[トレイシーズヴィル]of [金の砂銀の砂]


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トレイシーズヴィル

 身体のしびれが治まってくると、ロイは枕元の小テーブルの引き出しを開け、剥き出しのまま入れられている写真を数枚撮りだした。
 スタンドの明かりの下で、レクレーションの時に写されたものだ。
 上半身を汗に光らせたジムと、笑っている自分の顔がある。
 ジムはまだ、訓練に出かけてから一度も電話すらかけてこない。かけたくても、かけられないような場所にいるのだろう。
 さっきの取り乱したカーターとのやりとりに、まだ意識が興奮したように動悸がしていた。普段穏やかに生活しているカーターが、時折見せる神経が切れそうな取り乱した様子に触れるたび、ロイはどうしていいのか分からない不安を覚える。

 ――君は、私が好きだったのか? だからここに呼んで住まわせてくれたんだろう? 
 ―― ロイ、いい加減にはっきりしろ。君はジムよりも私を選ぶのか?
 カーターの悲痛な声が、繰り返しロイの胸によみがえる。
 よかれと思っての行為だったにもかかわらず、カーターをこの家に呼んだことが、とんでもないさざ波を立ててしまっていることを、今はロイも自覚していた。
 ジムを不安にさせ、カーターにもまた、何らかの期待を生ませてしまっているとしたら――
 常に熟考して、物事に取り組むよう努力してきたというのに、なんてざまだ、とロイは思った。いや、それだけではなく、自分が本当はどうしたいのか、それすらも分からない。
 病院を出るのではなかった。
 ベッドが足りないなら、どこか小さな病院にでも移れば良かったのだ。
 なまじカーターの手を煩わせるようなことをするから、ますます彼を翻弄してしまっているのだ、とロイは後悔した。
 そうして、そんなカーターに強く反撃できない自分の気持ちがまた、それを増幅していることも分かっていた。
 写真の中のジムの快活な笑い声までが聞こえてきそうで、ロイは写真を胸にかき抱いた。 
 声が聞きたい、ジムと話をしたい。
 ジムにたくさん、話したいことがある。このベッドで抱きしめていてもらえれば、そんなことは他愛のないことだ、と彼は安心させてくれるだろうに。
 ロイは写真を引き出しに戻し、よろよろと立ち上がって車椅子を引き寄せた。

 寝る前に歯を磨いて、皮膚に張り付いたような涙のあとも拭わねばならない。
 トイレを使い、戻ってくるまでにまた、四苦八苦しないといけないと思うと、ため息が出た。ディエゴになら苦もなく頼めることが、カーターには頼めない。
 カーターに支えて立たせてもらうことすら、躊躇いを覚えてしまうのはなぜなのだろうか?
 一人前のことすら満足にできないロイに、今できることはそう多くはない。ましてや幻覚を見て怯えているなどとは、とてもいうことはできない。
 だからこそ、気を強くしっかりしないといけないんだ、とロイは自らに言い聞かせた。
 弱っているカーターを、間違った方向へ進ませないためにも。自分自身が強くあるためにも。
 今日はゲーリーたちのことがあり、酔ってしまっていたせいもあるだろう。だが、自分が普段通りに振る舞うことさえできれば、カーターもまた、余計な感情を呼び覚まさせることなく穏やかに戻ることは分かっていた。
 ロイがカーターにしてやれることは、そういう穏やかな日常を与えることだけだ。
 そのためにも、ロイはことさらに冷静に踏ん張らなければならないのだ、と自分に言い聞かせていた。
 

 翌日カーターは、さすがの二日酔いでふらふらになりながら目覚ましに起こされた。
 熱いシャワーで身体を覚醒させねば、瞼すら開かないほど身体がだるい。
 まだ寝室のドアは閉ざされていたので、ひとりで支度をすませ、家を出ようとしたところにロイが車いすを操りながら顔を出した。
「ロイ……」
 気まずそうなカーターを察するようにロイは頷き、「行ってらっしゃい」と微笑んでさえくれた。
「うん。夕べは……」
「運転に気をつけて」
 いつもと変わらぬ態度に思わず胸が熱くなり、かがんでその額に触れかけ、思い直して立ち上がった。カーターはもうロイの顔を見ることができずにドアを出た。

 午前中の会議が終わって、事務室でパソコンに向かっていると、ゲーリーとコムスキーが現れた。
「カーター少佐、少しいいですか?」
 カーターは椅子を回し、叱られた子供のような表情を浮かべたふたりを見上げた。隣の席の女性士官が興味深げな目線をちらちら送っているので、彼らを促して廊下へ出た。
「……少佐、昨日はいいすぎました」
「コムス、おまえはホイットモアを救出に向かったフォード大尉のあとをついて行ったとき、なにを考えた? ずっとあのふたりを守って救出を待っていたときは?」
 息を飲むように、コムスキーの喉が動いた。
「俺は……」
「おまえもだ、ゲーリー。残りの隊員を頼むといわれて、どんな気分だった? 仲間を救いに行った隊長が死んだと思ったときは? おまえたちの我が儘で、急遽代理に立っただけの隊長が」
「……少佐」
「私のことはいい。概ね、おまえたちのいったことは間違ってはいない。でも、ロイがどうだという話だけは聞き逃すわけにはいかん」
「……すみませんでした、すっかりコネリー大尉に毒されてしまって。俺らも本気で信じているわけではありません」
 しょぼくれて、小さくうなだれているゲーリーを見て、カーターは頷いた。
「ホイットモアが今生きているのは、ロイが決死の覚悟をしたからだ。それだけを覚えていてくれればそれでいい」
 分かっています、とコムスキーがごつい顎を押さえながらいった。
「フォード少佐は…素晴らしい隊長です。三人共に生還できたのはあの人のおかげです」
「……コムスは、最初からそういっていたんです。すいません。他の隊員達もコネリーの話を聞いて動揺しているもんで、俺もどうしてもそこを確認したかった……」
 ゲーリーが俯いた。
 カーターは表情を緩めた。
「おまえたちは優秀な隊員だ。私はそれを誇りに思っている。今後もその誇りを忘れず、仕事に精を出してくれ」
 返事を待たずに、カーターは踵を返した。
 ふたりはなにもいわずに、立ち去る気配もなかったが、かまわずドアをあけて、自分のデスクへと戻る。
 胸がいっぱいで、机に肘をついたまま、顔が上げられなくなっていた。
 隣の女性士官が、そっと珈琲のマグをテーブルに置いてくれ、カーターは彼女に向かって久々に微笑みを浮かべた。

 
 休日だというのに、早朝から目覚めたカーターは晴れ渡った空を眺め、すっかり日頃の出来事など大したことはないという気分にさせられた。
 ぐずぐず考えていたって仕方がない、とすら思える。
 ロイをどこかへ連れ出してやるのも悪くはないかもしれない。だいぶ痛みも減ってきたようだし、もちろん調子を見て、無理がなければの話だが、と思いながらカーターはパソコンのメール画面をチェックした。
 私信が一通、スパムメールに紛れているのを発見し、開いてみるとホイットモアからだった。彼は退院して、トレイシーズヴィルの近くにある実家へ戻ったというので、その連絡とお礼かたがたという文面だったが、後半は荒れている。
 仲間がカーターやロイのことを、中傷がましく責めた件を誰からか電話で聞いたらしい。許し難い、と彼らしい素直なことばで書いてある。
 ホイットモアはジムにも似た、真っ直ぐな気性の男で、カーターを慕ってくれ、今は自分を救ったフォードに心酔している。

 カーターの気配を察したのか、ロイも早々に顔を出し、清々しい顔で挨拶をしてきた。上々の気分らしい。
 ホイットモアの見舞いに行ってみないかとカーターは提案した。
「ドライブ日和だし、気分転換にどうかな?」
 そこまでなら、高速を使えば車で三時間程度で行けるのだ。
「トレイシーズヴィルに行ったことはあるか? 小さい町だが、でかい博物館があるらしい」
 トレイシーズヴィルは、最近になって美術館や博物館を立ち上げ、新たに観光地として人気を呼んでいる。観光客を呼ぶために、遊園地やショッピングアウトレットまで作ったはずだ。
 ホイットモアのことなど、付け足しのように、なんだかわくわくする。
「もちろん、君の体調次第だが」盛り上がっているのが自分だけかと焦ってカーターが顔を覗き込むと、ロイはゆったりと頷いた。
 最近では、もう痛みもそれほど襲うことはないらしく、ロイは行く気になったらしい。
 それなら、とカーターはアラモレンタルに電話をかけ、大きめのセダンを予約して借りにいった。ロイのジープは路面のわずかなでこぼこまでも律儀に拾う、あまり乗り心地のいい車とはいえないのだ。
 少しでも楽なドライブができたほうがいいだろうと、借りてきた車を見せると、ロイは驚き、嬉しそうに感謝の言葉を告げた。
 ドライブインで朝食をとることにして、ふたりは早速出かけることにした。 
 ロイは時折ふっと、なにかを考え込むような気配を見せたものの、すぐにいつもの彼に戻り、食事もちゃんととってカーターを安心させた。

 ホイットモアは、相変わらず元気そうに出迎えてくれ、しばらくおしゃべりをした。
 だが、さすがに仲間に憤ったことなどはおくびにも出さない。ロイに気を使っているのだろう。
 あいにく母が出かけているのでなにもありませんが、と自らキッチンに立ち、ランチをご馳走してくれた。ホイットモアは、話したりなかったかのように、あの時の任務の様子を熱心に語り、カーターもロイも聞き手に回って彼を満足させた。  
「少佐」
 そろそろお暇しよう、とカーターが玄関口へ車いすを押しながら進んでいるとき、後ろをついてきたホイットモアが戸惑ったような声を出した。
「なんだ?」
「……チームに戻ってください」
 カーターは肩をすくめ、「そういう辞令が下りれば喜んでそうするよ。でも多分もうそれは期待できない」と笑うしかなかった。
 ホイットモアも、そうですよねと肩をすくめて見せ、ロイの前まで回ってから「お大事に」「君も」と、お互いに声をかけあった。
 これからトレイシーズヴィルに寄って町を観光するんだ、というとホイットモアは「いいところですよ。母がもらってきた地図をあげましょう」と微笑んだ。

 博物館は、南北戦争時代のさまざまなジオラマや、ネイティヴアメリカンの人形など、それぞれに工夫が凝らされている。
 この地で見つかった宝石の原石や、恐竜の化石まであり、戦争に使われた銃器など、あまり統一されていないなりに、広々した館内は盛りだくさんで、けっこう楽しめた。 
 他にも、渡された地図によると観光スポットは多い。
 古い建築物を移築した建物が集まった、時代劇の舞台のような場所などもあるらしい。
 次の順路は……とカーターが車いすに目をやると、ロイは少し疲れているように見えた。
 ロビーの隅にはたくさんソファが並んでいる
 。今は数人の老人が座っているだけで、館内を見て回る人々は、休むことなど考えもしないらしい。
 そのひと隅に車いすを押していき、奥のスペースに設置してある販売機でカップに入った珈琲を買って、ロイに渡した。
「無理させたな。大丈夫か?」
 他人の見舞いどころではない身体だったことを、つい失念していたとまではいわないが、やはり無理させたのには違いない、とカーターは急に不安になった。
 元気そうに振る舞ってはいても、まだまだ本調子でないのは当たり前だ。
 大丈夫ですよ、と微笑みを返してくれたものの、これ以上は無理はさせられないと判断した。まだ全館を堪能したわけではなかったが、博物館を出ることにしようというと、ロイは首を振った。
「人波に酔ったようで。しばらくここで休んでいます。あなたはもう少し楽しんできてください」
「そんな、無理に見るほどのものでもないさ」
 それでも、どっちにしても少し休んでいたい、というのでカーターはぶらぶらと展示室に戻ることにした。
 あまり、病人扱いされても厭だろうと思ったからだ。
「なにかあったら、すぐに携帯を鳴らして」
「携帯は車の荷物の中です」
 じゃあ、とりあえず15分程度で戻るよ――といったとおり、カーターはあらかたざっと館内を回ってからロビーに戻った。

 だが、新しい休憩客が数人いるだけで、ロイの姿はなかった。
 トイレにでも行ったのだろうか、と辺りを見回し、ソファに座って待つことにした。
 珈琲を買い、飲み終えたところで時計を確かめる。
 自分と入れ違いにトイレに行ったとしても、少し時間がかかりすぎている気がしたのだ。人混みを考えても、混雑はしているのだろうが、気になった。なんだか厭な予感がして立ち上がる。
「すいません。ここに車いすの男がいませんでしたか?」
 すぐ近くに座っていた、かなり年配らしい白髪の女性が首を振った。だが、その先にいた白い髭の男が見たよ、と声をかけてきた。
「連れの男が来て、その階段の隅に連れて行ったような気がしたけど、違ったかな。私はパンフレットを見ていたから、確かじゃないけど、なんか黒っぽい服を着た……」
 カーターは立ち上がり、柱の向こうの階段のスペースまで行った。
 車いすも、ロイの姿もどこにもない。
 ふと、柱の影に珈琲のカップが転がっているのが目に入った。
 中身が少し零れて、大理石風の床にシミができている。
 右往左往している客たちの合間を抜け、あたりを見回すが、カーターに黙ってひとりで鑑賞にもどったとは思えない。
 そして、カーターはすれ違った。
 黒いコートを着た、背の高い男と――






硝子の破片

哀しみの追憶

後日憚―哀しみの追憶―

観客

おもちゃ屋探検

おもちゃ談議

キャンディーバー

Pは××のP

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金の砂銀の砂第二部

金の砂銀の砂第三部

僕が彼を憎んだわけ

ロイとジムの映画評