[ジグゾーパズル]of [金の砂銀の砂]


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ジグゾーパズル

 カーターは久しぶりに一人きりの食事をし、皿を洗って珈琲を淹れた。
 リビングへ行き、テレビでニュースを眺めながら、カーターは今夜はもうパソコンを開く気分ではなくなってしまっていた。
 すでに九時に近いというのに、ロイは起きては来ない。
 風邪薬を飲むなら食事をしないとまずいだろうに、カーターが下へ下りてからトイレに立った気配すら感じられない。何度か様子を見に行こうとしたが、そのたびに足はすくんだように動かなかった。
“かまわないで”と念を押されたのだから、その意見に従うべきだろう。だが、たかが風邪でもこじらせれば肺炎を引き起こしたり、風邪だとなめてかかっていた症状が、とんでもない病の発端だったりするのだ。
 カイルが結果的に亡くなった原因のひとつは、まさに肺炎だったのだから。

 カーターはロイの部屋の前で何度か逡巡し、一度キッチンに引き返してトレーにシチューとパンを乗せた。水も冷えたボトルを冷蔵庫から出し、寝室へと引き返した。
 ノックをつま先でして、返事がないので黙って開ける。
 ロイは眠っているようだった。さっきよりも、汗をかき、額に髪が張り付いている。それでも一応、ベッドサイドのテーブルには洗面器が置いてあり、額に乗せていただろうタオルは枕に落ちて、すっかり温もっていた。
 カーターはトレーをもう一方のサイドテーブルに乗せ、洗面器に氷を張ってから再びベッドの横に立った。
 冷えたタオルを乗せてやると、ロイは身じろぎをしたが、目は開けなかった。
 食事のトレーに目がいったが、眠れるのならこのまま寝かせたほうがいいのかもしれないと思い直し、起こさず広いベッドの隅に腰を下ろす。本当なら汗に濡れているはずの下着も替えるべきなのだが。

 看病には慣れている。
 子どもの頃、妹はよく熱を出した。
 アンナは麻疹も、水疱瘡も、おたふく風邪も人よりも重かった。冬場や季節の変わり目、そして夏風邪とほぼ一年中病院との道を往復しなければならない子どもだった。
 カーターはまだ子供だったにもかかわらず幼いアンナを背負い、足の悪い祖母と共に病院に付き添い、家に戻ってからもそばについて額を冷やし続けてやった。
 ジムのように、衛生兵にぴったりの気配りは持ち合わせてはいないし、単に誰かの世話をするということが得意なわけでもない。だが、慣れているという部分では負けてはいないかもしれない。
 アンナの面倒を見なくなって久しく、カーターは自分だけの世話をする身を長く続けていたが、カイルという果てもなく健康を損ねてしまった男を見守った時間は、ほんの最近のことなのだ。散歩をしては汗をかいていないか、僅かの風がそよいでも上着が必要なんじゃないか、愛情を求められてそういう行為をしている最中でも、無理はさせられない、とどこかで自分をセーブし続けた。
 妹は病気がちではあったが、病人だったわけではない。だが、カイルは半分以上は、常に健康とは言い難かった。
 ある意味、カイルを気遣うことと愛情とは、同じ重さを持っていた。
 たかが風邪でも、発熱すれば苦しいに決まっている。人に迷惑をかけたくない気持ちも分からないではないが、こんなときくらいそばにいてやってもかまわないんじゃないか? なにもあんな必死の形相で、看病を拒否することもあるまいに。
 不意に、微かだが耳障りな音を感じ、慌ててサイドテーブルに手を伸ばした。ロイの携帯が着信をバイブレーションで知らせているのだ。
 そこには、《ジム》という名前が点滅していた。

 廊下に出て、携帯を耳に当てた。
 すまん、怒ってるか? という、ひどくらしくない、思い詰めたようなジムの声が飛び込んできた。
「ジム、デインだ」
「……デイン?」
 通常本人以外出るはずのないものに、他人が出たことに戸惑ったような声が響いた。
「今ロイは出られない。風邪を引いたらしくて」
「風邪?」
「まあ、たいしたことはないと本人はいってるが、今は眠っている。熱があるんで起こしたくないから、私が代わりに出たんだ」
 ジムは一瞬押し黙り、少ししてから掠れたような声が聞こえた。
「じゃあ今からそっちへ行きますから」
「大丈夫だろう。私の看病も断ったんだ。おまえまで来たら、大袈裟に騒いだと私が怒られそうだ」
「……ほんとにたいしたことないんですか?」
「見たところ、そう思う」
 ジムはまた黙り込んだ。カーターは少しおかしくなった。ジムが、ロイと共に捕虜になって以来、必要以上にロイの身を案じ、うっとおしがられるほど気を配っていたのを思い出したからだ。
「あいつはもう、しっかりしてるだろう? おまえはまだそうやってかまってるのか?」
 大きなため息が聞こえた。
「さっき、具合が悪いといって家に来なかったから気になって――」
「ジム、今夜会う予定だったのはおまえのほうか? 私はてっきりデートだと」
「あ、いや、きっと俺のところに寄ったあとでデートに行くはずだったんじゃ……」
 深い意味はなくつい口に出た質問だったが、ジムはうろたえたように口ごもった。その慌てた気配に、こっちが戸惑ってしまった。
「さっき忘れ物をしたから、きっとそれで――」
 わかったよ、とカーターはジムをさえぎった。とにかく心配しなくていいからと電話を切り、ロイの寝室へ戻った。
 目を閉じた顔を見ながら、カーター私の頭の中はぐるぐる回っていた。
 ――考えてみたら、ロイの恋人の姿がまるでイメージできない。ほんとうにいるのだろうか、とすら思う。そんな相手がいるのなら、看病に来てくれないかと頼んだってかまわないはずなのに、ロイはそんなことは考えたりしないのだろうか?
 不倫をしているわけでもあるまいに、カーターに紹介するどころか、姿さえ見せようとはしない気がするのは、考えすぎだろうか。
『すまん、怒ってるか?』という、ジムの第一声は、まるでふたりがけんかでもしたかのようだ――カーターが着替えているとき、それこそ急に帰ることになったのは、そういうことだったのだろうか? 
『いったいどういうことなんだ?』
まるで責めるようなジムの声を思い出した。

 ロイはけんかして、出て行くジムをロイは駐車場まで追いかけた……?
 だから雨に濡れていたのか?
 何かで揉めて、怒ってのしのしと車へ戻るジムを、ロイが追いかけていく……。
「あとで行くから。待っていてくれ」
 走り去るジムの車に投げかけて、すぐに着替えて……。カーターの目のないところでゆっくり話をするために。
 その場面が手に取るように目の前に映った。
 まさか。これは、くだらないペーパーバッグの読み過ぎだ。どこかでこんな場面を読んだのだろう。
 だが――
 週末のデートの約束。
 ジムすら知らないという、ロイの恋人の姿。実像の見えない――
 客間ではなく、ロイの寝室のクローゼットにしまわれた大きなガウン。
 時に、不可思議な態度を示していたジム。週末しかここへは来ない、というならロイはデートとジムの相手をする時間をどう調節しているのだ。
 仕事で週末が潰れ、カーターがここにいることで自由に泊まることもできないことで、ふたりがけんかしたのだとしたら……。あるいは、ゆうべふたりで泊まったことに対してか?
“ホテルで狭いベッドで一緒に寝たから首が痛くて”
 何の気なしにいったカーターの言葉で、ジムが怒ったのだとしたら……。
 カイルとジグゾーパズルを作ったことがある。
 小さなピースがばらばらに置かれ、それを一個一個、はめ込んでひとつの絵が完成する。今のカーターの頭の中で、断片的ながらもそれが少しずつはまっていくような気がした。
 ロイとジムはつきあっている……? 
 恋人同士だという気配はまるで見せず、仲の良い友人の域を超えているとも思えないのに、状況はそれを語っている気がした。
 信じられない、というより信じたくない。
 なぜかは分からないが、女性の恋人がいる、というほどには快く思っていない自分を自覚した。自分がそうだったのだから、同性同士の恋愛に偏見を持っているわけではない。
 だが――
 ジムの胸に抱かれたロイの姿など、想像したくはなかった。
 カーターはベッドの端に腰掛けたまま、まじろぎもせずに、眠る男を見つめ続けた。

 蒼い顔をしていたな、とジムは携帯をテーブルに放り出してソファに背を預けた。
 気分が悪そうだと思ったのは確かだった。
 そう気づいていたのに、やはり来られないという連絡を受けたときは、濡れたようだから風邪を引いたのだろう、と思いつつも腹が立った。
 結局、来られない、という電話でとうとう怒りの紐がぶち切れたが、本当に熱を出したと言われてはやはり気になる。
 それでも、同居人は来なくていいといってジムを拒絶した。
 そもそも昨日、待っていたのに帰れないといわれただけでショックだったのに、ヘイズではなくカーターと一緒にいたといわれて愉快なはずはない。
 なんでそういうことになったんだ? と幾度も思う。
 
 昨日の朝、カーターは図書館や不動産屋を回る、といってロイの車に乗り込んだ。
 一緒にロイの家で過ごしたあと、ロイが車を置きっぱなしにしている基地の駐車場へ送っていったのはジムだ。
 あのあと、カーターがなぜロイの帰路へ車を向けたのか分からない。そして飛行機で帰るとばかり思っていたロイと、偶然会っただなどどう考えてもおかしい。
 考えれば考えるほど腹がたち、とうとう自分の不吉な予感が現実化してきたのではないかと思うと、落ち着かなかった。
 冷蔵庫からビールを出して、ひと息に飲み干す。冷たい液体が喉元を過ぎると、苛立った気分が少し冷えた気がした。
 ロイがすっかり弱くなってしまったのはジムにも分かっていた。普段は問題ないほど身体を作り込んでいるにもかかわらず、踏ん張りが利かなくなっているのだ。
 本当に具合が悪くなったのだとすると、ひどいいい方をしてしまった自分が、なんだかどうしようもなく卑小に思えた。

 ジムはソファに座り込み、うなだれてしまった。
 僅かの距離がジムにはひどく遠くに感じられた。
 その上――
 さっきの電話で失言したことで、自分たちの関係がデインにばれただろうか、とジムは落ち着かない気分で部屋をうろうろと歩いた。
 だが、いずれジムは隠し続けてはおけないかもしれないとも、感じてはいた。そのとき、もしもカーターが同性同士の恋愛に走ってしまったジムたちを非難の目で見るのなら、それだけのことだとも。
 けんかをしたあとなだけに、今ロイのそばにいてやりたいという気分に圧倒されながらも、ジムはそうできない現状をもどかしく思った。いつもなら、ロイがなんといおうとも駆けつけてやれるはずなのに。

 携帯が鳴り、今度はロイかも、と思って出ると、飲み仲間のひとりだった。
「ちょっと遅いんだけど、盛り上がってるんだ。来ないか?」
 いや、今夜はちょっとといいかけて、ジムは思い直した。
 馬鹿騒ぎに紛れるのもいいかもしれない。
「ああ、行くよ」と場所を聞き、ジムは携帯を上着のポケットに入れて、そのままひっかけた。
 ロイの看病は、今夜はカーターに譲るしかない。
 そんな諦めにも似た心境が、不意に湧いてもいた。

 次の日、基地ですっきりとした顔で現れたロイを見て、ジムは感心した。熱が出ていた、というそぶりすら見せないほど、ロイは普段通りに見えた。
 もっとも、ロイのそういう「なにもない」という、平常のそぶりはいつものことで、どんなに体調が悪くてもひとたびここへ現れたからには、弱みを見せたりはしない。
 それでも、休むんじゃないかと気を揉んでいただけに、安心した。
「おはよう」と、ロイはジムにも声をかけてきた。
 みんなの手前、それ以上の会話はなかったが、ジムもおはようと穏やかに応えた。
 ジムが、ランチ時に食堂に現れなかったロイのオフィスをノックしたときには、ロイは珍しくデスクではなく、小さい貧相な部屋の隅に置いてあるソファに座っていた。
 横になっていたのかもしれない。髪が乱れていた。
「まだ気分が悪いのか?」
「いや。大丈夫だ。午後からの訓練に差し支えはないよ」
「無理はしないほうがいい。昼飯は?」
 食べるより横になっていたかったのだろうとジムは思い、買ってきたサンドイッチを示して見せるとロイは微笑んだ。
「有り難う。ジム」
 ロイは部屋の隅にある私用の珈琲メーカーから二杯分をついでジムにも渡してくれた。
「夕べは……すまない。ジム。約束を破ってしまった」
 ロイに素直に謝られると、ジムのわだかまりも一気に溶けていく。
「いや。俺の方こそ、きついいい方をした」
 ロイは躊躇うようにジムを見ていたが、やがてほんの微かに唇が寄せられて、ジムはぽかんと口を開けたまま、その顔を見つめた。
 職場では、たとえ人の目がなくとも絶対にこういうことをするのを嫌がるというのに。
 ジムはこみ上げてくる感情を、ぐっと飲み込むように珈琲を飲んだ。
 ここで調子に乗って、熱い口づけなどにもっていこうなら、たちまち今のロイの顔が豹変するのは分かっている。
 触れるかどうかの、ささやかなキスは、ロイのせいいっぱいの愛情表現だと思えば、これで満足するしかない。
 ぼそぼそとサンドイッチを口に入れているロイを、ジムは穏やかな顔で見つめるだけで今はいいと思うしかなかった。

 基地は相変わらず、それぞれがそれぞれの仕事に忙しく、カーターもまた、与えられた仕事をデスクの上でこなしていた。
 書類仕事に倦んだカーターは、ひとり射撃場へ向かった。
 射撃場には、先客がいた。ほっそりとした身体のラインを見て、すぐにロイだと分かった。今朝、ロイはしっかりと起きて一緒に基地に来た。
 深夜まで看病したことがばれないよう、食器ののったトレーも下げ、ロイの目が覚める前に自分の部屋に戻ったおかげか、ロイはなにもいわなかった。
 カーターが後ろに立つと、気配を察して振り返り、耳に当てていたカバーを外して微笑んだ。
「調子は悪くないらしいな」
 黒い射的が戻ってくると、カーターはそれを覗き込んで指さした。ほとんどが、狙った部分を正確に撃ち抜いている。
 カーターは耳カバーを当て、ゴーグルをつけてから銃を構えた。隣でロイもカーターの発射音に巻き込まれないよう、カバーをつける。弾が発射される反動が、身体に感じられる。
 続けて三発ほど撃ったあと、カーターは銃を下げてロイに話しかけた。
「夕べ、ジムから電話があった」
 口元を見て、ロイは小首を傾げ、耳当てを外した。
「なんです?」
「ジムが心配して、君の携帯に電話をかけてきた。起こすまいと思って、ジムならかまわないかと私が出た」
 ロイは、表情を変えずに銃身からカートリッジを抜いた。
「君のデートの相手は、週末にしか君の家を訪ねない。その週末も、私がいると家でのデートをしない。隠すには、身体が大きすぎるからか?」
 ロイは銃身を、所定の棚に戻すために背を向けた。
「ロイ、ジムとけんかしたんだろう?」
「俺とジムのけんかは日常茶飯事です」
 ドアに手をかけたロイの腕を、カーターは掴んだ。
「一昨日、ホテルに泊まったせいか? そもそも、私が、君のところにやっかいになってるのが原因じゃないのか? ジムはそれについて、反対だったんだろう?」
 ロイはきつい目をしてカーターを見返した。
「俺がなにかをすることに、なぜジムの意見が必要なんです?」
「なぜ……って。夕べのように、わざわざ外で会わないといけなくなるから。君が具合を悪くしても、気軽に看病もできない。だからジムは――ロイ、ジムは君の恋人なんじゃないのか?」

 ドアが開き、数人の隊員たちが入ってきた。カーターはロイを掴んでいた手を離した。
「少佐たちも射撃ですか?」
 隊員のひとりが声をかけてきた。
「俺は終わった。では、カーター少佐、先に失礼します」
 ことのほか冷たい態度で、ロイはドアを出て行った。
 轟音のとどろく部屋で、カーターは無心に射撃の訓練をした、とは言い難かった。的をはずし、弾はあらぬ方向へ飛んでいく。
 ジムがロイのことを、もうずっと以前から特別に想っていたらしいのは知ってはいた。
 おそらく恋かもしれない、と本人が漏らしたことも覚えている。だが、ロイがそれを受け入れるとはとうてい考えられなかったし、ふたりは仲がいいとはいえ、あまりにも違いすぎる。
 いや、似ているから恋に落ちるというものでもあるまい。非なるもの同士だからこそ、惹かれ合うものがあっても不思議ではない。
 そういうふたりの間柄がどうというよりも、ロイ・フォードが同性の恋人を持つことに、違和感があったのだ。
 けれどもさっきの質問攻撃はいかにもまずかった。
 潮の流れを楽しんでいた二枚貝が、つつかれて口を閉ざすように、結局カーターの質問には答えないまま、ロイは貝殻を閉じた。彼女に会わせろとか、ジムとどうだとか、さぞ下世話な男だと呆れたことだろう。
 カーターの滞在が迷惑だとしたら、ホテルにでも移るべきじゃないかと思っての質問だったのだが、それをいうときっとロイはよけいに気を悪くしそうな気がした。それに、もう少し滞在したい気にすらなっているのも否めない。
 弾が、黒い紙の的の描いてない場所に、いくつもの孔を開けている。

「少佐」と、こづかれてカーターは耳当てを外した。
 髭面のポールが気のいい笑みを浮かべて背中をつついている。あまりの成績の悪さに、ぼうっとしているのを見抜かれてしまったらしい。
「弾が逸れて俺たちに飛んで来る前に」
 出て行くように指で促されるまま、カーターは銃を置いた。







硝子の破片

哀しみの追憶

後日憚―哀しみの追憶―

観客

おもちゃ屋探検

おもちゃ談議

キャンディーバー

Pは××のP

金の砂銀の砂第一部

金の砂銀の砂第二部

金の砂銀の砂第三部

僕が彼を憎んだわけ

ロイとジムの映画評