[ヴァージニア]of [金の砂銀の砂]


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ヴァージニア

 リトルクリークの基地は相変わらずだ。
 たくさんの建物の中には、遊技関係の映画館や本や、スーパーなどまであり、食材やレストランにも不自由はしない。膨大な敷地の海側には、鋼鉄でできた船影が虚像のように黒く浮き上がっている。
 一般の船舶関係者の敷地のずっと奥にある一角が、SEALSのものだ。
 受付から各専門部署の事務関係の人々。
 武器弾薬の担当者や、運営に関わる者。見知った顔、見知らぬ顔。
 たった半年しか留守にしていなかったというのに、異動があったばかりで顔ぶれはいくつか変わっているらしい。変わらないのはチームのメンバーだけだろうが、それでも否応なく減っていくことをカーターは知っている。
 もちろん、チームの面々はここにはほとんど顔を出すことはないから、会いたいなら彼らがたまっている場所へ出向くしかない。
 知った顔には挨拶をし、見知らぬ顔には名前を名乗りながら、各部署を右往左往する人々の間をくぐり抜け、カーターはバーク准将の個室のドアの前に立った。
 ドアは三分の一ほども開いており、准将がなにやら書類に目を落としているのが見えた。

「ノックノック」
「おお、君か」
 ずり落ちかけた老眼鏡をはずし、書類を置いて、バークは立ち上がった。
「元気そうだな」
 住まいはどうした、と聞かれてロイの家に居候を決め込んだと伝えると、バークは目をまん丸にした。
「珍しいな。あれがそんなふうに、人を受け入れるなんて」それから、遠い目をしてふふっと笑った。
「ロイは、君がお気に入りだったものな。……その、あれが壊れかけた頃のことだが。君たちはあれから仲が良かったんだろうし」
「いえ、いうほどあれから一緒に過ごしたわけではないんですがね。――その、彼の秘密を自分が知っているというのも気まずかったし、もともと打ち解けた関係じゃなかったんで」
 バークはそうなのか? と小首を傾げた。
 確かに彼からすれば、あれだけ親身に共に暮らしたにもかかわらず、ロイが正気に戻ったとたんに距離ができたなどとは、信じられはしないだろう。互いに必要な関係ではなかったというのが一番近いだろうか。だから、ロイの申し出は、カーター自身が一番驚いてもいるのだ。
「なんだか分からないけど、好意に感謝していますよ。これでしばらく異動はないでしょう。長く住むことになるなら、気に入ったものを探したいですから」
 バーク准将はちょっとカーターの顔を見つめ、それから「カイルは残念だった」と悔やみを言った。
 カイルがいかに優れていたか、あまりにも悲惨すぎた短い命をどれほど無念に思っているかなどを慰めのように語り、それから話題は仕事の内容へと移っていった。
 しばらくはバーク准将の、SEALSと上層部との間をつなぐ役目を補佐するという立場になると、彼は伝えた。
「ちなみに、まだ、現役でやれそうと思うか?」
「訓練学校で、体力だけは若者並みに維持できてはいますけどね」
 カーターがおどけたように言うと、バークはうなずいた。
「とりあえずは、デスクワークだ。でも、鍛えておけ。パソコンの扱いに問題はなかったな?」
「私のパソコンは、オタク気味ですけどね。オタク並みと言わないところを汲んでください」
「それは、オタクを尊敬していると解釈していいのかな?」
 バークは笑った。
「なにごとも、夢中で取り組む人間っていうのには叶わないという意味です」
 准将と握手をして、外へ出ると、かつての自分のオフィスの前を通りかかった。
 今のカーターには個室はない。ここは今ロイが使っているはずで、ロイのものだったオフィスは、カーターの後釜を勤めてくれているコネリーという大尉の部屋になっているはずだ。
 そういう、はっきりした身分の証はどこの世界にも存在するが、軍というところはそれが極めて顕著だ。
 ノックをすると、どうぞ、という控えめな返事が返ってきた。

「ロイ」
「ああ、カーター少佐」
「すまん。ここでは、フォード少佐と呼ぶべきだな」
 ロイは珍しい笑みを浮かべ、どっちでもかまいませんよ、と椅子を勧めてくれた。懐かしい狭いだけのオフィスの一隅には、豪華な模型が飾ってあった。
 かつてカーターが、ジムや幼くなってしまったロイとともに創ったものだ。それを、ここを去るときに、部屋と共にロイにもらってくれるよう頼んだままに、威風堂々たる空母の姿でそこにあった。きちんと大切にしてくれるとは思ってはいたが、それは誇りひとつ被ることなく管理されているようだ。
「ロイ、帰りの足は当てにしていいかな?」
 今朝、ロイのジープに乗ってきたカーターは、帰る足がない。家を借りる前に、車の調達が優先事項かもしれない。
「もちろんです。帰りにスーパーによりますが、かまいませんか?」
「夕飯の買い物をしないとな」
 カーターは、なんだかひどく嬉しくなって微笑んだ。

 ロイ・フォードは霞を食って生きているのではないかと、心のどこかでカーターは思っていたらしい。
 この男が、きわめて真剣な表情を浮かべて食材を吟味しつつ、カートを押して歩くスーパーの店内で、カーターは黙って後ろをついて歩いた。口を開いたが最後、爆笑してしまいそうだったからだ。
 日付の確認、製造場所の確認、カロリーや栄養成分をいちいちチェックしているのか、ロイはひとつの商品のラベルを確認しては、納得がいかないと、隣の商品と比べ始める。 それでいて、それほど時間をかけているわけでもなく、仕事中と同じく、無駄のない回転をさせているらしい脳みそを総動員しているのだろう。
 ロイはあまり多くは語らない。
 そういう人間は、身近に数人はいたりするものだが、大抵は気詰まりな雰囲気に陥りがちだ。だが、カーターはこの男の沈黙が嫌いではない。
 この男が黙っていても――たとえ仏頂面といった面持ちでも――醸し出す雰囲気が柔らかだと気付いたのは、いつ頃だろう?

 カーターは彼が自分の質問に、イエスと答えた時のことを思い出した。
「君には恋人がいるか?」と、質問した時のことだ。
 躊躇いもなく、ロイはイエスと――そういう私的な質問に、素直に返事をするとはと意外に思ったほどに、平静に答えた。
 あれは、確か仕事とカイルの寄せる恋情に、度を失うほど、悩んでいた頃のことだった。
 そして、自暴自棄になって無茶をし、倒れて死にかけていたカイルの枕元で、カーターは非常招集に応じなかった。
 その時、ロイはカーターを探しに来た。招集を免れるのは、よほどの事情がないと不可能だ。
 私はいけないと――“恋人”が死にかけているんだ、と昏睡しているカイルの枕元で、わざとカーターは彼に告げた。
 だがそのとき、ロイは今と同じようにクールな顔をして、それでいて柔らかな雰囲気を湛えていたことを思い出す。驚いたふうもなく。
“少佐が病気と言うことにしておきますから。診断書の偽造をお忘れなく”
 そういって、ロイがカーターを見逃してくれたのが、ひどく意外だった。
 ルールを曲げず、何よりも秩序と仕事を重んじる――この男が迎えに来た以上、任務へ赴くことを余儀なくされると思っていただけに……。
 あるいは、“恋人”というのが、誰のことを指したのか、お堅いこの男にはぴんとこなかっただけかもしれないが。いや、いくらなんでもそれほど鈍い男ではないはずだ……。

「そういえば、君は恋人がいるはずだったな?」
 ピーナツバターの瓶を手に取って、中身を確認しながらカーターはロイに聞いた。「無粋なことをしたんじゃないかな? 私が居候していると、彼女が家に来にくいだろう?」
「週末にしか会いませんから。大丈夫です」
 無意識に、自分の眉があがった気がした。余裕のある返事に、ずるいぞ、とカーターは呟いていた。
「ずるいぞロイ、自分だけ。私を追い抜いて大人になろうったって、そうはいかないからな」
 カーターが首に腕を回してヘッドロックをかけると、ロイは声を立てて笑った。
「デイン、おいくつです? 俺だってもう二十七だ。いくつになったら、大人のふりをしても許していただけるんです?」
「残念ながら私はとっくに三十を超えたさ。けど、頭の中身は君より若いからな、たぶん」
 ロイの靴のかかとが滑り、よろめいた拍子にふたりは尻餅をついた。ついでにカーターは足を腰に回して羽交い締めにした。ロイは「少佐、離してください」と、腕に首を巻き付かれたまま笑っている。
 不意に、カーターの中にかつての感覚が蘇った。

 かわいらしい口調で、カーターに甘えてきた身体を洗ってやったり、トイレの世話までしてやった、幼いけたけたした笑いを漏らすロイが――。
 方々からさんざんぼろぼろにされて、ロイが正気では耐えられずに現実から逃避するように記憶を逆行させ、痩せ衰えていった身体を癒したあのときのように、後ろから感じる躰の痩せた触感は、それほど変わったようにも思えなかった。
 ただ、しっかりと力が漲っているのは分かるし、筋肉の厚さも歴然とした違いはあったが。
 棚の角を曲がってきたご婦人が、ふたりの様子を見て、あわててUターンした。いい年をした男たちがこんな狭い通路でプロレスごっこをしていることに、咎めるような視線が痛かった。
「いい加減で立たないと、さっきのご婦人が警備員を連れてきますよ」
 ロイは、やっと立ち上がると転がったピーナツバターを掴み、まじめな表情を向けた。「粒入りがいいんですね? だったら、ここのより、こっちの会社のほうが添加物が入っていない」と確認してから、新たに棚から出した瓶をカートに放った。
「国の許可した基準内なら、添加物は問題ないだろう?」
「複合汚染、という危険を考慮にいれるべきです」
 その生真面目な物言いに、とうとうカーターは堪えきれずに座ったまま、爆笑した。

 毎夜、カーターはロイとの時間を静かに過ごす。
 病人であったカイルとでさえ、これほど静かな時を過ごした覚えはカーターにはない。
 テレビもつけず、僅かにCDから聞こえる穏やかな音楽のみで――静かな旋律のピアノクラシックらしかった――それさえも音は微かなほど小さく、ロイは大抵ソファに座って本を開いている。
 大きなソファの真ん中を開けて、端と端に陣取り、並んでいるようで、気詰まりでもない距離は悪くはない。
 テレビをつけてかまいませんよ、と言われてはいるが、別に見たいものがあるわけでもない。
 空港で買って読みかけていたペーパーバッグを、ロイの読書に合わせるようにして読み続けていたが、カーターの分厚いキングの小説はすでに読み終えてしまって、今夜は手持ち無沙汰だった。
 新たな本を買いに書店にいかねばならないなと、カーターは名残惜しく本をぺらぺらとめくったが、諦めてそれを置いた。
 書棚に立って、ロイの蔵書を目で辿りながら、ほとんどが仕事に関連した書物であることに感心する。どれか借りて読もうかと本棚に向かったものの、余暇にまで勉強する気にはならなくて手を引っ込めた。
「君の趣味ってなんなんだ?」
 ロイは本から顔を上げ、ちょっと考えてから「ありませんね」と肩を竦めて見せた。
「なにもか? さては、仕事が趣味ですとか言うんじゃないだろうな? それを言ったら、またヘッドロックをかけるぞ」
 さっきのスーパーでのことを思い出したらしく、ロイが笑い出した。
「まあ、編み物を少々」
 カーターは目を剥いた。
「ばかでかいベッドカバーを制作中です」
 くつくつと笑っているので、やっと冗談だと分かった。
「呆れたな、君もそんなくだらない冗談を言うわけだ」
「趣味がないなんて、人間じゃないみたいな目で見るからです。俺はそれがコンプレックスなんだ」
 コンプレックス? と聞き返してロイの横に座ると、彼は読みかけていた本に栞を挟んでテーブルに置いた。
「おもしろみがないと、いつも言われてますから」
「恋人に?」
 ロイはちょっと照れたような表情を浮かべ、目を逸らした。図星らしい。
「誰からもです。ビリーや、ポールや、俺のいとこや友人みんなで、そのことで俺を虐めるんだ」
 ジムの名前が出なかったなと、カーターは漠然と思った。
 どうやらジムはそんなことでロイを虐めたりはしないのだろう。あの男だけは、全面的に彼の崇拝者なのに違いない。
「日々勉強をしているなんて立派なことさ。さっきはああいったが、それで楽しめるなら仕事も立派な趣味には違いない」
 楽しくもないんですけどね、とロイは笑ってとりあわない。
「君は小説とかは読んだりしないのか? つまらないか? そういうのは」
「そんなことはありませんよ。ただ、その手の本はハードカバーで買ったもの以外は、すぐに処分しないと、本棚に入りきらなくなる」
 そのハードカバーなんて、どこにもないじゃないか、とカーターは心の中でくさした。
「なあ。私がいたら、窮屈じゃないか? 部屋へ退散したほうがいいなら……」
「だったら、最初からお呼びしません。俺は好き勝手にやってますよ」
 まあ、そうなんだろう。それならいいんだと呟きながら、カーターはラップトップの電源を入れた。ここへ来てからはまだ、一度もこれを立ち上げず、リビングに置いたままにしていたものだ。
「かちゃかちゃやっても大丈夫か?」
「書類作りでも?」
 興味深いふうでもなく、ロイが穏やかな目をパソコンに向けた。
 カーターはちょっと微笑んで、「小説を書いてみている」と呟いた。
 言っただけで頬が火照るほど、なんだか恥ずかしいことをしている気がした。














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哀しみの追憶

後日憚―哀しみの追憶―

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おもちゃ屋探検

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Pは××のP

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金の砂銀の砂第二部

金の砂銀の砂第三部

僕が彼を憎んだわけ

ロイとジムの映画評