[Rの羅列]of [金の砂銀の砂]

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Rの羅列

「小説……? そういえば、作家になりたかったとおっしゃっていましたね」
「よく覚えているな。書けるものかどうか、果たして分からないんだが。……ここしばらくの自分の心中でも書き留めておこうかと……。要は日記に毛が生えたような低度さ」
 カイルにもう先がないと分かってから葬儀までの一ヶ月あまり、カーターはこれで気を紛らわせたのだ。
 最後の一週間は常夜灯だけになった病院の廊下で、ひたすらラップトップの光に向かって、目をしばたたかせながらキーを叩き続けた――
 泣くよりはましだと思えたし、誰にも話せない心に吹きだまったものを形に変えてしまうのはある意味、悪くはない方法だった。
 自分の状況を、分かって欲しい部分まで人に説明するのは難儀だ。どれほど言葉を尽くしても、本当の部分を理解してもらうパーセンテージはかなり低い。それでも、人は語って勝手にストレスを発散するものだが、フロリダでそれを語るべき相手など、カーターにはいなかった。それに、例えいたとしても楽しくもない話題で、相手までもを憂鬱にさせるのは気の毒というものだ。

「カイルのことを小説に?」
 ロイが、気遣う調子で聞くともなしの質問をしたが、カーターは首を振った。
「いや……。それはまだ、形として表すことはできないんだ。まだ時間が浅すぎる。――なんだろうな。ほんとに日記並みに、私自身の考えとか、そういうものかな。とても他人に見せるほどのものではないから、やっぱり小説とは言えないかもしれん。そもそも、基本の起承転結すらないようなものだ」
 完全に立ち上がったラップトップの画面に、ワープロソフトを呼び出すと、ロイはまた自分の本を手に取った。覗くつもりはないらしい。
 かちゃかちゃと、キーを打つ自分の立てる音に神経が集中する。心を落ち着かせるにはほど遠いようでいて、カーターはこの音が好きだ。
 それでいて、隣で黙って本に目を落としている男の気配が無性に気になる。
 やりにくいというのではなく、ひどくいい心地というか、そういう気分だ。うまく説明ができないが、自分のやりたいことをやっているほんのすぐそばで、相手もまた、自分のやりたいことを黙ってしているだけ。
 一緒にいる意味などほとんどないが、それでもひとりではないという安心感に、カーターはたまらない平安を得ていた。
 意外にひとりでいるのが好きではないのかもしれない。小さなラブソファでは窮屈だが、真ん中の空間に一握りの空気が漂うのがかえっていい。
 そういう距離感が、カーターとう人間の望む人との関係なのかもしれない。

 かちゃかちゃかちゃ。
 私は、私は、私は――
 日記同然のページには、カーターの見たもの、感じたもの、喜び、迷いや悩みやわだかまりまでが羅列されている。私、という単語だけがやたら目につく。ジュニアの頃、国語の作文授業の時、美人の教師から“私”という単語を極力使わないよう教わったというのに、子どもの作文以下のものしか書いていないという証拠だろう。
 私は、私は、どうしたいのだろう? なにを考え、生きてきたのだろう? 
 私は、私は私は――
 私はカイルが、カイルが、カイルが――
 私は、私は私は――ロイが……。
 左手の人差し指の後、躊躇いもなく右手でOYを綴る。
 ロイ――が?
 カーソルを戻して削除する。
 ROY。
 また、キーに指が行く。けれども、それに続く言葉が出ない。
 快く家を提供してくれた、かつては深く傷ついていた、誰よりも指導力のある、尊敬、子供のような笑顔、無表情な、冷たい青緑色の瞳、隣に座って本を読んでいる――
 RRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR――
 隣の気配が動いた。
 カーターは思わず画面を手で隠した。

 携帯がバイブレーションしているらしい。
 テーブルの上の本までもを巻き込んで、その上に乗った小さな携帯電話が、がたがたと騒いでいる。
 ロイはそのボタンを押し、数言交わすと、アイサーと返事をしてそれを切った。
「呼び出しか?」
「ええ、ちょっと……」
「彼女?」
 ロイは微笑み、バーク准将です、と答えた。アイサーと答えて彼女もないか、とカーターは笑った。
「なにか、相談があるとか――すぐに戻ってきますので、先に休んでいてください」
「ああ、私も二階で風呂を借りるとする。気をつけてな」
 おやすみなさい、とロイはリビングを出て行った。
 かつて、バークがもっとも頼りにしてくれたのは、デイン・カーターだった。半年前、チームを捨ててしまった自分はもう、その地位にはいない。代わりにロイが彼の相談に乗るのだな、と微かに焦りを感じ、そんなことにこだわりを見いだす自分を罵った。
 ロイと自分とでは、基本的に異なるものがあることは、分かっている。
 性格とか、指導力とか、そういう素質のようなものは当然だが、決定的に違うものが、彼とカーターの間にはある。
 ロイは、ぎりぎりの縁まで追い詰められながらも、決してSEALSを辞めようとはしなかったし、他部署の推薦を受けても、チームにいられないなら海軍を辞めるとまで決意していた男だ。体力がなくなろうと、精神的にまいろうと、常にチームに戻るための努力を惜しまなかった。
 もちろん一時期、どうしても自分の体調に自信を持てず、それが隊員たちの危険を呼ぶと判断したとき初めて辞表を持ってきたが、彼にしてみればそれは単なる隊からの離脱ではなく、海軍そのものを辞めることであり、彼にとって海軍イコール特殊部隊という図式は揺るがなかったはずだ。
 だが、私は違う、とカーターは思った。
 どんな理由からにしろ、カーターはあっさりと職務を放棄したのだ。それも後釜が来て、引き継ぎもろくにしないまま、休暇をとってフロリダへ渡った――
 カイルのことしか、考えていなかったのだ。隊員たちのショックや、バークの胸中や、責任などは細々と命の炎を揺らしていた彼の前には、なんの意味もないとまで思い詰めていた。
 それは自分で決意したことであり、そのことに後悔などしてはいないつもりだが、こうして取り残されてみると、カーターにはまだ人生を歩き続けねばならないのだという、長い果てもない道があることに気づかされる。

 くねくねと続いた、地平線の向こうまで続く道――
 遙か先を歩いていく仲間たちを眺めながら、とぼとぼと歩かねばならないのだろうか? 自ら掘ってしまった穴をシャベルで埋めながら。
 それを埋める砂はあるのだろうか?
 ワープロソフトを閉じるためのボタンをクリックする。
 Rの羅列を消すのを忘れたが、また明日でもかまわないかと、そのまま保存をかけると、ソフトは自動的に閉じられた。
 ロイに見られなかっただろうか? 書きかけのRを。
 いや、別に見られて困るようなことは書いてはいない。Rを馬鹿みたいに左の人差し指が押し続けただけだ。
 R……Rの羅列。
 その文字に、意味などなにもない。
 右手が勝手に“OY”を押しさえしなければ。

 午前中の会議のあと、デスクワークを後回しにして、カーターは半年前まで隊長を務めていたチームの顔ぶれを見に行った。
 ランチタイムで賑わっていた食堂で、カーターの姿を認めた十数名が歓声を上げ、それから口々にカイルの訃報を知らず、葬儀に出向かなかったことを詫びてきた。
 懐かしい顔ぶれの中にカイルの顔が一瞬浮かび、ちょっと胸が痛む。
 私が辞めた後、二ヶ月前に殉職してしまったはずの、ストークス兵曹とジェラルド一等兵の顔もない。副隊長のディクソン大尉は同じ任務で負傷し、静養中でチャールトンの実家に戻っているはずだ。
「お代わりありませんね、少佐」
 またチームに戻るのかとか、どこに住んでいるのだとか、様々に声の飛び交う中、入り口から入ってきたひとりの男が近づいてきた。
 カーターの後任の隊長を務めるコネリー大尉だと自ら紹介し、握手を交わした。
 ドナルド・コネリーは中肉中背の、黒髪の精悍な顔をしている男で、おそらくロイよりひとつふたつ若いはずだ。
 ロイと同じように、訓練学校を卒業してすぐに隊長に推されたくらいだから、優秀なのだろう。本来ならしばらくは隊長候補としての実地経験を積むべきところだが、カーターの勝手で空席ができたために、いきなりの隊長抜擢に苦労も多いだろうと察せられた。
 実際、彼がカーターの前に立ってから、チームの隊員たちはひとりふたりとテーブルに戻り、彼がここで浮いているらしい雰囲気を匂わせている。まだまだ、馴染んではいないのかもしれない。
 カーターは午後からチームの訓練に参加してもいいかと、コネリー大尉に聞いてみた。
 コネリーは、一瞬とまどったような間を持ち、それから「ご自由にどうぞ」とそっけなく答えた。
 どうやら、彼より階級も年も上で、かつての隊長だった男は目障りらしいなと苦笑し、いやいいんだと手を振って、その場を離れた。
 隊員たちは、皆俯いて食事をしている様子で、ちらりと目を向けた者もいたが、さっきのようにほほえみかけてはこなかった。
 何となく気落ちしながら、もうひとつのチームの訓練を覗くことにした。
「おお、カーター少佐。お戻りになられたというのは聞いてましたよ」
 ロイと分け合う以前は、同じチームであった古株の曹兵ポールや、リックといった面々が集まってくる。二つに分割される以前のかつての部下たちは、満面の笑顔で迎えてくれた。ここでも口々にカイルの話題が持ち上がる。
「なんで、葬儀に呼んでくださらなかったんです? いや、できれば見舞いくらい行きたかったのに」
 ポールの言葉に、他の連中も頷いた。
 葬儀にみんなを呼ぶべきだったのに、悪いことをしたとカーターはみなに謝った。さっきのチームはことにそうだ。コネリーが現れなければ、きっと同じことをいわれたに違いない。
 同じ仲間だったのに、誰一人声をかけなかった――
 葬列のラッパなどなくても、制服を着たかつての仲間たちに見送られて当然だったのに、なぜ自分は彼を兵士として扱わなくなっていたのだろう?
 兵士でいたかったと、あれほど嘆いたカイルを、カーターはもう軍とは関係ない人間だと、勝手に判断していたのかもしれない。棺の上に、もしカイルの魂が浮遊していたならば、葬儀に来てくれた顔ぶれを眺めて、なぜ? と問いかけていたことだろう。
「少佐、見学だけですか? ご参加は?」
 背後から声をかけられ、カーターは物思いを振り切った。

 ロイの浮かべたほほえみを見て、「鍛えてくれ」と片手を挙げると、まわりから歓声があがった。
 さっきのチームで気まずい思いをしてただけに、この反応にほっとした。
「みんな、カーター少佐をぎゃふんといわせてやれ!」
 ロイの傍らに立っていたジムが、楽しげに大声で気合いを入れた。
「少佐、つらくなったらあそこに医療班も待っているし、いつでも休んでくれてけっこうですからね」
 ジムの憎たれ口に中指を立てて見せ、カーターは笑った。
「たった半年だぞ。それに、訓練学校でも立って指先で指導していたわけじゃない。見てろよ」

 爽快な秋の空気が心地いい。
 空は澄んで高く、冷たい風が頬を差すようだ。
 チームはよくまとまっている。厳しい隊長のもとで、隊員たちは安心して訓練に打ち込んでいる。
 きびきびと指示を出し、ほめたりくさしたりして実際に訓練にあたっているのは、曹長のジムだ。
 彼は浅黒い肌をして、雑多な血が混じっていることを物語る顔つきをしている。白人であろうと、黒人であろうと、曹長というものはみな同じような顔つきになる例に漏れず、ジムも訓練中には特に、「愛と青春の旅立ち」や、いわゆる多く映画に登場する曹長たちのまとうイメージに遠くはない。
 誰しもが、その立場になればその色に染まるという例に漏れず、ジムの指導は言葉からしてその見本みたいなものだ。
「さあ、お嬢ちゃんたち、少佐にかまけてさぼってるんじゃないぞ!」
 この男の牽引力は相当なもので、カーターが彼と同じチームだったときから彼を訓練にあたらせていた。それでも――
 その後ろに黙ってたたずむ指揮官が、自分の場合とロイの場合では隊員たちの無意識の力の出具合が違うように思えるのは、単にひがみというものではないと、カーターは自覚していた。
 それはロイが隊に副隊長として赴任してから、いくらもしないうちにカーターに衝撃を与えた事実だ。
 カーターはジムのそばを離れ、すでにスタート地点で待機している隊員たちの塊まで小走りに近寄った。
 ひとりずつ、コースの合間の乱雑に組まれた障害物を乗り越えながら、ゴールをめがけて走っていく。
 やがてロイも隊員たちと一緒になって走り出した。
 そのあとを、カーターも追った。

 ジムはスタート地点とゴールのちょうど間のあたりで、まんべんなく辺りを見回し、タイムを計るためにそばに置いた隊員と並んでいる。
 全体にちりばめられている、丸太や木や鉄でできた障害物を軽々と乗り越える。
 草しか食べない馬が、細い足でびっくりするほどの瞬発力を示すように、ロイの躰はたくましく風を切る。
 あまりものを食べてもいないくせに、とカーターはしゃにむに後を追う。
 群がる大型バイソンの中に紛れた細い足の大人しい、けれども精悍で美しい馬。
 だが、この草食獣は、必要なときには内包している牙を剥く。あるいは猫科の野獣のように、巧みに研いだ爪を隠しているだけか。
 ほっそりと、美しい後ろ姿から目が離れない。
 よそ見をしていたせいで、激しいタックルを食らってしまったことに、カーターは倒れてから気がついた。















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後日憚―哀しみの追憶―

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ロイとジムの映画評