリーは立って見下ろした。
 ディエゴがロイを手伝ってソファに移動させ、コネリーは椅子を勧められたが立ったままだった。
「ディエゴ、すまないが寝室にいてくれないか?」
 コネリーがまたなにかいいがかりをつけにきたのなら、聞かれたくはなかった。
 ディエゴは頷いてリビングを出て行った。
「座ったらどうだ?」
「いえ、すぐに退散しますから」
 丁寧な仕草で、コネリーはロイに花束を差し出した。
 奇妙なほど、ペイジが置いて行っていた花束によく似た薔薇を胸元に置かれて、その匂いに胸が悪くなりそうになった。
 薔薇が嫌いなのではないが、今は匂いすら嗅ぎたくはない。ロイはありがとうといって、テーブルに置いてくれるよう頼んだ。
「おじゃまをしてしまったようですね。あれはあなたの新しい恋人ですか?」
 ロイは瞳だけを上げ、睨むようにコネリーを見た。
「昼間から、抱きあっておられたようだが、おさかんなことで」
「彼は介護士だ。君は俺にけんかを売りにきたのか?」
「どういうおつもりかと思いましてね」
 質問の意味が分からず、ロイはなにがだ、と聞いた。
「あなたのお気に入りのカーター少佐を我がチームに据えたくて、バーク准将にとりいったのは分かっています。うちの隊員達もすっかり手なずけておられるようだし、大した手腕だ。どうやったんです? その魅力で、ひとり一晩お相手でもされたわけですか?」
「どういう意味だ?」
「いったままですよ。あなたは連中のアイドルみたいなもんだ」
 いいながら、ロイのすぐそばまできて、顔を寄せるように近づけた。
「赤ん坊みたいな肌だ。キスマークまでつけて」
 吐き捨てるようにいわれて、ロイは思わず首筋に手を当てた。夕べの鞭の痕が、僅かにシャツの襟元から覗いているのだ。
 ふん、とコネリーは隠している首筋に指を突きつけ、触れようとすらした。ロイは顔を逸らして「触れるな」と低い声で唸った。
 こんなふうな屈辱的な行為を受けるいわれはない。よろめきながらも怒りにまかせて立ち上がった。
「帰ってくれ」。
「花束の男、もう訪ねて来ましたか?」
 ロイは息を飲んだ。
 なぜ、こいつはそんなことまで知っているんだ、と動悸が速くなった。
「さっさとお辞めになったらどうです? いくら仕事ができたって、あんたの本性がばれたら、軍にはいられないのはご存じでしょう? その筋の調査機関に訴えて、絶対証拠を押さえてやるからな」
「コネリー、おまえはなぜそこまで俺を……」
「薄汚い男娼に反吐が出るからだよ!」
 思わず左腕で胸元を掴んだが、あっさりと振り払われて突き飛ばされた。
 コンコン、とノックをしてディエゴが顔を出した。
「珈琲でも淹れましょうか?」
 床に尻餅をついているロイを見て、ディエゴは血相を変えて近寄ってきた。
「あんた、病人になにをした?」
「自分で転んだんだ」
 コネリーは足音も荒く、ベランダを出て行った。

 呆然と座っていたロイを、ディエゴが心配そうに椅子に座らせた。ロイは蒼白になって、震えてさえいた。
 なぜ、あんなことをわざわざいわれないといけない?
 なぜ、同じ軍のチームにいる男から男娼呼ばわりをされるんだ?
 なぜ、彼はペイジのことを、あの花束のことを――
「ロイ、横になった方がいい」
 ディエゴの手を振り払い、ロイは頭を抱えた。
 なぜ、こんなふうに侮辱を受けないといけないのだ……?
「ロイ……」
「すまない、ディエゴ。ベッドに行く。少しひとりにしておいてくれ……」
 

「ロイ!」
 寝室のドアを開けたカーターは、まっすぐにロイのそばに来た。
「ミーティングでずっと携帯を取れなくて。今、ディエゴに聞いた。コネリーが来たって?」
 ロイは、ええと頷いた。
「で、なにかしたのか? 君に、なにかいったのか?」
「いえ、お見舞いに花束を持ってきてくれただけです」
「……花束…だと?」
「少し具合が悪かったので……でももう大丈夫です。デイン。お腹が空きました。ディエゴがなにか作ってくれたみたいなので食事にしませんか?」
 カーターは、じっとロイを見据えた。 
「あいつは……あの男は、花束が誰からのものか知っていた。彼の奥さんが花屋で……それでペイジと出会って、ろくでもないことを吹き込まれていて……」
「彼は俺が憎いんでしょうね」
「なんでだ? 君が彼になにをしたというんだ?」
「彼を差し置いて出動し、彼のチームの隊員たちの目が俺に向いてしまった。だから、目障りで仕方がないんでしょう。それにペイジにあることないこと吹き込まれたとしたら……俺をへこませるとすれば、そこを突くしかないと思っているんだ。……その目の付け所は間違ってはいない」
 カーターはロイの前にしゃがみこみ、息を弾ませた。
「……なんてやつだ。根性が腐ってるとしかいいようがない」
 そうですね、とロイは呟いた。
「確かにあいつの根性は腐っている」
「そんな暢気にいってる場合か。隊員たちにまでさんざん、馬鹿な嘘を並べ立ててるんだぞ。もちろん、誰も信じてはいないが――あいつは今日、バーク准将に降格の打診をされていた。そのときいろいろあって私が彼を殴ったんだ。そのせいで多分、君に八つ当たりに来たんだろうな」
「デイン。でも彼は俺がそういう人間だと思っているんだから、嘘の自覚はないはずだ。やり方はともかく、あいつも追い詰められているんだ。最初の失敗を責められて、足下が危ういのを承知しているから、焦っているんでしょう」
 なにを暢気な……とカーターは呟いて、ロイのそばにどすんと腰を下ろした。
 ほんの今朝方、あれほど自暴自棄になりかけていたくせに、この落ち着いた対応はなんだと、カーターはロイに八つ当たりしそうなほど、行き場のない感情を抑えることができなかった。
「君の名誉のために、あいつを叩きのめす」
「ジムみたいなことをいわないでください。俺はもう……いい。なにをいわれてもかまいませんよ」
「……どうした?」
 落ち着いているんじゃなくて何かがロイに欠けている、とカーターは気づいた。
「まだ投げやりな気分が治まらないのか?」
「投げやり……といえばそうかもしれない。もうあまり考えたくないんです。考えていると頭痛がする……でも、これ以上俺のことであなたが憤ったりしないでほしいんです」
「君のことばかりじゃない。侮辱を受けたのは私だって同じだ」
「俺がいなければ、そういう疑いも消えてなくなるはずです」
「……どういう意味だ? 君がいないというのは」
 ロイは微笑んだ。
「すみません、深い意味はないんです。ただ、脚の回復が少し遅れそうなので」
 足首は、夕べの出来事のせいで、さらにダメージを負ったのに違いない。復帰が遅れそうなのがショックなのだろうか、とカーターは痛ましくその白い血の気のない顔を見た。
 けれどもロイは微笑みすら浮かべ、「お腹が空いたな」とベッドから立ち上がった。
 そんな態度がカーターには、かえって気味が悪かった。

 ロイは父親の写真を見ていた。
 アルバムを一冊だけ、実家から持ってきていた。
 写真は山ほどあったが、自分の幼い頃のロイと母と父が映ったアルバムの中から、一番気に入っているものを選んできた。
 若い父、マイク。美しい母、ジュリア。まだ赤ん坊のロイをふたりで慈しむように抱いた写真――
 一番最後のページに、まるで自分かと思うような写真館で写した制服姿の軍人の写真が剥き出しで挟まっていた。
 テリー・ランド。ロイの本当の父親だと、今では知っている人物。
 一枚だけジュリアが大事に写真立てにしまっていたものを、ロイは外してアルバムに挟んできたのだ。 
 テリーという男が負傷してチームを追われた。
 ひとりの男を愛し、報われなかったために捨て鉢になって身売り同然の行為を繰り返して死んだのだ、とロイはかつてバークから聞いた。そのときはショックではあったが、同情すらした。
 恋人に捨てられ、その後子供まで身ごもったロイの母にも捨てられ、仕事で負傷した傷が元で、立ち直れなかった男――
「たった20ドル程度で、誰とも寝た……彼のそんな血が俺にも流れているんだ、ジム……」
 ロイは、ひとり、渇いた笑いを漏らした。
 あまりにテリーにうりふたつなので、当時を知っている人はロイを好奇の目で見る。
 誰の子供かと興味をそそられているんだと思っていたが、ロイも同じタイプじゃないのかという目が混じっていることに気づいたときは、血が逆流しそうだった。
 軍人酒場で、おい、あれは、おい、見てみろよ、とバークよりも少し若い世代の男たちが肘でつつき合うのを不思議に思ったあの日――
『ランド……大尉? 息子さんですか?』と聞きに来た者すらいた。
 ちがうと答えても視線をロイに向けたまま、ひそひそと話をする顔は好奇に満ちていた。
 ウインクをし、娼婦をからかうように流し目を送られて、ロイは思わずその連中を殴りつけさえした。
 それ以外にも、一般の酒場で幾度も酔ったおかしな連中に露骨に誘われたことだってある――

 テリーだってつらかったのは分かってはいる。
 だが、どんな事情があったとしても、誰もがそんな道に走るわけじゃない。彼の元々に、そういう因子があったんだろうと、ロイは今、そう思うしかなかった。
 彼のそういう部分が自分にも流れている。それが、こういうふうに自分を追い込んでいっている原因のそもそものような気がする。
 マイクに育てられて彼の真似をして見せても、ロイは間違いなくテリーの子供で、そのテリーは父親かもしれないが、男達にずたずたにされた。自ら望んで……。
「そして俺もまた、それを望んでいるような気さえする……」
 もちろん、感情はそうではない。
 そんなふうになるまで自暴自棄に陥ることは、ロイにはできないだろう。けれども、そんな状況になったとき、ロイの身体は拒めない――のではないかという恐れが今や確信のようにロイを覆っていた。
 アルバムに挟まっていた写真を、ロイはつまんでしばらく眺めた。
 無意識のうちに、くしゃりと握りつぶし、そのままアルバムに落として厚い装丁の表紙を閉じた。
 破り捨てることまではできなかったが、大事に扱うこともできなかった。
「ジム、おまえの顔をひと目だけ……見たい。それまでは待っていてもいいだろう?」
 泣き出したいほどの感情に揺さぶられつつも、ロイの瞳は渇き、ちかちかと痛みを訴えるほどに瞬きすらしなかった。
 ペイジのような変質者だけならともかくコネリーが吐いた言葉の数々が、思った以上に堪えている。
 “男娼”という言葉が。
 ジムに愛され、ジムだけだと思うことで、それをいつしか納得さえしていた気持ちが砕かれた気がした。
 すでにそうやってジムを受け入れた時点で、自分はマイクとは違う道を選んだのだ。
 そして今やそれが、“ジムでなくとも”というところまで来た気がする。
 カーターを変えてしまったのは自分だ。
 怨んではいないが、それは自分が変わってしまったことの証明にも思える。
 そしてなによりも、ペイジによって反応した、そのことが――












硝子の破片

哀しみの追憶

後日憚―哀しみの追憶―

観客

おもちゃ屋探検

おもちゃ談議

キャンディーバー

Pは××のP

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金の砂銀の砂第三部

僕が彼を憎んだわけ

ロイとジムの映画評