[砂上の楼閣]of [金の砂銀の砂]

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砂上の楼閣

 カーターは思わず振り返り、意識に引っかかった男の姿を探した。
 男は大きな歩幅で、足早に玄関から出て行くところだった。
 すでに遠目になった後ろ姿ながら、カーターの脳裏に厭なイメージが沸き上がる。こいつは、あのノーフォークのショッピングモールで見た、あの男なのではないか、と思ったのだ。

 ――ペイジ? 
 だが、その姿はすでに玄関を出て、あっという間に人混みに紛れてしまった。そもそも、彼に会ったのは一度だけだし、あれから数年たってもいるので、顔すらはっきりとは分からないのだ。
 本当にそうなのかどうなのかを確認したい気もしたが、今はロイを探すことの方が先決だと思い直し、とりあえずトイレを覗いてみようと踵を返した。
 女性トイレに長い列ができているわりには、男性トイレは人が少ないらしく静かだ。中からふたりの男が出てきて、「あの男、大丈夫かな」などと会話をしながらすれ違った。
 その言葉にはっとして呼び止めかけ、中に入るのが早いとカーターはトイレに飛び込んだ。
 低い車いすから立ち上がるようにして、ロイが片手を洗面台に付き、ボールに顔を突っ伏しているのが見えた。水道が激しい勢いで蛇口から水を落としている。
「ロイ!」
 ロイは、洗面台に吐いていた。
 背中をさすりながら「どうした?」と聞いたが、微かに首をふるばかりで泣き声のような微かなうめき声を上げた。
「ペイジと会ったんだろう? ロイ、あいつがまた現れたのか?」
「気分が……悪くなっただけです」
「大丈夫か? 自分でここへ来たのか?」
 さっきの男のことが脳裏に甦る。
 まさか、連れ込まれたわけではあるまい、と一瞬疑ったものの、考えたらこんな人の多い場所のトイレなど、混雑まではしなくても、ふたりきりになる暇もないだろう。
 現に、年配の男が入りかけて驚いたように足を止め、「大丈夫ですか?」と声をかけてきた。
 カーターはありがとう、と頷き、男は用を足して、いくつか並んでいる洗面台の隅で簡単に手を洗って出て行った。入れ替わりにまた、新たな男が入ってきたが、お互いに無視した。
 左手で流れる水を掬って、ロイは何度もうがいをした。
 それから癇症に唇を水で洗うように拭い続ける。
 嘔吐の後の処置にしては、おかしな行為にカーターには見えた。
 まるで不本意なキスをされて家に泣いて戻ってきたときの妹のようだ、とその様子を凝視した。
「水を買ってきてやろうか?」
 というと、軽く頷き、まだ水で唇を洗いながら、ロイがなにかを呟いた。
 サジョウノロウカク――といったように聞こえたが、はっきりとは分からなかった。

「君さえ良ければ、今夜はホテルに泊まろう。これ以上車に乗るのはやめた方がいいだろう」
 さっきのロビーに戻り、カーターは携帯を取り出しながらロイにいった。
 病院へ行くか? という問いには首を振ったが、これにはロイは逆らわなかった。微かに頷いたまま、俯いている。
 やはり、見た目よりも具合を悪くしているのだろう。
 なるべくゆったり過ごせるように、建って間もない贅沢なホテルに電話をかけたが一杯で、当日入り込める余地などないようだった。仕方ないので、少しランクを落として探した挙げ句、やっと空いている部屋が見つかった。
 手早く予約を取ると、カーターはどこへも寄ることなく、まっすぐにそこへ向かった。

 部屋に入ると、ツインのベッドのひとつに横たわり、ロイは顔を覆うように左手を乗せた。
「……苦しいのか?」と、聞くと「少し」と答えたが、少しにはとても見えないほどになってきているように見える。
 医者を呼ぼうか、といっても首を振るくせに、いつものように「大丈夫」という強がりさえいわない。
 カーターはロイの荷物をかき回し、薬の袋を取り出した。鎮痛剤でも飲むか、と聞いてみると、それをくださいといって水で飲み下した。
「すみません……でした」
 少し、落ち着いたような声がした。
「傷が痛むわけじゃないんだろう?」
 ロイは顔を覆ったままで頷き、「頭痛がするだけです」と答えた。
 やがてカーターの視線を避けるように左側に身体を向けた。
 微かに肩を震わせているようにも見える。泣いているようにも思えたが、まさか顔をあげさせるわけにもいかない。
 まだ、すっかり回復しているわけでもないのに、無理をさせてしまった、とカーターは空いた方のベッドに腰を落とし、為す術もなく見ているしかなかった。
「誰かに……会ったか?」
 躊躇いがちに聞いた質問に、ロイはなにも答えなかった。
 しばらくそうやって、ロイは身体を震わせていたが、やがて静かになった。
 薬の影響もあるのだろうが、車に揺られ、人混みでの疲れも手伝ったのだろう。いつのまにか眠っているようだった。
 メイクされたベッドの上に寝ているので、自分のベッドの上掛けを剥いで、その上に掛けてから、カーターは廊下へ出た。

 ロビーまで下り、喫茶室に入って珈琲を頼んだ。
 頭の中で、あの黒いコートの男のことが頭を離れなかった。
 妹のアンナは学校から帰ったとき、泣きながら水道でうがいをし、何度も何度も唇を擦って洗い流すかのような所作を繰り返したことがあった。
 驚いてなにがあったのか聞く兄に、嫌な男にキスされたのだ、としがみついてきた――
 あの男がペイジで、ロビーで待っていたはずのロイを有無をいわさず車いすを押して階段のある場所へ押して行ったのだとしたら――。
 カーターと間違えて黙っていたか、あるいはそれと気づいても騒ぐのがはばかられたのか、いずれにしても、大した距離ではない。
 そこで、水で唇を洗いたくなるようなことをされたのだとしたら――







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