[葛藤] of [金の砂銀の砂]

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葛藤

「今日はいよいよ少佐が来るぞ」
 すでに、何度か口にした言葉を、ジムはまた呟いた。
 朝起きるなりの、ベッドの上での第一声に、ロイはため息をついた。
 カーターが、この基地に戻ってくるという辞令が早速におりた、その週の週末のできことだ。
 今日は、おそらく午後には彼が到着するだろう。そう連絡を受けていた。
「俺の家に来られませんか?」と、ロイがカーターにいったことで、彼はしばらくここに住むことになるのだ。

 あの、カイルの葬儀のあと帰りの飛行機の中で、ジムは「なんでなんだ?」とさんざんにロイを問い詰め、ロイは「なんとなく……口がすべった」と答えた。
 なんとなく口が滑っただって? とジムは呆れ、ホテルが嫌なら軍の宿舎のいい部屋をあたってみたらどうだ? とか早急に短期滞在型のアパートを探してやろうとかと提案し続けて、とうとうロイは見るからに不機嫌そうに目を閉じ、飛行機の中は険悪な空気になってしまったものだ。
 ジムはロイの家に住みたいと、つきあい始めてから何度も頼んだのに、それは未だに叶えられてはいない。
「俺にはひとりの時間が必要だ」というのがロイの理由だったが、納得したわけではない。それでも、仕事がない週末には日曜の昼までたっぷりとジムと過ごしてくれることが分かってからは、もうそのことを持ち出すことは遠慮し始めてもいたのだ。
 どうしてひとりの時間が必要な男が、それほど親しくつきあい続けていたわけでもない上官を家に住まわせることになったのかが、ジムを苛立たせている原因ともいえる。
 カーターが来るまでの一週間、ジムは悶々と過ごし、そして金曜の夜からここに泊まり込んでいる。

 ロイにしてみれば、根っからの善意であったにもかかわらず、なぜ俺が責められないといけないんだ、と不機嫌そうに毛布を被ってしまった。
「おまえの家が広ければ、おまえの家でもかまわないんだぞ。でも、宿舎は味気ないだろう?」
 厚い布越しに、ロイの呟くような声がした。
 それから僅かに顔を出し、ジムの瞳を捕らえると申し訳なさそうに続けた。
「でも、あの葬儀のあとの料理を見たか? 泣くこともせず棺の前に立っておられた姿を。少佐は今、平常じゃない。誰かと一緒にいるのがいいんじゃないかと、俺はなんとなくそう思っただけなんだ、ジム」
 ああ、とジムは素直に頷いた。
「確かにそうだよな。大人げないことをいってすまなかった。だったら最初からそういってくれればいいのに」
「だっておまえはフロリダからずっとへそを曲げっぱなしだったじゃないか」
 そういわれてしまうと確かにそうなのだが、そもそもあんたの言葉がいつも足りないからだ、とジムは心の中で毒づいた。
 けれども、実に単純なことながら今、ジムはすっかり満足して久々にゆったりした気分でもあり、素直に詫びた。
 しばらくはここで寛ぐことができないのだからと、昨日も、その前の金曜の夜も、ジムはロイを堪能し尽くしていたといってもいい。
 それがジムを天使のような心にしてくれている。
 ロイもまた、いつものように「いやだ」ともいわず、ジムのするままに身を任せてくれていたのだ。
「すまなかった、ロイ。あんまり意外だったから驚いただけだ」
「そんな、人を冷血漢みたいに思っていたわけだな、おまえは」 
 大きなため息をついて、ロイがやっと毛布から顔を出した。

 まぶたのあたりに疲れが残ってるみたいだな、とジムはその小作りの顔を見つめた。
 今回ジムはちょっと常軌を逸しているといってもいい。
 すでにロイはくたびれ果てて、朝食の時間すらも目覚めずに、たった今起きたばかりだったのだ。
「シャワーを浴びたい……」
 ロイはふらついた足取りでドアを開けて出て行った。寝室の向かい側にあるバスルームの扉がぱたんと音を立てて閉じられるのが聞こえた。
 金曜の夜から、何度あのバスルームに往復したかな、とジムは指を折った。
 くすくすと笑いが漏れたが、さすがにロイが気の毒でもある。
 土曜日は、朝から一日中家に閉じこもっていた。
 今までだって平日はふたりでこうしてベッドに入ることはないとはいえ、今夜からここに別の住人が住むという悶々とした気分に押されるように、ジムはロイを離さなかったのだ。
 だからといって一日中、ベッドにいたわけではもちろんない。いくらジムでもそんな悪魔のような体力はないが、ロイはさぞうんざりしていることだろう。
 夕べとうとう、かんしゃくを起こして「客が来るというのにまだ、家の中を掃除していない!」と騒ぎだし、ジムを手伝わせてあまり散らかってもいない家中を徹底的に掃除した。
 それを済ませると、やっと安心したらしく、あとはジムが主導権を奪い返して今朝に至る。

 うっとおうしい、とかもういやだ、といつもならごね始めるのにそれもなく、ロイは黙ってジムのいいなりになっているように見えた。
 おそらく、自分の口が滑ってこういう事態になって、想像もしていなかったほどジムが精神的に揺れたことで、ジムを気遣っているのだろう。
 夕べ寝る前にシャワーを浴びたものの、手持ちぶさたでジムもバスルームへ入っていった。
 けだるげにお湯にかかっていた姿が、ちょっとだけ緊張したように見えた。
 ジムはタブに入り、ロイの後ろから抱きしめるように腕を回して一緒に湯を浴びた。
「……待て、すぐ代わるから……」
 といいかけたロイにジムが耳元でささやいた。
「俺も一緒に住んではだめかな?」
 だめだ、とロイはにべもなく答える。
「なんで駄目なんだ? お客用の部屋で大人しくしてるから」
「うそだ。ぜったいおまえはそれだけでは我慢できなくなって……」
「我慢する、するから。少佐が住むなら俺が住んでもいいだろう?」
 口とは裏腹に、またジムがロイの肌を撫で始めると、ロイは露骨に眉を顰めた。
「……どうしてそう、こだわるんだ。少佐がいたって別にかまわないだろう? 住んでもらうのは二階だ」
「でも、いくら二階でも、ここでこうしてあんたと会うことができなくなる……と思うとついな」
 ジムが口を尖らせると、「週末はおまえの家に行くから」と、ロイが呆れたようにいった。いつもなら死ぬほど嬉しい言葉には違いないが、それよりも大きな望みを抱いている今、ジムは中途半端な笑顔を浮かべた。
「そうだな。けどやっぱり毎日一緒に住めるというのは、なんだか羨ましくて」
 ロイはひくり、と身体を揺らし、首をねじってジムをにらんだ。ジムが仕掛けている手首を掴み、放り投げるようにその手を払った。
「ジム、もう…いい加減にしろ。午後には少佐が到着する。さんざんおまえの我が儘につきあって、くたくたなんだ」
「いや、それは分かってる。どれほどあんたが寛大に接してくれたか驚いているほどだ」
 ジムはまじめな顔でいった。「けど、また一週間あんたを抱くことができないんだ。掃除は昨日念入りにしたし、少佐が来るまで……」
「……ジム!」
 怒ったような声にも動じず、ジムはなし崩しにロイを溶かしていく。
 熱いシャワーがふたりに降りかかり、ロイの苦しげな、けれども確かに甘い吐息がその音に混じった。

「カーター少佐!」
 ロイのビーチハウスの駐車場代わりになっている草地に、タクシーが乗り込んで停車すると、ジムが迎えに家から出てきた。
 相変わらず仲がいいらしい、とカーターは唇の端を上げた。
 常に、ロイのいるところにはこの男がくっついている。
「ジム、まさかおまえの部屋もここにあるんじゃないだろうな?」
 カーターが聞くと、ジムはありますよ、と笑って旅行鞄をタクシーのトランクから出した。手に持っていた、小型の鞄までを取り上げ、両手に軽々と提げて歩き出した。
「お泊まりをせがむと、俺が放り込まれる部屋ならね。週末飲んだくれても、そのまま眠れるように、勝手に着替えまで置いてますよ。リビングのソファで寝潰れると、翌日まで片付けられないとか文句を言う家主がいるんで」
 そうか、とカーターは笑い返したが、本当はもっと深い理由で泊まっているんじゃないかと僅かに疑わないでもない。
 ジムのロイへの執着の仕方は、充分に知っているし、以前ロイに関わったときには自分自身が初心だったものだが、カイルという男を愛してきた経験を積んでみると、ジムの愛情もまた、それではないかと感じ始めてもいた。
 ただこの男を、かつて男によって傷つけられて死にかけたロイが、肉体的に受け入れられるとは思えない。
 それに、そういう間柄なら、ジムを差し置いてカーターがここに一時的にとはいえ、滞在することはこの男には愉快ではないだろう。
 それに確か、ロイには恋人がいたはずだ。名前も顔ももちろん知らないが、そう聞いた覚えがあった。
 ロイは今や結婚だけでなく離婚経験者であり、ちゃんとした新しい女性がいるのだろう。
 ジムとロイの関係をそんなふうに疑うなんて、すっかり、男同士の関係を当然のものとして受け取ってしまっているらしいな、とカーターはひとり胸の中で嗤った。
 ジムがカイルと自分との関係を、どう思っているかを聞いてみたい気もした。
 もちろん、ロイの反応も――。

「ようこそ、少佐」
 ロイが、ベランダのドアを開けて、待っていた。駐車場から玄関へ向かうより、ベランダからの方が近いせいか、ジムもロイもこちらを使うことが多いらしい。
「お言葉に甘えてしまうよ。すぐにアパートかなにか借りるから」
 以前の借家には当然、すでに人が入っているらしい。でも、できるならかつて住んでいたあたりがいいと、不動産屋にはすでに電話で頼んでいる。ここからさほど遠くはないが、ここよりももう少し基地に近い。
「少佐、まずお部屋へ案内します」
 先に立ってリビングを素通りするロイの後に続くと、バッグを持ったまま、ジムもついてくる。
「ロイも少佐になったことだし、まぎらわしいな。ふたりとも昔みたいにデインと呼んでくれないか」
 ロイの背中が、沈黙した緊張を漂わせたように見えた。
 ゆらっと一瞬、だけだったが。
 ジムが後ろから指でカーターの背中をつついた。
 そうだ、ジムはともかく、ロイは自分をファーストネームで呼んでいたわけではない、とカーターは唇を軽く噛んだ。
 彼がそう呼んだのは、彼自身の記憶がない間……。
 分かりました、デインと呟くようにいいかけて、ロイは階段に躓いて手をついた。
「なにやってる?」
 日頃落ち着いた男の、ちょっとさえないミスに笑いながら腕をとると、ロイは少し戸惑ったように立ち上がり、笑って見せながら上がっていく。
 心なしか、青ざめているようにすら見える顔色が気になったが、もともと白い抜けるような肌をしているせいで、そう見えただけかもしれないと、カーターは後に続いた。
「大丈夫か? ロイ」
 背後からジムが心配そうに声をかけたが、ロイからの返事はなかった。不思議な空気にカーターは首を傾げた。黙殺されたかのようなジムもそれ以上なにもいわない。喧嘩でもしたのだろうか? となんとなくロイの背中を見た。

 ロイはひとつの部屋のドアを開けた。
「この部屋です。なにもない部屋で申し訳ないんですが」
 二階のつきあたりの広々とした部屋は、使ってないなどもったいないほどの光が差し込んでくる。窓は大きくはないが、天窓があるのだ。
 簡易ベッドに、小さなテーブルのみの広くはない部屋だが、クローゼットは大きそうだ。ホテルのツインルーム程度はあるのだから、文句はない。
「いい部屋だな。ものがなければ片付けもしやすいし、どうせわずかの間なんだ」
「普段はリビングでお過ごしください。バスルームは二階にもありますし、階下のものを使われても差し支えありません」
 ジムがトランクをとん、と置いた。
 客用のベッドはセミダブル程度で、清潔にメイクしてある。
「荷物を置かれて、落ち着いたら下のリビングへ。珈琲でも淹れましょう」
 ロイは、そのまま踵を返して廊下へ出て行った。ジムも後に続きかけて、戸口のところで振り向いた。なにか言いたげな顔に目を向けると、ジムは思い直したように黙ってドアを出ようとした。

「ジム。さっきの話はまずかったかな?」
「……デイン」
「そうだったな。つい……。やっぱりなにも覚えてないのか?」
 それは、ロイの屈辱的な過去に関連していることだ。
 カーターが聞くと、ジムは「いや、思い出したようだ」とあっさりと答えた。
「自分が幼児並みに、逆行してしまってたというのも分かっているのか?」
 詳しくはね、どうだか、とジムが両手を挙げて肩をすくめた。
「どういう形でだか知らないけど、ある程度は思い出しているらしいのは分かってます。けど、それについて話をちゃんとしたことはないんですよ。あの人にしてみれば、とんでもない記憶なわけだし。ま、もう昔の話だとは思うんで、問題にすることはないとは思いますが、こっちとしてはなんとなく気遣っちゃいますね」
「この部屋が君のお泊まりの部屋なのか?」
「いや、隣にもうひとつあります。二階の家具は、ほとんどが前の住人が残したままらしくて。子供部屋だったみたいで隣は机までありますよ。古いけど、ベッドのスプリングは上等だ」
 先に下りています、といい残したジムの足音を聞きながら、カーターはカバンを開けて、中身をベッドに並べ始めた。
 衣類の中に入れていた写真立てを取り出し、それをテーブルの上に置く。
 現役時代を知るものなら、誰だか分からないほど変わってしまった、やつれ果てたカイル・デミの笑顔がそこにあった。
「カイル、おまえはもう神さまに会えたのか?」
 カーターはしばらくそれを眺め、なんだか力が抜けたような身体をベッドにのばした。

ジムは階段を下りながら、階下から漂う珈琲の香りに鼻をひくひくさせた。
 ロイにさんざんぐずぐずごねてはみたものの、本心ではカーターがこの地に戻ってきてくれたことは嬉しくもある。
 カーターは、一週間前に会ったときに比べると、多少痩せたようにも思えた。
 にこやかな微笑みを浮かべ、これまでと変わらぬ態度でありながら、葬儀のあとたったひとりであのカイルと暮らした家で、さぞつらい思いをしたのだろうと思うと、やはりロイの今回の申し出は良かったのかもしれないと思った。ただ――
 二階に案内しかけたとき、ロイが不意に階段に躓いて手をついたことで、ジムはひやりとした。さすがにほんのついさっきまでのことが身体に堪えたのかもしれない。「大丈夫か?」と声をかけたが、ロイが黙殺したことを考えても間違いない。
 怒ってるな、と内心がっくりと落ち込みながら、どうしてこう自分は歯止めが利かないのだ、と猛省する。
 この家にジムが泊まり込めば、絶対にカーターの目を盗んでロイの寝室をノックしてしまうといったロイの言葉は、さすがにジムという人間をよく知っている。我慢できなくなって、キスだけでいい、キスをすれば少しだけ肌に触れたい、そして――と考えると、ジムは悄然となった。
 週末になったら、ジムのアパートに来てくれるといっているのだから、ここは大人しく待つべきだろう。ここまでロイが気を使ってくれているというのに、これ以上図に乗っては、本気で嫌われてしまうかもしれない。

 カーターは、普段穏やかな質のいい将校だ。
 制服の似合う長身の姿は、誰が見てもほれぼれとする。
 それでいてどこか抜けたところがあり、笑い出すと止まらないところもまた、ジムにいわせれば愛すべき部分だ。
 ジムが知っているカーターは、男同士で愛し合うというようなことに興味はなさそうだった。極めてまっとうな道を歩いているように見えたが、実際には女性に振られたことで傷つき、あまり結婚などには興味がないともいってはいた。
 それでもたまに女性とつきあっているのを見聞きしてもいたし、そういう真っ直ぐな男なのは知っている。
 だから、半死半生の目にあったカイル・デミという部下を家に住まわせていると聞いたときも、またお人好しの虫が出たらしい、とほほえましくすら思っていた。
 なのに、その彼を連れ、カーターは理由も告げずにチームを辞めてフロリダへ渡ってしまった。
 カイルは、明るい性格ではあったが、同じチームにいた頃からあまり自分のことをさらけ出す方ではなかった。
 カイルに身内がいないことは知っていたが、恋人がいたのか、どういう私生活をしているのかまでは、さすがのジムもよく知らないままだった。
 けれども、あのカイルと「あの」カーターが自分のように互い――同性を愛しているなどというようには、ジムには考えられなかった。

 こうしてぐずぐずとカーター分析をしているのは、要するに彼が「ライバルにはなり得ない」と確認したいがためだ。カーターは、間違いなくジムの存在を脅かすような男ではない。だから余計な嫉妬などを起こして、これ以上ロイを追い詰めないようにしなければ。
 すべて取り越し苦労だ、とジムは思っていた。
 そう、その予感はわずか数日ではっきとした疑惑に変わったのだが。













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