[亀裂]of [金の砂銀の砂]

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亀裂

 翌日、毛布にくるまって眠っていたカーターは、話し声で目が覚めた。
 ロイが横になったまま、こちらに背を向け、携帯で誰かと話をしているのだ。時計を見ると、すでに8時を回っており、夕べ寝付かれずに寝坊してしまったらしい。
「うん、大丈夫だ。順調だよ」
 カーターに遠慮してか潜めた声が聞こえてくる。
「わかった。おまえも元気で」
 携帯が切られ、ロイは背中を向けたままふうと息を吐いた。
「ジムからか?」
 あ……と、戸惑ったような気配がし、「起こしてしまいましたか?」とロイはやっと振り返った。
「いや。たっぷり寝過ぎたくらいだよ。ジムだったんだろ?」
 ロイは頷いた。
「やっと電話をかける時間がとれたといってました」
「空母からか? 携帯は使えないから艦の電話からだろう」
 起き上がって、カーターはロイの顔を覗き込んだ。
「顔色が戻ったようだな。お腹が空いているだろう? 何時に目が覚めた?」
「ついさっき……いわれてみれば空腹です」
 サンドイッチがあったんだが、とテーブルを見たが、ラップの甲斐なくとても美味そうには見えなかった。
 ロイは申し訳ありません、と恐縮しながらも唇の端に笑顔を浮かべた。
 その顔を見て、ほっとすると同時にわずかに嫉妬心も湧き起こる。
 さっきのジムの電話が、ロイに元気を与えたのかもしれないと、思ったからだ。
「食事にいかないとな」
「デイン……」と、ロイがいいかけ、いえ、あとでいいですと服に手を伸ばした。カーターは肩をすくめてバスルームに入った。
 簡単にシャワーを浴び、思い付いて熱い湯で絞ったタオルを持って部屋に戻る。歯磨きはともかく、片手では顔は洗えまい。だから顔を拭いてやろうと思ったのだ。
 ロイは反射的に、顔を背けた。
「どうした?」
 自分の行動に途惑うように、ロイはうつむいた。
「恥ずかしがることはない。いつもディエゴにやってもらってるんだろうし、こないだも拭いてやったじゃないか」
 ロイは、心持ち顔を赤らめているように見えた。
「……なんだか、おかしな夢を見たんです」
 消え入るような声に、カーターは手を止めた。
「恥ずかしくなるような夢か?」
「今日は、……身体までなんだか……おかしい……からつい――」
「夢じゃないよ」
 抑揚のない、棒読みの台詞にように平板な声を出すカーターを、ロイははっとしたように顔を上げて見た。
「夢じゃない。昨日、君が見た夢は知っているよ。それは夢じゃない」
 なにをいわれているのか、ぴんとこないらしくロイは黙ってカーターを見ていたが、やがて左手で自分の口元を覆った。
「ま、まさか……?」
「心配するな。手出しはしていない。ただ、怪我で鬱屈していたものを発散する手助けをしただけだよ」
 カーターの台詞を頭の中でリピートする時間がたっぷりとられ、ロイは口元から額に手を滑らせた。
 そして絶望感を漂わせ、うそだ……と呟いた。
 

「君は眠っていた。よけいなことをしたと私を罵ってもいいよ。ただ、あまりにもつらそうだったんで」
 いつものポーカーフェイスを浮かべる余裕すらないのか、ロイは戸惑ったように俯いた。
「……そ、そんなにそれと分かるほど俺はみ…乱れて…いた?」
「う~ん。思わず君に挑発された。私に抱きついて、熱いキスをされてね。もっとも君はジムだと思っていたようだが。罵ってもかまわないけど、謝罪はしない」
 ロイの頬が、耳まで染まった。おそらく、その場面を夢として見ていたのだろう。熱い吐息と、妙なる甘い声まで聞かせたことを。
 さんざん、己を恥じ、後悔して翌日どんな顔で接したらいいかと悩んでいたにもかかわらず、自分でも意外なほどカーターは強気に出てしまっていた。
 たった今、ロイを元気づけた電話のせいだと分かっていた。
 それを簡単にひと言でいえば“嫉妬”ということだが。
「さあ、顔のついでに隅々まで拭いてやろうか? 今更、隠すところなど、君にはない。夕べだって念入りに拭ったんだ」
 つい、台詞までがいじわるになる。
「……眠っている俺を襲ったくせに、なんでそんなに強気なんです?」
 赤い頬のまま、ロイが忌々しそうに睨んだ。
「襲った? とんでもない。私は被害者さ。ジムに抱かれている君をそばで見せつけられたんだ。開き直るしかないだろう? 気の毒だと思うなら、ちゃんと私と向き合ってくれたってかまわないよ」
 枕が飛んできた。
 カーターはそれを受け止め、顔にむかって投げ返す。
 柔らかく投げたにもかかわらず、まともに顔に枕を食らって、ロイは声を荒げた。
「なぜ、……いったいなんであなたは……!」
 カーターに返す言葉などあるはずもない。」
 ロイはもう耐えられない、というようにベッドに前のめりに額をつけ、巡礼者のようなポーズをとった。
「……恥ずかしくて顔が上げられない。しばらくひとりに……そっとしておいて…ください」
 カーターはちょっとだけ笑い、ロイに悪かった、と謝った。だが、そんな言葉など耳に入らないかのように、ロイはベッドに突っ伏している。
「ロイ、怒るのは当然だ。だが私は……」
「もう…その話題はやめましょう。……バスを使いたいので」
 ロイは起き上がり、ベッドに足をつけた。
 必死で怒りを抑え込んでいるらしいのは感じられたが、それでもロイはカーターに補助されて、バスルームに入った。
 出てくる頃には、何事もなかったようなふりをすることだろう。
 このまま、カーターも“ちょっとだけ血迷った”ということにしてしまうべきだと思った。
 博物館でのなんらかの出来事がロイに衝撃を与え、夢の中で救いを求める彼を安心させただけ――
 醜態を晒したことを、死ぬほど恥じ入ってはいるだろうが、それは夕べ確かに必要なことだったのだ、とカーターは自分に言い聞かせた。
 おそらく、ロイもそう思っているに違いない。
 バスルームから出てきたときには想像どおり、ロイはいつものポーカーフェイスに戻っていた。

 帰りの車の中は最悪だった。
 ロイがいつもにまして静かだったのは、いうまでもない。
 なにもないふり、とはいえ話せば答えるものの、ロイは戸惑いと沸き上がる怒りを隠せないでいた。
 それを当然だとでもいいたげに、カーターもまた、むっつりと押し黙ったまま、ハンドルを握り続けた。
 ロイは夢の中のいっさいが、現実に起きたことだったということを考えるのさえ恥ずかしかった。どこまでが夢で、本当はどうだったかは分からないが、いずれにしても超えてはいけない線を、昨夜カーターが踏み込んでしまったらしいのは歴然としている。
 ジムと過ごした夜の次の朝のように、倦怠感が微かに残る身体の内部の変化は、簡単な行いではなかったことを物語っていた。
 そして、そういうふうに理性の塊のような男を自分が誘うかのような痴態を示したのかと思うと、耐えられなかった。
 沈黙を補うかのようにラジオからは映画音楽特集で、聞いたことのある曲が流れていた。
「君は、夢の中でジムを呼んでいたろう?」
 帰路の半分ほども走ったとき、初めてカーターは口を開いた。「そばにいたのは私なのに。やはり君には彼が必要な相手なんだな」
 その話題はもう、聞きたくもなかったが、ロイは開き直るしかなかった。
「……必要…だと思います。ジムがいてくれたおかげで、救われたことがたくさんあった…のは事実だし」
 眉をひそめた顔を横目で見て、カーターはその頭に手を触れた。
「なにも君をいじめるために話題を蒸し返したわけじゃない。ただ、私にそのことをひたすら隠していたのが、少々気に障っているだけさ。どおりで女性の姿が目に浮かばないはずだ」
「隠す意志があったわけではないんですが……」
 ロイは、髪に軽く触れられている手を払うように頭を振った。カーターは横目で見ながら、伸ばした手をハンドルに戻した。
「あなたが誤解されていたから、いいにくくなっただけです」
 ロイは、渋々のように返事をした。当然のことだと今でも思う。ジムと自分がそうなったなどということを、自ら話せるほどロイはフランクな性格ではない。
「怒っているんだろ? 当然だな。私は君の機嫌をとることをしていないだけで、悪いのは誰か、充分自覚しているさ」
「怒って…など……でも、途惑ってはいます。放っておいてもらったほうがよかった」といってから、ロイは唇を噛んだ。「放っておけないほど、俺はおかしかったんですね?」
「好きだと自覚したからに決まってるだろ」
 あっさりといい放ったカーターの言葉に、ロイは顔を運転席に向けた。

「あなたの心には……カイルがいるくせに」
「カイルはカイルさ。生きていたって、同時に二人の人間に心惹かれる場合もあるんだ。ましてやカイルはもういない。忘れたわけでは決してないが、……早すぎるかな? 君が気になって仕方がないというのは……」
 唇を噛み、なにかいいかけたが、ロイはそのまま口を閉ざした。
「正直いって、カイルと同じように君が好きなのかと聞かれると分からない。ただ、今は放っておけない、それだけかもしれないし、そうでないかもしれない」
「よく……理解できません」
 カーターは笑った。
「私にも理解できてないんだよ。だから夕べは必死に自制した。ただ放っておくことができなかった。でもそれを君が知らないままなのはフェアじゃないと思ったんだ」
 どうでもいい、とロイは窓に視線を向けた。処女のティーンエイジャーの女の子のように、大事な一線を越えたかどうかなど、そんなことは問題ではない。
 夢がほとんど現実の感覚だったならば、そしてその名残の感覚が物語ることを考え合わせれば、カーターはロイを陵辱したのだ。
 いずれにしても、狭い密室の空気に押されるように、カーターもいわずもがなのことを口に出してしまった気まずさにラジオのヴォリュームをあげた。
「タラのテーマ」――風と共に去りぬだったか…の曲が流れ始める。
 確か、こんな台詞があったな、とロイはいつか見た映画の場面を思い出した。
「明日のことは明日考えよう」
 でも、今日のことは? とロイはその台詞に反駁した。
 けれども、それについて考えることさえ今は厭わしかった。
 
 

 帰宅して、しばらくするとリュウタロウが現れた。
「なんですって? トレイシーズヴィルまで行ったぁ?」
 恐縮するカーターとロイをじろりと交互に見やって、リュウタロウはかまわずに診察にうつる。
 怒られついでに、昨日具合を悪くしたことをカーターが白状すると、リュウタロウは不機嫌丸出しの声を出した。
「まったく、呆れた人たちだ。カーター少佐も少佐なら、君も君だよ、ロイ」
 申し訳ありません、と謝りながらも、瞬間ロイは、ひどく暗い表情を浮かべた。
 さすがにリュウタロウはそんなロイの変化に、気づいたようだった。
 珍しく、リュウタロウの診察は時間がかけられた。診察、というよりは完全にカウンセリングの形をとっていたために、カーターは外へ出て海岸をジョギングした。
 いろいろと、考えることがありすぎて、結局なにも考えないまま波の音と冷たい潮風に時を忘れた。

 ちょうど戻ったときに、ドクが玄関から現れ、車のところに向かっていた。
「ロイはどうでした?」
 カーターの姿を認めて、ドクは首を振りながら鍵でドアを開けた。ピッとBMWがキー解除を知らせる。
「人混みに酔ったようだと。そのせいで体調を崩し、くたびれたんでしょう」
 リュウタロウは銀縁の眼鏡をちょっと上げて、カーターを見つめた。
「……それとも他に心当たりがありますか?」
 カーターは、昨日の出来事をかいつまんで話した。ロイが取り乱したことから、それに対して自分がしでかしたことまでを。
 リュウタロウは黙って聞いていたが、やがて微かに首を振った。
「あなたの気持ちをどうこういう立場にはない。そのことは自分で対処なさい、少佐」
「すみません。彼がそのことでも傷ついているはずだと思ったので。軽蔑してくださってかまいません」
「軽蔑か……」
 リュウタロウはなぜか自嘲気味に笑い、カーターの肩に手を当てた。
 驚き、責められるだろうと身を固くしていたカーターは、気が抜けたように医師を見た。この医師が、長くロイの主治医であったのは知っているが、もしかしたらそれ以上のなにかがあるのではないか、とふとカーターは思った。
 自分がそうだからというわけでもないが、何となく彼がこれまで親身にロイを診てくれているのは、もしかしたら、と。
 医師は、まるでカーターの考えに肯定するかのように頷いた。
「あなたがいてくれるおかげで、ロイは安心している部分もあるはずなんです。してしまったことは詫びるしかないでしょうが……ただ、今は少し時期が悪い」
「ですね。重々分かってはいたんですが……」
「それにしても、滅入りますね。あの、最初の件以降ロイはさんざん酷い目に遭い続けているんだから、調子を崩すととことん、精神的に不安定になってしまう」
「さんざん……って? あれ以降もなにかあったんですか?」
 最初、というからには次があると考えて当然だからだ。
 はっとしたように顔を上げ、リュウタロウは「守秘義務があるのでいえませんが」と、笑ってごまかした。
「ただね、本人の口から聞いたことでない話ならいいでしょう。彼は、あの時の記憶を洗脳じみた研究で消されかけたことがあるんです」
「洗脳……?」
「そういう試薬を研究していた機関があったんです。極秘でね。ロイのカルテに目をつけた連中は、他の多くの被験者に彼も加えた。まあそんなことや――それから派生したいろいろなことが……」
「それは、ジムがおかしくなったというのと、同じ研究か?」
 知ってるんですか? とリュウタロウは首を傾げた。
「そういったことやなんかで、彼の心はぼろぼろにされ続けている。他にもちょっとそれに関連した出来事があったんです。それを常に立ち直ってきたといのが、信じられないくらいに惨いことがね。それほどの薬を使われても、忌まわしい出来事が記憶から完全にシャットアウトされなかったのもまた、ある意味彼の強さでもあるんだが……」
「結局覚えているわけですか? 過去のことを」
「今はほとんど思い出したようですね。もともとロイへの実験は失敗だった。でも記憶の回路がぐちゃぐちゃに歪められていて、どれが真実でどれが妄想か分からなくなることがあるようで、それで不安感に陥ることになってしまう。日頃はあの意志の力でそれを押さえ込んでいけているんだが……」
 リュウタロウが、珍しく脱力したように呟き、駐車場の彼方に見える海に目をやった。
「早くジムが戻るといいんですけどね」

 何気ない、リュウタロウの言葉に、カーターは顔を向けた。
 もしかしたら彼はロイを好きなのでは、とさえ考えたのに、それどころかこの男は、ロイとジムの関係を知っているのだ。
 医師までもがジムならロイを癒せるといわんばかりなのに、不快な気分を覚える。それが正しいことだと分かっているだけに。
「とにかく、まだ当分は遠出は控えてくださいよ。無理は禁物です」
 分かりました、と見送りながらもカーターはため息をついた。
 十歳くらいの少女がふたり、角を曲がって入ってきて、リュウタロウの車とすれ違った。手に、持てないほど大きな花束を重そうに抱えていて、もうひとりが支えている。
 白い豪華な花束はあまりにも少女たちには不似合いだった。










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後日憚―哀しみの追憶―

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おもちゃ屋探検

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Pは××のP

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ロイとジムの映画評