[嫉妬]of [金の砂銀の砂]

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嫉妬

 一度一緒に家に戻ったものの、ロイは電話で誰かに呼び出されてすぐに出て行ったまま、なかなか戻ってこなかった。
 夕べのことが脳裏に甦ったが、まさか自分に対して危機を感じたからというわけでもあるまい、とカーターは思った。
 寝ぼけたかどうかはともかく、ひどく取り乱してロイにキスをしたのは間違いないが、それが原因とは思えなかった。
 恋人との週末の逢瀬がなかったために、おそらく日頃とは違う日程でデートをする羽目になったのだろう。それだけのことで、大の男が戻らないからと気を揉むことはない。

「今夜は戻らないので」と連絡があったのは、だいぶ夜が更けてからのことだった。
 掠れたような声に、また風邪でもぶり返したかと聞きかけたカーターに返事をする余裕もないかのように、慌ただしくおやすみなさい、と告げて電話は切れた。
 電話の傍らに人の気配がしたのは、気のせいでもないはずだ。
 おそらく、ベッドの中からかけてきたものだとカーターは思った。
 ペーパータオルを掛けて並べておいた料理を冷蔵庫にしまうために、カーターはキッチンへ行った。誰かのために料理を作り、苛々しながら待つということは久しくなかった。
 ロイが戻るのを無意識に待っていたようで、こんな夜更けまで眠れなかったのがばかのように思えた。
 そもそも、夕食はいりませんと出がけにロイはいっていたのだ。
 ラップを取り出して皿にかけようとしたのものの、思い直してゴミ箱へ捨てた。
 今頃ロイは、ぬくぬくとしたベッドの中で、幸せな時間を過ごしているのだろう。誰かを腕枕でもして、そっと頬にキスでもして――

 左脳がそう考えている傍らで、右脳が違うイメージを作り上げる。
 腕枕に頭を乗せているのはロイで、たくましい身体がぴったりと寄り添っている。帰らないと、というロイを無理矢理引き留め、帰さない、と囁いているのは、ジムの姿だった。
 そのイメージを振り払うように、カーターは頭を振った。
 けれども、それは自分が今、正直思い描いている場面であることを否定はできなかった。
 今日の昼間、ジムにロイとキスをした話をした。
「……好き……なんですか? あなたはロイが」
 ジムの瞳の中に浮かんだ、あの色はなんだったんだろう。ロイはロイの心の中を、あるいはカーターはカーター自身の心の中を探った方がいいとジムはいった。嫉妬に狂っているというそぶりは見せなかったが、内心気が気じゃなかったのかもしれない。
 ふたりはつきあっているんじゃないのかと、パズルを組み立てるように推理したばかりなのだ。
“あの人の心の裡は読みにくい”というようなことを、ジムが呟いていたのも。
 そのロイの心の裡を知るために、ジムが呼び出し、そしてなし崩しにあの強い力でロイを……。
 帰るつもりだったからこそ、ロイは深夜になるまで連絡をしなかったのだ。帰ることができないほどの力で、阻止されたとしか思えない。
 だとすれば、カーターは大変なことをしてしまったのかもしれない。ふたりに申し訳ない、という気持ちとは裏腹に、猛烈に激しい感情がわき上がった。
 嫉妬している――と、その激しい動悸すら伴うような激情に、答えを見いだして愕然とした。

 女性ならば仕方がない、とどこかで思っていたのだ。
 あたりまえの幸せを掴んで、まっすぐに祝福に囲まれて暮らしていくロイに、なにかの口出しなどできはしない。
 だが、相手がジムだとするならば……ならばどうだというんだ、とカーターは自分を問い詰めた。
 つい先日まで、いや、未だカイルを愛しているといっている自分にロイになにをいえるというのだろう。
 それでも言いしれぬ嫉妬の炎は、火勢を弱めない。
 シャワールームを開け、パジャマのままでコックを捻った。お湯を捻ったのに、すぐには熱くはならない水が全身を凍らせた。

 抱いているのだろうか、ジムは。
 文字通りの言葉ではなく、すべてを自分のものとして、隅々までを指先で辿り、ロイを感じているのだろうか?
 お湯が出始めたコックを、わざと水の方へ戻す。
 身内に起きた変化を、凍らせてしまわねばならないほどの淫らな想像を打ち消すように、カーターはうなだれたまま水に打たれ続けた。
 その夜、なかなか眠りが訪れなかったことは当然だった。
 ベッドの中で何度も寝返りを打ち、そのたびにカーターは外の気配に耳を澄ませた。
 波がせわしなく響く以外、なんの物音もしなかった。
 初めて男性の身体に触れたとき、カーターは戸惑った。
 女性と同じように扱っていいものか、それとも他になにか特殊な方法でもあるのかと、ベッドの中のカイルを見つめたものだ。
「おまえがいつも、女性を愛するように……」とカイルはいった。
 おそらくカイルは初めてではなかったのだと、今は思う。
 そのときは夢中で分からなかったが、カイルはカーターをいざなうようにすらした。
 この世にそういった愛情もあるというのは知っていたし、それについてとやかく感じたことはない。自分とは違う世界のことで、当事者がそれがいいというのであれば、いいではないかと、時折軍の中でも起きるささやかなうわさ話を耳にしても、意に介さなかった。
 そうして、カーターはカイルを愛し、人と人のつながりがどういうタイプのものであっても、それは崇高ですらあると、納得してしまったのだ。
 それでも、カイルが疲れてぐったりしてしまったときなど、傷ついて血を流して戻ってきたロイの、痛ましい姿を不意に思い出し、こんなことをしてしまっていいのかと思いに沈んだこともあった。
 そのロイが、あの時と同じように――いや、それは全く意味合いが違いはするものの、ジムとそうなってしまっているというのが、ひどく悲しく切なく思えたのだ。
 綺麗な、人形のような姿態を持ち、その精神もまた清らかなままだとどこかで思っていたカーターはやはり、なにかが欠落しているのかもしれない。
 さんざんカイルを抱いた身でいうことではないが、ロイにだけは、そういうことをして欲しくはない、という、なんだか理屈の通らぬ我が儘な感情が、カーターを眠らせないのだ。
 

 翌朝、カーターがキッチンへ行くと、ロイはすでに戻っており、朝食を作って待っていた。
 用意された朝食を食べる間、ロイはいい訳すらせず、カーターもまた「どこへ泊まったんだ?」などという、いつもの軽口さえ出なかった。
 食事が終わると、いつものように一緒に基地へと出かけた。駐車場への短い道のりさえ、ロイの足下は覚束ないように見えたが、カーターは見ないふりをした。
 ジムでないとしたら、ずいぶんタフな女性に違いない、と思わせるほどロイは疲れているように見えた。
 一体何時に戻ってきたのか、少しは眠ったのかどうなのか、目元がほんのりと赤らんでさえいた。
“週末しか”という言葉がその顔を見ながら思い出された。
 週末しかデートをしない、週末しかビーチハウスへ来ない、とロイもジムも週末にこだわっていた。
「夕べは遅かったのか? 大丈夫か?」
 わざとのように、カーターが聞いた。
 ハンドルを握りながら、ロイはもちろんです、と陰りなどないかのように答え、それでいていつもよりもうんと口数が少ないのは明らかだった。平然としてみせてはいても、だんだんロイが肉体的な疲れを抱えてしまうのに比例して、寡黙な態度がひどくなるのは気づいていた。
 きちんと襟元まで留められた首筋に、キスの痕でも残ってやしないかと、カーターはそっと横目で伺った。
 もちろん、そんなものはどこにもない。ただ、白い綺麗な襟足が、匂い立つような色香を漂わせている。気のせいなんかではない。
 カーターの心臓が僅かに鼓動を早めたほど、今朝のロイは微かな整髪剤の香りをさせているだけなのに、なにがしかのフェロモンを発散させているように思えた。

 カーターはやっと確信した。
 翌日、仕事をしなければいけない日には、デートをしたくないのだ。
 女性とは違う受け入れ方をしなければならないロイが、ジムのような男の激情を全身に受け止めるのは無理があるに違いない。

 電池が切れたように眠っていた日――
 そういえば、最初にここを訪れた日曜の午後も、ロイはくたびれたような顔をしていた、とカーターはその時の様子を思い浮かべた。その週末に、ロイは誰と会っていたのだ? 未だ見たことのない謎の女性などではないはずだ。 
 あの日曜日、ジムが駐車場まで出迎えに来た。馴染んだ空間のように、あのガラスのドアを開けて、中へ入っていった。ずっとそこにいたのに違いない。
 これからカーターが入り込んでくることに対して、ジムが全力で前の晩まで――あるいは、朝方まででも、ロイを離さなかったとしたら、階段に躓くほどくたびれていたっておかしくはない……下世話な想像に過ぎるだろうか、と自分を戒めつつも、あながち間違った考えとも思えなかった。
 平日、ジムを泊めなかったのも、泊めれば必ずジムは寝室を訪れるに違いないからではなかったのだろうか。無茶はさせないと自分では思ってはいても、それでもロイにとってそれが負担になっていたのだとしたら――
 そんなことを考えただけで、身体の中からむずむずとしたいかがわしい熱情がこみ上げてきそうで、カーターは手に持っていたミネラル水のボトルを一口飲んだ。

 ロイは何事もなかったかのように、運転を続けている。
 ニュースを聞きながら、どうでもいい政治の話を口にしてみるが、そうですね、とお義理に答えるだけのロイとの会話は弾まない。
 そうですね、という言葉をかたどった薄い紅色の唇が動くさまが、その唇が閉じられてまっすぐに前方を見つめる横顔が、お天気を告げ始めたニュース番組からカーターを遠ざけていく。
 カーターの脳みそは、世間の話題から極めて低レベルな方向へスライドしはじめた。
 かなり近い距離で、ロイの隣に座ってるのさえ苦痛な気がしてきた。
 口を開けば、夕べは誰と過ごしたんだと聞きそうで、カーターは右側の移りゆく景色に目を向けるしかなかった。

 その日の午後、バーク准将に呼ばれ、カーターはひと月ほどペンタゴンへ出張を命じられた。
 瞬間、息を吐き、だったら今夜から出発しますと告げて、基地から空港へ直行した。
 下着やカッターシャツの着替えは基地の中で手に入る。制服もロッカーにあるし、普段着はそう着ることもないはずだから、間に合わせに二、三着ワシントンで新調すればいい。
 今夜、ビーチハウスに帰りたくなかったのだ。ロイとふたり顔を合わせて夕食をとり、リビングで過ごす時間をカーターは恐れていたのかもしれない。
 何を口走るか分からない。
 何をしでかすかも分からないほど、ジムとロイがそういう関係であるかもしれない、という事実に動転していたのだ。
 これは良い機会だとさえ思った。
 さっさとねぐらを変えればいいものを、あの家から出ることができないでいる自分に、命令での外泊はタイミングのいい出来事であると思えた。
 ワシントンDCの大きなビル群の下で、行き交う雑踏に紛れたときはほっとした気分でさえあった。

 そこへ着いてから、やっとロイに電話で出張の件を話し、慌ただしく出てきたことを詫びた。
 今回は、SEALSの関係ではなく、海軍の一少佐としての仕事だという。
 馴染めない面々との会議や歓談に忙しく、慌ただしく時間が流れていく中、つかの間ノーフォークのことを忘れた。
 もしかしたら、今後ここでの勤務をすることになるのかもしれない。到着時に、海軍長官直々にそんなニュアンスを込められた挨拶を受け、それならそれでもいいのかもしれないと、半ば開き直った気分でもあった。
 バークはやはり、自分をコネリーのあとに据えたかったのだろう、とカーターは思った。だが、階級的にいっても、まだ、全責任者の後釜に座るほどのキャリアはない。そうなるとしても、まだまだ先の話であり、現場に戻らないのであれば、他の昇進に絡んだ仕事が必要だと判断されたのかもしれない。
 少なくとも腕の二本の金筋の間の細い線が、れっきとした三本線に変わる程度には。それは中佐という呼称が、カーターの後に続くということだ。
 本来なら、とっくにそうなっていてもおかしくない時期でもあった。
 進む道は、思いもよらぬ方向へ向くことがある。 
 踏み損ねた階段は、いつの間にかどこかで枝分かれして、目指していた場所とは違う方向へ私を誘っているのかもしれない。
 自分が進みたかった道は、カイルを選んだときに見失ってしまったことをカーターは自覚していた。

 ノーフォークへ呼ばれたとき、もしや戻れるかもしれないと淡い期待を抱いた瞬間もあったが、戻ってみるとそう簡単にことが進むとも思えず、すでに諦めていた部分もある。
 負傷した部下を置き去りにしかけたという、コネリー大尉の話には背筋が粟立つ。けれども彼には彼なりのなんらかの理由があったかもしれないではないか。
 戦場といえるほどの状況の中なら、現実では予想もできないことばかりが起きるものだ。
 自分だって、いつそういう決断を迫られたかしれないのだ。
 数年前、ロイとジムが捕らえられた時も、撤退を命じられた。
 捕虜にされた人間を救出するのは後日だといわれて、泣きたいほどの不安を感じた。見知らぬ土地で、明らかに敵対する人間たちに捕らえられたふたりを思うだけで、自分が死にたいほどの気分になった。
 あと少しだけ時間をくれと、カーターは無線で作戦本部と交渉した。
 もしあの時、時間がもらえず、絶対に撤退しろといわれていたら、それでも自分は命令に背いて救出に向かっただろうか? と幾度もカーターはそれを思い返す。
 軍に於いて命令違反は重罪だと承知の上で、もし許可が下りなければ、あの地に残ってでも救出すると決めてはいたが、本当に決行しただろうか。
 そうなっていたら、おそらく今頃軍の刑務所に入っていたか、除隊になっていたはずで、正義感と軍の意向は交わらないことが多々ある。あるいは、ふたりの救出など適わず、共に敵地で死んでいたか――
 たくさんだ、とカーターはベッドに寝ころんだ。
 そんな重圧など感じない仕事が海軍の中にもあるということを、チームから抜けてから知った。
 銃を携帯することもなく、綺麗にプレスした制服をまとって、毎日仕事ができるのならば、それが一番いいではないか。
 雀の涙ほどの危険手当のために、命を落とすこともない。
 そうだろう? と、カーターは何度も自分にいい聞かせていた。











硝子の破片

哀しみの追憶

後日憚―哀しみの追憶―

観客

おもちゃ屋探検

おもちゃ談議

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Pは××のP

金の砂銀の砂第一部

金の砂銀の砂第二部

金の砂銀の砂第三部

僕が彼を憎んだわけ

ロイとジムの映画評