[激情]of [金の砂銀の砂]

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激情

 カーターが取り乱したのが夜半のせいもあったのだろうが、ロイにとって朝になってみればあれはふたりで見た夢のように儚かった。
 あまりにもらしくない取り乱し方をしたカーターと、普段の彼が結びつかないせいかもしれない。
 あるいは自分だけが見た夢なのではないかとすら、ロイは思ったほどだ。
 それでも、足の裏の絆創膏を貼り替えている姿を見て、また基地に向かう車の中で「夕べは有り難う」と、カーターにいわれたことで、やはり現実にあったことなのだとロイは改めて思った。

 そのおぼろな夢のような記憶は日常に紛れ、ロイは厳しい訓練で流す汗と共にすっかりそのことを考える暇もなかった。
 帰宅したすぐに、ジムが電話をかけてきたときには「一緒に食事をしよう」といっていた件だ、と思い出し、カーターに今日は夕食はいりません、と告げてまた車に乗った。

 ジムのアパートの空いている駐車場へ車を駐めると、ジムも自分の車から降りたところだった。
「食事は俺の部屋でしないか?」
 手にどっさりと抱えた荷物を掲げて見せたものが、有名レストランでデリバリー用に作られたものだと分かり、ロイは頷いた。
 そこへ買い出しに行っていた帰りらしかった。
 食事が終わるまでは、ジムはごく普通に振る舞っていた。
 ロイも愉しんで、ジムが奮発してくれた料理に舌鼓を打ち、軽くワインすら愉しんだ。
「おかわりはどうだ?」というジムに首を振り、飲酒運転にならない程度で我慢する、と微笑むと「泊まればいい」とジムはあっさりとグラスにワインを注いだ。
「そういうわけにはいかない。明日も早いんだ」
 ジムは強引にグラスを手に握らせるように渡し、そのままキスをしてきた。
「デインが待ってるからか?」
「なにをいってる。彼は関係ないだろう?」
 ロイは何の気なしに答え、それに符合して夕べの出来事を思い出した。彼がいかに今、消沈しているかをジムに話しておきたい、と顔を上げた瞬間、ジムに肩に担ぎ上げられていた。
「な、なにしてる? ワインが零れて……」
「どうせ古い部屋なんだ。ほっといていい」
「ジム、下ろせ!」
 暴れて下りられないことはないが、狭い部屋でそれは危険だと判断し、結局ベッドの上に放られた。空になってしまったグラスを奪われ、起き上がる間もなく、大きな身体がのし掛かってくる。
「ジム、こんなふうにしなくても……」
 いいかけた言葉をジムが塞いだ。まるで女の子を扱うようにされたことが、ロイの気分を害していた。だが、ジムの発する気配が殺気立っているようにすら感じられ、ロイはされるままにキスを受け入れた。
「……あんたのキスは、最初から甘くて蕩けそうだった」
 どういう意味だろう? とロイは目の前の顔を訝しげに見つめた。
「誰とキスしても、そんなふうに蕩かしてしまうのかな?」
 なんで今こんなことを……と思いつつまた攻めてくるジムに押しつけられるようにキスを受けながら、ロイはふと夕べのことを考えていた。
 まさか、カーターがロイにキスしてきたことをいっているのではあるまい、と否定しつつも一度は落ち着いていたジムの様子のおかしさに、ロイは動揺した。
「今夜は帰さない」
 ジムの声が、耳元で低く響いた。

 ブラックアウト――
 そういう状態になることが、人生に於いてどれほどあるだろうか。
 眠りとも違う、せっぱ詰まった闇の訪れを、ロイはすでに幾度体験したことだろう。
 目が覚めると、薄暗いスタンドの明かりだけが灯った部屋の中がぼんやりと照らし出されていた。
 隣にジムが脱力したように長々と身を横たえている。身体の半分しか掛けられていない上掛けからたくましい肩の筋肉が盛り上がるように見えている。
 寝ているのかと思ったが、ジムは怖いほどの黒い瞳をまっすぐにロイに向けていた。
「目が覚めたか?」
 ジムが手を伸ばしてきた。
「シャワー……あ…びないと」
 ロイは今日、基地でそうしてきたとはいえ、ジムと愛し合う前には必ず身体を清めていたことができずに、今に至ったことを思い出していた。
 乱暴なほどのジムの動きに、呼吸すら忘れそうになった。
 時計を見ると、まだ深夜には少し間があり、どうやら気を失うようにして眠っていた時間はそれほどではないらしい。
「やっぱりシャワーはいい。帰ってからで」
 立ち上がろうとするロイの二の腕が、がっしりと掴まれる。そのまま引き倒され、ロイは抵抗した。
「ジム、離してくれ。もう遅い時間だ」
「帰さないといったはずだ」
 ロイは呼吸が乱れ始めた。
 いったいどうしたっていうんだ、と改めてジムの顔を見る。にこりともせず、自分を見つめているジムの表情はなにかを問いたがってでもいるように見えた。
「ジム、いいたいことがあるならはっきりいえ」
「別に。聞いたってあんたにも答えはまだ、分かっていないだろうからな」
「……帰る」
 決然と起き上がりかけたロイは、乱暴に押し倒され、重い身体の下敷きにされた。
 圧倒的な力の差が、ロイを容易に弱者にする。
 もちろん、鍛えてきた技や、訓練による部分でのふりほどき方は幾多も知ってはいるが、それはへたをすると相手を傷つけかねない。この場合、ロイが空手の有段者であることなど意味はない。
 私的な関係の中で起きることに、本気で立ち向かうことははばかられる。相手は持てる力を出しているというのに、こっちは手加減しないといけないというのはどうにも納得がいかないが。
 単純な力という意味ではロイはまず、ジムに適うはずもないことは分かっている。第一ボクシングでいうならばウエイトが違いすぎるのだ。
 さっきまでジムの思うままに溶かされた身体に、新たな刺激が与えられ始めると、ロイは息を荒げた。
「ジム……電話……デインに…心配する…から……」
「同居人がいると、気苦労が多いな」
 ジムはようやく顔を上げ、携帯を掴んでロイに渡した。
 今夜は帰らない、と告げている間もジムはロイを離さなかった。
 声が妙な具合に掠れてしまって、はらはらする。カーターがなにかいいかけたが、ロイは「おやすみなさい」と告げ、さっさと電話を切った。
 どういうつもりだ、とさすがに腹が立ち、振り返ったロイに大きな身体が被さってきた。
 

「明日……起きれなくなる……」
 泣き声のようにロイがいう。ジムのベッドにぐったりと横たわった姿は、すでに泡となって消えていく人魚のように儚く見えた。
「一日くらい、休んだって誰も文句はいわんよ」
 ジムらしくない言葉に、ロイはもう怒る気力もなくしているように言葉を閉ざした。早い、浅い息をするのが精一杯のようにすら見える。
 今夜だけは離すつもりはない、とジムは容赦しなかった。
 今日の昼間、元気のないカーターと訓練場で話をしたとき、彼は「ロイとキスをした」と、いった。それに関しては、格別驚きはしなかった。驚かなかった代わりに、やはり、という激しい感情に襲われた。
 それは、三年も前のあの頃からジムが漠然とカーターに対して抱いていた疑惑でもある。
 ロイは、あの幼い仕草しかできなくなったとき、キスしてしまったジムに熱い甘いキスを返してきた。これは今、尋常ではない状態でのことだ、とジムは思いながらもそれを意外に思い、それでも死ぬほど嬉しかった。
 そして、幼子がよくやるようにロイはあっさりとバークやカーターの前で「ロイ、ジムとキスしたから結婚する」といってしまったのだ。
 ジムは慌てたものだが、カーターが「デインにはしてくれないのか?」とからかった時、ロイはカーターの唇にそっと唇をくっつけた。
 それだけのことだったのだが、バークが同じように催促したときにはほっぺたにしたくせに、なぜカーターは唇だったのかが解せなかった。
 以後カーターはロイを引き取るとまで言い出した。
 あの時の、あのふたりの心情はどういうものだったのか、もしもあのまま正気に戻ったロイのそばに、ジムだけではなくカーターまでもが一緒にいたら、ロイはどうしていたのか? 今のように、ジムの腕の下でかわいらしい姿を見せてくれていたのだろうか? それともカーターという男に惹かれていったのか?
 そのときから、この問題は始まっていたんだ、とジムは思う。
 ロイが、いくら同情したとはいえ、自分の家に招いたことがそれを語ってもいた。
 カーターにあんたは今、惹かれはじめているんだろう? とジムは何度も心の中でロイに問い、その言葉の代わりに激しい激情を打ち付ける。
 嫉妬しているというならば、それでもいい。
 キスをしたのは、夢を見て自分がおかしかったからだ、とカーターは説明したが、わざわざジムにそんな話をした真意が理解できない。わざとなのか、彼らしい考えなしのなせる技か分かりはしないが、それでジムはふたりの間に何かが芽生えつつあるのを察した。
 それならば、自分たちがなにをどうしたいのかとことん探ればいい、と冷静に考える気持ちの裏側で、ジムはやはりじっとしていられないほどの感情に揺さぶられてしまっていた。
 
 平日に、わざわざ会いに来てくれることまでをいとわず、ロイがそれをするのは、ひとえにジムに申し訳ないと思っているはずだからで、それすらもジムにはロイがカーターに惹かれている証拠のように思えた。
 長い週の始まりの方で、ジムがこうして抱いてしまえばロイがどれほどつらいか分かってもいる。それも、手加減なしなのだから本当に明日は立てなくなっているかもしれない。
 そのことでロイはまた、怒ってしまうかもしれないし、本当にジムに愛想をつかしてしまう可能性だってないとはいえない。
 それでも、ジムは本当にロイが泣いてしまうまで止めるつもりはなかった。限界を超えてしまっても、まだ感じようとする自分を持てあますようにロイは泣くだろう。
 感じすぎて、うっすらと紅色に染まった身体のあちこちが意志に反して痙攣してしまうまで。
 ジムに許しを請うこともせず、どこまでロイが耐えるのか、ジムは知りたい気がした。
   
 
 再びのブラックアウトが訪れるまで、それほど時間はかからなかった。
 眦には、生理的な苦痛による涙がにじみ、薄く開けられた唇からはまだ、不規則な呼吸が漏れている。
 ジムはその、小作りな顔を分厚い手のひらで幾度も撫で、額に垂れた金色の髪をかき上げてやる。
 ジムはカーターという男が好きだ。
 将校の中には偉ぶったり、嫌なタイプの人間もままいるが、カーターやロイはそういう人種とはまるで違う。仕事で信頼を置けて、なおかつ私生活までつきあってもいいと思える者はそうはいない。
 カーターは子供の頃に両親に死に別れて、ずいぶん個性的な祖母に育てられたようだが、それまでの彼の家庭は、おそらく絵に描いたような垢抜けたものだったのではないか、とジムは時々思う。
 垢抜けた家庭、といういい方が自分でもおかしかったが、そう、たとえばテレビのドラマなどに良くある、住宅街の綺麗な家に住み、広い前庭とバックヤードを持つ、プールがある――美人で聡明な母親とスマートな父親、それに高級な車のあるような――
 そしてそれはロイの家庭にも通じるものがあるように思える。
 ジュリアという女性は文句なく美しかったし、写真でしか知らないマイクもまた品位すら感じさせる、紳士だった。
 農場で育ったジムは、自分の家が貧しくても朗らかで楽しい家だったと自負しているとはいえ、育った環境はあまりにも違いすぎる。
 それに、ふたりは決してなに不自由なく育ったわけではなく、それぞれにつらい思いや哀しみを抱えているところも似ている気がする。
 それは、ジムの少年時代にはなかったことだ。
 兄弟が山ほどいて、働き者の両親と広い農場。小さな街の住人はほとんどが知り合いで、それなりに悩んだり泣いたりしたこともあったとはいえ、決定的なジムにとっての不幸なできごとはない。
 そういう、人生の襞に潜んでいる暗い感情を、ロイはカーターとなら分かち合えているのかもしれないとも思う。ロイのことはなにもかも分かっているつもりでいても、本当はジムにはなにひとつ分かっていないのでは、とも。

 ジムは頭を振った。
 そんな屁理屈は自分には似合わない。
「あんたにも分からないんだろうな」
 ジムが金色の睫に触れると、髪よりも少し濃いめの長い睫が震えた。
 好きだという感情だけで、幸せでいられる時間は少ない。むしろ、好きであればあるほど、僅かな出来事に心乱され、悩むことの方が多いのではないか――
 それは、ロイが好きだといいながら、結局は自分が幸せになりたいから、彼を離したくない、という我が儘な感情なのかもしれない。
 人というのは結局はそういうものなのかもしれない。
 こうして、相手のことも考えず、強引に罰を与えるかのごとく力づくで押さえ込んでしまったことを思えば、ロイがどれほどそれに対して嫌な想いを堪えてくれたか、ジムにはすでに分かっていた。
 ロイがもっとも嫌がる、「所有物のように」あるいは「力で制覇した女の子を相手にしているように」ジムは振る舞ってしまった。
 滑らかな頬に滑らせていた手を自分の顔に当て、ジムはそのまま頭を抱え込んだ。
 今夜ほど、自分が嫌になった夜はなかった――











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後日憚―哀しみの追憶―

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ロイとジムの映画評